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底本の書名    全国昔話資料集成 9  岩崎美術社
         西讃岐地方昔話集 香川  武田 明編

         責任編集
         臼田甚五郎
         関  敬吾
         野村 純一
         三谷 栄一

         装幀
         安野 光雅

 底本の編者名  武田 明
 底本の発行者  岩崎美術社
 底本の発行日  1975年1月30日
入力者名     松本 濱一
校正者名     織田 文子
入力に関する注記
   文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。

 登録日 2003年1月22日
      


―117―

 追 加 編

―118―


―119―

                                八五 継子ばなし(皿々山)
 昔、ある処に継子と本当の子があった。
 継子が川の橋のところで裸になってしらみを取っていた。そこへお侍さんが馬に乗ってパカパカ
と通りかかった。そして「お前はそこで何をしているか」と聞いた。「虱を取っております」と言
うとその「虱はどのくらいおるんか」と聞いた。
「こんなにようけおる虱がよめますかい。そんならお侍さん、家からここまでお出でになった馬の
足かずは何ぼありますか」
 と言うた。お侍さんはこれはなかなか賢い娘じゃと思うて「お前の国は何処か」と聞いた。「私
はこの川の向うの家の娘じゃ」と言うと、お侍さんはそれを聞いて帰って行ってしもうた。
 お侍さんは帰ってからあの娘はなかなか利口な娘じゃから嫁にもらおうと思って、駕や何やかや
を用意して娘の家へ嫁にもらいに行った。
 そこには継母に本当の子がいた。立派なお侍さんじゃけに継母は自分の子をもらってもらおうと
思って綺麗に着物を着せて、お侍さんの前へ出した。するとお侍さんは皿を持って来させ、皿の上
に塩を盛って、その上に松の木を一本さして、これを判じてくれというた。すると本子の娘は、

―120―

「これは盆の上に塩盛って松の木立てとんじゃ」
 と言うた。するとお侍さんは「この子は違う。お前んとこにはもう一人の子がおるじゃろが」と
言うた。すると継母は「私のところにはこの子より他にはおらん」と言うた。「そんな筈はない。
ま一人は利巧なのがおるはずじゃ」と言うた。
 ほいたらその時に継子はくどの前でぬくもって居眠りをしとった。「この子でもええから出して
見い」と言うと、継子はきたない着物を着て出て来た。そこで盆の上の皿に塩を盛って松の木を立
ててこれを判じてくれと言うた。すると継娘は、
  盆皿や いなばの山に雪降りて 雪を根にして育つ松かな
 と詠んだ。「あゝこの娘じゃ。この娘を嫁にくれ」と言うて、風呂に入れて持って来とった綺麗
な着物を着せて、駕に入れて帰りよったらそんなら、継母が箒をぶつけた。すると娘は、
「かかさんいなば(因幡)にほうき(伯耆)を取れたと知らせたい」
 と言うて爺のところに貰われていたそうな。(話者 丸亀市広島町 大石光政氏〔七十三歳〕)

                                      八六 猿聟入
 昔々、日照りがつづいて困っていた。お爺さんが川の水をかえては畑の中へ水を入れておったが

―121―

何ぼかえてもかえても干上ってしまう。
 それを猿がどこからか見ておった。そして爺さんにむかって、「水をかえてやるから娘をわしの
嫁にくれるか」と言うた。そこで爺さんは「娘を嫁にやるから水をかえてくれ」と言うと、猿が水
をかえて畑に水がいっぱいたまった。
 爺さんはやれ<(#「<」は繰り返し)と言うて喜んで自分の家に帰った。そして上の娘にむかっ
て、「猿のところへ嫁に行くか」と言うと、「猿のところやかし嫁に行かん」と言うた。爺さんは
次の娘に「猿のところへ嫁にいてくれるか」と言うと、その娘も「猿のところやかし嫁に行かん」
と言う。
 爺さんが困っているとそこへ末の娘が来て「わたしは猿のところへ嫁に行くがそれには一つ頼み
がある」と言うた。「瓢箪と柄杓を買うてもらえば嫁に行く」という頼みじゃった。「ほんなら買
うてやるけにいてくれ」と言うて、いよいよ行く事になった。爺さんは瓢箪に柄杓を買うて来て娘
に持たせた。猿が迎えに来て娘は山の方へ一緒に行った。途中の橋のところまで来ると娘は瓢箪と
柄杓を落としてしまった。そして猿に拾うてくれと言うた。
 猿は川の中へ飛びこんで瓢箪と柄杓を取ろうとするがつるつるとすべって取れぬ。そのうちに川
下の方へ流されて行った。その娘は、
「猿どのいのう、猿どのいのう」
 と言うて猿をよんだ。すると猿はその娘の名前がおわきという名じゃったので、

―122―

「泣くおわきの涙こそつらけれ」
と言うてぽっこん<(#「<」は繰り返し)と言うて流されてしもうた。娘はそこで無事に家まで
もどって来た。              (話者 丸亀市広島町 大石光政氏〔七十三歳〕)


                                  八七 青竹三本のブニ
 昔、山の中にグヒンサン(天狗)が住んでいた。グヒンサンは洞穴の中で暮していた。村の人が拝
んでもらうとよく占いがあうというて、グヒンサンのところへ行く人が多かった。
 隣同士に住んでいる二人の男が両方とも女房に子供が出来るようになったのでグヒンサンのとこ
ろへそろって拝んでもらいにいた。
 ほいだらグヒンサンが一人の方に言うのには「貴方んとこいは青竹三本のブニの子が生れる」と
言うた。
 そしてもう一人の方には「貴方とこいは長者になる子が生れる」というた。
 二人はグヒンサンのところから帰って来ると間もなく、長者に生れると言われた方には女の子が
生まれ、もう一軒の青竹三本のブニと言われた方には男の子が生れた。
 同じように生れたので仲好う遊べと言うて仲好うしとったが、年頃になって長者に生れた方の女

―123―

の子は隣の村の長者の家へ嫁に行った。そしてええ暮しをしとったが、青竹三本の男の方は青竹を
三本かたいで輪がえをしたり箕を作ったりしていた。
 ある日のこと、
「輪がえあるんで、輪がえあるんで」
 と言うて歩いとったら隣の村の長者の家のとこまできた。長者の家では輪がえをさせた。そして
昼頃になってご飯を食べさす頃になって、長者の家の奥さんが見るに、幼馴染の男であった。あん
まり姿が見すぼらしいので奥さんが可哀想に思って女衆に握り飯をこしらえさせた。そしてその中
へ小判を何枚も入れておいた。
 青竹三本の男は握り飯をもろうて帰りかけたが途中の川のところでその握り飯を食べようとし
た。すると石みたいなものが中に入っているので、それを吐き出しては食べ吐き出しては食べてい
た。ところがしまいの一枚になって見るとそれは小判であった。あっ、しもうたことをしたわ、さ
っきの歯にあたったのはみな小判であったかと思うたが川へ流してしもうたから今さら仕方がな
い。それで最後の一枚だけが自分のものになった。
 青竹三本のブニの者はやっぱりそれだけのブニしかないという話。
                      (話者 丸亀市広島町 大石光政氏〔七十三歳〕)

―124―

                                    八八 馬方と山姥
 昔、馬方が馬の背中に鯖を積んで山を通りよった。ほんだところが山から山姥が出て来て、
「その鯖をくれな取って咬むぞ」
 と言うた。馬方が一つ取ってやると、
「もう一つくれな取って咬むぞ」
 と言うた。そこでまたやるとそれも食べてしもうて、鯖はみんな食べてしもた。それであとに馬
が一匹だけ残った。すると山姥は、
「その馬くれな取って咬むぞ」
 と言うた。そこで馬もやってしもうて、恐ろしゅうなって逃げて行きよった。すると向うに一軒
の家があった。そこへいたら誰も留守でおらん。そこで中へ入っておるとそれは山姥の家で山姥が
そこへもどって来た。
 馬方はそこで二階へ上がってかくれとった。すると山姥が二階のはしごを上って来たので、二階
から山姥めがけてそばにあったものを手あたり次第に投げた。すると山姥は、「うらのねずみはこ
の頃悪うになって仕様がない。それじゃ釜の中へ入って寝よう」と言うて、釜の中へ入った。

―125―

 夜がふけて来たので男は二階から下りて来て、釜にふたをして上へ石の重しをして下から焼こう
とした。昔やから火打石で火をつけようとしてカチカチと石を打つと、山姥は、
「もう夜が明けたけにいなごが鳴く鳴く」
 と言うた。しばらくしてぬくうになって来ると、山姥は、
「今夜は雨夜か、ぬくい<(#「<」は繰り返し)
 と言うた。しばらくして熱うになって来ると、山姥は、
「悪いことをするのは誰なら」
 と言うておらぶ(叫ぶ)んですわ。ほんなら馬方が、
「鯖のかたきや馬のかたきや」
 と言うてなあ、山姥を焼き殺してしもうた。
 そんで二階へ上って行くと、木の葉がバラバラと落ちて来た。そいではなしになった。
                           (話者 三豊郡粟島 合田牛之助さん)


                                     八九 小盲の話
 昔、あるところに正直な爺さんと意地の悪い爺さんがあった。

―126―

 正直な爺さんは何かええ事をして、神さんから宝物の槌をもらった。そしてこれを振ったら何で
も欲しいものが出て来ると言うた。
 正直な爺さんはそこでその槌を振ると、米や倉が何ぼでも出て来て今まで貧乏じゃったのが俄か
に旦那衆(ルビ だんなし)になった。
 そこで意地悪の爺さんが正直な爺さんのところへいて、
「お前この頃俄かに金持になったがどうしたのか」
 ときいた。
「われはこの頃何でも思いのままのものがでる宝物の槌をもらった」 
 と言うた。
「そんなら儂にも貸せ」
 と言うて、槌を借(ルビ か)って来て、槌を振って米て言うたら米が出て来るし、倉言うたら倉
が出て来る。しかしそのかわりにさきに言うたものが消えていってしまう。そこで意地の悪い爺さ
んは、
「米倉、米倉」
 と言うてつづけて槌を振ったら子盲言うて子供の盲がいっぱい出て来て意地の悪い爺さんは困っ
てしもうた。                           (話者 合田牛之助さん)

―127―

                                     九〇 屁へり嫁
 昔、あるところに嫁をもろうた。ところが日にちがたつにつれて嫁さんの顔色が青うになって来
た。これは何ぞ心配ごとでもあるのかと思うていっぺん聞いて見んかと言うことになって、姑はん
が聞いた。
「われはおならの出たいのをこらえとんじゃ」
 と言うた。すると姑はんは、
「そんなら遠慮することはないけにおならを出せ」
 というた。そこで嫁はんはおならを百ぐらい出した。そんだら姑の婆はんが飛ばされてしもう
て、屋根の上へ落ちた。そいで屋根から下へ落ちたところがちょうど嫁の里じゃったんじゃそう
な。そいだら嫁の里の人が、
「どしたんなら」
 と言うと、
「ここから来た嫁がおならをこらえとる」と言うた。「こらえとらんがええが」と言うといっぺん
におならを百も出したけに飛ばされた。

―128―

 と言うた。そんだところが嫁の里の親が、
「まあおはいり、せんべいでも出しますけにお茶をお飲みなされ」
 と言うた。姑のばあさんは百でもこたえとるのに千も出されたらどこまで飛んで行くやら分らん
と言うてことわったそうな。                    (話者 合田牛之助さん)

                                      九一 猿聟入
 昔、そのお婆さんが山の中の畑をしよった。
 もう一寸したら日のうちに畑をしてしまうのにちっと残りそうになった。ほしたらそこへ猿がや
って来た。
 お婆さんが、
「この畑を手伝うてくれたらうちの娘をお前の嫁にやる」
 と言うた。そして猿に手伝うてもろて娘を猿に嫁にやった。
 それからしばらくして嫁さんの親のうちに何かお目出たがあったんでな。娘が餅をついて親の家
へ持って行かんかと言う。猿は、
「ほんならそうしよう」

―129―

 と言うて餅をついた。ついたんはええけんど
「何に入れぞ」
 と言うた。娘は重箱に入れたら重箱くそうになるしするけに臼に入れていたらよかろうと言うこ
とになって、臼を猿が背中に負うて行きよった。ほんなら途中に大けな柿の木があった。
「あの柿を一つちぎっていたらええ」
 言うて猿を柿の木に上らすんじゃ。そこで猿は臼を下へおこうとすると、
「下へおいたら土くそうになるけにそのまま上れ」
 と言う。そこで猿は重箱を負うたまま上ろうとすると、
「もっと上のをちぎれ<(#「<」は繰り返し)」
 と言うて、猿は上へのぼってとうとうしまいに板(#「板」は底本のママ)が折れて下の川へ落
ちこむんじゃ。そいで猿は下へ流れよったところが、
「わたしはもうどうやらで親の家へ行きます」
 と言うて、娘は親の家へ逃げて行ってしもうた。          (話者 合田牛之助さん)
   ・合田牛之助さんには昭和十四年頃に会っているが、今度すなわち四十九年五月におりから
  丸亀市の病院に入院中の同氏を見舞って話を聞いたものである。

―130―

                                      九二 童子丸
 昔、ある所に一人の男が住んでいた。そこへ一人の女が嫁に来たが、やがて子供が生れた。子供
の名は童子と名づけた。子供が大きくなってある日のこと外にあそびに出た。そして家へ帰って見
ると、お母さんが尻をまくってオイエを掃いとる。そこで子供は不思議に思うて、父親にそのこと
を告げ口した。父親が見ると箒で掃かないで尻尾で掃いとる。
 これは人間ではなくて狐に違いないと思ってとうどう別れることにした。狐の女房はやがて去っ
て行ったが、しばらくして鳥にかわって来て庭の木にとまって
  童子、お前の母(ルビ はは)さんここにおる
 と言うて鳴いて、ちょい<(#「<」は繰り返し)やって来る。
 ところがその頃京の殿さんが病気になった。医者や祈〔トウ〕(#「トウ」は文字番号24852)師に
頼んでもどうしても治らぬ、童子の家へ鳥が飛んで来て、
  青竹の杖ついて京へ行け、京へ行け
  これ持って京へ行け
 と鳴く。そして梅の木に生えている初茸とかんぞ(あまかずら)を童子に渡した。

―131―

 そこで童子は言われたとおりに青竹の杖をついて梅の木の初茸とかんぞとを持って京へ上って
行った。
 そして殿さんのところへ行って梅の木の初茸とかんぞとを煎じて殿さんに差し上げると殿さんの
病気はいっぺんに治った。そこで沢山のほうびをもらって帰って来た。
 狐の母さんは童子のところへそれからも何度も来た。田植の時は早乙女さんになって来て苗を植
えてくれた。その時に
  穂出ずにつっぱりこ 穂出ずにつっぱりこ 
  一反に米が十三俵あるように
 と言って植えた。
 殿さんの家来が年貢を取るために、秋になって見に来ても穂が一寸も出ていないので年貢を取り
立てるわけにはいかぬ。そうして家来が帰ってから籾をすってみたら十三俵もあった。そんなこと
が何年もつづいて童子の家は大層金持になったそうな。
                   (話者 綾歌郡綾上町 秋山ツイノさん〔七十八歳〕)

―132―

                                  九三 天道さん金の鎖
 昔、ある山の中に一軒の家があった。そこでは一人のお母さんと二人の子供が暮していた。
 ある時にお母あがよそへ行くことになった。
 お母あは子供にむかってこのあたりには山姥というものがおるからと言うて戸じまりを充分にし
て出かけた。
 夕方になって、戸をトントンとたたいて「お母あが今もんて来たぞ」という。子供は利巧な子
じゃったから「お母あなら手を出して見い」と言うと、戸のすきまから山姥が手を出した。子供が
さわって見るとごわごわしとる。「これはお母あじゃない。山姥じゃ」と言うと、山姥はごぼう畑
へ行ってごぼうの葉を手に巻いて来た。そして戸をたたいて「今もどって来たぞ」と言うと、「子
供はまた手を出せ」と言うた。山姥はそこでごぼうの葉を巻いた手を出すと、今は本当のお母あじゃ
と思うて家の中へ入れた。
 ところが山姥じゃった。子供は恐ろしゅうてたまらぬが何ともしようがない。やがて夜もおそう
になって来たので寝ようと言ってみんなで寝た。
 夜中ごろになって、山姥が小さい方の子供の手の指をガリガリと食べに来た。そこで二人は便所

―133―

へ行くふりをして外へ逃げて行った。
 山姥は気がついてすぐに追いかけて来たので泉の上のくちなしの木に上った。山姥が来て見ると
泉に二人の子供の姿が映っている。そこで泉の水をかえた。ところが水がなしになっても子供の姿
が見えぬので上を見ると子供はくちなしの木に上っている。そこで山姥もくちなしの木に上ろうと
した。子供は天を拝んで、
「天道さん金の鎖」
 と言った。すると金の鎖が下りて来たので子供はそれを伝って天に昇って行った。
 山姥も
「天道さん 金の鎖」
 と言うと、今度はくされ綿が下りて来た。山姥はそれを伝って上って行こうとしたが、とうどう
切れてしもうて下へ落ちて死んでしもうた。血が出で蕎麦(ルビ そば)の根にかかった。それから
そばの根は赤いという。                (話者 秋山ツイノさん〔七十八歳〕)

                                 九四 てっちょかっちょ
 てっちょかっちょと言うて鳥が鳴きかけたらこのあたりではささげを植えるという。

―134―

 あるところにお父さんとてっちょかっちょの二人の娘がいた。お父さんが山へ仕事に行って帰っ
て来るとてつとかつがいない。そこでお父さんは捜しに行ったがとうとう見つからないで山の中で
死んで鳥になってしまった。そこで今でもてっちょかっちょと言って啼いているそうな。    
                           (話者 秋山ツイノさん〔七十八歳〕)

                                    九五 おとぎり草
 昔、二人の兄弟が山へ猟に行ったそうな。兄の方が山の中で足をけがしたそうな。そこで傍に生
えている草を取って傷口につけたら傷がなおったそうな。そいで兄は弟にこんなよい草はあるもの
ではないから他の人に言ってはならぬと言うた。ところが弟はその草のことを他の人にも言うたの
で、兄は弟を斬り殺したそうな。それからその草の名前はおとぎり草というようになった。
                     (話者 綾歌郡綾上町 谷岡只大さん〔八十三歳〕)


                              九六 のみとしらみの伊勢参り
 昔、のみとしらみが伊勢参りをすることになった。のみはしらみはどうせ足がおそいからと思う

―135―

たので、方々で遊んでから伊勢へ行って見ると、しらみは早うから来て畳の上に座っとった。のみ
は恥しゅうで真赤になってしもうた。            (話者 谷岡只大氏〔八十三歳〕)


                                     九七 猫  山
 昔、内田(ルビ ないでん)のある寺に猫を飼うとった。それが猫又になって尾が三十三節(ルビ
 ふし)になった。おじゅっさんはこれは長いこと飼うたけに猫又になったと気がついた。
 おじゅっさんの衣裄(ルビ ゆこう)にかけてある衣が朝起きたら濡れとる。これはどうしたのか
と思うて寝たふりをして見よると、おじゅっさんの衣を着て外へ行きよる。あの衣をつかわれたら
破れてしまうと思うたので、古い分の衣を出して、
「お前いったいどこへ行きよるのい。お前が着とる分は儂のよそ行きじゃけにこれを着て行け」
と言うて古い分の衣を猫にやった。猫はその衣を着て毎晩毎晩行(ルビ ぎょう)に行った。
 ところがその古い分の衣が破れてしもうた。
 内田(ルビ ないでん)に一軒の旦那衆(ルビ し)の家があった。猫が言うのに「おじゅっさん
長々と有難うございました。もう少しするとその旦那衆の家の旦那が死にます。死ぬと檀家じゃか
ら言うて来る。その葬式の時に印導を野辺でわたす。その時にお棺の蓋を取ってみんなが見るけ
に、その時に大きな雷が鳴って雨

―136―

が降り出す。私が死人を取って松の木に上るけに貴方が拝むと私が死人を返して上げる。他のお
じゅっさんいには上げん」そう言うて猫は長々とお世話になったと言うて猫はいのうとした。
 おじゅっさんは「何ぞお土産がいるんじゃないか」と言うと、猫は「小豆のご飯を三斗三升炊い
て送ってくれ」という。「どこへ送ったらよいのか」と聞くと「高んぼ山の向うの猫山に大きな岩
がある。あの岩の上において後を見んと戻ってくれ」と言うた。そこでおじゅっさんは使いの者に
小豆ご飯を三斗三升持たしてやった。 
 それからしばらくして猫の言うとおりに内田の旦那さんが死んだそうな。おじゅっさんは葬式に
よばれて行ったが、猫の言うとおりに野辺で印導を渡した。するとがらがらと言うて雷が鳴って大
雨が降って来たので皆の衆は恐ろしいていんだ。ところがおじゅっさんは猫から言われとったので
いぬわけにはいかぬ。そしてじっと見とると、猫又がその死人をかかえとる。そこでわれに死人を
返してくれと言うと前からの約束じゃからその死人をくれた。すると雷もおさまって雨も止んだの
でみんな逃げとったのが集って来て無事に葬式が出来たそうな。その家の旦那の息子が大層喜んで
おじゅっさんの言われたことなら何でもお礼をすると言うた。おじゅっさんは欲がないけに何にも
いらんと言うたが、旦那の家ではおじゅっさんに充分のお礼をしたのでお寺は暮しがようなったそ
うな。                   (話者 綾上町 秋山ツイノさん〔七十八歳〕)
   なお猫山を通るときは猫の話をしてはいけないと言う。

―137―


                                  九八 善通寺の五重塔
 昔、大川郡の方の山の村で猟師が山へ行きよった。丁度寒い時分なので鴨が池でこごえとった。
猟師はその中の四、五羽を腰のひもにはせて行っきょったら、ぬくうになってとけて鴨がぽう<
(#「<」は繰り返し)と飛び上った。そして善通寺の五重の塔まで飛んで行くと猟師をそこへ
引っかけたままで飛んで行(ルビ い)てしもうた。猟師は下りられんので困っとった。
 すると寺の衆がそれを見つけて、これはほうっておけぬとばんや(「ばんや」に傍点)を集めて来
て、布団の中に入れて下へ敷いてここへ飛び下りろと言うた。
 そこで猟師は飛び下りると目から火が出てばんやに燃えうつって五重の塔は焼けてしもうたそう
な。                       (話者 綾上町 谷岡只大氏〔八十三歳〕)


                                   九九 しゅんとく丸
 昔、しゅんとく丸と言う名前の継子があった。ある時にお母さんが二月十二日の晩にお寺へいて
チンを盗(ルビ と)って来いと言うた(チンと言うのは寺の本堂のところにある大きいかねのこと
)。しゅんとく丸

―138―

は七つの子じゃけにいやとは言えぬ。盗って来いと言うたっておじゅっさんがおるけに盗っては来
れぬと言うた。すると継母は十二日の晩のお月さんが入ったらおじゅっさんが本堂の戸をあけるか
らそのすきに本堂へ入って来い。それまでは縁の下にかくれておれと言うた。
 そいてじっと待ちよった。五時に朝の鐘をつくけにその時に本堂に入ろうと思うとった。ところ
が十二日の月はなかなか入らぬ。そしてそのうちに明るうになっておじゅっさんも出てくりゃ小僧
も出て来るのでどうしてもチンを盗ることは出来なんだ。それで帰って来て継母にそのことを言う
て、お母さん、あしこにお月さんがあるやろ、それじゃからどうしても盗ることが出来なんだと言
うた。そこで継母が外へ出てお月さんを見ると、もうそれなり目がつぶれてしもうた。お母さんは
今まで自分が悪かったと言うてしゅんとく丸にあやまった。それでしゅんとく丸は盲になった継母
を連れて方々を廻っているうちにお母さんの目も見えるようになり、しゅんとく丸も出世したとい
う。                              (話者 秋山ツイノさん)



                                   一〇〇 鷹の棄て児
 昔、お蚕さんを飼いよる家があった。その家のお母さんが子を負うて桑を摘みにいたそうな。桑
の葉で子供の目を突くと思うて子供を田んぼのはたへ下しておいて桑を籠の中に入れよった。とこ

―139―

ろが大きい鷹が飛んで来たんやて。鷹が来たけにこりゃ子供を取られたらいかんと思うて行くと、
はや鷹が子供をかかえとるんじゃと。こりゃいかんと取り返そうとすると手が子供の片袖にかかっ
たそうな。
 そして鷹と引っぱりあいこになった。一つ身の着物は四寸ほか袖をつけとらん。その片袖だけが
ちぎれて鷹は子供をかかえたままどこかへ飛んで行ってしもうた。
 鷹は奈良のお寺さんのエトの木の二の枝のところまで飛んでいて子供をおいたままよそへいてし
もうた。お寺のおじゅっさんが寺でおると赤児の泣き声がする。見ると鷹が子をおいたのかエトの
木の枝に赤児がおる。
 そこでおじゅっさんは子供を下してお寺で育てることにした。
 一方、お母さんの方では子供を取られたというので夫婦が大もめにもめてとうどうお母さんはさ
られて(離縁)しもうた。
 奈良のお寺は赤児を育てていたがとうどうしまいには偉い坊さんになっとった。お母さんの方は
さられたものじゃけに心配で目が見えんようになってしもうた。子供の片袖だけを持って、子供は
どこへいたのかと捜して方々を歩きよった。そのうちにお母さんは、奈良のお寺さんにエトの木に
引っかかった子を育ててそれが偉い坊さんになっとると聞いた。そこで急いで奈良のお寺さんまで
行って子供に会わしてくれと言うた。奈良の寺ではそんなぼろ<(#「<」は繰り返し)の着物を着
た乞食のような女に

―140―

は会わすことは出来ぬと言うてなかなか会わしてくれぬ。ほんなら外へ出る時分にお顔だけでも見
せてくれと言うた。しかし盲じゃけに見ることは出来ぬ。そのことが評判になってその子供の耳に
も入った。その乞食のような者は何ぞ形見のものでも持っておるかと聞いた。すると子供の着物の
片袖を持っているというので、急いで取り寄せさせた。そして自分の持っている着物を櫃から出し
て見ると、縞目がぴったりと合うた。そこでこれは本当にわがお母さんに違いないと思うたが身分
が違うけに会うわけにはいかぬ。しかしそれとなく身分を明かさないで連れて来させて会うた。
 お母さんは目が見えぬけどそれを悟った。そしてどこへでもかまわぬけに門の外へでもよいけに
置いてくれと言うた。しかし置くわけにはゆかぬから帰ってくれ。こちらからお経を上げるけに
帰ってくれ。お母さんがほんならここに何の不自由なものがあるか。不自由なものがあるなら送っ
て上げると言うた。お水が不自由じゃというとほんなら国から送って上げると言うた。送ってくれ
ると言うたって奈良から国元までは山がたくさんあるので送ることは出来ぬ。どんなにして送るな
らと言うと、母親はわたしが国元の水にすりぬかを浮べるからその水が来たらわたしが水を送った
のがとどいたと思ってくれと言うた。そしてお母さんは帰ってしもうた。
 そのお寺のそばには大きな堀があった。ある晩の事、堀の水がごんごんと鳴るけにおじゅっさん
が手燭をさげて見に行くと水にすりぬかが浮いとる。これはあのお母さんが水を送ってくれたのだ
と言うことが分った。奈良の水取りはそれから始ったのじゃと言うそうな。

―141―

                             (話者 綾上町 秋山ツイノさん)



                                   一〇一 子育て幽霊
 昔は嫁さんがマルジニ(子供をはらんだまま死ぬこと)したらお尻のところへ聟さんの下駄を敷
かしたまま埋めると子供が生れることがあるという。あるところにマルジニした人があった。聟さ
んの下駄を敷かしたまま葬ったそうな。そして七文の金を入れたそうな。一文は六地蔵さんのお土
産にあとの六文は生れた子の飴を買うためじゃった。そのマルジニの墓のそばに飴屋があった。と
ころが毎晩飴を買いに来る女の人があった。飴屋の人が跡をつけて行くとマルジニした人の墓
じゃったので急いで掘り出すと男の子が生れとったそうな。  (話者 綾上町 秋山ツイノさん)



                                     一〇二 寝太郎
 昔々、昼も夜も寝るばっかししよる男があった。お母が、
「寝太郎<(#「<」は繰り返し)、そう何時までも寝よったらこれから先が案じられる」
 と言うた。寝太郎は

―142―

「わしにはわしの考えがあるから心配せんでええ」
 と言うた。 
 やがて節季になって年取りの夜が来た。寝太郎は起きて来てどこかへ行ってしもうた。一体どこ
へ行ったのかと皆が心配しとると古手屋(古道具屋)へでも行ったのか白のちはやと烏帽子を買う
てきてそれを着た。寝太郎の家の前には大きな財産家があった。
 年取りの晩が来ると神主さんの姿になって屋根の上に上って
「亭主々々」
 とよんだ。財産家の亭主はこれは誰がよんでいるのかと思うてあわてて出て来ると、
「神さまが屋根の上におわしまします」
 と言うた。そこで亭主が、
「はい<(#「<」は繰り返し)」
 と言うと、
「寝太郎を聟に取れ。そうするとこの家は繁昌する」
 というた。そこで亭主は寝太郎をその家の聟さんにしたそうな。
                        (話者 綾上町 水野カメさん〔八十八歳〕)

―143―



                                     一〇三 俵薬師
 昔ある分限者(ルビ ぶげんしゃ)に一人の小僧がやとわれておった。あんまり嘘を言うので皆か
らウソベエと言われていた。
 その家の旦那は面白い芝居を見るのが好きな人やった。その頃に大阪に尼の芝居が出来ることに
なった。
 旦那はウソベエを連れて尼の芝居を見に行った。ところが芝居の途中でウソベエは「旦那さん、
一寸帰って参ります」と言って帰ってしまった。そして、
「奥さん<(#「<」は繰り返し)、あの旦那さまは尼の芝居がとても気に入ってしもうてもう
帰って来ません。奥さんが尼にでもならば帰って来るかも知れません」
 と言うた。そこで奥さんは仕方なく尼になって旦那さんの帰って来るのを待っとった。
 しばらくして旦那がもどって来た。奥さんが尼になっとるのでびっくりして聞くとウソベエが嘘
を言うたことが分った。そこで旦那は怒ってウソベエを俵の中に入れて川の中へほうることにし
た。番頭に言いつけてウソベエを俵の中に入れて持って行かせたが重くて仕様がないので俵の中へ
ウソベエを入れたまま番頭は一寸はなれたところで休んどった。

―144―

 するとそこへ一人の目の悪い人が通りかかった。ウソベエは俵の中で、
「俵薬師は眼のガン(願)じゃ」
 とどなった。その目の悪い人が「どうしたのか」と聞くと、ウソベエは「この俵の中に入っとる
と目がよくなる」と言うた。そこでその目の悪い人はウソベエの代りに俵の中に入っとった。
 しばらくして番頭がやって来てウソベエが入っとると思うてその俵を海の中に投げこんでしもう
た。
 ウソベエはそれから魚屋へ行て魚を二尾買うて、
「旦那さん 只今 帰りました」
 と言うた。旦那はウソベエは今頃は海の中へ投げこまれとると思うたのに帰って来たのでびっく
りした。そしてウソベエにわけを聞くと、
「いやもう、旦那さん、竜宮城に連れて行かれて結構な目にあいました」
 と言うた。そこで旦那さまも竜宮城に行きとうになって俵の中へ入れてもろうて海の中へほうり
こんでもらった。
 ウソベエは旦那の家に帰って来て奥さんに「旦那が言うのにはもう竜宮城へ行くけにお前があと
をやってくれと言うた」と言うて奥さんを嫁さんにして安楽に暮したそうな。
                             (話者 綾上町 水野カメさん)

―145―




                                  一〇四 大黒舞(小盲)
 昔、おじいさんとお婆さんが暮しとった。きたない身なりをしたお遍路さんが来て泊めてくれと
言うた。そこで泊めてやると、あくる日の朝になって、
「われは大黒舞じゃ。ここに宝の槌があるけにお前たちにやる。これを振ると何でも好きなものが
出る」
 と言うた。そこで二人は、
「米出よ、倉出よ」
 と言うと、米も倉も出て来て安楽な身分になった。
 となりの家にもおじいとお婆とがあった。俄かに隣の家が分限者になったので訳を聞いてその宝
の槌を借りて帰った。そして金持になろうと思って、
「米倉出よ 米倉出よ」
 と言うと子供の盲がいっぺんに出て来てしもうたそうな。   (話者 綾上町 水野カメさん)

―146―



                                 一〇五 天に昇った下男
 昔、ある所に少し足りない下男があった。生(ルビ なま)ぼっこ(うすのろ)で何時も何時も「旦
那さん、私は天に昇りたい」と言うていた。ある日のこと旦那さんに「天に昇るのはどうすればよ
いか」とたずねた。そこで旦那さんは「天に上るのなら上らしてやろう、どうせうす馬鹿で皆から
も馬鹿にされているのだから天に昇らせてもよかろう」と思った。そこで「松の木に上れ、そしてわ
しの言うとおりにすれば天に昇れる」と教えてやった。
 下男が松の木に上ると旦那さまは下から、
「右の手をはなせ」
 と言うた。そこで下男は言われたとおりに右の手をはなすと今度は、
「左の手をはなせ」
 と言うた。そこで左の手をはなすと、今度は、
「右の足をはなせ」
 と言うた。そこで右の足をはなすともう足が一本になった。それでも天に行ける思っていると
旦那は、

―147―

「左の足をはなせ」
 と言うた。そして下男はもう落ちて死んでしまうだろうと思っていると、天から五色の雲が下り
て来て、五色の雲にのせて、ずっと天に昇って行ってしもうた。
 ありゃほんとうに有難いもんじゃ。おれも天に昇ってやろうと思って、松の木に上って下から他
の下男に自分が言ったとおりに、
「右の手をはなせ、左の手をはなせ 右の足をはなせ、左の足をはなせ」
 と言わせて、自分は言われたとおりにすると旦那は木から落ちて大けがをして死んでしまった。
                              (話者 綾上町 水野カメさん)



                                   一〇六 鴻の池の話
 昔、鴻の池の旦那は貧しい百姓でひとりもんじゃった。ある日のこと、畑で鴻(ルビ こう)の
鳥が傷ついているのを助けた。
 ある日けっこな娘さんが来て嫁にしてくれと言うた。そこでそのままおいてやると、機を織って
はけっこな織物をこしらえる。そしてそれを京の町に売りに行けと言うので売りに行くと、大名や
お公卿さんが買うてくれてよい値段で売れる。一体どんなにして機を織っているのかと思うて機屋

―148―

の中をのぞいて見ると、裸の鴻の鳥が毛をむしりながらそれで機を織っとる。
 鴻の鳥は姿を見破られたので、機屋から出て来て、「貴方は私の姿をもう見たから私は織ること
が出来ません。私は先に助けられた鴻の鳥じゃ。ご恩を報いに来とったのじゃからもういぬ」と言
うて飛んで行ってしもうた。
 その百姓は後にそのお金をもとにして長者となった。それが大阪の鴻の池の起りじゃと言う。
                            (話者 綾上町中川 水野カメさん)



                                    一〇七 桶屋の運
 昔、遍路が山道をまわりよった。夕方になって泊るところがなかったので神様の縁の下で寝よっ
た。ほいてしたらチンチンチンと馬の音がする。どうしたんやろかと思うて聞き耳を立てている
と、今晩どこそこの家にお産があるからわたしはどうしても行かないかんと言うて、また馬の音を
チンチンさせて向うへいてしもうた。間もなく神様が帰って来て、泊っとる神様に生れたる子は定
命(ルビ じょうみょう)は十五歳で蜂の命じゃという。
 遍路は不思議なことを聞いたと思うたが、夜が明けてから尋ねてその子供が生れた家に行て見
た。男の子が生れて大層喜んどった。遍路はそれを見てからまた方々をまわって十五年ぶりにその

―149―

家に行て見た。
 すると前に生れた子供は桶屋になっとったが、十五の年に桶の輪がえをしとったら大きな蜂が飛
んで来てその蜂にさされて死んでしまったそうな。
                       (話者 綾上町 萱原イクミさん〔八十五歳〕)



                              一〇八 阿波と讃岐と大阪の人
 阿波と讃岐と大阪の人がある宿で一緒になった。その宿の屋敷に松の木がある。その松の木に鳥
が巣をしとった。
「阿波の人があれはにわとりの巣じゃ」(#「「」の位置は底本のママ)
 と言うた。讃岐の人は「あれは小鳥の巣じゃ」と言うた。すると大阪の人が「あれは鳥の巣
じゃ」と言うた。そこで三人が賭けをしてどれが本当か番頭に聞くことになった。阿波の人も讃岐
の人も大阪の人も番頭に袖の下を渡して自分に都合のよいように頼んどった。
 そして三人がそろって番頭のところに聞きに行くと番頭は、
「あれはにわとりの巣じゃったが、子を産んで小鳥の巣になった。それがおらんようになって今で
はから巣になってしもうた」
 と言って番頭は三人からの袖の下をみんなふところに入れて大もうけをしたそうな。

―150―

                            (話者 綾上町牛川 水野カメさん)




                                     一〇九 姥捨山
 昔、あるところに二人の息子と年寄せた母とがあった。二人の息子が「この婆はもう役に立たん
けにほうらんか」と言うて山へかいていっきよった。もうよっぽど山の奥へがいに来たけに「ここ
へほっといていのうで」と言うた。
 お婆を置きしなにお婆が言うのには「私はもう棄てられたけにここで死ぬ。けれどものー、二人
がいぬ道が分らんけに道ばたで木をちょいちょい折ってあるけに、それをたよりにわがとこへいね
よ」と言うた。
 二人の息子はそれを聞くともうお婆を棄てんとわがとこへ連れて帰ったと。ほいだけに親という
ものはなあ、そうやってほうられてもやっぱし子供のことを思うとるもんじゃ。
                           (話者 綾歌郡綾上町 水兼弁吉さん)

―151―

                       一〇九(#「一〇九」は底本のママ) 旅 学 問
 昔、一人の男が旅をしよったら札を売っていた。これは買うておかねばならぬと思って札を二枚
買うた。一枚の札には
  他人のご馳走ゆだんすな
 と書いてあった。
 そしてもう一枚の札には
  男いっとき おさまりが大事
 と書いてあった。
 その二枚の札を持って行っきよると、日が暮れてしまった。どこぞで泊ろうかと思っていると、
一軒の家があった。そこで泊めてもらうといくらでもご馳走を出してくれた。
 そこで寝ようとすると布団をしいてくれた。その旅の男はひょっと考えた。他人のご馳走ゆだん
すなと札に書いてあったのに今夜はこんなにご馳走をしてくれた。これはどうもあやしいと思っ
て、その布団の中には寝ないで布団の外へ出て横になっていた。
 しばらくすると下から槍が出てその布団を突いて<(#「<」は繰り返し)突きまくった。あゝ
あぶないところじゃっ

―152―

たと思うているうちに夜が明けた。
 すると家の主人がやって来たので「お前どうしたことにや、おらゆんべ殺されるところじゃっ
た」と言うた。すると宿の人は「それは悪うござんした。貴方がお金を持っとると思うて取ってや
ろうと思うとったんじゃ」と言うた。
 そこで旅の男は札のおかげで助かったと思うた。そのうちに「男いっとき、おさまりが大事」と
札にあったが、あれは一体何のことだろうかと考えた。おさまりが大事と言うからこんな旅はせず
に家へ帰った方がよかろうと思うてわが家へ帰ることにした。
 その男の家内は男好きで亭主が留守になると男を引き入れて遊んでいた。男は家に帰って来て戸
口のところで咳ばらいをした。丁度女房は他の男を引き入れて遊んでいたがあわててニワの隅へ俵
を持って来て俵の中に男を入れて知らん顔をしていた。亭主はじっとそれを見た。亭主は戸を開け
て中に入ってあのニワの隅の俵を見て「あの俵はどうしたのなら」と言った。
 女房は「近所からナイショマイを少し持って来て売ってくれと言うのでおいてあるんでござん
す」と言うた。そこで亭主はその俵のそばへ寄って行き俵にかかえついた。そして「おら何ぼ入っ
とるか計って見ようか」と言うた。
 すると俵の中から男が出て来て「計らいでもよいわ、ひとー俵(四斗俵)じゃ」と言うた。
                             (話者 綾上町 水兼弁吉さん)

―153―



                                  一一一 倉敷の三文屋
 昔、貧乏な男が住んでいた。お金を三文もらうと何の仕事でもした。そこでみんなが重宝がって
その男に仕事を頼んでいた。
 ところがその男が病気になった。だんだん悪くなって来て今にも息を引きとりそうになった。す
るとその男は「自分は必ず生れかわって来るから手のひらに三文と書いてくれ」と言う。
 そこで三文と書くと、その男は死んでしもうた。そのうちに大阪の町の分限者の家に一人の男が
生れた。何時までたっても手をにぎりしめていてあけようとしないので、易者をよんで来て相談し
た。すると易者が言うのには私が拝むと手をあけるという。そこで拝んでもらうと手をあけたが、
手の平に三文と書いてあった。
 そこでこれはあの三文で働いとった男の生れかわりであると言うことが分った。しかし三文の字
がどうしても消えないのでまた易者をよんで来て拝んでもろうた。
 易者はあの男の墓の土を取って来て洗うとよいわと言うた。そこで墓の土を取って来て手の平に
つけて洗うと本当に三文の字は消えてしもうた。
 その人は大きゅうになってから倉敷の町に出て来た。そして商売をしたらそれがあたって大きい


―154―

分限者になった。その家は今でも三文屋と言うとるそうな。
                   (話者 丸亀市小手島町 山田久一さん〔五十五歳〕)



                                  一一二 炭焼五郎兵衛
 昔、大阪の山奥で炭焼五郎兵衛が炭を焼いとった。備中の岡山に一軒の分限者があった。その分
限者の娘が縁が違うてなかなか嫁に行けんで困っとった。
 易者に頼んで拝んでもらうと、「お前の聟は大阪の山の中で炭を焼いとる炭焼五郎兵衛じゃ」と
言うた。そこで大阪へ行くことになったが何せ分限者のことじゃからおやじがどうしてもうんと言
わぬ。そんなところへ行くのなら勘当すると言うてどうにも仕様がない。
 お母あの方は易者が言うことじゃから行って見るがよいと言うておやじに内緒で娘に十両の金を
渡したそうな。そこで娘はその十両の金をもろて大阪の山の中まで炭焼五郎兵衛をたずねていた。
なかなか見つからなかったがとうとう捜しあてて見ると、炭焼五郎兵衛は留守じゃった。そこで夕
方まで待っとるとやっと炭焼五郎兵衛はもどって来た。
 娘が嫁にしてくれと頼むと、そんなことは出来ぬという。それでは寝泊りだけはさしてくれと頼
んで、その夜は炭焼小屋に泊ったそうな。ところがあくる日になって、米を炊こうとしても米もな


―155―

い。そこで持っていた十両の金を渡して米を買って来てくれと頼んだ。
 五郎兵衛は十両の金を持って山を下りて行った。途中の池のところで鴨が一羽いた。五郎兵衛が
おどしても逃げぬので小判を投げた。一枚投げても二枚投げても逃げぬので、とうどう五郎兵衛は
十枚の小判をみんな投げてしもうた。そして米は買わずに自分の炭がまのところへ帰って来た。
 娘さんがどうして米を買って来なかったのかと聞くので、小判は池の中に鴨にぶつけて来たと言
うと、娘さんはそれは惜しいことをした、あれは小判というてこの世のお宝じゃと言うた。
 すると五郎兵衛はあんなものはわれの炭がまには何ぼでもあると言うた。そこで行て見ると、炭
がまのまわりはみんな小判でピカピカと光っていたそうな。それから五郎兵衛は娘と一緒になっ
て、その小判をもとでにして大阪の町へ出て大金持になったという。
                         (話者 丸亀市小手島町 山田久一さん)


                              一一三 歯医者と手品師と法印
 昔々、ある村で歯医者が死んだ。そのあとで手品師が死んで、それから法印が死んだ。
 三人はそろって地獄と極楽との境い目まで来た。閻魔(ルビ えんま)さまがおって三人とも地獄
 へやられた。
 針の山へ来ると、手品師がみんなを背中に負うて走った。今度は閻魔さまがみんなを釜ゆでにす

―156―

ると言うと法印が水の印を結んだので湯が水になってみんなは助かった。閻魔は今度は儂が食うて
やると言うてみんなを食いにかかった。すると歯医者が閻魔の歯を抜いてしもうたので痛い目もせ
んと腹の中に入ってしもうた。腹の中に入ると、色々なすじがあるので、みんなが引っぱると閻魔
は笑うたり怒ったりしてみんなをとうどう吐き出してしもうた。
 そこで三人は極楽へ行くことが出来た。      (話者 多度津町青木北山 故山下源吉)




                                 一一四 十八の国の難題
 昔、ある男が旅に出て行った。途中でべっぴんさんと会ってしばらく行くと、男はあんたの家は
どちらぞと聞いた。するとそのべっぴんさんは書きつけをくれた。
  恋しくばたずねて来い 十八の国 百たん十なる木の下 かけてくさらん一つ橋 紺ののれん
  に夏の虫
 と書いてあった。そしてそのべっぴんさんは行ってしもうた。どこへ尋ねていたらよいか分らぬ
ので座頭さんにひとつ尋ねて見ようと思って、「座頭さん、こう言うのを書いてあるがひとつ解い
て見てくれんか」と言ったが座頭さんはどうしても解いてくれぬ。
 男はそこで帰るふりをしてかげで聞きよると、座頭は「あのくらいのことが分らぬのか、十八は

―157―

若狭の国、百たん十なる木は栴檀(ルビ せんだん)の木じゃ。かけてくさらん一つ橋は石橋じゃ。
紺ののれんに夏の虫は紺ののれんにとんぼの印のある店じゃ」と、ひとり言を言いよるのを聞い
た。これはええ事を聞いたわと思うて尋ねて行くと大きな店なのでどうしてもそのべっぴさんには
会えん。
 男はそこでここで使うてくれんかと言うと、風呂焚きなら使うと言うて風呂焚きになった。
 それからしばらくたってもどうしても会うことが出来ん。そのうちにそのべっぴんさんはよそへ
嫁に行くことになった。
 風呂焚きも人足の一人になって嫁の荷をかたいでほかの人足と一緒に行くことになった。
 人足が拍子を取って
  十八の国はよいとこしょ
  百たん十なる木の下はよいとこしょ
 と音頭を取って行くので、べっぴんさんはそれを聞いて、「これは前に会うた男じゃ。もう私は
嫁に行くまい」と言うて俄かの偽せ病いになった。そして途中から引返して帰ってしもうた。それ
でその男をべっぴんさんの聟にしたそうな。   (話者 多度津町青木北山 故山下源吉さん)

―158―



                                     一一五 宝化物
 昔、備中で金持の一人娘が死んだ。棺の中へ百円もの大金を入れて葬った。
 その家の番頭が金欲しさに夜中にいて、その棺を掘り起して中をあけて見ると、中には娘が生き
返っていた。
 そこで百円の金を持って二人で善光寺へ行くことにした。善光寺へ行くと、どの宿屋も一杯で泊
めてくれぬ。こりゃどうしたらよかろうかと思っていると、この向うにこわれかけの家があるから
あそこででも泊まるがよかろうと教えてくれた。そこで言われた通りに行って寝とると、夜中に
なってひどう騒がしい音がする。これはどうしたことかと思っていると、ぼうっと黄色なものが
光って出て来た。これは何かのお化けじゃと思うていると、「われはここの家の床下に埋められて
いる金じゃ。うそじゃと思うなら掘って見い」と言う。
 そこで掘って見ると金のつまった袋が三つも出て来た。あくる日の朝になって番頭と娘はその家
の持主にあの家を売ってくれと言うと、売るどころかあんなおそろしい家は只でやると言うた。
 そこで番頭と娘はその家を買うて床の下から金の袋を掘り出して大きな家を建てた。そして備中
屋と言うて大けな酒屋をはじめた。

―159―

 備中の方では娘の墓があばかれてしもうて娘も姿が見えぬ。おまけに番頭もおらんようになっと
るので、二人でどこかへ行とるわと言うて、親が手だって善光寺へまで捜しに来た。すると善光寺
の前に備中屋という大きな酒屋がある。わが国の名といっしょじゃからなつかしゅう思うて酒屋の
中へ入って行くとわが娘と番頭がおった。
 そこで親子が会うてみんなで気楽に暮したそうな。(話者 多度津町青木北山 故山下源吉さん)



                                    一一六 夢見小僧
 昔、あるところに親一人息子一人で暮している者があった。息子の名は次郎吉と言った。明日は
大晦日じゃと言うのに餅もつけぬ。よその家では餅をついているのに仕様がないので早うに寝るこ
とにした。
 おやじが次郎吉にええ夢でも見よと言うた。そして二人で寝てしもうた。元日の朝になって次郎
吉がわれはええ夢を見たと言うた。おやじがうそを言うなと言ったが、次郎吉はほんとにええ夢を
見たという。ほんなら言うて見いと言うたが、次郎吉が言わぬのでとうどう次郎吉を舟に乗せて川
へ流してしもうた。
 次郎吉は流れて天狗の住家まで行った。天狗は元日にこんなところまで何しに来たかと言うた。

―160―

そこでええ夢を見たがおやじに言わなかったので流されたのじゃと言うた。
 天狗はそんならその夢とわしの宝物をかえてくれと言うた。そこで天狗から生き針・死に針・千
里棒の宝物をもらった。天狗が早う夢を言うてくれと言うたが、言わずに千里棒でぴょんと飛んで
しもうた。そして大阪へ着いた。
 大阪の町では鴻の池の娘が病気になって困っとった。今にも死にそうで何ぞ手だてはないかと思
うていた。次郎吉は
  シビト(死人)なおす<(#「<」は繰り返し)
 と言うて歩いていて鴻の池の前まで行きかかった。すると鴻の池の家の人が出て来てうちのびん
さんを治してくれと言うた。そこで座敷へとおって生き針を使うて見ると今まで死にかけていた鴻
の池のびんさんの病気が治ってしもうた。そこでようけお金をもろてわが家へ帰ったそうな。
                          (話者 多度津町青木北山 故山下源吉)



                                     一一七 塩売り
 昔々のこと、ある家で深井戸を掘った。何ぼでも掘っとると、底の方で声がする。
  塩いらんか<(#「<」は繰り返し)

―161―

と言うとるそうな。アメリカまで掘っていたのでアメリカの塩売りの声じゃったと言う。
                          (話者 多度津町青木北山 故山下源吉)



                                 一一八 西行のはねくそ
昔、西行法師が修業のために綾上の長谷までやって来た。西行は大便がしたくなったので萩原で糞
をした。萩の木にかかって木が曲ったが間もなくびんとはね返った。そこで
  西行も難行苦行したけれど
    萩のはねくそ今がはじめて
 と言う歌を作った。                  (話者 綾上町牛川 水野カメさん)