6~29ページ(66K)


底本の書名    さぬきの民話
 底本の著者名   北條令子
 底本の編集者   財団法人 香川県健康長寿財団
 底本の発行者   香川県長寿社会センター
 底本の発行日   平成十一年三月
入力者名      松本濱一
校正者名      郡家緑
入力に関する注記
   文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。

登録日   2003年2月14日
      


―6―

   天狗さん

 讃岐の山々に住む天狗たちに逢った人は、ずいぶん多いようです。大天狗に遭遇した人から話を
聞いた人々も、大勢いらっしゃいます。こんぴらさんのお山のふもとに住んでいた日柳燕石も、天
狗に逢ったのでしょうか。こんな漢詩を残しています。
「夜 象山に登る 崖は人頭を圧して 勢傾かんと欲す 満山の露気清に堪えず 夜深くして天狗
来りて翼を休む 十丈の老杉揺らいで声あり。」
こんぴらさんの天狗も興味があるのですが今日は、塩飽の島で聞いた天狗の話二題を、ご紹介しま
しょう。(全文太字)

  ちちんぷいぷい
  たからのこうろん
 
 婿さまと嫁さま、ほっこり温かい布団のなかで寝ていました。夜中に目をさました婿さま、
「ああ、ええ夢見たワ」 
と、にんまり。嫁さまも目をさまして、
「どんな夢、見たのですか」
「それは、言えない。内緒だ」
 夫婦なのに水くさいと、嫁さまは婿さまを攻めたてます。とうとう、夫婦げんか。嫁さまは、婿
さまを柱に縛りつけました。どうも、嫁さまのほうが力持ちのようです。婿さましょんぼり、柱に
縛りつけられたまま。 ばたばた、奥山から鼻の赤い者が飛んできました。奥山に住んでいる、天
狗です。
「どうしたのなら」
「嫁さまに、やられた」
「夫婦の間で、隠しごとをするからじゃ」
 天狗は、婿さまの縄を解いてくれました。
「やれやれ、かたじけない。それにしても天狗さん、この寒いのに団扇を持って、どうするのですか」
「あ、これか。この団扇は重宝なものだ。こうやると、何処へでも飛んで行ける」
 婿さま、団扇を持ってみたくなりました。
「天狗さん、団扇をちょっと貸してくれませんか」
「ああ、ちょっとだけならいいよ。使い方を教えよう。ちちんぷいぷいたからのこうろんと、言え
ばよい」
 婿さま団扇を持って
「ちちんぷいぷいたからのこうろん」
 あれっ、いつの間にか体が軽くなって、ふんわりふわふわ。すいすい、町の喫茶店まで飛んで来
ました。空腹だったので、美味しいものを注文して、ぱくぱくごっくり。そしてまた、ちちんぷい
ぷいたからのこうろんと呪文を唱えて飛び立ちます。無銭飲食で、知らん顔。 嫁さま、柱に縛り
つけていた婿さまが居なくなったのでびっくり。さがしていると、婿さまがふんわりすいすい、帰
ってきました。
「どこへ、行っとった」
「あ、町までお食事に。ご馳走、腹いっぱいだ。ちょっと、トイレへ」
 婿さま、食べ過ぎたようです。団扇を持ったまま、トイレへ駆け込みました。
「やれやれ、さっぱりした・・・・」
 婿さま、トイレのなかへ団扇を忘れてきたことに気がつき、取りにもどります。
「さて、今度は何処へ行こうか。そうだ、都の美人に逢いたいな。うっふふふー。ちちんぷいぷい
たからのこうろんー」
 あれっ、どうしたのでしょう。いくら呪文を唱えても、飛ぶことができません。どうも、便所の
けがれで、法力が失せてしまったようです。せっかく、宝の団扇を手に入れながら、もとのもくあみ。
 夫婦は、瀬戸の小島で末長く暮らしたそうです。

―7―

  三石三斗三升三合の豆

 奥山に住む天狗を、島人たちは「山のモノ」とか「山のマノモン」と恐れていました。毎年、山
のモノは、娘をさらいにやって来ました。島の人々は、山のモノが来ないよう神社で祭灯を焚き続
けていました。
「ごおーっ、ごーお」

   (♯さし絵が入る)柱に縛りつけられた婿さんのところへ飛んできた団扇を持った天狗

 突風のような、大風です。山のモノが来たのかと、びっくり。でも、やってきたのは白い髭のお
じいさんです。
「どうしたのなら。なになに、山のモノが娘をさらいに来る・・・・」
 白髭のおじいさんは、おもしろいことを教えてくれました。
「山のモノが娘をさらいに来たら、豆を三石三斗三升三合持たせなさい」
 島人たちは、白髭のおじいさんが言うとおり豆を用意しておきました。神出鬼没の山のモノ、今
日現れなくても明日またやってくるかもしれません。でも、山のモノはどうして娘をさらいに来る
のでしょうか。
「そりゃ、嫁さまにしたいからじゃ」
「奥山で、一人暮らしは淋しいもんナ」
「山のモノは、長い鼻に赤い顔。風に乗って千里走っても、女には嫌われる!」
 娘のいる家では、戸障子をぴったり閉めていますが、天狗風が吹くとたまりません。吹き飛ばさ
れてしまいます。そろそろ、日も暮れかかりました。
「今夜は、大丈夫かな」
 不安な、夜が更けてゆきます。
「ごおーっ、ごおーっ、ごお」
 島が吹き飛ぶような、突風。風が吹きすさんで、ぴったりと止みます。やれやれと、思ったとき
です。
「あれっ、娘がいない。さらわれたっ!」
 山のモノが、可愛い娘をさらって行きました。
 突風が吹きすさんだとき、娘は三石三斗三升三合入りの豆袋にしがみついていました。
 でも、すーっと体が浮き上がってしまい、どうすることもできません。すーっと浮き上がったと
き娘は、はっと気付きました。
「そうだ、白髭のおじいさんが豆を一粒ずつ播いておくように言っていたわ・・・・」
 娘は、一粒ずつ豆を播いて行きます。でも、何処へ播いているのかわかりません。三石三斗三升
三合の豆が無くなったとき、奥山の岩屋へ着いたようです。山のモノは、娘のやわらかい体をそっ
と岩屋へおろします。
 翌年、豆から芽が出て花が咲きました。島の娘は、その豆の花を道しるべにして、奥山の岩屋か
ら帰って来たということです。
 さてさて、奥山の天狗、お元気なのでしょうか。近頃、とんと噂を聞きません。

―8―

   閻魔大王の借金

 地獄、極楽、どんなところか知らないけど、わたしたちは必ず行くところと教えられています。
さて、ある年のこと、地獄が大にぎわい。押すな押すなの大繁盛だったと言います。
 死の国の大王は、閻魔さん。閻魔大王が裁判を行なって、地獄行きが決まるそうです。その年は、
格別悪行を重ねた人々が多かったのでしょう。極楽はからっぽで、地獄送りばかり。
 地獄の獄卒は、亡者たちを釜ゆでの刑に処します。煮えたぎった湯が、大釜にいっぱい。下から、
どんどん、火を焚きます。死装束の男も女もいっしょに大釜へ追い込みます。
「あら、混浴は、いやよ」
「何、言っとんなら、男女均等法施行だ」
 鬼の獄卒、負けてはいません。ああ言えば、こう言う、おおいそがしです。
「あら、お湯が冷めてきました。熱い湯を出してくださいっ」
「お湯が、少ないナ」
 ここは、温泉ではありません。釜ゆでの刑場なのです。でも、あまりに亡者が多すぎて、湯が冷
めてしまったのです。だって、そうでしょう。みんな、氷のような人々ばかりですもの。
 鬼の獄卒、釜の下へかがみこんで火を焚きます。釜の中は、あふれんばかりの亡者たち。
「あ、あっ、ああー」
 釜の底が、ぬけてしまいました。釜の底から、亡者がこぼれ落ちます。
「定員超過だ」
 地獄にも定員があるのでしょうか。鬼の獄卒は、おろおろ。
「定員オーバーで、釜の底が抜けてしまいました」
と、閻魔大王に報告しました。
「何、底が抜けた!」
 閻魔大王、大困りです。新しい釜を購入しょうにも、予算がありません。はたと、困りはてました。
「地獄の沙汰も金次第と言うけど、銭を持った亡者が来ない。みな、六文、だけだ」
 閻魔大王、ぶつぶつ、ぶつ。鬼の獄卒も、失業です。
「もし、閻魔さん。お金を借りるわけにはゆきませんか」
「ああ、借金申し込むほかあるまい」
「誰に、借りますか」
「うーん」
 閻魔大王、またまた、考えこみます。
「福の神さんにお願いしましょう。恵比寿は金持だから・・・・」
 閻魔大王、恵比寿さんのところへやって来ました。
「恵比寿どの、地獄の釜の底がぬけてしまって困っています。すみませんが、修理のお金を貸して
いただけませんか」
「なになに、釜が壊れた。そりゃ、大変だ」
「貸してくれるか」
「それがナ、七日前に大黒さんが来て金を貸してしもうた。金は一文も残っとらん。あるのは、鯛
ばかりじゃ」
 閻魔大王、がっくり。頼みのつなが切れてしょんぼり。
「恵比寿どの、どこぞに金貸してくれる人はおらんかナ」
「そうだな、近頃、志度の観音さんが大はやりだというワ。あそこへ行けば、貸してくれるかもしれん」
「ほーう。志度の観音さんか・・・・」
「口添えしてあげましょう」
 と、恵比寿さんと閻魔大王、志度の観音さんへやって来ました。
「志度の観音さん、借金お願いします」
「ご用立てしたいのはやまやまですが、このごろ出費が多くて預金も定期もありません」
「そりゃ、困った」
「お気の毒に、お困りのようですね。讃岐のこんぴらさんへ行けば、貸して貰えるかもしれませんよ」
「ああ、そうだ。全国から、参詣人がわんさわんさだ。瀬戸大橋が架かって、観光客が増えたというワ。
早速、お願いに参りましょうか!」

―9―

 閻魔大王、少々、弱気になっています。
「観音さん、一緒に、行ってくれるかい」
「はい、はい」
 観音さんと恵比寿さん、閻魔大王と連れ立って、こんぴらさんの石段をとんとん。
「こりゃ、たまげた。まるで、お祭りじゃ。毎日、こんなに大勢の人がお参りに来ているのか。う
らやましいですネ」
「あ、こんぴらさんは大繁盛だ。長い石段も苦にならん」
 閻魔大王、ご本宮までやって来て汗を拭きます。観音さんはコンパクトを出して、ぱたぱた。恵
比寿さんは、ズボンを持ち上げベルトを締めなおします。そして、三人揃ってこんぴらさんにお願
いしました。
「実は、地獄の釜が壊れまして・・・・・・」
「・・・・・」
こんぴらさん、いい返事をしてくれません。閻魔大王、必死で頼みます。
「地獄の釜の底が抜けて・・・・」
「・・・・・」
 閻魔大王の顔を見て、こんぴらさんは、ぶるぶる、ぶる。
「こ、こわい、顔をして・・・・」
「なに、怖い顔だと。地獄・極楽を取り仕切る閻魔大王さまだっ」
「そんな怖い顔をして・・・・。皆、おそれて金は貸すまいナ」
「閻魔大王は、地獄極楽を取り仕切る・・・・」
「ますます、いけませんワ」
 こんぴらさん、びくびくしながらこう言いました。
「借りるときの恵比須顔、払うときの閻魔顔。あとは、つべくらい観音というワ。少々金はあるけ
ど、貸せませんナ」
「なにっ」
「うっ」
「まっ」
 閻魔大王、借金に失敗。ですから、地獄の釜は壊れたままだそうです。

    (# さし絵が入る)観音さん、恵比寿さん、大黒さん

―10―

   節句の酒は飲むもの
 
 山から流れ出た水が、深くよどんで淵となっていました。水の流れは、日によって音を変えます。
大雨が降ったあとなどは、ごぉーごぉーと山にこだまして、物凄い響きです。でも、日照りが続く
と流れは細かくなりますが、淵のあたりは一年中じっとりと湿った沼地もあります。
 讃岐の国は昔から、お天気続きの住みやすいところ。でも晴れた日ばかりですと水不足に悩む土
地柄。一年中じーっとり湿った地は水稲作りに適した所と開墾を始めました。沼地の田圃はなるほ
ど水はたっぷり。でも田植の時は大変でした。湿地帯を埋めたり掘ったりした田ですから、ずぼず
ぼ吸い込まれそうになります。ですから田植えをする早乙女さんたちは、田圃の上へ梯子を置いて
早苗を植えたそうです。
 稲が豊かに稔るようになると、働き者たちが定住します。集落は「淵野」と呼ばれるようになり
ました。
 さて、この淵野のお寺に、働きものの娘がいました。娘の名は、よろい。ま、親しみをこめて
「よろちゃん」と呼びましょう。
 よろちゃんは、お寺の台所でせっせっと働きます。電気釜も洗濯機もない時代、すべて手作業で
す。お米を洗って大釜にしかけ、薪でご飯を炊きます。味噌汁も煮ものも、味の素なしで味つけ。
お茶碗のかたずけも水道はありませんから、井戸の水を汲み上げてから。洗濯は谷川のほとりへ出
かけます。食事の用意の合間には田畑へ出て働きます。
 ですから、夜になるとくたくた。夕食の後かたずけも終わらないうちに、こっくりこっくり。よ
ろちゃんは、眠くなってしまいます。ぐっすり眠って目ざめると、もう夜明け。薄暗いうちに、起
き出します。若いよろちゃん、こうした暮らしが苦にはなりません。毎日、楽しそう。
 ある夜のことです。よろちゃんがぐっすり寝ている部屋の戸を、すーと押し開く人がいます。月
あかりに見える人影は、背の高い男性。なかなか、ハンサム。何かささやいて、よろちゃんの肩を
抱き寄せました。
「あっ・・・・」
 若い男は、素早いしぐさで、よろちゃんのふとんのなかへ入ります。しばらく、そのまま。
「コケコッコウ!」
 一番鶏が鳴きますと、若い男は、帰り支度をして部屋から出て行きます。よろちゃんもお目ざめ、
いつもと同じ朝がはじまります。次の夜も、そのまた次の夜も、若い男がしのんで来ます。よろち
ゃんもまんざらではない様子。一番鶏が鳴くと、男は帰ります。しばらくこんな日が続いたある日
、よろちゃんのお母さんが心配そうに言いました。
「夜ごと通ってくるのは、何処の人なら」
「何処の人か、わからん」
「なに、話は、せんのか」
「話はせんけど、ほんどり、やさしいわ、けど・・・・」
「けど、どうしたんなら」
「やさしくしてくれるけど、体がとっても冷とうてな・・・。おふとんが、いつも濡れる」
「毎朝、ふとんが、濡れるのか」
 お母さん、とても心配そう。娘のもとへ通ってくるのが並みの男性ならいいのだけど、肌の冷た
い魔物だったらと心を痛めます。
「今夜も、来るのか」
「あ、毎晩、来てくれる」
「今夜来たら、家と名前を聞いてみい」
「いつも黙っている人だから、話してくれなかったらどうしょう・・・」
「話してくれなかったら、男のきものの裾へ、針を刺しておくのじゃ」
 針には、糸が通してあります。くるくる糸が伸びてゆくようになっています。
「くれぐれも、男に気付かれないようにするのじゃ」

―11―

「はい・・・・・」
 夜、男がやって来ました。逢いたくてたまらなかったというように、よろちゃんを抱きしめます。
よろちゃん、うっとりいい気分。
「あの、あなたは・・・・」
 男は、何も話してくれません。仕方なく、男のきものに針を刺しました。翌朝、明るくなるのを
待ちかねて、お母さんが様子を見にきました。
 お母さんは、娘の部屋から伸びている糸を辿って戸外へ出ます。糸はくるくる山際の淵まで伸び
ていました。淵の洞窟あたりで、ひそひそ声が聞こえます。
 「お前、正体、さとられたナ」
 「ああ、でも、娘の腹には子が宿っとる」
 肌の冷たい男と思ったのは、淵に住む大蛇だったのです。あろうことか、娘は妊娠していると言
うのです。それも、蛇の子です。お母さんは、びっくり。でも、お母さんはあわてません。なおも、
聞耳をたてていました。
 「しかしナ、人間というものは利口なものだ。節句の酒を飲むと、子は流れてしまう。」
 淵に住む大蛇親子の話を盗み聞きしたお母さんは急いで帰って来ました。そして、娘に節句の酒
を飲ませます。三月は桃の酒、五月は菖蒲酒、九月は菊酒です。
 「沼の菖蒲を、引き抜いて来い」
 長い根のついた菖蒲をよく洗い、酒に浸します。長時間、菖蒲の根を浸しておくと、酒は苦くな
ります。でも、香り高く苦い酒を飲むと、効果は抜群。
 「さあ、節句の酒を飲むのだ。もう、一杯飲むのだ」
 一杯、二杯、三杯と、よろちゃんは節句のお酒をぐいぐい、ぐい。ほどよく体内に酒が廻ったと
思う頃、お腹が痛くなりました。痛さにうずくまっていたよろちゃんは、蛇の子を七盥半、産んだ
と言います。そう、悪いものすべてを、節句の酒が流し去ってくれたのです。母も娘も、やれやれ、です。
 むかしむかしの、話です。なお、仲多度郡琴南町淵野には、よろちゃんのお墓が残されていまし
た。不思議な、伝承ですネ。でも、人間が人間以外のものと結婚するという「異類婚姻譚」は、各
地で語り残されています。
 例えば、三輪山神話もそうですね。高松市公淵池のほとりにも、水もしたたるいい男が、夜ごと
通って来たという伝説があります。水の神さま、水の精霊をおそれながら崇めた讃岐ならではの伝
承です。まさに、三輪山神話の香川版と言えるでしょう。
 そして、節句の酒は飲むもの、飲むと悪いものを洗い流してくれると言うのです。ぐいぐい、ち
びちび、飲んでみませんか。

    (# さし絵が入る)
       山際の淵にいる糸のついた針が刺さった大蛇親子と家にいるよろちゃん母子

―12―

   野鳥の聞きなし

 野鳥の鳴き声を聞きなしてみる民話が、ずいぶんたくさんあります。
 先般「讃岐池めぐり」で、池のほとりを歩きました。静かな山々、鳥の声を聞きつけた小学生が、
「サッポロ ラーメン ミソ ラーメン」
 と、鳴いていると言います。なるほど、ぴったりです。すると、もう一人の子供が、
「さーぬき うどんは うーまいなーっ」
 と、聞こえると言うのです。同行者みんなで聞きなしてみました。
「うーん。さぬきうどんはうーまいなっ、と聞こえる。ほら、また、鳴いた!」
 うどん大好きな野鳥がいてもいいですね。
 このほかにも、ホトトギス、フクロウ、カッチョ鳥、など、聞きなしの民話は数が知れません。
 例えば、ホトトギス、
「テツペンカケタカ」
 は、有名ですね。でも、近頃、鳴き方が違っているとか。
「ペテンニカケタカ、ペテンニカケタカ」
 と、鳴いているそうです。まあ、さまざまな商法がありますから、要注意と鳴いているのでしょう。

  日 一分 利 取る

 東の空に向かって、ぽんぽーんと柏手を打つ人も少なくなりました。でも、お陽さまを拝むと元
気に過ごせると信じている人も、大勢います。
 さて、今日は、お陽さまと雲雀の話です。
 むかし、お陽さまは、地上に住んでいたそうです。お陽さま、とっても貧乏で天上へ帰ることが
できません。どうにかならないものかと、考えました。
 一方、雲雀は、大金持ち。優雅なくらしをしています。ある日のこと、お陽さまと雲雀がぱった
り逢いました。大困りお陽さま、大金持の雲雀に借金を申込みました。
「それはそれは、お困りのことでしょう」
「貸していただけますか」
「はい、はい」
 お陽さま、雲雀に、借金しました。借金したものの、お陽さまはくやしくてたまりません。それ
から、大奮発。朝早くから、夜遅くまで、せっせせっせと働きます。少々、働き過ぎほど働いて、
借金を返しました。
 でも、働き癖ってあるのでしょうか。お陽さま、それからも休まず働き、立身出世をなさいます。
そして、天上へ昇ることができました。
 こんなことがあってから、金貸しの雲雀は
「お陽さまに 金貸した お陽さまに 金貸した」
 と、鳴きながら、天へ昇って行こうとします。天まで、行けるわけがありません。お陽さま、雲
雀がうるさく叫ぶのが気になってしょうがありません。なるほど、お金は借りました。しかし、返
金しました。そのとき、利息の計算はしませんでした。
 だから、雲雀は鳴くのでしょうか。
「日 一分 日 一分 利 取る 利 取る」
 お陽さま、
「私は、春になると朝早くから、明るくしたり温めたり、雨を降らせたりしているのだから、利子
は負けておくれ!」
 と、言います。それでも、雲雀は負けません。毎日、毎日、
「ヒ イチブ ヒ イチブ リートル リートル」
 と、鳴きながら天へ舞い上がります。
 雲雀の鳴き声、耳をすませて聞いてみると「日 一分、利 取る」と、聞こえます。雲雀の鳴き
声、聞きなしの民話です。
 なお、生態学的には、縄張り宣言の意味もあります。もう一つは、雲雀

―13―

は恋の季節、「可愛いメスちゃん寄っといで・・・・、デートしましょう・・・・」と、鳴いてい
るのかもしれません。より高く舞い上がると、四方八方へ鳴き声が広がります。可愛いメスちゃん
に、ハンサムなオスの声が届くというわけ。
 ま、一度、雲雀の言い分に耳をかたむけてみましょう。

  土食て 虫食て 口しぶい

 燕の夫婦が、海を渡って帰って来ました。巣作り、子育てで、父さん燕も、母さん燕も大いそが
しです。
 さて、むかしみかし、燕と雀が一緒に住んでいました。
「おーい。お母さんが、病気だ」
「そりゃ、たいへんだ!」
 雀は、機織りの用意をしていました。布を織るため、糸を染めていたのです。糸は、かせにして
藍壷で染めます。雀は、かせ糸を首にかけたまま、飛んで行きました。ほれ、雀の頭のあたりをよ
く見てください。茶色の羽根と白い羽根が、首のあたりに見えるでしょう。丁度、白いかせ糸を首
に引っかけたままという、羽根の色です。
 あわてて飛んで行った雀は、お母さんに逢うことができました。危篤のお母さん、そのあと息を
引き取ったそうです。
 燕は、あわてません。お出かけをするのですから、まず髪を結いなおします。現代風に話します
と、美容院でセットしスプレーをしゅつー。いい、匂いです。それから、お化粧を念入りにします。
睫毛もカールさせ、口紅もくっきり。鏡のなかで、にっこり。さて外出着は何にしょうかと、悩み
ます。ネックレスは、イヤリングは、指輪は、ハンドバックはと、大さわぎ。やっと、決まりまし
た。靴は、ハイヒール。あっ、雨が降り出しました。タクシーに電話をしますが、空車がいません。
 とにかく、燕は、おめかしにたっぷり時間をかけました。お母さんの家へ来てみると、雀が泣い
ています。
「お、お母さんが・・・・・・」
 燕は、お母さんの死目に逢うことができませんでした。
「お、お母さんの遺言があります」
「なんでしょう・・・・」
 親孝行な雀には、お初穂を食べさせましょう。お初穂とは、新米のことです。まだ、神さまも召
し上がっていない、ほやほやのお米を食べてもいいと言うのです。稲田のキヌヒカリもコシヒカリ
も、まず、雀がちゅんちゅんいただきます。駄目だ駄目だと言っても、ちゅんちゅん飛んで来ては
、ついばみます。
 燕は、精いっぱいおしゃれをして大遅刻。お母さんの死目に逢えませんでした。だから親不孝。
雀のように、お初穂を食べることはできません。お前は、ひげ虫、毒虫、青虫を食べなさい。そし
て、子育ての巣は、どろどろの泥土で作りなさい。
「ひぇっ」
 ま、仕方がないわと、燕は、すい―っと、害虫を捕らえて、ぱくぱくぱく。泥をついばんで来て
は、せっせと巣作り。ですから、鳴き声は、
「土食て 虫食て 口しぶい 土食て 虫食て 口しぶい」
 と、鳴くようになったというのです。そうでしょうね。土も虫も、さぞ、不味いことでしょう。
 でも、燕って、とてもスマートでおしゃれな鳥です。そろそろ子燕たちが、お揃いの制服で飛び
立ちます。

       (# さし絵が入る)虫を取る燕、おしゃれな燕

―14―

   遠めがね

 瀬戸内海の小さな島で、太助とおみのは所帯をもった。まだ、子供は生まれていないが別にこれ
という不満もない。太助は、毎日、行商に出かける。船に荷物を積んで、島から島へと巡って行く。
 太助を見送ったあと、おみのはいそいそと着がえをはじめた。真っ赤な長じゅばんを着ものに重
ねて、袖を通す。半幅帯を少しゆるめに締めて、胸元をぽーんとたたく。きものの合わせ目のした
で、ゆたかな胸乳がはずんでいる。鏡の前でおくれ毛をかきあげて、にんまり。草履をつっかけて
、浜とは反対の方へかけて行く。
 そこへ、出かけたはずの太助が帰って来た。約束の品物を忘れたので、取りに戻ったところ、女
房がめかしこんで出て行った。
「ま、いいか」
 と、太助は中二階へとんとん、とん。二階といっても、隙間だらけの物置である。ごそごそ、注
文の品をさがしていると、おみのが帰って来た様子。
「さあさあ、旅のお坊さま、お上がりになって・・・・・」
「は、これはこれは」
 お坊さまが、座敷へ通された。座敷といっても二間しかない家、太助とおみのの寝室なのだ。通
されたお坊さま、床の間のあたりをきょろきょろ。でも、仏壇などあるはずがない。座敷のまんな
かへ、どっかりと座った。
「まあ、お坊さま、おらくになさって」
 おみのが、膳を出してきた。二合入りの徳利にぐいのみ、小鉢に何やら盛ってある。
「さあ、おひとつ」
「これは、かたじけない」
 お坊さま、ぐいぐい。
「お前さまも、いかがかな」
「あれっ、わたしは・・・」
「まあ、いいじゃないか」
 お坊さまが、ぐいのみを、おみのにさし出す。お坊さまが飲んだぐいのみの縁は、ぬめぬめ濡れ
ている。お酒をついでもらったおみのは、ぬめぬめ濡れているあたりへ唇をもってゆく。ちびちび、
ごっくり。いい、飲みっぷり。
 中二階の太助は、出るに出られず、板の隙間にぴったりはりついていた。丁度、お坊さまが座っ
ている真上である。隙間から干魚を焼く匂いがただよってくる。
「おのれっ」
 太助はむらむら怒りが沸きあがってくるのだが、動くことができない。金しばりにあったように
なり、板の隙間にしがみつく。目ん玉だけをひんむいて、ぎらぎら、ぎょろり。
 干魚を持ったおみのが、お坊さまの前へべったり座って、徳利を持ち上げた。お坊さま、その手
をぐいっと引いた。おみのの体が大きくゆれて、お坊さまの膝のなかへばっさり。きものの裾から
、緋の長じゅばんと白い足首がこぼれた。お坊さまの手が、おみのの体をたしかめるようにくねく
ね動く。おみのも、お坊さまのたくましさをたしかめるように腰を揺らす。
 中二階の太助は、ますます動けない。のぞき見する隙間は、二人の真上。つるつる頭のお坊さま
と、おみのの黒髪が、ゆさゆさゆれている。おみのの腰に手をまわしたお坊さまの左手には、大き
な数珠をかけたまま。体をゆするたび、数珠がかちかち鳴っている。
「ふーっ、かちかちかち」
「はーっ、かちかちかち」
 どれくらいたったのだろうか、ほんの一瞬だったかもしれない。かちかち鳴る音は止んでいた。
太助は、中二階で、うーん。
 おみのは旅のお坊さまを送って行くらしい。太助は足音を忍ばせ二階から下り、浜辺へ出たが、
仕事に行く気がしない。ぼんやり、浜へたたずんでいた。
 おのれっ、憎っくき女房と怒ったものの、おみのがいとしくてたまらない。
悪いのは旅のお坊さまかもしれない。嫌がるおみのをうまく騙したのだ。だとすると、おみのは被
害者。何のこと

―15―

はない。太助はおみのに首ったけなのだ。日も暮れかかった浜辺、太助は思いなおして帰途につい
た。帰り道、裏の竹薮で竹を切り、遠めがねを作って持って帰った。
「あら、あなた、お帰りなさい」
 おみのは、いつもと同じように迎えてくれる。太助はにこにこしながら、遠めがねを取り出した。
「今日な、行者さんが遠めがねをくれた。覗いてみると、何でもよく見える」
「まあ、何が見えたの」
「おれんちが、まる見えだ。座敷に、旅のお坊さまが座っていたワ」
「うっ」
 おみのは、かちかち歯を鳴らしはじめた。
「数珠が、かちかち、鳴っとったワ」
「ひゃ・・・・」
 おみのは、がちがちぶるぶる。すべて、太助に見られていたのだ。もう、生きたここちがしない。
「あなた、お許しをっ。もう二度と・・・・・」
 ぶるぶる震えるおみのの肩を、太助は、ぽーんと叩いて、こう言った。
「ええことしよったのは、見えんかった」
「ひぇ」
 それから、おみのは心を入れかえ、お坊さまに逢うのは止めにした。一方、太助は行商に出かけ
るときは必ず遠めがねを腰にさして、持って行く。
「ときどき、覗いてみるかな」
こんなことがあってから、太助の遠めがねは大評判となる。遠くにいても、すべてが見える。何で
もよく見えると、噂が飛んだ。
  噂を聞いた院主がやって来た。院住さん、お寺に泥棒が入って、金の仏さまとお金を盗まれたの
だ。
「太助よ、お寺にご本尊さまが無いとどうにもならん。ひとつ、遠めがねで捜してもらえないか。
お礼はたっぷりするから」
「うん、二、三日見てみよう・・・・・」
 太助、困ってしまった。竹の遠めがねが、ほんとうに見えるというのではない。だが、二、三日
の余裕をもらった。ところが、また噂がぱーと広まった。太助の、遠めがねにはかなうまい。きっ
と、金の仏さまは見つかる。泥棒もつかまるぞと、噂が噂を呼んだ。
「とん、とん。もーし、もし」
 深夜、太助の家の戸を叩く影がある。太助がのぞいてみると、隣のおっさんがしょんぼり立っている。
「おっさん、どうしたのなら」
「実は、俺が金の仏を盗み出した。金も盗んで、少しだけ使った。残金を返すから許して欲しい。
俺が盗んだと言わないで貰いたい。女房が、寝たきりで働きに行かれんのじゃ」
「そうか、おっさんだったのか」
「誰にも、言わんといてくれっ」
「わかった。金の仏さまは、港の廃船のなかへ置いておけ。盗んだ金も、返すのだぞ」
 隣のおっさんは、こそこそ帰って行った。翌朝、太助は遠めがねを持って浜辺へ行き、ぐるりと
海を見渡した。廃船を見つけて、叫んだ。
「金の仏さまは、あの船の中だ。腐った船の中で、光っておーる」
 院主さんも、島の人たちも大よろこび。太助は、ますます人気者。島の人たちは、皆、陰ひなた
なく働くようになったという。
 太助は、毎日、遠めがねを持って行商に行く。女房のおみのは、頬をぽーと染めて
「島の若い衆より、旅のお坊さまより、亭主の太助が一番いい・・・・」
 と、言う。どうも、おみのは島の若い衆とも楽しんでいたらしい。太助は、まだまだ、遠めがね
を手離すことはできない。

     (# さし絵が入る)遠めがねを見る太助と、お坊さまと酒を飲むおみの

―16―

   お色気狸

 人も狸も地球の住人、仲よくおつきあいしましょうと、狸の民話は数知れない。お酒大好きとい
う狸、男大好きという狸。お色気たっぷりな狸の話、二題。(全文 太字)

  月夜の酒

 男は帰宅を急いだ。日はまだ暮れきってはいないが、足元から夕闇がしのびよる。さっさと歩く
男の後から、ひたひた足音がついてくる。はて、誰だろう。この道は行き止まり、男の家しかない。
男は、振り返って見た。だが、人影はない。気のせいだと、足を速める。ひたひた、やっぱり付い
てくる。もう一度、振り返る。ちらりと、赤いきものが見えた。
「なに、お、ん、な・・・・・・」
 男は、どきっとした。一人暮らしの男、訪ねてくるようは女はいない。家の前で立ち止まった男
、
女に囁いた。
「ねえさん、いっぱい飲んで行かんか」
「・・・・・・」
 返事はない。だが、家の中へ入った。男は、冷酒をかかえて、座敷へどっかり。電気は付けない
ほうがいい。冷酒を、ぐいっと飲んだ。
「ああ、うまい!」
 唇のあたりをひとなぜして、
「ねえさん、飲むかい」
 と、コップに冷酒をつぐ。ねえさん、もじもじしながら白い手を出した。
「ねえさん、けっこい手しているナ」
 ねえさん、にーっと笑って冷酒をこくこくと旨そうに飲む。
「ねえさん、いけるナ。もう一杯・・・・」
 男は、酒をつぎながら女の方をちらちら。花模様のきもの、胸のふくらみを押さえた衿元。腰の
まるみが、なまめかしい。
 もう一杯、もう一杯と何杯飲んだだろう。ねえさん、ほんのり桜色。きちんと揃えていた膝がい
つの間にかくずれて、妙なものがちらちら。男は、まだ、気ずいていない。
 窓の外に、ぽっかり月が出た。二人はさしつさされつ、いい気分。乱れたねえさん、着物の裾か
ら妙なものが、によっきり。
「ああ、やっぱり・・・・・」
 狸だったのかと、男は思った。思った瞬間、ねえさんが消えた。
「色っぽい、ねえさんだった・・・・」
 男は酒徳利を引き寄せた。
 不思議なことに男の酒は、男が飲んだ量しか減っていない。月はますます冴えわたった。

  相合傘狸

 村の男がいっぱいひっかけて、いい気分で帰って来た。ところが、雨。ええ、春雨だ。濡れるの
もオツなものと、村境までやってきた。
「あっ、ありゃ誰だ」
松の木の下で、蛇目傘をさした女が佇んでいる。はて、どこの若嫁さんだろう。ええ格好しとるワ
イと、足を速める。
「もし、にいさん村まで帰るのなら、道づれになってくだされ。この道は、寂しゅていけません」
 渡りに船とはこのこと。
「ああ、ひき受けた。俺もこの道、帰るんだ」
 と、村の男、ますますいい気分。峠の下り道。人、一人通らない。春の日は、暮れそうで暮れな
い。雨がぽろぽろ、蛇目傘にやさしく降る。女は、男にぴったり寄り添った。ぷーんと髪の匂い。
なんて、いい匂いなんだろう。男の鼻は、ぴくぴく。
「もし、にいさん。おそろしゅうて、おそろしゅうて・・・・」
 と、言いながら女は身を寄せてくる。
「そんなに、怖いか」
「はい、手を引いてくだされ」
「はっ」

―17―

 男は、蛇目傘に頭をぶっつけてしまった。背の低い女が、さしかける傘である。こつんとあたる
のも無理からぬこと。男は、蛇目傘を右手で持ってやり、左手で女の手を握ろうとした。と、女が
よろけて膝をつく。
「あれっ」
「あぶないぞ」
 男は、女を抱き起こし、腰に手を廻した。なんて、やわらかい体だろう。とろけるような肉付で
ある。男は、腰に廻した左手で、女の手を探した。女は身をよじるようにして、男の手を身八つ口
へ誘う。身八つ口は着物の袖付けの下に手がさし入るくらい開いている。その腋へ、男の手を導く
。ふっくらとしたまるみ、あったかい胸乳が片手にあまる。にーっと笑った女は、男の身体にぴっ
たり。嫌がるふうは、ない。女の着物は何という生地なのか、肌に吸い付くようなしなやかさ。す
べすべと、心地よい。
 男と女は、歩いているのか立ち止まっているのか判らない。わずかに、蛇目傘がゆれるだけ。
「あれっ」
 いやという表現ではない。男の唇が女の顔にはりついた。それでも、男は蛇目傘をはなさない。
蛇目傘の下で、女の首筋が薄赤く染まった。男は、女の耳をやわらかく噛んだ。女が、それは嫌と
いうように顔を振る。拒否されると、男はなお燃える。
 粗末な男の衣服のなかで、男のものが起立した。男は蛇目傘を捨て、女を抱こうとしたとき、女
の手が男のものを握った。握ったまま、指を動かせる。親指に力を入れたかと思うと、次は人さし
指と薬指。止って動いて、もみしだかれ、男は何がなんだかわからなくなった。

       (# さし絵が入る)蛇目傘の下で女の手を握る男

 春の日は、とっぷり暮れた峠みち。ぽーっと蛇目傘がゆれる。春の雨はしとしと。
「うっ・・・・」
「さあ、にいさん。ここまでくれば大丈夫。ありがとうございました」
 すーっと、女が離れて行く。男は、
「まだ、これからだ・・・・」
 と、蛇目傘を渡すふりをして、女の手をぐーっと引っぱった。女は、されるまま。
「でも・・・・」
 女は、去ろうとする。男は、女の手を握ったまま。握ったというより、握りしめたままである。
「まだ、これから、これからだ」
 と、握りしめたまま。でも、女の姿はない。しかし、女の手は握ったまま。
「これから、これから・・・・」
男は、ふと、正気に返った。正気にかえって、女の手を握りしめていることに気付いた。自分の手
を見てみると、竹の切れはしをしっかり握っているではないか。
「ありゃ、こりゃなんだ」
 かっかと燃えた男の体温で、竹の切れはしは、ほんのりぬくもっていた。
「ありゃ、なんだったのだ」
 男は、煙草に火をつけた。煙草を吸ったあと、男は、我が家へ急いだ。村の灯が見えはじめて、
はっと気付いた。
「ありゃ、お色気狸だ!」
 村の爺さまが言うていた、男大好きのお色気狸だったのか。
「まてまて、お色気狸に狙われる俺も女大好きなんだ。こりゃ、笑いごとではないワ」
 すたすた村へ帰って来た男、爺さまの家へ報告に出かけた。
「ほう、狙われたか。お前も、一人前だ。あはははっ・・・・」
「しかし、たまらんかったワ」
「あの、お色気狸は、マラを握ったら離さん。無理に引っ張ると、マラがすっぽり抜けてしまう」
 男は、背すじが寒くなった。右手で、そっと、前をまさぐる。
「あったか!」
「あった!」
 だらりと小さくなったものが、手にふれた。やれやれ、である。酔のさめてしまった男、「相合
傘は、ごめんこうむる」
 と、言った。

―18―

   閻魔大王の悩み

 えんまさまは、死の国の大王。わたしたちがあっちの国へ行ったとき、この世の罪を裁いてくれ
る法王さまだという。悪いことは何もしていません、という人でもえんまさんの前へ出ると悪行を
山のように積んでいるのが見える。本当か嘘か体験のないわたしはわからないが、民話のなかでは
大活躍。
 近頃、えんま大王は悩みっぱなしとか。じっくり、近況を聞いてみよう。(全文 太字)

 人助けをしていたお医者さんが、にわかの病で亡くなった。お医者さん、三途の川を渡って冥土
の旅へ出かけた。この旅、旅費もパスポートもいらない。とにかく、閻魔の庁まで行けばよい。お
医者さん、閻魔の庁までやって来た。
「地獄と極楽、どっちへ行くのだ」
「もちろん、極楽でーす」
 と、言っても希望通りにはゆかない。お医者さん、熱弁をふるった。
「私は医者だ。生前、大勢の人々の命を救った。だから、極楽へ行く」
 えんま大王、閻魔帳を繰りながら、
「そうかな。お前は医術より算術がうまかった。特効薬だと言ってうどん粉を渡した。入院患者の
退院を、まだまだと長引かせた。医療点数もあいまいだ。地獄へ行ってもらおう」
 お医者さん、へたへたと座りこんだ。そこへ、山伏さんがやって来た。えんま大王は山伏さんを
裁きはじめる。山伏さんは、数珠を首にかけ法螺貝を持っている。
「私は、生前山伏でした。迷える人々の悩みを聞いて占ったり、神仏に祈願をしたこともたびたび。
ご祈祷で、わざわいを取り去ったことも一度や二度ではありません。多くの人たちが、生き神さん
だと呼んでくれました。だから、極楽へ・・・・」
「山伏っ、お前、おげるなよっ。祟りじゃ祟りじゃと何でもないのに拝みくさって、お礼をたっぷ
りと貰った。神さんのお告げだと言って、後家さんにも手をつけた。ホラばっかり吹きよって・・
・・。なに、そんなことはない。じゃ、ジョウハリの鏡を見せてやろうか」
 まったく、そのとおり。山伏さん、くしゅんである。
「地獄へ、落ちろっ」
 お医者さん、ええ道連れが出来たと山伏さんに声をかけた。そこへ、鍛冶屋さんがやって来た。
お医者さんと山伏さんは、鍛冶屋さんの判決を聞いてみることにする。鍛冶屋さんも極楽へ行こう
と思ったのだけど、えんま大王は聞いてくれない。
「お前の生前はどうだ。明日できる、明日できると嘘ばっかり。ようそれだけ、嘘が言えたものじ
ゃ。サイガネ、誤魔化したこともある。談合入札もたびたび。酒食のもてなしは見逃すとしても、
金品の受け渡しはよくない。なになに、零細企業だからやむをえなかったっ。馬鹿者が、地獄へ行
け」
 鍛冶屋さん、真っ赤な顔して怒ったがどうにもならない。
お医者さん、山伏さん、鍛冶屋さん連れ立って地獄までやって来ると、赤鬼が待っていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい。剣の山へ、ご案内」
 こりゃどうだ。抜き身の剣が上を向いて立っている。足の踏み場がない。歩きかけたが、足が持
ちあがらない。二足と、前へ進めない。お医者さん、泣き出した。すると、鍛冶屋さんが、背負っ
てきた鍛冶道具をおろして、とんかんとんかんやり出した。剣の山の剣を材料にして、金の草鞋を
三足作った。材料豊富なので、特別念入りな金の草鞋が出来上がった。
 三人は金の草鞋をはいて七日七夜剣の山で踊りとおし、剣の山の剣を折ってしまった。赤鬼は、
えんま大王に報告。えんま大王は、かんかん。
「地獄の釜茹でにせよ」
 と、命令した。お医者さん、山伏さん、鍛冶屋さん、剣の山で踊り過ぎて汗びっしょり。山を下
りると、ぷーんと湯のにおい。青鬼が、待っていた。
「さあさあ、いい湯加減ですよ」

―19―

「なに温泉とな。これはありがたい」
 と、汗を流そうとすると湯の温度は千度を超えている。きゃっ、である。山伏さん、にんまり。
燃えさかる火に水の印を結び、湯をさましてしまった。
「ああ、いい湯だよ」
 と、三人。ここでも七日七夜踊りまくる。金の草鞋をはいたままの三人、とうとう、地獄の釜の
底を踏み割ってしまった。青鬼の報告を聞いたえんま大王、うーんと腕を組んだまま。
「ありゃ、手のつけられん暴れ者じゃ。一人ひとりは並みの亡者だけど三人集まると、ごじゃくれる」
 赤鬼も青鬼も、ぶつぶつぶつ。えんま大王、にが虫を噛みつぶしたような顔で申された。
「お前ら、あの三人を呑んでしまえ」
「呑んだら、腹がくわる・・・・」
「なに、お前ら、鬼ではないか」
「そりゃそうですが・・・・」
 呑む鬼がいない。地獄の鬼たち千匹集まって、くじ引きをすることにした。くじといっても、ア
ミダくじではない。地獄には、阿弥陀さまはいらっしゃらない。ただの、くじ引きである。大当た
りの鬼が人を呑む役である。大きな赤鬼がくじを引き当てた。ぐわっと口を開けると、歯は三寸。
すべて尖った歯。口は耳まで裂けている。のっしのっし、歩いて三人を探す。
 そこへ、お医者さん、山伏さんと鍛冶屋さん、大鬼が、大口開けて待っている。
「こりゃ、いかん」
 足がすくんで歩けない山伏さん、鍛冶屋さんがたがた。お医者さんが、
「私は医者だ、まかせておけ。私が先に鬼の口の中へ飛びこむから、後からついて来い」
 お医者さん、鬼の口へ飛びこんだ。飛びこむとき、しびれ薬をぱらりとまいた。ぱらり、ぱらぱら。
「なぬ、こりゃ、なんだ」
 しびれ薬の効き目は、早い。赤鬼、口が動かなくなった。牙のような歯も動かない。噛めない動
かない口から、よだれがたーらたら。今だと、山伏さん、鍛冶屋さんが飛びこんだ。中へ入って、
喉を越したら広い広いところ。海のように広く、ほんのり暖かい。しかし、長居をするところでは
ない。三人、どしどし歩いて出口をさがす。金の草鞋をはいたままの三人にぐしゃぐしゃ踏みつけ
られるので、赤鬼はたまったものでない。
「あっ、痛い。はよ、出てこい」
「出て来いと言っても、出口がわからんワ」
「あっ、そんなに引っぱるな。腹の皮が、よじれるっ」
 赤鬼の腹の中の三人、真っ暗な臓腑へ落ち込んだ。
「ありゃ、ここは何処だ。真っ暗闇でなんちゃ見えん」
「心配せんでもええ。こりゃ、臓腑のなかじゃ。三七二十一文字へ、下りましょう。下関へ出ます
かな・・・・」
 と、お医者さん。下し薬をぱらり、ぱらぱらとまいた。下し薬とは、下剤。
「そりゃ、なんだ」
 山伏さんと鍛冶屋さんは、さっぱり意味がわからない。
「まあまあ、身体の中のことは私にまかせておきなさい。そろそろ、効いてくるころ。さあ、くだ
りますよ」
 赤鬼、痛かった腹がぐるぐる、ぐる。トイレへ、行きたくなった。虎の皮の褌をはずす間もなく、
ぴーっぽたぽた。するりと、山伏さん。ぽたぽたと、鍛冶屋さんとお医者さん。鬼の雪隠へ、まく
れ落ちた。
 こんなことがあってから、鬼は人を喰わなくなった。そればかりか、亡者を見たら逃げ出す始末。
えんま大王の悩みは、ますます、深くなるばかり。

    (# さし絵が入る)罪を裁くえんま大王と鬼と剣の山や地獄の釜で踊る三人

―20―

   妖しい力を持った女

 不思議な能力を持った女、田面峠のお梅さんは怪力を発揮し、街道沿いの名物となる。瀬戸内海
の島の娘のお花さんは、怪力が邪魔して離縁になった。妖しい笑顔の女は、男好きなのだが、男が
怖がってよりつかない。
 各地で語り残された女三人を、ご紹介しましょう。(全文 太字)

  田面峠のお梅さん

 田面峠にお茶屋があった。歩いて道中する旅人たちにとって、丁度いいお休みどころで、お遍路
さんもこんぴら参りの旅人たちも、必ずお茶屋でひとやすみ。
 お茶屋の中屋には、働きもののお梅さんがいた。ちょっと、お梅さんの笑顔が見たいから立ちよ
る男性も多かった。
「こんぴらさんへお礼参りだ。お梅さん、お土産買ってくるからナ」
「あらっ、うれしい」
 お梅さん、着物にたすきをかけて赤前だれ。花かんざしが、よく似合う。旅人たちは、お梅さん
の笑顔に送られて旅をする。
 ある日のこと、汗まみれ埃まみれの旅人が、行水をしたいと言う。今ふうに言えばシャワー室へ
どうぞというわけだが、昔は庭へ盥を持ち出してパシャパシャと汗を流す。
 だが、これが結構気持ちがいい。すっきりとした気分になりかけたとき、真っ黒な雲が空をおお
った。ぽつりぽつりと大粒の雨。夕立である。夕立に、雷はつきもの。ぴかぴか稲妻が走る。走っ
たかと思う間もなく、ごろごろごろ。盥の中の男、足がすくんで動けない。臍を隠して、うずくま
る。この男、雷さんが大きらい。怖くて、動けない。
 そこへ、お梅さんが駆けてきた。
「あら、お客さんが大変だわ」
 お梅さん、着物の袖をまくしあげどっこいしょと盥を持ち上げた。盥の中には、すっぽんぽんの
男が震えている。震える男を盥に入れたまま、どっこいしょとかかえあげ軒下へ入れた。やれやれ
である。
 そのとき、がらんがらがら大音響。落雷である。「きゃっ」悲鳴をあげたのは旅人。「大丈夫で
すよ」とささやいたのはお梅さん。雷さんは、臍取りに失敗。
 茶屋で雨やどりをしていた旅人たちが、一部始終を見ていたので、噂がぱーと広がった。
「お梅さんは、すごい!」
 お梅さんの人気は急上昇。のぼりくだりの旅人たちは、必ずお梅さんの茶屋でひとやすみ。中屋
の茶屋は、押すな押すなの大繁盛。
 田面峠の「お梅茶屋」は、ますます人気が高くなった。
 
  お花さんの怪力

 瀬戸内海の島、大島に力自慢の力士が住んでいた。なかなかの強力、当時の力士、谷風・小野川
と肩を並べる大力士だったという。だが、将来を期待されながら孤島で朽ち果てた。悲運の力士を
葬った墓が残されている。
 さて、今日は不出世の力士の話ではない。この力士に、妹がいた。名は、お花。可愛い島の娘な
のだが、怪力の持ち主。兄に似たのだろう。
「兄さんは力持ちだった。だから力士になったのに、あんまり幸せではなかった。私は女、やたら
力が強いと島の男に嫌われる。お嫁にゆけなくなる」
 と、怪力をひたかくしにしていた。
 こんなお花のもとへ縁談が持ちこまれた。
 対岸の農家へ嫁がないかという話、良縁である。お花は、ぽーっと頬を染めて承知した。頬を染
めた島の娘は愛らしいと、見合いの相手も大満足。
 農家へ嫁入ったお花は、にこにこよく働く。どんなに農作業が忙しくても、くるくるよく働く。
お花は、疲れをし

―21―

らない。村人は、働きもののいい嫁御と噂した。
 ある日のこと、日暮れて帰って来た夫が風呂に入るという。当時、風呂は据風呂だった。庭の隅
へ、風呂釜をすえた露天風呂である。
 お花は、夫に湯かげんを聞く。
「ああ、いい湯だよ」
 と、夫は上機嫌。
 ところがぽつん、ぽつんと大粒の雨。にわか雨が降り出した。雨とともに、風も吹いてきた。
「あれ、旦那さまが風邪をひく・・・・」
 と、お花は、露天風呂の夫の身を案じ、風呂桶をかかえてどっこいしょ。風呂へ入った夫と一緒
に、風呂桶を抱えて軒下へ駆け込んだ。
 夫は、びっくり仰天。
 とっさのことで、お花は秘めていた怪力を発揮してしまったのだ。
「しまった!」
 と思ったが、後のまつり。夫は、お花の怪力に恐れをなし、三くだり半をつきつけた。
 お花は、涙ながらにあやまった。
 何卒、離縁だけは許して欲しいとあやまったが、夫は許してくれない。悲しみに沈んだお花は、
目の前にあった火鉢の大火箸を握りしめた。握りしめるたびに、親指ほどの大火箸が、ぽきっぽき
っと折れ曲がる。
 お花は涙を流しながら、鉄の火箸をぽきっぽきっ、折り続けたという。
  
  笑い女の長い髪

 海のかなたに月が出た。月の光を浴び、若い女が佇んでいる。男が、ほろ酔いきげんの千鳥足で
通りかかる。
「あれっ、いい女っ」
 と、振り返る。若い女が、にっこり笑う。細い指を唇にあて「おほほっ」男はその声にぞっくと
身震いをする。
 女は、また笑う。さっきより、少し大きい声で笑う。
「なに、何がおかしいのだ。俺の顔に何かついているのか」
 と、男は顔をひとなぜする。ぽんぽんと、着ているものの埃を払う。
 どこも、おかしいところはない。
「げらげら、げらー」
 女の笑い声が、変わった。「おほほっ」と笑った女は可愛いかったが、高笑いをする女の顔はも
のすごい。ますます、笑い声が大きくなる。
 男は、なんだか薄気味悪くなってきた。すたすた歩き去ろうとする男の背へ、さらに大きな笑い
声が追っかけてくる。
「こら、やかましいぞ!」
 男が、怒鳴った。その一瞬、女が消えた。女が消える瞬間、女の長い髪が月光に輝いた。
「ああ、そうだったのか。あれが、笑い女だったのだ・・・・」

    (# さし絵が入る)鉤針をつけた長い髪をなびかせて、男を追いかける笑い女

 男は、爺さまの話を思い出した。
 笑い女は、今洗ったばかりという長い髪をはらりはらりとなびかせて、道端へ立っている。
 男が通りかかると、にっこり笑う。なんとも言えない、可愛い笑顔である。
「ああー、いい女!」
 と、男が笑いかけると、女は男の笑いを殺してしまう。笑い女は、妖怪だと爺さまは言う。笑い
女に逢うと、「やかましいっ」と一喝すると、女は消える。絶対、笑いを返してはいけない。
 男は、やれやれと思った。だが、ちょっぴり損をしたような気分になっていた。
 ところがである。男を追って、女がやってくるではないか。笑い女は、長い髪をなびかせ男を追
ってくる。
 長い髪の先には、針がついている。髪をさばくたびに、針が光る。毛先の針は、釣針のような鉤
になっている。髪一本一本が、鉤になっているのだ。女に追いつかれ、長い髪でばっさりやられる
と身動きができなくなる。
 男は、一目散に我が家へ走りこんで大戸をしっかり閉じた。ぶるぶる震えがとまらない。
 翌朝、明るくなって板戸を見てみると、鉤針でひっかいたような疵あとが無数についていた。
 男は身をすくめて、笑い女には気を許すなとつぶやいた。

―22―

   狸の恋

 狸が、声自慢の男に惚れた。男も、まんざらではない。男と雌狸が、一夜を山中で過ごした。逆
に、村の娘に狸が惚れたという話もある。
 異類の婚姻は、幸せにはなれない。山里で聞いた狸の恋のものがたり。(全文太字)

  お梅狸は洞が谷に住んでいた

 讃岐と阿波の境の山は、意外にけわしい。切りたった崖もあれば、深い谷もある。人々はいくら
か撓んだ山の尾根を行き交う。
 お梅狸の住まいは、阿讃の山脈の洞が谷。絶対に人目にはふれない。お梅狸は、讃岐から阿波へ、
阿波から讃岐へ行き交う旅人の汗の匂いが大好きだった。こっそり洞が谷から出かけて来ては、旅
人の足音を聞く。忙しそうな足音もあるが、のんびり峠道を楽しむというような足のはこびもある
。ひそひそ、こそこそ、足音がはずんでいるのは、阿波へお里がえりの若嫁さまだ。あっ、おかし
い。足音をひそめて歩いてくる男は、顔もかくしている。お梅狸は、その男にちょっかいを出した
くなった。と、その後からせっかちな足音。ずいぶん多くの人々が、息をきらせて登ってくる。十
人二十人、屈強な男たちが峠道をふさぐように迫ってくるではないか。
「こりゃ、大事になりそう・・・・」
 お梅狸は、さっさっと洞が谷へ帰った。万一見つかれば狸汁にされるかもしれない。危ないとこ
ろへは近よらないこと。お梅狸は、洞が谷でのんびりお昼寝。後のことは、何も知らない。
 さて、洞が谷のふもとの山里に、吉平が住んでいた。働き者の吉平は、村一番の声自慢だった。
吉平の歌声を聞くと、娘たちは「しびれるっ」と言う。
「おい、吉平さん、ご在宅か」
「はあ・・・・」
「お盆も間近くなりましたナ。今年の盆踊りは、盛大にやろうと思いましてな・・・・」
「盆踊り、いいですな」
「はい、吉平さんの口説きがないと、盆踊りがもりあがりません。是非にも歌いに来てください。」
「実は・・・・」
「あっちこっちから、お誘いがあるとは存じますが・・・・。ご祝儀、はずませてもらいますから。
約束しましたよ」
 吉平は、声自慢の音頭出しである。声のいいのを見込まれて、ほうぼうからお呼びがかかる。実
は隣村から誘いがあったが、ご祝儀をはずむとは言わなかった。まあ、はずんでくれる方へ行かね
ばなるまいと、吉平は思った。
 分限者の庄屋の広庭で、踊りの準備が整えられた。提灯に灯が入り、冷酒は飲み放題。若い男が
やって来た。浴衣の袖をなびかせて、若い娘も集まった。元気のいい子供たちは、あっちこっちで
騒いでいる。
 広庭の中央には、立臼が据えられている。立臼の上で、音頭出しが立って歌う。吉平が、糊のき
いた浴衣で現れた。「おっ」と、どよめきが上がる。吉平は、立臼の上へあがった。左手から傘を
広げて持ち、右手に扇子をかまえ、「えーっ」と歌い出す。
 待っていましたとばかり踊り子たちが、踊り出す。男も女も、しばらくは踊りに夢中。まんまる
い月が、踊り子の汗をかがやかせる。踊りの輪のなかから、こっそり抜けて行く男と女。広庭のま
わりには、月光のさしいらぬ闇がある。木立によりかかって、恋を語るには絶好の場である。
 音頭出しは、次々と変わった。疲れた様子は見えない。だが、夜も更けて来た。最後に、また、
吉平が歌う。吉平の歌声は、高く低く、夜風にのって流れる。ゆたかな声量が、山々にこだまする
。歌が、谷川の水にひびく。

  シャレコウベを使って化ける

 お梅狸は、たまらなくなりこっそり山を下りてきた。もちろん、狸のままではない。可愛い村娘
に、変身した。狸の化け学によると、最高の美女に化

―23―

けるにはシャレコウベが必要だという。野ざらしになった女のシャレコウベを用意する。用意する
といっても、これがなかなかむづかしい。あっちこっちに、落ちているわけではない。かつて、八
百数十年むかしには、野ざらしの亡骸があったとか。源平屋島古戦場あたりへ行けば、あっちにひ
とつ、こっちにひとつ、ころがっていた。ところが、近年は入手困難になってしまった。お梅狸、
ぶつぶつ、ひとりごと。
「シャレコウベをこうやって、狸の頭にのせて化け学の呪文を唱えると、最高の姫御前に化けられ
るのだけど―」
 シャレコウベが、ない。止むを得ない。洞が谷の谷川のよどみの底で、水藻をすくって来た。清
らかな、水藻である。
「まあ、しょうがないナ」
 と、藻を頭にのせて、呪文を唱える。すると、清らかな村娘に変身した。ちなみに、谷川が涸れ
て水藻がないときは、木の葉を頭にのせて変身する。みずみずしい葉っぱだと、若い娘に化けられ
る。葉っぱが少し枯れていると、枯れかかった婆さまになるとか。とにかく、お梅狸の化けた村娘
は、ころころと可愛い。村娘は、盆踊りのざわめきのなかへ飛びこんだ。
 お梅狸、踊りながら熱いまなざしを吉平にそそぐ。吉平も、なんとなく熱っぽいものを感じて、
踊り子たちに流し目をおくる。一瞬、お梅狸の丸い目と吉平の視線が、ぴったり合った。
「あっ、なんて可愛い娘だ」
「あれっ。しびれる、歌声・・・・」
 夜は、しんしんと更けていった。
 翌朝村人たちはおおさわぎ。
「おい、吉平がおらん」

     (# さし絵が入る)崖の上でお梅狸が化けた娘と抱き合う吉平

「何処へ行ったんじゃ。よんべ、あんなに歌っていたではないか。」
「おかしい。神かくしに、あったのか」
「ああ、ええ声に、神がみいったのかもしれん」
「みいったのが神様ならいいが、魔ものに憑かれたのかもしれんぞ」
「鉦たたいて、探しに行こう」
 村人たちは、鉦、太鼓を叩いて吉平を探しまわった。阿讃の山へもわけ入り、くまなく探した。
「おっ、ありゃなんだ。あの崖の上だ」
「男ではないか。あっ、吉平だ。しかし、どうやって崖へ登ったんだ」
「あっ、娘がいるぞ」
 吉平は、娘と抱き合っていた。崖の上へは、登り道がない。二人は、天から降ってきたのか。村
人たちの叫び声が、二人に聞こえたらしい。と、村娘が、もとの姿になった。吉平は、あやつり糸
が切れたデクのように、ばったり崖の上へ倒れこんだ。村人たちは、苦心して吉平を崖から抱えお
ろしたが、娘の姿はない。
「吉平、目、さませ。吉平よっ」
 呼び声に目ざめたように、吉平はむっくり起きあがり、にんまりと笑う。
「おうめ、お梅さんよ。こっちゃへ、来い」
 笑いながら、吉平は息絶えたという。
「おのれ、洞が谷のお梅狸だな。吉平の精を吸ったのは」
「せ、精を吸う・・・・」
「おう、吉平の声のよさに惚れこんだお梅狸が、吉平にいいよったんじゃ」
「古狸と情を交わすと、男は三日以内に死ぬと爺さまが言うていたが、ほんとうだな・・・・」
「それにしても、吉平さん、ええ顔しとるワ」
 吉平の亡骸は、崖の下へ葬った。標の石を置き、野の花を手向けた。それから一年、また、盆が
めぐってきた。村人たちは、一人者の吉平、墓へ参る人もあるまいと崖下までやって来た。ところ
が、露をふくんだ山の花が供えられているではないか。
「えっ、誰が来たのだ」
「お梅狸じゃあるまいナ・・・・」
 山は、何も答えない。風が木々の葉をそよがせて過ぎた。

―24―
   海を渡った藤五郎狸

 海を、渡った藤五郎狸は、狐にいっぱいくわされた。狸は、狐に負けてばかり。見るに見かねた
お大師さんが、狐を四国から追放された。追放期間は、鉄の橋が架かるまでという約束。瀬戸内海
に、鉄の橋が架かった。狸一族、のんびりとはしていられない。(全文 太字)

 こんもりと樹木の茂る山に、狸の藤五郎が住んでいた。くねくね曲がりくねった山藤の根元が、
藤五郎の遊び場所だった。
 さて、狸の藤五郎、どうして藤五郎という名が付いたのか、はっきりした理由はない。人間だっ
たらさしずめ五番目に生まれた子だから、五郎。九番目だったら、九郎となる。狸の赤ちゃんの出
産数は、三匹から五匹。五番目に生まれた元気ものだったのかもしれない。
 子狸ちゃんは生まれて一か月ごろから、うろちょろ出歩きはじめるようだが、可愛いことだろう
。そして、溜糞の場で、うんうんうんちをするようになる。そう、狸のトイレである。狸はとって
もきれい好き、巣のなかでうんちはしない。決まった溜糞の場へ出かけて、うんちをする。おかし
なことに、うんちをする順番も決まっているとか。一番はじめは、お父さん。二番目は、兄さん。
あるいは、お姉さんか。三番目、四番目、五番目が藤五郎だったのかもしれない。別にのぞき見を
したわけではなく、あくまで想像。とにかく、藤五郎という狸が住んでいた。住んでいた山は、香
川県と徳島県の県境の山里。春には、美しい山藤の花が咲く。
 さて、藤五郎、さまざま修業を重ねて立派な雄狸に成長。化け学の上達は著しく、藤五郎にかな
うものはいなかった。
「藤五郎は、化け術の頭領だナ」
 と、仲間たちも一目も二目もおいて藤五郎を見上げる。藤五郎も、悪い気はしない。
「しかし、オレはもっと修業がしたい。他国とやらへ出かけよう」
「へえ、お供しましょう」
 子分の狸を連れて、武者修行に出かけた。山を下り海辺の町へ来てみると、妙なものに出会った。
「ありゃ、犬のようで犬でない。狼に似ているが、狼でもない。口がとんがって、尾の太い奴だなあ」
「バカ、ありゃ、狐だ」
「はあ、あれが狐ですか。あっ、狐がこっちゃへやって来ます」
 藤五郎、お供狸のようにあわてない。
「おい、お前は、狐ではないか」
「いかにも、ワシは狐だ。何ぞ、ご用か」
「おう。オレは山に住む藤五郎狸だ。修業のため山を下りて来た」
「そうか、実はワシも山を下りて来た元締狐だ。武者修業のため諸国を歩こうと思う。」
「オレは、四国随一の化け狸だ。ひとつ、化けくらべをしようではないか」
「おう、ワシは元締狐の若大将だ」
「なになに、狐の若大将さまか。こりゃ、相手にとって不足はない。お手合わせ願おう」
「望みとあれば、やってみよう」
 狸と狐、化けくらべをやろうということになった。狸の子分も、どきどきわくわく。こりゃ、お
もしろくなったわいと、固唾を呑んで成り行きを見まもる。
「おたがい四国を代表する、お狸さまとお狐さまじゃ。化けくらべは、備前の国でやろうではないか」
「おう、諸国行脚の武者修業だ。海を渡ろう・・」
 と、四国から備前の国へ船を仕立てて渡ることにした。おだやかな瀬戸内海、船旅は最高。狸も
狐も、さらにもりあがった。
「化けくらべのことだが、ここにひとつ条件があります」
「はあ、何でござるか」
「ただ化けくらべをしてもおもしろくない。もし、お前さまの技が狐より上

―25―

手だったら、ワシはお前さまの家来になろう。さらに四国はお前にくれてやる。ただし、ワシの技
が勝っていたらお前はワシの家来だ。さらに中国はワシの領分とする。と、いうのはどうじゃ」
「よかろう」
 藤五郎狸も元締狐も、提言案に賛成。元締狐が、言う。
「じゃ、お先に化けてみせよう。と、言うても今夜は夜も更けてしまった。明日一番ということに
しよう。翌朝、大名行列を、お目にかけましょう」
 藤五郎は、松の木の下で一夜をあかし浪人姿に身を変えて、夜明けをまった。しばらくすると、
はるか町はずれから行列が繰り出してきた。だんだん、近づいて来る。
 先払い、定紋付きの挟み箱、毛槍に馬、弓は手砲。行列のなかほどには、頑強な武士に守護され
た駕籠。粛々と、進んで来る。
「ああ、あの駕籠の中には藩主が乗っているのだな。しかし、実に見事な行列だ。こりゃとびっき
りの大名行列だ。」
 藤五郎、うーんと唸ってしまった。これほど見事な大名行列を、今まで見たことがない。もちろ
ん、化けたこともない。
「オレの行列といったら、嫁入り行列くらいだ。こりゃ、負けたナ」
 しかし、敵ながらあっぱれな化けよう。おしみない拍手を送ろうと、藤五郎ぱちぱちぱち。
「やあやあ、元締め狐殿、お手なみお見事でござる」
 と、大声をあげた。すると、四・五名の武士が、ばらばらと飛んで来た。
「無礼者めが・・・」
 浪人姿の藤五郎、ねじ伏せられてしまった。
「わかった、わかった。無礼者をとがめる真似までせんでええワ。オレは藤五郎だ、狸の藤五郎だ」
 と、叫んでも、武士は手をゆるめてくれない。ますます、強く縛りあげた。
「たわけ者めが、オレだ、オレだよっ」
 藤五郎狸、あまりの痛さに悲鳴をあげた。その拍子に、ぬーっと尻尾が出てしまった。
「なぬ、こりゃ、狸か」
「無礼狸だ、殺してしまえっ」
「まあまあ、殺さないでも・・・」
 実はこの大名行列、ほんとうの大名行列だったのだ。ほんものの行列だから、何から何まで見事
なのが当たり前。その行列に向かって無礼があったのだから、藤五郎も不運なことこの上なし。子
分の狸も、手を出そうにも役不足で手が出ない。こそこそ、人ごみにまぎれて藤五郎の安否を見ま
もるだけ。

     (# さし絵が入る)海辺に立ち、海を渡ろうとする藤五郎狸と子分の狸

 元締狐は、「こん」とも言わない。何処にいるのか、姿は見せない。卑怯である。
 子分の狸はどうしようもなく、四国へ逃げ帰った。涙ながらに、一部始終を報告した。
「なに、元締狐にやられたっ。未熟者め」
「狐め、騙したな」
「騙されたほうが、馬鹿だ」
「仇討ちに出かけよう・・・」
 狸一族はくやしがるが、どうすることもできない。こんなことがあった後も、狸一族は狐一派の
圧迫を受け続けたという。
 その後、たまりかねた狸一族は、讃岐生まれのお大師さんに泣きついた。狐一派の横暴さを訴え
て出た。お大師さんは、両方の話を聞いた上、判決を申し渡されたとか。
 狐一派は、四国から追放。その期間は、瀬戸大橋に鉄の橋が架かるまで。鉄の橋が架かったら、
その罪は許されるというのだ。お大師さんは、その期間をちゃんとご存知だったのか。
 鉄の橋は、完成。狐が、わんさか帰ってくる。狸一族、どうしているやら・・・。

―26―

   美人狸に逢いました

 夜も更けた道で、とびっきりの美人にめぐり逢った。街灯もない夜道で、うかびあがるような若
い女。どきどき、わくわく。そっと見ていたが、思いきって声をかけた。ところが、女が消えた。
えっ、どうして。あれは、何だったのか。
 ほろ酔い男は、顔をひとなぜして、にんまり。
「お花狸に、やられたナ」
 他にも、お梅狸、お菊狸。それぞれ特技を持った狸が、讃岐の野山に棲んでいた。
 機嫌のいい日には人里近くへ現れて、男たちをからかう。美人に化けた狸の話は、それぞれ高松
市内で聞いた。(全文 太字)

  蛇目傘の女

 西前田の神主さんの趣味は、短歌だった。高松で歌会があると、てくてく歩いて出かける。まあ
、そのころの交通手段は歩くという時代だったから、当り前のこと。歌会、ずいぶん盛りあがった
。神主さん、ついつい熱が入り過ぎ帰りが遅くなってしまった。遅くなった帰り道に、にわか雨が
降りだす始末。とっぷり暮れきった道は闇につつまれ、鼻をつままれてもわからぬというありさま
。歌会の連中が心配をする。
「こんなに遅くなって、歩いて帰るというのは無理でしょう。」
「いや、二里くらいの道、何でもありませんよ。テクリます」
「テクリますか。豪傑ですナ」
 テクリますとは、歩きますよという意味。神主さん西前田まで帰るつもり。
「さて、今夜も、出るだろうな」
「何が、出るのですか」
「お八幡さまの馬場先に、必ず出ます。蛇目傘をさした女が・・・・」
「えっ、蛇目傘の女って」
「あははっ、狸にきまっとるワ」
「怖くないのですか」
「そりゃ、怖いワ」
「いたずら、しないのですか」
「するか、しないか、一緒に行って見てくるか」
「いやっ、結構ですっ」
 神主さん、そりゃ怖いワと言いながら、帰途を急ぐ。ふっと見ると、やっぱり蛇目傘の女が佇ん
でいる。
 蛇目傘は、女傘。あざやかな色目がはっきりと見え、すらりっとした女人が傘を傾けている。絵
になる風景だ。佇んでいるだけで、別に悪戯はしない。が、一歩あるくと、一歩先に佇む。二歩あ
るくと、二歩先に佇む。三歩あるくと三歩先に佇み、決して追い越すことができない。ま、追い越
さないで、蛇目傘の女の風情をたのしみながら歩くというのもいいもの。神主さんは心得たもの、
決して追い越しはしない。心のなかで、
「ああ、なかなかの風情だ・・・・」
 と思うだけ。
 でも、なかにはこころない男もいて、蛇目傘の女を追い越したり、覗きこんだり。すると、とん
でもない目に合わされる。神主さんは、ルールを守って、追越し禁止。
 夜道は真の闇、だのに蛇目傘の女がはっきり見えるというのが、狸の仕業。化け方満点狸。きっ
と年を経た、雄狸だったのだろう。

  蟹大好き

 狸の好物を、狸に聞いたわけではないが、いろいろあると言う。ま、あるのが当然。
「狸はナ、臭いものが大好きだ」
「臭いもの、臭いものってなんですか」
「臭いものは、クサイモノだ」
 わかったようなわからない話。気長く聞いてみると、臭い匂いのする食べ物。例えば、魚の腐っ
たような匂いのするもの。他には、蛇や蛙。鼠にモグラ、バッタに鮒。

―27―

「狸は、くだものも大好きですよ。木の実やドングリ。柿のよく熟れたのは、もうたまらないわと
いうように食べていました」
 と、話は聞けば聞くほどおもしろい。昔の人は、狸が美味そうに食べているのを見て大好物だと
思ったのだろう。実は、食べ物がなかったので仕方なく食べていたのかもしれない。
 いずれにせよ、私たちの暮らしの身近に、狸がたくさん棲んでいた。
「いや、狸の大好物はまちがいなく、蟹だ。食べに来るのを、何度も見たワ」
 と言う爺さまに話を聞いてみた。

    (# さし絵が入る)佇む蛇目傘の女(ただし、尻尾が見えている) 

 爺さまは、木沢の塩田で働いていた。釜焚きをしていた爺さまが、石炭殻をフゴに入れ土手へ捨
てに出た。夜更けのことだった。
 薄ぼんやりしたあかり、潮がひたひたと打寄せている。
 石炭殻をぽいぽいと捨て、帰ろうとしたとき浜辺に人影が見えた。それも、赤いきものを着た若
い女が佇んでいる。
「ありゃ、娘ではないか。さては、内緒で逢引きか・・・・」
 逢引きとは、デートのこと。娘さんは恋人を待っているのだと、爺さまは思った。
 空っぽのフゴをかついだ爺さまは、にやにやしながら娘さんの後ろ姿を見つめる。
「格好ええ後ろ姿だ。けっこいねえさんだろうな、こっちゃ向かんかな。それにしても、ええ、帯
しとるワ」
 すんなりした後ろ姿、帯の模様まではっきり見える。爺さま、うっとり。
 そのとき、娘さんが、かがみこんで何かを拾いあげた。着物の裾からちらりと、足が見えた。真
っ白い肌である。爺さま、にんまり。
 あっ、また、娘さんがかがみこんで、何かを拾う。拾いあげたものを、娘さんは口へ持ってゆき、
がりがり、がりっ。
「あれっ、娘さん、何、食べたんだ」
 娘さんは、また、丸いお尻を見せてかがみこむ。今度は、両手に掴んだものを、むしゃむしゃ、
がりがり。爺さま、浜辺へ目をむけた。
 すると、蟹がぞろぞろはいだしている。砂浜いっぱい、蟹だらけ。
 娘さんは、はいだしてくる蟹を掴んでは食べ、掴んでは食べ、もう、無我夢中。
 こんなに美味しいものがありますかというふうに、がりがり、むしゃむしゃ。蟹をくわえた娘さ
んの口は耳まで裂けている。
「あっ、ありゃ、娘ではないワ。狸だワ。それにしても、けっこい娘が、蟹を掴んでがりがり食べ
るとは・・・・」
 やっぱり畜生だワと、爺さまは思った。爺さま、よせばいいのに、娘にむかって声をかけてしま
った。
「そんなに、蟹がうまいか」
「ぎゃっ・・・・」
 娘さんは、妙な声をあげて姿を消してしまった。
「おっ、狸の尻尾か。あったような、なかったような・・・・。それでも、あれはまちがいなく狸
だったワ」
 木沢の爺さま、その後も蟹を食べにくる狸に逢ったそうだ。塩味のきいた生の蟹は、たまらなく
美味しかったことだろう。

―28―

   長い名と短い名

 昔話を二題。こどもに名前を付ける。短い名前は縁起が悪いというので、長い名前にした。覚え
られないほどの長さ。
 次はヨシとトク二人の息子を失った母は鳥になって探しまわる。小豆島で聞いた話。鯖が釣れる
ころ啼くというヨシトク鳥は、正式には何という鳥なのか。他に、ササギを植えるころ「オカツ、
オカツ」と啼く鳥もいるという。
 ともに、小鳥の前世は、母だったというあわれな話。(全文 太字)

 むかし、ある家で赤ちゃんが生まれた。まるまる太った男の子。家中、大よろこび。さっそく名
前をつけることになったが、ああでもない、こうでもないと大さわぎ。
なかなか名前が決まらない。そうこうするうちに、赤ちゃんの具合が急に悪くなった。医者だ、薬
だと騒いでいるうちに、男の赤ちゃん死んでしまった。両親も祖父母もしょんぼりと仏前に座った
まま。
 それから、何年目かに、また赤ちゃんが生まれた。ところが、大事な赤ちゃんがまたまた、病気
になった。
「これはどうしたことじゃ。また、赤ちゃんが病気になった」
「昔の人が言うとりました。縁起のええ名前を付けたらいいと・・・・」
「縁起のええ名前か、どんな、名前だ」
「短い名前はいけません。長い名前が、ええそうです」
「そうか、長い名前か」
 という事で、長い名前を付けることになった。いろいろ考えたあげく、ようやく名前が決まった。
長い紙に名前を書いて、神棚に供えた。
「イッテキ ニイテキ テキテキオンボ チカラ ベンケイ キハ クスノキ チャワンチャブシ
ャク ニイハンゾウ」
「なるほど、長い名前だ。それに、強そうだ。ええ、名前だ」
 と、家中の人々は、掌中の玉と赤ちゃんを可愛がる。
 こんなありさまを見ていたのが隣の男。
「長い名前が縁起がええか。それにしても長いな。俺や、よう覚えんワ」
「そうね、イッテキニイテキ、と呼んでいるうちに日が暮れますわ。うちの子には、短い名前を付
けましょう」
 と、女房が言う。そして生まれた赤ちゃんに「チョン」という名前を付けた。チョンはすくすく
大きくなった。隣同士、二人のこどもは仲がいい。
 ある日のこと、イッテキ ニイテキ テキテキオンボ チカラ ベンケイキハ クスノキ チャ
ワンチャブシャクニイハンゾウとチョンが水遊び。熱中しすぎて、川の深みにはいってしまった。
川の流れは速い。すーいすい泳げない二人は、川で溺れそうになった。子供がふたり川で溺れてい
るというので、大人が飛び込んで助けあげた。二人の母親がやって来て、大声でわが子の名前を呼
ぶ。
「チョン、チョン、チョン」
「イッテキ ニイテキ テキテキオンボ チカラ ベンケイ キハクスノキ チャワンチャブシャ
ク ニイハンゾウよ」
 チョン、チョンと何度も名前を呼ばれたチョンは、うっすら目をあけた。
「あっ、気がついたっ」
 ところが、イッテキ ニイテキ テキテキオンボ・・・と呼ばれた子は、なかなか気がつかない
まま、冷たくなってしまった。

 長い名前を付けたこどもの話は、各地で語り伝えられている。二人のこどものうち、短い名前は
「チョン」だが、長い名前は各地で違う。例えば、瀬戸内海の島では、「チョキチョキ インノチ
ョキ インノサッパイノ ヨイサ」
 意味はわからない。徳島県へ行くと、
「ヘートコハートコヘリカンボ カーカーミーカーカーミノ チョウノ タマタマイッチョ カミ
チョリカ テンゴクボクインノ チョクインノー」

―29―

 一度や二度聞いただけでは、覚えられない。こどもの名前を覚えられない父親も困るが、母親は
もっと困る。長い名前をつけてもらったものの、「ヘートコちゃん」に改名したとか。
「ヘートコ ヘートコ ヘートコちゃん」
 と、呼ばれたこどもは、とっても長生きしたと伝わる。

  鳥になったお母さん
 
 おだやかな瀬戸内海のほとりに、漁師が住んでいた。母一人に子供が二人。こどもの名前は、ヨ
シとトク。親孝行ないい息子。
 二人の息子は、海へ出て働く。年老いた母は、海へ出て働く息子が心配でたまらない。
「何を言うんや。漁師の息子は、海で働く。当り前じゃ」
「そろそろ、鯖が釣れるころじゃ」
 と、息子二人は、元気よく船を出す。
「そうやのう、漁師の息子が漁に出る。こりゃ、当り前のことだ」
 と、老母も思いなおして、息子たちを見送る。
「それにしても、ヨシとトクもたくましゅなって、亡くなった夫にそっくりじゃ。歩き方まで父親
ゆずり・・・・。二人の息子が、元気でよう働いてくれる。わしゃ、幸せものかもしれんわ」
 老母は、ぶつぶつ、ひとり言。ひとり言を言いながら、日を過ごす。と、浜辺の方から大きな叫
び声。どうしたことかと、浜辺へ出てみた。

     (# さし絵が入る)瀬戸内海で小船に乗って漁をする孝行息子ヨシとトク

 すると、ヨシとトクが思わぬ事故で海へ投げ出されたというのだ。ヨシとトクは、なかなか、見
つからない。速い潮に流されてしまったのか、遺体もあがらない。年老いた母は、半狂乱。いくら
なだめても、泣き止まない。声をからして、浜辺をかけめぐる。
「ヨシよ、トクよっ、ヨシー、トクー」
 老母の絶叫は、浜風に吸いこまれて消えてゆく。ヨシとトク、二人の亡骸はとうとうあがらずじ
まい。老母は、夜も昼も
「ヨシよトクよ、ヨシートクー」
 と、叫び続ける。二日、三日、七日たつうち、老母の声は出なくなってしまった。声が出なくな
った老母は、ひっそりと息を引き取った。
 それから一年の年月が夢のように過ぎていった。今年もそろそろ、鯖の釣れる頃という朝、海辺
の森で、
「ヨシ、トク、ヨシ、トク」
 と、声がする。耳をすませると、また
「ヨシ、トク、ヨシ、トク」
 と聞こえる。啼き声は、どうも鳥のよう。繰り返し啼いては、ちょっとひと休みして、また
「ヨシ、トク、ヨシ、トク」
 と啼き続ける。海辺の村では、
「あれは、息子を二人海難事故で失った家のお母さんだ。年老いたお母さんは、鳥に生まれ変わっ
て、息子二人を探しまわっているのだ」
「鳥に生まれ変わって、ヨシとトクを探しまわっているのか。あわれなことじゃ」
 と、噂する。それから、毎年、鯖が釣れるという季節になると必ず啼き出す。
「ヨシトク、ヨシトク」
 今年も、そろそろ鯖の釣れる頃。ヨシトク鳥の啼き声が聞こえる。啼き声が聞こえると、海辺の
村では話はじめる。
「あれはなあ、お母さんが鳥になって、ヨシとトク、二人の子供を探しまわっているのじゃ。ヨシ
トク鳥というのじゃ」