底本の書名 全国昔話資料集成 9 岩崎美術社 西讃岐地方昔話集 香川 武田 明編 責任編集 臼田甚五郎 関 敬吾 野村 純一 三谷 栄一 装幀 安野 光雅 底本の編者名 武田 明 底本の発行者 岩崎美術社 底本の発行日 1975年1月30日 入力者名 松本濱一 校正者名 織田文子 入力に関する注記 文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。 登録日 2003年1月22日
―101― 後篇 ―102― ―103― 六四 小判チャリン 駿河の太郎は怠け者であつたが、ある日浅間様と言ふ社に参詣して、私の手が何かに触つたら何 でも小判になるやうにと願を掛ける。願の通り美しい花を取らうとするとチヤリンと音を立てゝ花 が小判となる。今度は自分の着物に手を触れると着物は消えて小判が落ちて来る。何かを食べよう としてもすぐ小判になるので困つて、これからは欲なお願ひはすまいと思ひ良く働くやうになる。 話者は七十三歳の老女だと言ふが作り話である。昔話には入らない。この話も教訓の香が高 い。矢張り説教僧の作であらう。 六五 稲神さま 大昔には人は木になるお餅を食べて働かずに生活してゐたが、お餅が減つてからは道の畔の小草 に籾がなり始めた。すると若い人が出て来てこれは槌にて打つてくだいて食べると教へた。この若 い人が稻神様だと言ふ。その後土地を耕すのに便利なやうに牛が出来た。人はこんな風にしてお米 ―104― を食べるやうになつたと言ひ 道の小草に米がなる。あらこんこ 豊年ぢや 満作ぢや と豊年には歌をうたつて祝ふやうになつた。 これは教訓じみてゐるが「物の始まり」とでも名付くべき話である。かう言ふのが説教者の 話し方、説教を聞きに来てゐる善男善女に多大の感銘を与へる為には最もふさはしい趣向の話 である。 勿論新しい作りものには相違ないが末尾の謠の「あらこんこんこ」と言ふのは狐の啼き声だ らうが、豊年に何の関係があるのか、能登国の万行の三郎兵衛の話に脈絡がありさうだ。 六六 三人片輪 三人の片輪があつた。躄(ルビ いざり)と盲と〔オシ〕(#「オシ」は文字番号3835)である。仲好 く一軒の家に住んでゐたが、ある日火事があり躄を〔オシ〕(#「オシ」は文字番号3835)が負ひ、盲 は〔オシ〕(#「オシ」は文字番号3835)の袂につかまり、躄は目が見えるので指図をして三人共に逃 げる事が出来た。 これだけではいささか話が不充分である。三人片輪の趣向は狂言記にもあるが元来は極端な 大話であったらうが、段々と改作せられて行くやうに見える。昔話よりは世間話に近いもので ある。 ―105― 六七 亀の伊勢参宮 夏の土用に亀が伊勢参宮に出掛ける。途中で兎に逢ひ何処へ行くのかと尋ねられる。伊勢参宮に 行くと言へば兎は手もろくにうてないものが参宮などに行つても仕様がない。もしそれでも行くの だつたら儂の分も一緒に拝んで置けと言ふ。亀は兎の言ふことを聞かずそこで二匹が喧嘩をしてゐ ると、一羽の鳶が下りて来て亀に助勢し、兎を蹴とばさうとするので兎は逃げた。鳶は亀を自分の 足にとつつかせてお伊勢さまの門まで飛んで行き、帰りにも亀を連れて帰つたさうである。 これもこしらへ話である。しかし従来の昔話と無関係に発生したものでは無く基づくところ がある。例へば〝亀の甲の由来〟とか動物競争の昔話を土台としてこんな話が出来たものと思 はれる。 『昔話採集手帖』九十三番雁と亀參照。 六八 橫津の泥棒 相撲取が子供を連れて夜中頃に横津の池のそばを通りかかる。池の辺へ来ると若い女の人が提灯 ―106― を持つてぢつと立つてゐる。知らぬ顔で通り過ぎようとすると、どちらへお出ですか、私もお供さ せて呉れと言ふ。気味悪く思ひながら一緒に歩いて行く。途中女は、一寸私は行つて来る所がある から先へ行きなさいと言ひ、提灯だけを相撲取に持たせて向ふへ行つて仕舞ふ。相撲取は提灯は傍 の木に引掛け子供をなつぱいど(かたぐるま)して自分の家の方へ一所懸命に逃げて行つた。しば らくしてドーンと言ふ鉄砲の音がしたと思ふと提灯がゆれて落ち燃ゑてゐる。これは女が故意に提 灯を持たせて小高い処から鉄砲でうち殺さうとしたのであつた。翌朝村の人と一緒に見に行くと池 の傍の山には鍋や釜を沢山置いてあり、これは泥棒の巣であつた。 古い昔話の破片を修理したものらしい。水の神の使ひのおもかげがある。これは昔話の世間 話化したもの。 六九 真島のお化け 親子の漁師が海へ行き時化(ルビ しけ)に逢ひ、仕方無しにお化けが出ると言ふ真島(ルビ ま しま)に舟をつけ、山の方へ行き木を燃してあたつてゐる。丁度そこへ白髪の婆が来て同じやうに 手を出してあぶる。親子は共にびつくりして仕舞つたが、しばらくして親が「お婆さんに魚を焼い てあげよう。舟の中にあるから取つて来い」と子供に言ひ付けた。子供はそれを聞いて山から下り 舟の中でぢつとしてゐる。しば ―107― らくすると今度は親が、何時迄待つても取つて来ないから今度は私が見て来ようと言つて逃げて行 く。そこで親子の者は舟を漕出した。婆は逃げたのを知つて口惜しがり、乳房を切つて舟めがけて ぶつけようとする。その乳房があたると舟はひかれるやうになるのだが、幸ひ大分沖へ漕出してゐ たので親子は命拾ひをした。 これは昔話の破片。この話は各地にある山姥が餅と白石を間違へた話を思ひ出させるものが ある。末段の乳房を切つて投げると言ふ趣向は珍しい。 七〇 名を惜しむ商人 百姓男が夢で鴻池に千両箱が落ちてゐることを教へられ、大阪へ千両箱を拾ひに行く。世間の評 判となり、鴻池の若主人もそれを知り、番頭に命じて瓦(ルビ かはら)の割れを千両箱の空箱に入 れさせ、邸の外へ捨てさせようとする。老人の番頭が鴻池の定紋入りの千両箱は中身が瓦の割れだ と言はれると恥だと思つて真実の千両箱を捨てゝ置く。百姓男はそれを拾ひ大金持となる。 これは「倫敦橋」系の話を説経僧が改作したもの。 ―108― 七一 四つの角 昔、雪が激しい日にみすぼらしい旅僧が村の庄屋の門前にたどりつき一夜の宿を求める。庄屋は 強欲であつたので旅僧が庭の隅か物置でよいから泊めて下されと言つたが泊めてやらない。そこで 旅僧は吹雪の中を歩いて行くと小さな藁葺きの家があつたので宿を求めに入る。その家は貧しい家 であつたが、正直な二人の老夫婦だけがゐて、どうぞ泊つて下されと言ふ。暫くして爺は食べるも のがないから小鳥を射ちに行く。さうして一羽の小鳥を捕つて来て料理をして呉れた。旅僧は翌朝 になると昨夜の小鳥の足は何本であつたかと聞く。二本であつたと答へると二つの望みを叶へてや ると言ひ、爺と婆が丈夫でよく働くやうにしてやる。これを聞いた庄屋は大層口惜しがり、翌年の 冬になつて旅僧が歩いて来ると今度は丁寧にもてなし、牛の雑炊を作り、絹の布団に泊めてやつ た。翌朝、旅僧が昨日の牛の角は何本かと聞くと欲が深いので四本と答へる。では四つの望みを叶 へると言つたので庄屋はほく<(#「<」は繰り返し)で喜ぶ。見送りの馬車に乗つて行く途中馬が 立止つたので主人は、さつさと走れと言つたがなかなか動かうとしない。そこで腹を立てゝこんな 馬は死んで仕舞へと言ふと馬は倒れて仕舞ふ。旅僧がお前の望みはまう二つしか無いと言つたので 主人はぷん<(#「<」は繰り返し)と怒り、歩いて家に帰り、今度は女房にお前の頭に角が生える とよいと言ふと二本の角が生える。女 ―109― 房が元の通りにして下さいと言つたので最後の望みをかけ四つとも望みは失つてしまつた。庄屋は それから段々と家運が衰へたが、一方正直な爺と婆の家は金持になつたと言ふ話である。 これは新趣向の面白い話であるが、説教僧が改作したものであらう。主人公を貧しい爺と婆 にして正直者だとし、富んだ庄屋は欲深い者として対立してゐる点は明白に隣の爺型の説話と は無関係で無い事を証明してゐる。『昔話採集手帖』三九番宝手拭の話がこれに近い。 七二 みみずの縁談話 みみずが嫁を貰はうと思つてゐるとある人が蛙を貰つたらとすすめた。蛙はバクチウツ<(# 「<」は繰り返し)と鳴くので嫌ひだと言ひ、百足を貰はうと言ふ。何故かと聞くと、百足はおあ し(「あし」に傍点)が多いから金持だと言つた。 七三 てんの浄瑠璃語り 牛と馬と鼠が聞きに行き「てん<(#「<」は繰り返し)」と語り始めると、牛は「もういのう< (#「<」は繰り返し)」、馬は「ひんが暮れる<(#「<」は繰り返し)」と言へば、鼠はまあ「お ききのきー」と言つた。 ―110― 七四 正直小判 説経僧の新作と思はれる。「大歳の火」に似かよつた点があるのみ。略す。 七五 嫁と姑 仲の悪い嫁と姑が仲好くなつた言ふ話。説教師の新作。 七六 話千両 今日の事はその日に必ずせよと言ふ話を買つて帰り、稲の穂をその日の内に家の中へとりこんだ が夜大嵐となり幸ひ稲は無事だつたと言ふ話。 話千両の昔話を説経僧か家庭が加工改作したもの。 ―111― 七七 鬼の橋 村の橋に鬼が出るので三吉が馬に乗つて退治に行く。油を三石三斗三升三合買ひ、馬の尻から尻 尾にかけて行く。橋の上まで来ると若い女がゐるので逃げようとすると、鬼の姿になつて馬の尻に とびつき、油の為にすべつて鬼は倒れる。三吉は無事帰つたが、それから後に三吉の家では戸がひ とりでに動いたり鳴つたりする。占者に見て貰ふと三日の間は物忌みをせよと言はれる。三日目の 晩に鬼は三吉の弟に化けて来て、三吉の首を食ひ切つてしまつた。(話者 伝承者は多度津町の者) この話は昔話とは言はれないが不思議なものである。油を塗る条は珍しい趣向である。この 話を書いた子の祖母であるが、藤袋の乙女の話を知つてゐると言ふ。あるひは近世の草紙の中 にあるのだらうか。 七八 ごーへい鳥 周章者(ルビ あわてもの)の五郎兵衛爺が大根を風呂敷に包んで村境まで来ると、頭の上の松の 樹の高い所から「ゴーヘイテレツクテーコ」と叫ぶ声がする。爺さんには「ゴロベエ、フロシキ デーコン」と聞えたのでこの山の天狗が風呂敷の中に大根を包んであるのを知つてゐて、俺に置い て行けと言つたのだと ―112― 思ひ蒼くなつて逃げて帰る。天狗では無くごーへい鳥だと言ふ。ごーへい鳥とは梟だとも言つてゐ る。 昔話とは言ひ難い話であるが各地に行はれてゐる。 七九 福の神の逃げる話 村に二軒の家があり、一軒は一家揃つて仲好く働き金持であるが、隣の家は貧しくて仲が悪い。 仲のよい方の家では元旦になるとその家の子供を福の神にして、朝暗く戸口から中へ入ると主人が 福の神様どうぞお入り下さいと言つて子供をとほしお祝をする。それを知つた隣の仲の悪い家でも 子供を元旦に福の神にして家へ入つて来させようと思つてゐる。ところが怠け者なので元旦の日に も朝寝をしたので主人は皆を起し、子供もゆり動かされたのでびつくりして外へ出ようとすると、 主人はまう外から入つて来たのかと思ひ、どなたで御座居ますかと言へば子供は福だ<(#「<」 は繰り返し)と唱へる。どうぞお入り下さいと言へば、今出て行く所だと言つたので矢張り福の神 を迎へる事が出来なかつたと言ふ話。 この話は「醒睡笑」にもある古い口合ひの一つである。純粋の昔話とは違ふ。 ―113― 八〇 魔の池 昔、ある山奥に魔の池があり、若い男がそこを通り掛つて綺麗な娘に会ふ。娘の事が忘れられな くなつて来て、毎日通ひ娘の家へ行く。一月余りたつて息子が気抜けしてゐるのでその母が心配し て聞き、魔の池の魔の者に違ひないから体に針を立てよと教へる。息子は翌日出掛けて行き娘の体 に針をたてると、夜が明けて見ると血が一面に出て魔の池まで続いてゐる。家へ帰つて来てから息 子は死んで仕舞ふ。魔の池の魔物も池の中で蛇を七匹生んで死に、魔の池は七つに割れて蛇はそれ ぞれの池へ入つたと言ふ。 これは伝説が説話化したもの。蛇聟入の昔話と無関係であるとは言へない。昔話と伝説の移 行とか交錯を考へる事が出来る。 八一 年自慢 浦島太郎と東方朔と桃太郎小太郎が集つて話をしてゐると、村の七億婆が来て、やれ若い者が集 ―114― つて話をしてゐることよと言つたと言ふ話。 この話は軽口噺。江戸、上方から入つて来たもの。 八二 消えた僧 坊主が隣村の法事に出掛け、うどんを食べ過ぎたので来る途中巨蟒(ルビ うはばみ)が食べてゐ た草を食べると溶けてしまつてゐなくなつたと言ふ話。 支那にもある人なし草の話。落語にもあるが、矢張り各地で昔話と混同して話されてゐる。 八三 首の抜きかへ 殿様が鷹狩に行く。向ふから鳶が飛んで来てお籠の上に糞をしかけた。家来の者がお籠の取り換 へと言つたのですぐ綺麗なお籠と取り換へた。今度は狩場でまたまた鳶が来て糞を草履の上にしか けた。家来の者は草履の取り換へをした。今度は鳶は着物に糞をしかけそれも取り換へた。今度は ―115― 殿様の頭の上へ糞をしたので家来の者は首の抜き換へをして別の首をさし入れたさうである。 この話は各地にあり江戸の話し家の製作だらうと思はれる。近くの例では『昔話研究』二巻 に美馬郡祖谷山の話がある。 八四 円座の泥棒 ある晩盗人が円座の酒屋の壁を掘つて穴をあけ杓を突込んで人間の頭の通り動かして見た。誰も 気が付いてゐないらしいので今度は真実の自分の頭を中へ入れた。酒屋の主人は盗人が来てゐるの を初めから知つてゐたので芋のずいきで盗人の首をしばいた(たたいた)。ずいきが冷たかつたの で盗人は首を切られたものと思ひ気絶して仕舞ふ。酒屋の主人は盗人が死んだものと思ひ、これは 只事ではないと菰に包んで河原へ埋めて来た。丁度雨が降つて盗人は正気づき、自分は娑婆(ルビ しゃば)で悪い事をしたから塞の河原へ迷うて来たのかと思ひ遥か向ふで念仏の声が聞えて来るの で、仏生山のお寺の念仏の声とは知らずそれをたよりに歩いて行つた。途中に蓮の生えた池があつ たので蓮の上に浮んで仏にならうと葉へ上らうとするがなかなか上れない。矢張り自分は仏様にな れないものと思ひ念仏の方へ歩いて行く。坊さんが沢山お経を唱へてゐたが、丁度念仏の交代の坊 さんが来たので、 ―116― 自分は娑婆で悪い事をして来たので浮ばれなくて困る。どうぞ助けて下さいと頼む。ここは娑婆だ と言つても本気にせずその男は一生を寺の掃き掃除をして毎日毎日念仏を唱へながら送つた。 (話者は丸亀市在住の者) ラムブシニツト系の民間説話であるが笑話化してゐる。これは余程巧妙な説経師の工作の如 くに見られる。