西讃岐昔話集(123K)

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底本の書名    西讃岐昔話集
 底本の編集者名 武田明
 底本の発行者  福家惣衛
 底本の発行日  昭和十六年六月十五日
入力者名     松本濱一
校正者名     後藤智子
入力に関する注記
	文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を
   付した。

登録日   2002年6月11日
      

西讃岐昔話集
(#挿絵が入る)取っ手のついた花瓶
香川縣立丸亀髙等女學校版
武田 明編
西讃岐昔話集
丸亀高女版

―1―

序  文
本校に於ては教育の基礎を鄕土教育に置き、從つて鄕土研究に力を注ぎ幾多の鄕土調査と鄕土編纂物とを物してこれを生徒の教育上に利用した。讃岐女子鄕土讀本の如き其の一例である。而して鄕土研究は最初鄕土地理、鄕土歴史、鄕土博物、鄕土文學、鄕土民情調査から進んで鄕土民俗にまで進んだものである。民俗學的調査の必要を痛感して此の方面へ幾多の開拓をした。民間傳承として價値ありと思惟せらるゝものは順次調査して其の都度發表した。民俗育兒資料、兒童語彙、農事慣習、動植物に關するもの、迷信に關するもの、冠婚葬祭に關するもの、民間治療に關するもの、方言に關するもの、月經に關するもの、年中行事に關するもの、民謠俚諺等に關するもの等である。而して今回茲に『昔話』に關するものを聚集して發表するに至つたのである。
此の『昔話』は斯道の熱心なる研究家にして且斯界の泰斗柳田國男先生の直弟、本校教

―2―

諭武田明氏が専ら其の衝に當り、本校生徒をして採集せしめ、之れを一々研究討議して成案を作り、恩師柳田國男先生の嚴密なる校閲を仰いで其の結果を茲に公表するに至つたものである。
以上本書刊行の趣旨を大略話したが、『昔話』其の物に就き一應其の性質を解明したいものと思ふ。
抑『昔話』とは何か。これはお伽噺や童話と同じ意味に使はれてゐる場合が多いが、お伽噺が本來伽の夜に語られ、童話が兒童を相手とする話である限り、『昔話』の總てが童話でもなくまたお伽噺でもない。また『昔話』は字義通りに古い話とか昔の話と云ふ意味でもない。民俗學では『神話をその本源とする空想的な不思議な事件を内容とする短い物語である』と解する。その内容とする事件は實際には起らなかつた事柄であり、また起り得ないことである。即ち『昔話』に現はれる事件は悉くが色彩に富む空想である。而して『昔話』は民間傳承であり民間文藝ではあるが、特定の人の創作ではなく自然發生的のものである。この意味で『昔話』は自然文藝と呼ばれる。謂はゞ遠き過去に於て自然に發生

―3―

し、しかも常民の長い傳承的な空想によつて培はれ、一つの形にまで構成された物語である。『昔話』は普通『ムカシ』又は『ムガシコ』と云ひ、『昔話』をすることを『ムカシカタル』と云ひ、語るは参加を意味し、話を語るも本來は多數人の参加、知識の共同であり、即ち人の寄合ふことが『ハナシ』の起原である。
『昔話』の形式は、冒頭に「むかし」とか「昔々」とか「昔々その昔」とか「昔々ある處に爺と婆とがありました」と云ふ句で始められるを例とする。さうして此の形式は古典文學に於いても伊勢物語は「昔男ありけり」で始まり、今昔物語は「今は昔」で始まり、宇治拾遺物語は處々に「これは今も昔」といってゐる。即ち冒頭の形式が『昔話』の名稱の起原である。
次に結末の句に、青森では「とつぱれ」、「とつちぱれ」、「これでどんとはらひ」と云ひ、甲斐では「これもそれつきり」と云ひ、信州では「そればつかり」と云ひ、肥前でもこれが行はれ、伯耆米子では「昔こつぽり」と云ひ、我が讃岐では三豊郡志々島の例が「もうなし、しゃん<(#「<」は繰り返し)」と云ひ、或ひは「さうぢや相な候へばく<(#「<」は繰り返し)」と云ふ。其の

―4―

意味はこれで終りと云ふこと。即ち話の完了を意味する。『昔話』は本來幸福者の成功を語るものであるから主人公の事業の完成を告げる言葉がそれである。
次の特徴は話法である。その莊重なる部分は「とさ」とか「げな」とか「あつたげな」とか「あつたさうな」とかの間接叙法である。
『昔話』は何の爲に集めるか。これには二つの事が考へられる。一は國内の『昔話』を整理し研究することゝ、いま一つは國際的な比較研究である。即ち『昔話』發生の時と場所、移動の方向を追及しようとする發生學的研究から文化移動の問題に至るまでにつき、一國に於ける變化發展の研究と、國際的の比較研究による類似、移動の方向を知ることである。
歐州では『昔話』の科學的研究は十九世紀の初頭獨逸の『グリム』に始まり、次で英のコックス女史が我が糠福米福系統の「シンデレラ」を研究したのが著しい。我が國に於ける研究の歴史は柳田先生によつて開拓されたもので最近に於ける採集の隆盛は著しいものがある。

―5―

『昔話』研究の目的は、一つは昔話自體の構造、變化、類型、更に藝術的構成を明確にする仕方であり、他は更に一歩を進めて昔話の信仰的乃至社會的背景を追求しようとする方法である。前者は文學的研究態度であり、後者は民俗學的研究態度である。而して民俗學の意圖する所は、昔話を通じて國民の母胎たる常民の社會觀人生觀を把握するにある。
我が國の昔話は古きは千年又はそれ以前のものもある。この長期に亘る口から耳へ傳授されて今尚生命を持つてゐるものには、國民的な信仰は勿論、物の考へ方、物の觀方に就き民俗的な特徴を知ることが出來る。
昔話を採集するには精密であり、正確であり、且多方面の同志者の協力により廣く多く採集することが肝要である。而して先づ最初我が鄕土の採集が大切である。而して次に廣く他地方に及ぼして比較研究することである。
更に採集手帖により從來調査の及ばぬ未調査地方につき同一方法で採取をなし、更に一郡一縣を單位として系統的に採集することが大切である。又一地域にいかなる話が傳承されてゐるかを知り、更に個々の話が村によつて如何に變化してゐるかを細かな點にまで立

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入つて調査することである。更に村を單位として昔話を中心として、特に昔話と關係の深い民間文藝、殊に傳説或は他の民間傳承と並行して採集する方法もある。
以上昔話に就いて我が國斯道の大家の意見を述べ以て本書を見る人の参考に供した次第である。
最後に本書編纂出版に當り多大なる御盡力を賜つた柳田國男先生及び編纂當務者たる武田明氏の御努力に對し深甚なる感謝の意を表すると共に、本縣下より民俗學研究者の輩出せんことを希求して息まざる次第である。

昭和十六年五月一日蓬莱城下に於て
興亞奉公日の勤勞と增産に當りつゝ

香川縣立丸龜高等女學校長  福 家 惣 衛 識 す

―7―
序  言
一、昭和十四年度夏季休暇に於ける香川縣立丸龜高等女學校生徒の採集記録である。
一、採集地は丸龜市を中心とし仲多度、綾歌、三豊の各郡に及んでゐるが比較的遠隔の土地は其の地   名を記載した。
一、題名の下の記名は採集者である。素朴な傳承者は判つてゐる限り氏名を記載した。今後の採集を  期し度いからである。
一、前後二篇に分けたが後篇は純粋の民間説話ならざるものである。説經僧の新作らしいものが最も  數多く昔話の新加工、傳説の昔話化したもの等を含んで居る。しかし是とても説話外廓の研究に  は大事な資料であるからである。
一、記述の様式は甲乙丙の各式を使用した。柳田先生の御教示を最も多く頂いたのであるが、編者の  獨斷で記述を誤つたものがあるかも知れぬ。

―8―

一、本集を編むに當つて資料の鑑定と取捨について寄せられた柳田國男先生及び關敬吾氏の絶大なる  御教示に對し厚く御禮を申上げる。尚此集に對し深い御理解を示され終始編者を激勵下さつた校  長福家惣衛先生並に本校教職員の方々に對し厚く感謝の意を表する。表紙は溝上軍二教諭の手を  煩した厚く御禮を申述べる。當時四年生徒金倉千鶴子、山本瑠璃子、脇一恵、高木淸子には本集  の整理について幾分の助力を煩はした。
併せて感謝の意を表する。

昭和十六年五月十日

武  田   明
目  次

序 文                       福 家 惣 衛

序 言                        武 田   明

前 編
一 桃太郞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一
二 瓜子姫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二
三 子育幽靈・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三
四 一寸法師・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五
五 寢太郞聟入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六
六 嫁の輿に牛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六
七 山田白瀧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七
八 天人女房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八
九 鶴女房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一
一〇 蛤女房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一二
一一 蛇女房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一三
一二 蛇聟入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四
一三 猿聟入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七
一四 お月お星・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二〇
一五 繼子と苗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二二
一六 皿々山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二四
一七 繼子の椎拾ひ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二六
一八 手無娘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二七
一九 取付く引付く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三〇
二〇 鳶長者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一
二一 炭燒長者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三二
二二 ものを言ふ龜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三四
二三 味噌買橋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三五
二四 笠地藏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六
二五 地藏と酒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八
二六 黄金の餅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三九
二七 黄金を生(#底本では「産」)む黑猫・・・・・・・・・・・・四〇
二八 聽耳の玉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四一
二九 舌切雀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四二
三〇 見るなの座敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四三
三一 七福神の夢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四四
三二 猫壇家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四六
三三 鼠の淨土・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四八
三四 地藏淨土・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五二
三五 猿地藏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五四
三六 鎌倉海老・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五六
三七 竹の子童子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七
三八 牛方山姥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五八
三九 天道さん金の鎖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六二
四〇 口無し女房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六四
四一 山寺の恠・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六八
四二 一つ目小僧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七〇
四三 金の茄子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七〇
四四 仁王の力競べ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七一
四五 慢心は怪我のもと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七二
四六 蟻の目に團栗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七三
四七 運定め話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四
四八 親捨山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四
四九 山伏と狐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七六
五〇 うそつき小僧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七
五一 二反の白木綿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八
五二 尼裁判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八
五三 旅學問・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七九
五四 愚か村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八〇
五五 愚か聟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一
五六 ぐつとしんの話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八二
五七 雨降れ蛙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八三
五八 鳶不孝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八四
五九 尻尾の釣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八四
六〇 弟子戀し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八五
六一 猿蟹合戰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八五
六二 片足脚絆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八七
六三 長い話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九〇
後 編
六四 小判チャリン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九一
六五 稻神さま・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九一
六六 三人片輪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九二
六七 龜の伊勢參宮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九三
六八 橫津の泥棒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九四
六九 眞島のお化け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九五
七〇 名を惜しむ商人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九六
七一 四つの角・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九六
七二 みみずの縁談ばなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九八
七三 てんの淨瑠璃語り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九八
七四 正直小判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九八
七五 嫁と姑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九九
七六 話千兩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九九
七七 鬼の橋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九九
七八 ごーへい鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇〇
七九 福の神の逃げる話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇一
八〇 魔の池・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇一
八一 年自慢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇二
八二 消えた僧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇二
八三 首のぬきかへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇三
八四 圓座の泥棒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇三

目  次 終

―1―

前編

一、桃太郎           (岩崎保子)

桃から生れる奇瑞の誕生の條は無い。桃太郎は爺と婆と三人一緒に住んでゐる。或日の事桃太郎は近所の友達と山へ芝刈りに行く約束をした。二三日して友達が誘ひに來て「桃太郎さん<(#「<」は繰り返し)山へ芝刈りに行きませんか」と言ふと桃太郎は「今日は草鞋の作りかけしよるけん明日にして呉れ」と言ふ。翌日になつて友達が「桃太郎さん<(#「<」は繰り返し)山へ芝刈りに行かんか」と言ふと「今日は草鞋のひきそを引つきよるけん明日にして呉れ」又翌日になつて友達が行くと「今日は草鞋の緒をたてよるけん明日にして呉れ」翌日になつて誘ひに行くと「今度はさあ行かうと連立つて二人で山へ登つた。友達は一生懸命に芝を刈るが桃太郎は一本の大木に凭れて晝寢ばかりしてゐる。友達は一荷こしらへたので歸らうとすると桃太郎は凭れてゐた大木を拔いて家に還つて來る。家のおだれ(「おだれ」の傍点)へたて掛けると木が餘りに大きいので家は崩れて仕舞ひ爺と婆は下敷になつて死ぬ。桃太郎は爺と婆を助けようとして家の中を探

―2―

し歩いてゐると大きな盥があつた。それに乘つて川を下つて行くと海の眞中の島に流れ着いた。島では靑鬼と赤鬼が相撲をとつてゐるので見てゐると赤鬼が負けたので「赤鬼ウワハイ」と囃したてると赤鬼は怒つて「赤い豆やるきん黙つとれ」と言つた。今度は靑鬼が負けたので囃すと「靑い豆やるきん黙つとれ」と言つた。今度は見てゐると赤鬼と靑鬼が一緒に轉んだので囃したてると桃太郎にうつてかゝつたので桃太郎は二匹の鬼を束にして海中へ投入れ鬼の住家の寶物を取つて家へ還る。            (話者 三豊郡麻村 農 白川惣三郎)
此の桃太郎は力太郎系の昔話が讃岐にも存在することを證據だてるものであり「寢太郎」も同系の話であることを暗示するものである。尚安藝國昔話集の桃太郎は此話の破片であらうか。

二、瓜子姫           (小林陽子)

存在を知り得たのみである。略に過ぎ特徴が無い。即ち娘の名は他地方と同じく瓜子姫である。あまんじやくは爺と婆が留守の時にやつて來る。瓜子姫機織りの條も無くありまんじやくは瓜子姫を柿取りに誘ひ、行くと藤の蔓で姫を吊し下げたとある。あまんじやくは姫に化けて殿様の處へ行かうとするが柿の木の下まで來るとアーン<(#「<」は繰り返し)と瓜子姫が泣く聲がして化の皮が剥(ルビ は)がれて仕舞つた。瓜子姫

―3―

は御殿に召されて幸福に暮した。此話の結尾は他地方の多くの例ではあまのじやく制裁の條のみ詳しく瓜子姫が幸福になつたことを説くのは極めて少いが此話は其の點は本格説話らしいお終ひになつてゐる。
併したゞ是だけでは此話の分布を吾々は知り得たに過ぎない。瓜子姫はもう二話集つてゐたが國民童話に入つた九州の話に近くあまのじやくの名が無理助となつて居り信用出來ないから割愛した。
(話者は丸龜市在住)

三、子育幽靈

頭白上人地中誕生などと言はれてゐる話であるが今度の採集でも十一話集つた。兒童の讀み本の中にも入つて居ると言ふが確かにそれで無いと信ずるに足るものだけでも五話集つた。中には民俗資料を含んでゐるものもある。地中から生れた子が成長して高僧になつたと語るのは三話で裕界(ルビ 勇海)和尚となつたと言ふのが一話ある。長者の跡取りになつたとか其の子が生れて以來其家は榮えたと語る例が各々一つ宛あるが要するに此話の興味は異常誕生にあつたと見える。二話を代表として簡單に書く。

―4―

イ        (小松田鶴子)
夫婦が仲好く暮して居て二人の間に子供が生れるやうになつてから妻が急死する。夫は悲しみ、出來れば子供を生ませたいと思つて自分のはま下駄をお尻に敷かせて棺の中に入れる。それから後に或菓子屋へ毎晩々々定まつた時刻に一文錢を持ち子供を背負つて飴を買ひに來る女がある。不思議に思つて居ると六日目は泣きながら買ひに來た。跡をつけると寺の中の或墓の前まで來ると姿が消えて仕舞ふ。其の墓の上を拂ひ除けて見ると眞瓶の中で女の死骸が子供を抱いてゐた。其の子は寺の住職がひきとり養つたが後に徳のある立派な僧になる。しかし瓶の側で磨つたので一生涯頭の横の磨つたところには髪が生えなかつたと言ふ。尚臨月の女が死んだ時には夫のはま下駄をお尻に敷かせて葬ると身二つになると言ふのは民俗資料である。    (話者は香川郡佛生山の靑木の婆様とある。)
ロ        (松村美代子)
或長者の嫁が産月に死ぬ。棺桶の中で子供が生れたので幽靈は飴を買つて來て子供を育てゝゐる。少し子供が大きくなつたので夫の枕元へ行き子供の爲に穴返し(「穴返し」に傍点)をして呉れと言ふ。夫は驚いて行き見ると大きな男の子が生れてゐた。其の子を連れて歸り育て長者の跡取りとした。

―5―

四、一寸法師          (重野季子)

五分一は親の言ふことを聞かない小さい子供であつた。親に出て行けと言はれたので家を出て歩いて行くと大きな長者の屋敷がある。
風呂炊きでも何でもいいからと頼んで置いて貰つた。或日お前は何が好きかと尋ねられたのでおちらし(「おちらし」に傍点)が好きだと答へると澤山作つて持つて來てくれた。食べてゐると横にいとさんが寢てゐたので口のわきへおちらし(「おちらし」に傍点)をつけて、「五分一のおちらしをいとさんが食べた」と泣いてゐるといとさんの母が「いとよ<(#「<」は繰り返し) そんなに行儀が惡いのなら今日からお椀とお箸をあげるから出て行け」と言ふ。五分一はいとさんが出て行くのなら私も出て行くと言つて一緒に家出をする。段々歩いて行くと川がありいとさんはお椀に乘つて箸を櫓にして漕いで行くが五分一は小さいから柴の葉に乘つて行く。川の眞中頃に來るとどぶんと落ち込んだが向岸に流れ付いた。向岸では相撲が出來てゐた。五分一は松の木の上で見ながら「あつちが勝つたこつちが勝つた」と囃したててゐると相撲取りが誰がどこで囃してゐるのかとぷん<(#「<」は繰り返し)怒つて來る。五分一は角力取りの鼻の中に飛び込んで仕舞つた。角力取は嚏(ルビ くしゃみ)をしても仲々出て來ないので困つてゐると五分一はお米と倉とお金を呉れたら出ますと言ふ。それならや

―6―

るから出て呉れといつたので嚏をしたら飛び出した。そこで五分一はお米と倉とを貰つていとさんと二人樂しく暮した。   (話者は丸龜市在住の生徒の母)

五、寢太郎聟入          (黒澤久榮)

是は破片であるが此の昔話の讃岐に於ける存在のみは知る事が出來た。無精者の寢太郎が長者の家の娘に縁が無いのを知つて長者の庭の松の木に昇り「我は出雲の神ぢやが此家の娘の聟は村の寢太郎より他には無い」と言ふ。長者は神様のお告と信じて寢太郎を聟に貰つた。寢太郎は大いに出世をした。
寢太郎が大木に上つて神のお告を言ふ時に豊前築上郡の如く野鳩に鈴をつけたり、沖繩の唯老説傳の如く爆竹の火をあげる條は四國では三好郡の例に火をつけた白鷺を飛ばすとあるが此點も殘念なことに脱落してゐる。                              (話者は三豊郡莊内村大濱の黒澤きぬ【七十四】)

六、嫁の輿に牛          (田村靜子)

長者の娘の嫁入の輿をかつぐ者が途中で酒屋の前へ行くと酒が欲しくてたまらず酒屋の横へ輿を置

―7―

き中へ入つて酒を飲む。其處へ子牛を引いた男が通り掛り輿の中の娘を連出し代りに子牛を入れて置く。酒を飲んでゐた男はそれを知らず輿を聟の家へかつぎ込むと輿の中から牛が出て來た。びん(「びん」に傍点)かと思うたらぼう(「ぼう」に傍点)だつた」と言ふ話。
後段は小話になり切つて仕舞つてゐる。

七、山田白瀧           (大川美恵子)

三人の召使ひの望み事。もくぞうは長者の娘を嫁に欲しいと言ひ歌ひ競べをする。娘が
天 よ り 高 う 咲 く 花 に
思 ひ か け る な 杢 藏 よ
と詠むと今度はもくぞうが
天 よ り 高 う 咲 く 花 も
落 ち ら も く ぞ の 下 と な る
と歌ひ娘は負けて杢藏の嫁となつた。
参照採集手帖八番。               (話者は仲多度郡善通寺町の母とある。)

―8―

八、天人女房

此の昔話は東北では笛吹聟の型となつて居るが、國の西から南にかけては七夕系の話として弘く分布してゐる。今度の採集でも三話集つたが第一話は純粹に七夕系のものである。第二第三も恐らくは七夕系であるか七夕の事には觸れてゐない。三話共に乙式によつた。
イ        (鹽田千鶴子)
昔淺草の觀音様の廊下へ十七人の天人が降りて來て舞を舞つてゐた。山で木を刈つて來た木樵が通りかゝつてあまり美しいのに驚いて天人に気付かれないやうに縁の下へ入つて隙間から見てゐた。天人は羽衣を脱いでゐたので木樵は其の中の一枚を取つて懷へ入れる。
舞が終つたので天人はそれゞ羽衣を着たが一人は羽衣がないので天へ歸る事が出來ぬ。
十六人の天人は天から下りて來た紫の雲に乘つて昇天する。殘された天人が泣いてゐると木樵は縁の下から出て來て泣く譯を尋ね色々と慰めて自分の家へ連れて歸る。やがて二人は夫婦となり一年餘りたつと女の子が生れる。天人は生れる子の爲に町へ着物を買ひに出た。其の留守の間に木樵はあの

―9―

羽衣はどんなになつてゐるかと思ひ秘密にしてしまつた行季の中をあけて見る。羽衣は色があせてゐるが矢張美しいので手に取つて眺めてゐると子供が來て其れは誰のかと尋ねる。お前のだが母親に云つてはならぬと云ふ。しばらくして町から天人が着物を買つて來て子供に見せるとそんな汚い着物よりもつと綺麗な着物があると言ひ乍ら例の羽衣を持つて來る。天人はそれを見て喜び女の子を連れてすぐに天へ昇る。木樵は山から歸つて見ると二人の姿は見えず書き置きの手紙があるので讀むと自分等は天に昇つたから貴方も左に書いてある歌をよんで後から天へ來るやうにと書いてあつた。(其の歌はどんな歌か落ちてゐる)木樵が歌をよむと紫の雲が下りて來たので其れに乘つて天へ昇る。餘り廣いのでうろ<(#「<」は繰り返し)してゐると天人と子供は高い二階の上で機を織つてゐる。そこで三人一緒に暮す事になる。遊んでばかりゐてはいけないと思ひ天の川の向ふのなし瓜の番をする事になる。天人がお辨當を持つて行く途中木樵は餘りお腹が空いたので「なし瓜をちぎつても良いか」と聞くと天人はお辨當を持つて來たのかと聞かれたと思ひ「はい」と返事をした。そこで木樵はなし瓜をちぎり天の川には大水が出る。天人は向岸へ渡る事も出來ず其後二人は七月七日の晩だけ天の川の水が干くので逢ふ事が出來る相である。
(傳承者は仲多度郡白方村の鹽田つた【七十】)
此の昔話では發端に淺草の觀音様が出て來ることを注意したい。讃岐に於ける七夕話は三豊郡志々島の採集記録が「昔話研究」にある。

―10―

ロ        (斎田フミ子)
此話は朝鮮童話集五十五頁に極めて近い。
昔木樵が山中で木を切つてゐると鹿が走つて來て獵師に追はれてゐるから木の切株へ隱して呉れと言つた。木樵は鹿を隱して木を伐つてゐると獵師がやつて來て鹿を知らぬかと言つたのでそんなものは向ふの坂へ走つて行つたと言ふ。獵師は坂の方へ行く。鹿は木の蔭から出て來て命拾ひをした禮を述べよい事を教へると言ひ、これから少し行くと池があるがそこでは天女が羽衣をかけてあるから一枚隱して置けそうすると天女を嫁にする事が出來る。しかし天女に子供が二人以上生れるまでは羽衣を見せてはならぬと教へた。木樵は教へられた通りに池へ行くと鹿の言ふ通りであつた。一枚の羽衣を隱して見てゐると多くの天女は水浴びがすんで天へ歸つたが一人は羽衣が無いので泣いてゐる。木樵は其天女を連れて歸り夫婦となる。子供が二人出來たが木樵は鹿の言つた事を忘れて羽衣を箪笥から出して天女に見せてやる。天女は羽衣を着、子供二人をかゝへて天へ上つて行つた。木樵は家の中で泣いてゐると再び前の鹿があらはれて言ふのにはあれから天女達は下界へ水を浴びに下りて來ないで空から釣瓶を下げて池の水を汲んでゐる。汲み上げた釣瓶の水を全部捨てゝ貴方が入るとよからうと教へる。木樵は言はれた通りにして釣瓶の中へ入つてゐると天女は水かと思つて引き上げた。木樵

―11―

はそれから後は天で天女と一緒に暮す事が出來た。此話末尾は略されたのかも知れぬ。
(話者は仲多度郡琴平町の人)
ハ
芥子の花を見て居る間に羽衣が無くなり天人は天に歸る事が出來ないで困り土地の人と夫婦になつたとある。實は其の人が裏の庭を掘つて瓶に入れ隱したのであつた。其の中に子供が生れ成長して或日庭を掘つてゐると瓶があつた。不思議に思つて家の婆に聞くと母が來て瓶をひらき羽衣をとり出して天へ歸つたと言ふ。              (丸龜市在住の人より話を聞いたとある。)

九、鶴女房          (金子靜香)

羽織の由來となつて破片が一話採集された。山で鶴をうつて來た獵師から近所の獵師が其の鶴を買ひ受け介抱する。鶴は達者になつたので御恩返しに何か作り度いから糸を呉れと言ふ。是から一週間の間は私の室を覗いて呉れるなと謂つたがどうも不思議なので覗くと鶴は自分の羽で機を織つてゐた。鶴はもう自分は姿を見られたから織ることが出來ない。まだ充分出來てゐないが是で何にか作り

―12―

なさいと言つたので羽織に仕立てたと云ふ話。
破片ではあるが鶴女房の分布を知る事が出來る。羽織の由來になつてゐるのは新しいのであらう。                           (丸龜市の婆様より聞いたとある。)

一〇、蛤女房          (佐長英子)

題は蛤汁となつてゐる。破片であるがこれも分布を知る上から言つても大切な資料であることは爭へない。
昔長者に蛤汁を上手にたく女中があつた。蛤汁とは言ふが蛤は一つも入つて居らない。しかし舌が落ちる程美味しいので或人が不思議に思ふて見ると女中は鍋の中へ小用を足してゐるのであつた。皆の者はそれを聞いて驚き蛤汁に實がない事も始めてわかつたと言つた相である。
餘りにも略に過ぎ蛤報恩の條が無いので是だけでは蛤女房とは言ひ難いほどである。
(話者三豊郡麻村の老人とある。)

―13―

一一、蛇女房

三話集つたが破片ばかりである。他日の採集を期したい。
イ         (秋山幸子)
蛇を助けた事がある山里の木樵の家へ人間に化けて嫁に行く。良く働くので喜ばれるが或日木樵が仕事の都合で早く歸ると大蛇の姿になつて子供に乳を呑ませてゐたとある。そこで木樵は女房が大蛇であつた事に氣がつく。女房は目玉をくりぬいて置きこれを子供に嘗めさせるがよいと言つて出て行く。
ロ         (眞鍋スミ)
或る貧しい男が嫁を貰ふ。其の嫁が來てからは米櫃の中には何時も米が滿ちてゐる。子供が出來ることゝなり嫁は男に産がすむまでは覗いて呉れるなと言ふ。男がこつそり覗くと座敷の中に大蛇がうづくまつてゐた。そこで嫁は自分はもう正體を見られたから居る譯にはいかぬと言ひ子供の爲に眼玉

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をくり抜いて山へ歸る。
ハ         (安藤幹子)
蛇の目傘の由來譚となつてゐる。蛇の命を助(底本は「命」となっている)けた武士の家へ嫁が來るが子供を産む時に覗いて見ると大蛇であつた。正體を見られたからと言ひ去つて歸る途中眼玉を呉れる。其の蛇の目から蛇の目傘と云ふものが起つたのだと云ふ。新しいものであらうが載せた。

一二、蛇聟入

四話採集された。其の中の一話は蟹萬寺の縁起譚となつて居る極く普通の型である。他の三話を載せる。
イ         (若林貞枝)
片田舎に一人の爺と三人の娘が住んでゐる。
爺が自分の田へ水を入れに行くと川向ふでは一匹の蛙が蛇に呑まれようとしてゐる。爺は蛙を助け

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てやる。翌日になつて爺が田へ行くと田へ水を入れる桶が無い。村の子供が惡戯をしたのかと思つて見ると足元から一間先位の所に轉がつてゐる。爺は桶を拾つて田に掛け家に歸る。翌日行つて行るとまた桶が無くなつてゐる。如何したのかと思つてゐると一人の背の高い男が出て來て桶を外さうとする。
そこで爺が怒ると儂は先日の蛇だ。蛙を助けた仇に邪魔するのだがお前の娘を一人寄越せと言ふ。爺は家へ歸り心配でたまらぬので床の中で寢てゐる。三人の娘が見舞ひに行くと蛇の處へ嫁に行つて呉れと頼む。姉二人は不承知だが妹娘は行くことになる。疊切りの刄物を用意して待つて居ると蛇が若者の姿になつて迎へに來たので一緒に出掛ける。娘は若者に刄物を持たせる。しばらく行くと大きな河がある。蛇は大層困つて蛇の姿なら譯は無いが若者の姿ではとても渡れないと言つてゐたが、刄物を口にくはへて河を跳び其の拍子に水の中へ落ち沈む。娘は一生懸命に逃げて一軒の大きい白壁の家に入り下男に助けて貰つた。下男は主人に事情を告げ娘を奥へ通した。其の時蛇の男が追ひ掛けて來たが下男はそんな者は知らないと言ひ遠い道を教へる。
娘は其の家の息子の嫁となり幸せに暮せる身となる。其の下男は爺が助けた蛙であつたと言ふ事である。
此話惜しい事に姥皮の條が落ちてゐる。所謂蛙の報恩型である。(話者は仲多度郡多度津町在住)

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ロ         (前田晴代)
爺が田を耕してゐると沼の中から美しい侍が出て來る。三人の娘の中で一人を呉れなければ此村に大水を出すと言ふので爺は心配して家へ戻つて來る。氣にかゝるので酒も飲まず靑い顔をして寢てゐると三人の娘が如何したのかと聞きに來るので爺は涙を流して沼の侍の處へ嫁に行つて呉れと頼む。姉二人は嫌がるが末娘は行くことゝなり千本の針を縫ひこんだ着物を作つて貰ふ。間もなく武士が迎へに來たので其の着物を着せて出掛ける。しかし武士は着物の針に刺されて死んで仕舞ふ。そこで無事に娘は歸る。
是も終りが甚だ心許ない。しかし話の型がくづれ落ちる傾向がわかるやうな氣がする。
ハ         (横田ます子)
此話は所謂三輪山式である。傳説化してゐるが簡單に載せる事にした。
昔かうばる村(村名不詳、少くとも讃岐には現在はかゝる村名は無い)に大きな屋敷があり美しい娘が住んでゐる。毎夜若衆が通つて來るので母に相談して白い糸をつけた針を袴に刺す。翌朝になつて白糸をたどつて行くと山の洞穴の中へまで續いてゐる。姫が行つて見ると中では大きい蛇がゐる。

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姫が刺した針が喉笛にたつて苦しんで居り自分は實は若衆の姿をして通つたがもう命がない。こゝに三つの箱があるがそれをあげるから百日置いて開けると貴方は幸福になると言つて死んで仕舞ふ。娘はその箱を持つて歸る。其箱を置いて寢ると箱の中で大きな音がするので不思議に思ひ開けたくて仕様がないので百日目を待ち切れず九十日目に開けると中から美しい男の子が出て來る。
三人の男の子は背中に鱗がついてゐる。其後三人の男の子の血統は顔は非常に美しいが背中には鱗がついてゐたと言ふ。
大神氏の祖先を語る傳説である。四國では阿波及び土佐の山村で緒方氏の祖先の話となつて弘く流布してゐる。此話後半は稍童話的傾向を帯びてゐる。          (話者は丸龜市在住)

一三、猿聟入

破片を加へて五話採集されたが内容は何れもよく似通つてゐる。二話を選んで書き殘す事にした。
イ         (合田花子)
猿が田を荒して困るので爺が何故かと聞けば三人娘の一人を呉れると是から後は悪い事はしないと

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言ふ。爺はそれならわれの娘を一人やるから貰ひに來いと言つて家へ歸つて來た。しかしそれが苦になつて佛様の前で一人泣いてゐる。姉の娘が來て何故泣くのかと尋ねると猿との約束を話して是非猿の處へ行つて呉れと頼む。姉は嫌だと答へて向ふへ行つた。今度は次の娘が爺の處へ來て何故泣くのかと譯を尋ねるので猿の處へ行つて呉れと頼むと是も嫌だと言つて向ふへ行く。今度は三番目の娘が來て泣く譯を尋ねそんな事は心配ない。私が嫁に行きませうその代りに大きな臼と扇子が欲しいと言ふ。爺はそこで臼と扇子を揃へてやり別れの水盃をする。翌日が來て眞白の白裝束で待つてゐると猿は若者の姿で迎へに來る。村の人に見送られて出掛けて行く。娘は臼を猿に背負はせこれは私の大事な道具だからと言つて用意してゐた荒繩で背中にくゝりつける。そうして自分は扇子を持つて一緒に山の中へ歩いて行く。ごう<(#「<」は繰り返し)と流れる谷川の崖の上へ來ると娘は其の扇子を川の中へ投げこみ「あれは大切な父親の形見だから取つて來て呉れと言ふ。そこで猿は水の中へ飛びこみ背の臼の中へ水が一杯入つて沈んで仕舞ふ。娘は山を下りて里へ歸ると村の人々は大層喜んで呉れる。此事が庄屋の耳に入り娘は庄屋の嫁となつて幸せに暮した。
人身御供の系統の話を想ひ起さしむ。
(話者は仲多度郡榎井村の人)

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ロ         (向井美智子)
仲多度郡廣島村での採集であるが出て來るのは狒猿で畑を耕す爺を手傳ひ代りに娘を嫁に呉れと言ふ。姉娘二人は行かず妹娘のおもよが行く事となり水瓶と扇子を狒猿に持つて來るやうに言つた。翌日狒猿は大きな水瓶と扇子を町で買つて來た。おもよは狒猿に瓶を背負はせ自分は扇子を持つて一緒に山へ行く。
途中大きな池の淵へ出たがおもよは扇子を故意に投げ込み狒猿に取つて呉れと云ふ。狒猿は水の中に入り瓶の中に水が入つたのでごぼ<(#「<」は繰り返し)と沈む。其の時狒猿は
わたしやかまんけど おもよが可愛い
と言ひながら沈んで行った。
此話では嫁入道具の臼と扇子を狒猿が持つて來た事が注意される。凡らくは此島の民俗の無意識の傳承であらう。
猿聟入五話の中で臼と扇子になつてゐるのが三話、水瓶と扇子が一話、他の一話は臼と櫻の花になつてゐる。猿が手傳つた仕事の種類は(イ)(ロ)以外の三話では日照り續きの日に田の中へ水を入れたと言ふのが二話、他の一話は大根抜きの手傳ひとある。何れにしても猿と水とのつながりを説

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く條は興味は深い。

一四、お月お星

繼母の實子が腹違ひの姉を庇ふと言ふ美しい姉妹の情のこもつた昔話はお月お星と言ひ、或ひはお銀こ銀、朝日夕日等と言つて各地に分布してゐるが當地方では朝日夕日、お銀こ銀が一話づつ集つた。兩話とも載録する。
イ 朝日夕日         (秋山笑子)
父の留守に母は朝日を殺さうと思ひ人に頼んで泉の中へ投げ込まうとするのを夕日が聞いて朝日に知らせ二人共に連立つて家を出て父を探しに出掛ける。山の山のおんごくに入つて行くと何處からともなくけん<(#「<」は繰り返し)と鳥が飛んで來て「お父さんに手紙出したければ筆が無ければ指で書け墨が無ければ血で書け」と啼いて向ふへ飛んで行つて仕舞つた。朝日は萱で指を切つて血を出し其血でお父さん早く歸つて來るやうにと書いた。さうしてゐる内にまたけん<(#「<」は繰り返し)鳥が來て其の手紙を持つて飛んで行つて仕舞つた。けん<(#「<」は繰り返し)鳥はその手紙を父の所へ持つて行つたので父親は其の手紙を見てびつくりして家

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へ歸ると二人とも居ない。母親は知らないと答へるので「朝日は何處ぢや夕日は何處ぢや」と聲を限りに叫んで歩いた。山の山のおんごくの中で「朝日は何處ぢや夕日は何處ぢや」と言ふ聲が聞えて來たので聲の方へ近付いて行くと二人に出會つた。三人は手を取り合つて喜び家へ歸つて母親を追ひ出し三人仲好く暮した。後にお月もお星も出世をした。(話者 仲多度郡善通寺町生野 秋山こう)
ロ お銀こ銀         (馬場文子)
父の留守に繼母がお銀を殺さうとするがこ銀はお銀を庇ひ寢床に藁人形を置いて身代りとさせる。母は今度こそは殺さうと思つて村の祭の日に駕籠屋に頼んで山の辻で殺させようとする。こ銀はこの事を知りお銀に今度の祭の日には抄豆を持つて行けと教へる。祭の日にお銀もこ銀も揃ひの着物を着て出て行くが途中でお銀こ銀は離れ<(#「<」は繰り返し)になつた。こ銀はお銀は駕籠屋の爲に捕えられたのだらうと思ひ急いで山の峠まで來て見ると抄豆が落ちてゐる。豆の落ちてゐる跡を歩いて行くと姉さんが駕籠屋に捕へられてゐた。どうぞ助けて下されと頼み代りに金を與へる。お銀とこ銀の二人は峠から下りて家へ歸らず父を探しに出掛けた。峠を下りる途中に綺麗な竹が生えてゐる。一人の男が其の竹を買つて笛を作つてゐる。お銀こ銀はその笛吹く人と一緒に歩いて行つた。ある一軒の家の前へ來ると笛が如何したものか「こ銀戀しお銀戀し」と鳴る。不思議に思つて居ると中から父が出て來た。お銀こ

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銀は父に會つて其の後は幸福に暮したと言ふ。     (話者は丸龜市在住)
後段に「繼子と笛」のモチーフが結合してゐるのは「糠福米福」から「繼子の栗拾ひ」が派生して獨立した如く「繼子と笛」の昔話も本來は長い一續きのものであつたことを暗示する。

一五、繼子と笛

今度の採集で數多く集つた話の一つである。
十四話あつたが並べて見ると話が新しくなる順序がよくわかる。父が旅立ちの日に約束した土産物が櫛、鏡であつたり笛、太鼓であるのは稍素朴であるが中には子供の機關銃だとかと言ひ「父さん機關銃はいりません」等と笛が鳴つたと語る例もある。母に無理な難題を出されて困つてゐる處へ來て援助をするのは旅僧となつてゐるのが二話、只の旅人だと説くのは一話であつた。繼子を埋めた跡に生えた竹を笛にして吹いたと謂ふのは虚無僧になつてゐるのが多いが中には笛作師だと云ふのがある。其の竹を掘つて見ると埋められた子の口から生え出てゐるので口割竹と言つたと云ふのがあるが名稱のみ面白いものがある。茲には稍整つてゐるものとして一話載録する。
二人の繼子を殘して父が伊勢参りに行く事となり土産の相談をする。太郎は刀を花子は羽子板を買

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つて來るやうに頼む。父の留守に繼母はどうかして二人の子供を殺さうと思ひ難題を言ふ。其一つは笊で水を風呂に入れよと言ふのであつた。困つてゐるとそこへ旅僧が來て笊に漆を塗るがよいと教へる。石で火を焚けと言はれた時には又旅僧が來て石に油を降りかけよと教へる。風呂がよく沸くと母は風呂のふちへ上ると伊勢の父の姿が見えると僞り二人を風呂の中へ突き落す。そこで二人は燒死んで仕舞つたので川の底に埋めると二本の竹が生えて來た。或日笛作り師が通りかゝつてその竹を欲しいと言つたので笛に作つても東の方へ向いて吹かないのならと言ふ約束で貰つた。笛作り師が或日東の方へ向いて笛を吹くと「お父さんもう刀も羽子板もいりません」と響く。父は伊勢でゐてその笛の音を聞き鄕里に歸るが子供はゐない。そこで繼母が殺したのがわかり繼母はお上の命令で殺されたと言ふ。
繼子と笛の殺された子供二人は復活しないのが普通の型であるが中には父の血をかけてやると埋められて骨になつてゐる子供が助かつたと話すのがある。或ひは父が歸つても子供等がゐないので如何にしたのだらうかと思つてゐると裏の藪に竹が生えてゐる。その竹を切ると切口から血が出てゐる。そこで掘つて見ると始めて我子が繼母の爲に殺されたのがわかつたと語る條もあるがこんな語り方もあつたと見える。

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一六、皿々山

三つ採集されたが二話は殆んど同じ内容の話であり他の一話のみが若干異なつてゐる。
イ         (合田花子 山西照子)
繼母は繼子のおゆきを冬の寒い日に川へ洗濯にやる。本子には毎日綺麗な着物を着せて可愛がつてゐる。おゆきが洗濯をしてゐると殿様が橋の上を通りかゝつて
此 の 谷 に 衣 洗 ふ 娘 が 顔 の 美 し さ
も少し顔が綺麗なら儂の嫁にするものをと歌をお詠みになる。繼娘はこれを聞いて
殿 様 よ つ つ じ 椿 を 御 覧 じ ろ
背 は 低 け れ ど 花 は 咲 き ま す。
と答へた。殿様は橋の上でお聞きになり感心して御殿に召せと言ふ。家來が連れに行くと母は無理に妹娘を差出さうとする。どうも娘の顔が汚ならしいのでもう一人の娘がある筈だと言ひおゆきを連れて來させて二人を召し盆の上の皿に鹽を盛り松を立てゝこれを歌ひ詠めと言ふ。本子は「盆の上に

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皿、皿の上に鹽、鹽の上に松」と詠んだ。今度は繼子のおゆきに詠ませて見ると
盆皿や八皿が嶽に雪降りて
雪を根にして育つ松かな
と詠む。そこで姉娘は殿様に仕へる身となる。
此話は西洋にもある「物洗ふ女」の話に、名高い皿々山の秀歌が結合したものか、何處へ行つても殆んど同じ型のものを採集し得る。参照 昔話採集手帖十九番  (話者は仲多度郡榎井村の人)
ロ           (池内高子)
前段はイに同じ。繼子の名は小福であり此の話では本子の名がおゆきとなつてゐる。
小福が「盆皿や」の歌で殿様の奥方になる時に繼母が怒つて箒を投げつけると小福は
今 ま で は 小 福 <(#「<」は繰り返し)と 言 は れ た が
因 幡 伯 耆 の 國 を 取 り け り
と詠み箒をお駕籠の中に入れて行つて仕舞ふとある。此の末段は新しい改良であり格別面白くもないが九州にも、山口縣、兵庫縣での採集例にも此の末段が附加されてゐるのは何にか隱れたる理由のある事と思はれる。                      (丸龜市の母より聞くとある)

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一七、繼子の椎拾ひ

糠福米福即ちシンデレラ説話の栗拾ひの條から派生して獨立した昔話ではあるまいか。今度の採集では十二話集つた。繼子の栗拾ひとなつてゐるのが八話、椎の實拾ひが三話、松毬拾ひが一話である。面白いのは繼子が行き暮れて宿を求めた家に老婆がゐるのと地藏様がゐるのが前者は七話後者は五話と言ふ風に分布してゐる事である。後者は即ち地藏淨土の昔話の最も興味ある部分である。笑つてはならぬと戒められてゐるが本子は笑つて失敗すると言ふ趣向は二話しか集らなかつた。他は何れも笑ひの條が落ちてゐる。姉が寶物を得たのに妹は鬼に喰はれたと話されてゐる例が矢張り多いが中には妹娘は何も貰はずに歸つて來たので先に姉が歸つた時に長者のお孃様お歸りと啼いた鷄が今度は乞食の娘のお歸りと啼いたとある例もある。こゝには先づ筋のとゝのつてゐるのを簡單に書く事にした。
繼母と姉と妹の三人が住んでゐる。姉は繼娘であり妹は本子である。裏の山に行き袋に松毬を拾つて來いと姉には穴のあいた袋を持たせ妹には穴の無い袋を持たせて出す。姉は日が暮れても一杯にならず妹の袋はすぐ一杯になつたので妹は先に歸る。姉は日が暮れて困つてゐるとお地藏が立つて居る

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ので今夜一晩とめて下さいと頼む。地藏様は夜になると鬼が來るから後の編笠をたゝいてコケコツコウと鷄の啼眞似をするがよい。しかし笑つてはいけないと教へる。夜中になると鬼が來たので娘は言はれた通りにすると鬼はお金を殘して去つて仕舞ふ。姉娘はそのお金を持つて歸る。繼母はもう娘は死んでゐるだらうと喜んでゐると金を持つて歸つたので驚き今度は本子の妹娘に穴のあいた袋を持たせて松毬拾ひにやる。日が暮れて歩いて行くと地藏様が立つて居るので泊めて貰ひ夜中頃に鬼が來たので編笠をたたき鷄の啼眞似はしたが鬼の姿が可笑しいので笑ふと鬼は妹娘を食べて仕舞ふ。
昔話採集手帖二十二番参照

一八、手無娘

三話採集されたが、二つは殆んど共通した内容である。柳田先生は、古來の手無娘を種にして近世風に脚色した語り物があり、それから出て居ると言はれた。即ち昔話そのものでは無いが簡略に書き殘す事にした。他の一話は、脱落が多く繼子話の體裁も備へてゐないのであるが矢張載せて置くことにする。

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イ         (島田テル子 横内美佐子)
お杉は姉娘、お玉は妹娘、或る宿屋の姉妹であつた。姉娘は心が素直で良く働くが繼子であるから母親の氣に入らぬ。大名がお泊りになつた晩妹娘には絹の着物、姉娘には粗末な木綿の着物を着せて殿様のおそばに差し出した。姉娘は殿様のお氣に入つて三日三晩お仕へしてゐた。殿様は參勤交代の爲に江戸へ行かれ江戸へ着けば必ず手紙を出すからそれを樂しみに待てと言つて立去つて仕舞ふ。二三ヶ月して娘が姙つてゐるのを繼母が知り下男に言ひ付けて山へ連れ出して兩手を切り落させて家から追ひ出した。それから二三日後殿様からお手紙があつたのでお杉によく似た筆ざまの人に頼んで僞手紙を出す。一方お杉は身重の體で四國巡禮になつて佛にすがり乍ら歩いて居る。幸ひに子供は安産したが兩手が無いので乳を飲ませることも出來ず困つて居る。殿様は江戸からのお歸りに再び其の宿屋に泊つたがお杉の行方がわからない。繼母はお杉は惡事をしたから棄て子にしたと言ふ。どうぞお玉を貰つて下さるようにと頼むが殿様は仲々お杉が惡事をしたとは信じない。そこで繼母はお杉を殺せばお玉が殿様に召されると考へお杉を殺さうと思ひお杉の行方を探すやうにつけ人をつけた。つけ人が山道でお杉を殺さうとすると私は殺されても良いが子供の命だけは助けて呉れと頼む。しかしつけ人は子供を谷底へ蹴落して仕舞つた。お杉は身も世もあらぬ思ひでこの手があればと歎いてゐる

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と崖下から弘法大師が現はれて俄かに兩手を授けて下さつた。やれ有難い事だと手を合せて喜び旅人の手を借りて松の根にかかつてゐる子供を助け上げた。繼母の方へは丁度其の時弘法大師が現れて兩手を奪つて仕舞ふ。其の上にお玉は病氣で死んだので繼母は巡禮となつて旅に出て行く。お杉は殿様に召されて子供もろとも出世をして榮えた。
お杉お玉の名前からも以前の語り物の名殘りであることが推察し得る。再び其手が生えたといふ奇蹟が弘法大師の弘徳譚となり四國巡禮にお杉が出たといふのは如何にも四國産らしい。それだけに昔話の手無娘とは隔りが大きくなつてゐる。しかし手紙をすり替へる條が形をかへて尚殘つて居るのは興味が深い。
もう一つの話も殆んど内容は同じだが手が生えた奇蹟は日頃信仰する神様の報いだと言ふ事になつてゐる。                 (話者は仲多度郡多度津町の者、及び丸龜市の人)
ロ     (早馬マサ)
兄と妹が住んでゐる。兄に嫁が來たが悪人で妹を海岸へ連れて行き鉈で兩手を切り落して仕舞つた。妹は兩手が無いのに毎日<(#「<」は繰り返し)働かされてゐる。或日殿様がお馬に乘つてお通りになり其の妹の可哀相な姿を御覧になつてお召しになつた。妹娘はよく働くので皆の者から可愛がられる。或日海

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邊を散歩してゐる時に大きな波に魚が濱へ打寄せられてばた<(#「<」は繰り返し)ともがいて苦しんでゐる。娘は氣だてが良いので其魚を助けようとした。魚はお禮を言ひ此の潮水をつけたら手が生えますと言つて海中へ泳いで行つた。娘は言はれた通りすると綺麗な手が生えた。殿様は娘が情深いことを賞でて娘を奥方にされた。
此話は筋が通り難いが原型は繼子話であつたらう。餘程多くの脱落があるのは殘念である。魚報恩のモチーフが結合したのは何故だらうか。今後の採集を期したい。 (話者は丸龜市の人とある)

一九、取付く引付く      (古川 野田)

二話集つたが内容は共通してゐる。
昔正直な木樵が山へ行くと道端の松の木から
取付かうか引付かうか
と言ふ聲がする。木樵は何も惡い事をした覺えはないから怖いことは無いと思つて
取付かば取付け 引付かば引付け
と言つて見た。すると松の木の幹から金銀が出て來て其の木樵の體にくつついた。體中金銀だらけ

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になつたので山へ働きに行けず家へ歸つて身體や着物の金銀をはたいて計つて見ると三斗三升三合の金銀があつた。其の木樵は其日から大金持となる。隣に根性の曲つた木樵があり隣が金持になつたのを見て其の譯を聞き自分も山へ出掛けて行く。松の木の處まで來ると不意に取付かうか引付かうかと言ふ聲がしたので占めたと思ひ
取付かば取付け 引付かば引付け
と言ふ。すると今度は松脂がとび出て來て此の男の身體中に付いた。頭から足まで松脂だらけになつて泣いて歸つた。
もう一つの話し方では良い婆と惡い婆になつてゐる。森の中で大判小判がとんで來たと言ひ惡い方には松脂がとんで來た。家に歸つて燈明の火で見て居る中に松脂に火が付いて燒け死んでしまつたとある。                  (話者は仲多度郡高篠村の 農 古川ヤスとある)

二〇、鳶長者      (向井富美子)

瀬戸内海の島々では昔話の主人公が炮烙賣りになつてゐる例が不思議に多いが恐らくは或時代の説話の運搬者の役目をなしてゐたのではあるまいか。此話はだんぶり長者の一異傳の如く考へられる。
珍しいので詳しく書くと。

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昔或る處に炮烙を賣つて歩く男がゐた。家で草鞋を作つて藁の毛の出てゐる所を手でむしつて除けてゐると親が來て其の毛はむしるなと言ふ。こんな長い毛があると歩いてゐると踏んで轉ぶのにと言つても親は仲々きかないので長い毛のついたまゝの草鞋を履いて炮烙を隣りの村へ賣りに出掛ける。炮烙を頭にかついで山路にかかると案の定長い毛を踏んで轉んで仕舞ひ炮烙まで割つて仕舞つた。是では商賣にならない同じ歸るなら一寢入りをしてやらうと思つてごろりと横になつて寢てゐる。夢に多くの鳶が來て自分の周りをとりまいて其の中に何かある様な格(#底本では「恪」)好をするのでどうしたのかと思つてゐると其の中の一羽が自分の所へ來て指さしをする。暫くして眼が覺めどうも妙な夢を見たものだと思つて見ると自分のゐるすぐ傍の土が盛上つてゐる。そこを掘つて見ると金銀小判が澤山出て來て大金持になつたと言ふ話であるが、だから親の言ふ事には背くなと言ふ教訓がついてゐる。                     (傳承者は仲多度郡廣島 大石角太郎老)

二一、炭燒長者       (向井富美子)

二話採集されたが語り物らしい痕跡がある。一は鹽飽の廣島に傳承されてゐたものであるが主人公の名は「九州豊後の宮内山に藁で髪結た炭燒小五郎」と言ふとあるが、安藝國の賀茂郡の盆踊歌に於

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ても主人公の名は小五郎であり、凡らくは鹽飽の諸島にも炭燒長者の物語が盆踊歌として殘つてゐるのであらう。ざつと梗概を述べると次の如くである。
小五郎は玉田と言ふ人の拾ひ子だが故あつて奥山で炭燒をしてゐる。都の大内大納言の一人娘が良縁が無いので三輪の明神に七日七夜の斷食をしてお籠りをした。滿願の夜にお前の亭主は九州豊後の宮内山に藁で髪結た炭燒小五郎だと教へられる。九州へ下り臼杵の城下で人に尋ねると丁度其の人が炭燒小五郎であつた。それではと言ふ譯で是非嫁に貰つて呉れと頼み一緒に山へ行く。或日女が是でお米を買つて來て下さいと小判を渡した。小五郎は山を下つて町へ行く途中の池で鴛鴦が二羽並んでゐるので小判を鳥に投付けた。小判は池の中へ沈んで仕舞つた。小五郎は買物に行かないで家へ歸ると女はお米は如何したのかと聞く。池の中の鴛鴦へ投げて仕舞つたと云ふと、あれは世に大切な物で金銀から出來てゐると教へる。小五郎はあれが金銀であるならば儂の炭燒場には何ぼでもあると言ふ。二人はそこで宮内山へ登るとあちらの谷もこちらの谷も金銀で埋まつてゐた。小五郎と女はその金銀のお蔭で大金持となり一生を安楽に暮したと言ふ。
もう一つの炭燒長者は主人公の名は小二郎である。押掛けて嫁に來た女は矢張り貴い身分の方の姫君であるが、此方は前の話の様に誰それの娘だとは言つてゐない。小二郎が小判を投げつけるのは池の鴨となつてゐる。姫が歎くとあんなものは炭燒場の隣の山に幾らでも有ると言ひ二人は金持とな

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る。是は丸龜市に於ける採集であつた。何れにしても二話乍ら語り物だつたらしい。

二二、ものを言ふ龜       (大野千鶴子)

參照昔話研究二巻佐賀昔話「ものいふぐうず(「ぐうず」に傍点)う」。隣の爺型になつてゐる。
昔爺と婆があり子供が無いので池の淵で困つた<(#「<」は繰り返し)と話して居ると此処ぢや<(#「<」は繰り返し)と言ふ聲が聞えて來た。あたりを見廻すと一匹の龜が居る。さては此の龜がものを言つたのかと喜んでそれを殿様の御殿へ持つて行き龜にものを言はせて澤山の褒美を頂いて歸つて來る。隣に欲深の爺さんが住んでゐて是非其の龜を貸して呉れと言ひお殿様の所へ持つて行くが龜は一寸もものを言はない。散々殿様からこらしめられて追ひ出されて仕舞つた。欲張り爺は立腹して龜を殺す。一方では亀を何時までも戻して呉れないので聞きにゆくと殺したからと言つて死體だけくれた。それを泣く<(#「<」は繰り返し)持つて歸つて裏の畑へ埋めて置くと立派な雄竹と雌竹が生えて來た。爺が不圖其の竹を振るとお金が澤山降つて來た。それを聞いた欲張り爺も内緒でこつそり竹を振ると上から一杯糞や尿が落ちて來たとは汚い話である。                                              (話者は東讃岐の老人)

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二三、味噌買橋

二話集つたが何れも味噌買橋の名は無い。しかし類型の話である事は疑ひ無い。二話共に傳承者は近所の老人とある。
參照 味噌買橋民間傳承四の五 柳田先生。
イ 京の五條の橋         (中西笑子)
佳作と云ふ貧しい百姓が京の五條の橋の袂に行くと金持になると云ふ夢を見た。早速京へ上つて橋の袂で待つてゐると一人の男が來て一體何をしてゐるのかと聞くので夢の話をする。男は實は私も五日程前に田舎の佳作と云ふ百姓の家の庭に樫の木があり其の木の根元に金が埋めてあると謂ふ夢を見たがそんな馬鹿な筈は無いと思つてゐる。貴方も夢の事などは信じないで早く歸れと言ふ。そこで佳作は大急ぎで歸り樫の木の根元を掘つて見ると古い瓶が出て來た。中からは黄金がざく<(#「<」は繰り返し)と出たので佳作は金持となる。         (話者は丸龜市在住の老人とある)

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ロ               (今田美枝子)
茂作は貧しい百姓であつたが或夜の夢に枕元に白髪の老人が現れて隣村との堺にある橋の所に立つてゐるとよい事があると言はれる。言はれた通り待つてゐると一人の男が來て誰を待つてゐるのかと聞く。實は昨夜夢を見たのだと話してやると其の男は私も又昨晩夢を見た貴方の村のお宮の左の木の根元に黄金があると言はれたがそんな馬鹿な事は無いから今から商賣に出掛けて行くのだと言ふ。茂作は喜んでお宮へ行き左の木の根元を掘ると澤山の黄金が出たので大金持になつた。         (傳承者は仲多度郡垂水村 藤田佐次郎老)

二四、笠地藏

二つ採集せられた。大體に話は共通してゐるが簡單に載録した。
イ               (鈴木和子)
昔正直な老人夫婦があつた。爺が大雪の日に白木綿の商ひに行くと途中の辻にお地藏様が雪で眞白

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になつてゐる。「まあ<(#「<」は繰り返し)寒いのにお氣の毒だな」と言つて持つて居た白木綿を地藏様の體にまきつけて頭には自分のさして居た笠をお着せ申して商ひには行かずに歸つて來る。婆に此話をすると婆も情深い人なので善い事をして呉れたと言つて喜び合ふ。其晩寢てゐるとエンヤラ<(#「<」は繰り返し)と大勢の聲がするのを先ず婆が聞きつけて「爺さん<(#「<」は繰り返し)此の大雪に何か困つて重い物を引いて來るよ」と起すと爺もどうしたことかと外へ出て見ると庭にお米や玩具や絹の反物お餅を一杯積重ねてあつた。二人が情深いので地藏様がお恵み下さつたのであつた。
各地の例では婆が織つた布を爺が賣りに行き笠と取換へて地藏様にお着せ申したと語る例が多いが此話の如く白木綿をまきつけたと語るのは興味が深い。大抵は大晦日の話になつてゐるが、此話では其の點脱落してゐるが雪の降る日と言ひ持つて來た物の中にお餅があることからして前の型は略々推察し得るのである。            (話者 綾歌郡宇多津町 谷澤キク【七十四歳】)
ロ               (今田美枝子)
昔或處に正直で貧しい老人夫婦が住んでゐて大雪の日に爺が笠を賣りに行く。賣殘りが五つ出來た。歸りに村境まで來ると地藏様が雪だらけになつてゐる。五つの笠をかぶせて戻つて寢て居ると夜中頃に表が騒々しい。晝の地藏様が笠をかぶつて來てお禮の印にと言つて大きい袋を置いて立去つて

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行く。翌朝見ると黄金が一杯入つてゐた。二人は金持になつて幸せに暮した。
此話は昔話研究二巻邑智郡昔話の笠地藏に甚だ近い。六地藏が立つて居て五つの笠をかぶせ後の一つは爺の褌をといて巻くと語るのは座頭の惡戯れであるが其の條は既に脱落してゐると見える。
(話者は仲多度郡垂水村の藤田佐次郎老人)

二五、地藏と酒

此話の發端は笠地藏に似てゐる。即ち正直な爺が雪の降る日に道端の地藏様が餘り寒さうにしてゐるので家へ背負つて歸り圍爐裏の火へあたらせて置く。すると地藏様の鼻のさきからぽた<(#「<」は繰り返し)と雫が垂れるので嗅いで見ると大層良い香である。不思議に思つて嘗めて見ると上等のお酒であつた。爺は地藏様を座敷へお移し申し毎日<(#「<」は繰り返し)鼻から垂れるお酒を頂いては樂しんでゐる。婆は欲深なので爺が留守の日にもつと澤山のお酒を出して貰はうと思ひ火箸で鼻の穴を大きくあけようとすると鼻がぽろりと欠けて何にも出なくなつて仕舞つた。爺は歸つて來てから婆を大層叱りつけた。此話は矢張り聽耳草紙の豆子噺及び甲斐の國西八代郡の昔話と比較されるべきものだが鼻の穴からお酒が出たと言ふ條は其二話には無く、鼻の穴から出るものは多數の龍宮童子系の昔話でも財寶であり黄金であり或ひ

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は米であると語るのが常である。ひよつとすると新しいものかも知れないが鼻かけ地藏になつたと言ふのは古い話の名殘ではなからうか。

二六、黄金の餅         (高貴貞子)

此話は龍宮入系である。一話集つてゐる。
昔、三郎と言ふ正直な男が道を歩いて行くと乞食が短い棒の尖に長虫をくゝりつけて來るのに出會つた。逃がしてやれと言つたが聞かぬので羽織と着物と帯を與へて其の長虫を貰ひ池の中へ逃がしてやる。翌日三郎が山へ行くと若い綺麗な女が居て三郎を呼びとめ昨日の禮をのべ私は龍宮界の姫だからと言つて三郎を龍宮へ連れて行く。龍宮では王様が居て姫を助けたお禮の印に黄金の餅を呉れた。其の餅はつかふ時には少し宛かいで使へと教へられる。三郎は家へ歸つてから其の餅はかいでも<(#「<」は繰り返し)減る事がないので大金持となつた。
蛇報恩の條に龍宮入りが結合してゐるのは珍しい。
(話者は丸龜市の人)

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二七、黄金を生む黒猫         (大森政子)

龍宮から頂戴して來た黑猫が金の小豆を生み貧しい妹娘を富ました話になつてゐる。九州中部で鼻たれ小僧様と言ふのに近いが金の小豆を猫が生んだと言ふのは珍しい。二人の姉妹があり姉は町の金持の家へ嫁にゆくが妹は氣だてよく貧しい山番の嫁となる。妹は毎日山から芝を刈つて來て町へ賣りに行くが賣殘りの品は海へ棄てゝ歸つて來る。龍宮のお姫様がその妹娘の氣だての良いのに感心して美しい乙女にいひ付けて妹を迎へにやる。其の乙女は龍宮へ行く途中で龍宮のお姫様がもし何が一番欲しいかと聞いた時には黑猫を頂き度いと申すがよいと教へられる。龍宮へ着くとお姫様は何故金持の家へ嫁に行かずに貧しい山番の所へ嫁に入つたかと聞きお前は氣だてが良いから寶物をやると言つたとあるが話が新しく教訓的である。妹娘はそこで黒猫を頂き度いと答へるとお姫様はこの猫には毎日小豆を五合宛食べさせよと言つた。妹娘はやがて龍宮界から暇乞ひをして我が家に歸り毎日五合宛の小豆を食べさせて黄金を産ませ大金持になつたと言ふ話である。それで目出度し<(#「<」は繰り返し)となつてゐるが姉の眞似損ひの條は既に脱落してゐる。他地方の龍宮童子系の昔話ではもう少し金を多く産ませようとして小豆を澤山食べさせて失敗したと言ふ風に通例は欲張り親爺を戒める如き話方をするのだが

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この昔話には其の條はなく又姉の失敗もなく只妹は水界からの援助によつて致富の家となり富み榮えたでは聊か物足りない。姉妹にしたのも新しい趣向であらう。
(話者は丸龜市在住)

二八、聽耳            (岩田房子)

東北地方で美しい發達を遂げてゐる聽耳頭巾は近畿から中國四國にかけては安部の童子丸の語り物となつてゐる。此地方でも安部の童子丸が二話採集された。よく知れ渡つて居るし以前の語り物の圏外から一歩でも出てゐないので略す事にして稍型が變つてゐる聽耳を載せる。少しこわれてゐるが今に完型を採集出來るだらうと期待してゐる。
若い獵師が山中を歩いてゐると蟹が出て來て足を挟んだので殺さうと思つたが助けてやる。歩いて行くと又も同じ様な蟹が出て來て足を挟むが又逃がしてやつたとある。そんな事がもう一度くり返されたが獵師は情深いので又々逃がした。其の蟹は獵師に少し待つてゐるようにと言つて去る。待つてゐると赤い小さい珠を持つて來、此の珠を耳に入れると木の話聲が聞えると言つた。早速獵師が耳に入れると近くの松の木が向ふの川岸に鹿が二匹居て樂しさうだと話してゐる。獵師は早速川岸へ行き

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鹿を捕へる。此のやうにして獵師は後に長者となる。  採集手帖四一番参照。
(話者 綾歌郡宇多津町 農 木戸キヌ)

二九、舌切雀         (岩崎保子)

所謂五大御伽話の一であるが不思議に讀本の影響を受けてゐない。比較的素朴な形らしいので載せる。
爺と婆が住んでゐる。爺は一羽の雀を飼ひ大事に育ててゐる。或日爺が山へ働きに行つて
おほさぶや こさぶや、山のむーこになりたや、さぶ<(#「<」は繰り返し)
と言ひ乍ら歸つて來た。大事な<(#「<」は繰り返し)雀が居ないので婆に「雀はどうしたのか」と聞くと「糊を食べたから舌を切つて逃がした」と言ふ。爺は可哀相なので杖をついて「雀のお宿は何處ぢやいな」と探しに行く。一人の人に山の中で會つたので尋ねると「牛の小便三杯飲んで行くと雀のお宿へ行ける」と言はれる。爺は其の通りして歩いて行くと又一人の人に出會つた。「もし<(#「<」は繰り返し)雀のお宿は何處ですか」と尋ねると「馬の小便七杯飲んで行けばよい」と教へられる。今度も其の通りにして歩いて行くと

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ギーツコ バツタリコ ボーンヨ泣クナ
オツテミシヨ カチ<(#「<」は繰り返し)
と機を織る音がする。其の音の聞えて來る家が雀のお宿であつた。雀が出て來てよく來て呉れたと言はれ御馳走になつたり雀の踊りを見せて呉れる。爺は一晩泊つて歸らうとすると土産に葛籠を呉れた。途中ではどんなことがあつても開けてはならないと言はれたので其の通りにして歸つて開けて見ると大判小判がざく<(#「<」は繰り返し)と出て來た。欲の深い婆は其れを聞いて雀のお宿へ行つたが歸りに呉れた葛籠を途中で開けて見たくなつて開けて見ると蛇や蛙や三つ目の化物が一ぱい出て來たので婆は腰を抜かしてしまつた。             (話者 三豊郡神田村 農業 白川惣三郎老)

三〇、見るなの座敷         (岩谷敏子)

生徒は鶯の宿と言ふ題を付けて來た。
むかし旅人が道に迷つて困つて居ると日が暮れて仕舞つた。向ふを見ると燈が見えるので歩いて行くと大きな屋敷がありまはりは梅の樹が植ゑてあつた。中から一人の美しい娘が出て來たので宿を求めると娘は色々のもてなしをして呉れ翌朝になつて一寸用事があつて外へ出て來るから貴方は退屈に

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なつたら此鍵で倉の中を御覧下さいと言つて鍵を渡したが、倉は二つあるから後の倉はどんなことがあつても見てはならぬと言つて何處へともなく出て行つた。旅人は家の裏に行くと倉があるので急いで扉を開いて見ると今を盛りと櫻が咲き揃ひ下の方にはれんげ草や蒲公英が風に吹かれて蝶々もあちらこちらに飛んでゐる。これは不思議な事だと思ひもう一つの倉がどうしても見たくて仕方がない。そこで後の倉の扉を開くと眞白に雪の降り積つた景色で池の邊の木には鶯がホーホケキョと啼いてゐる。旅人はあはてて戸を閉めて何食はぬ顔でゐると娘が歸つて來て何故二つ目の倉を見たかと咎めふつと娘の姿が消えたかと思ふと鶯が一羽すつと飛んで行くのが見えた。旅人は廣い野原の中で一人坐つて居た。
「見るなの座敷」の昔話は善玉惡玉が出て來る例が採集手帖に載つてゐるが多くの場合にはあの例は少い。此地のは山形縣最上郡の鶯の内裏に近い。最上郡の例では十二座敷をあけてはならぬと言はれるがあけて見ると正月から十二月までの風物が豪華に目の前に展開するのである。
(話者は丸龜市の母とある)

三一、七福神の夢         (斎藤壽子)

此話は他の地方に餘り聞かないが矢張此の地に行はれてゐた昔話であらう。笠地藏等に近い趣向の

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ものであるが後半は新しい改作のあとがある。
昔或處に貧しい太郎作と言ふ百姓があつた。畑で働いて居ると一人の汚い裝をした坊さんが通り掛つて私は長福寺へ参り度いが道を教へて呉れと言つた。太郎作はわざ<(#「<」は繰り返し)長福寺へまで連れて行く。坊さんは喜んでお禮の印にと言つて一文錢を呉れる。家へ歸つて一文錢を妻に渡すとまあほんとによかつた。明日から正月だと言ふに家では餅一つ買へなくて困つてゐたと言ふ。そこで妻がその金を持つて町へ餅を買ひに行く。餅を二つ買つて歸る途中一人の哀れな婆様に會ふ。婆様は昨日から何も食べてゐないと言ふので懷から餅を一つ取り出して婆様にあげる。さうして家に歸り妻は此の事を太郎作に話す。太郎作はそれはよい事をしたと言つて喜び明日の朝は二人で仲好く三ケ月形に切つて食べることにしようと言つて寢てしまつた。その晩晝間道を教へた坊さんが布袋和尚の姿となりその他大黒、恵比壽がついて來た。七福神は車座となり大黒様は大きな槌を振上げて此の家の夫婦は來年は又と無い運が來るぞと言つた。太郎作はびつくりして眼を覺すと妻も目をさまし二人共にこんな夢を見たと言つて話合つた。元旦に二人は三ケ月型に餅を食べお祝ひをする。其の後太郎作の家は村一番の物持となる。
此話興味ある條は一文錢と三ケ月型の餅とである。一文錢も鶯の一文錢の如く何か基く所がある様に見える。三ケ月型の餅は後の秀句話の以前の形であらう。   (話者は綾歌郡川西村とある)

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三二、猫壇家

採集手帖四六番。三話集つたが傳説となつて土地に根を下してゐる。猫報恩の條は無く年老けた猫又を和尚が發見したと言ふまでである。
イ  猫山由來          (和泉日出子)
大川郡長尾町の慈泉寺に飼つてゐた猫が年を取つて猫又となつた。慈泉寺の院主があぜだから歸る途中猫又同志が集つて話をしてゐるのを聞く。「慈泉寺はまだ來ない」と言つてゐる。院主は寺へ歸つて衣桁に衣をかけて寢んだ。翌日起きて見ると衣の裾が濡れてゐる。寺の猫が猫又になつて自分の法衣を着て行くのだと氣が付き小豆飯を炊いて猫によく言ひ聞かせて暇を出した。猫は慈泉寺を出て山へ上つたがその山を猫山と言ふ。
ロ               (西村富美子)
多度津町多聞院ではおきく狸と呼ばれた狸を飼つてゐる。和尚が夜寢てゐると枕元へおきく狸が來

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て明日の葬式には田町の喜八猫が邪魔をするから雨傘、合羽、髙足駄の用意をするやうにと教へる。和尚は狸に教へられた通りにして行くので他の人はこの上天氣だのにどうしたのかと言つてゐる。葬式の列が途中の大きな松の木まで行つた時に俄かに空が曇つて雨が降つて來た。松の木の下で休んでゐると天から赤黑い物が下りて來て棺桶の上へ降りた。多聞院の和尚は珠數でピシャ<(#「<」は繰り返し)と其の物を叩き落した。そうして雨は止み上天氣となつた。葬式に行つた人や檀家の者は多聞院の和尚を譽めたたへた。和尚は寺へ歸るとすぐに田町の者を呼びにやり田町の者が來るとお前の町の喜八猫を見て來い。若し猫又になつてゐたら追出せと言ふ。田町の者が歸つて見ると喜八猫は手で自分の頭を押さへてうめいてゐる。そこで猫又になつてゐるのに氣がつき小豆飯を炊き油揚げを食べさせて棄てゝ來たとある。猫の報恩譚が此地方によくある狸が和尚を富ます話と混同して仕舞つたものらしい。                            (話者は多度津町)
ハ                (丸岡喜美子)
前の二話は猫報恩の條は無いが此話は稍報恩の形を備へてゐる。三豊郡彌谷寺の檀家に死人があつた。猫又が和尚の處へ來て明日の葬式は雨霧山の猫又と彌谷山の猫又が死人を取ることになつてゐたが都合で雨霧山の猫又は來られなくなつたので私が取る番となつた。明日は夕立を降らすから雨具の

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用意をして來るやうに講中の者に傳へて欲しい。さうして夕立の最中に棺桶の端を珠數で叩いて下さい。さうすると夕立も晴れ棺桶も取らずに歸るからと言ふ。愈々當日になつて講中の人は和尚に言はれた通り雨具の用意をして來たが空は晴れて仲々降りさうでないので笑つてゐた。お經を上げる時になつて急に雨が降り出した。講中の人は雨具の用意があつたので喜んでゐると和尚は桶の端を叩き雨は止んで仕舞つた。講中の人は皆喜んだが猫又は可愛相に片目になつて仕舞つたと言ふ話。此話も和尚がその手柄で檀家が殖えたと言ふ事は落ちてゐる。         (傳承者 三豊郡吉津村 丸岡喜市【七六】)

三三、鼠の淨土

採集手帖四九番。全部で四話であるが三話は隣の爺型となつてゐる。他の一話は後段が採集手帖四〇番打出の小槌に近い。
イ                (向井富美子)
爺が芝刈りに握飯をして山へ行くと腰の握飯が落ちてころ<(#「<」は繰り返し)と轉つて行く。握飯の後をつけて行くと穴の中へ入つて仕舞つた。爺も穴の中へ入ると大勢の鼠が

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鼠 百 ま で 猫 の 聲 は い や じ や よ
と聲を揃へて歌ひ乍ら餅を搗いてゐる。爺が見て居ると餅を呉れたり色々と舞を見せて呉れた。金を貰つて歸つて來ると隣の婆は羨み爺にお前も一つ金を貰つて來いと言ふ。爺は始めは人の眞似はせぬものぢやと言つてゐたが婆が無理に行けと言ふので握飯を拵へて貰つて出掛けて行く。山へ行つたが仲々握飯が轉つて呉れないので辨當を腰から下へ落し杖の先でついては辨當よ待て<(#「<」は繰り返し)と言つて追はへて行く。穴があつたので其中へ轉し込み入つて行くと鼠は歌を歌うてゐたので猫の聲を眞似るとあたりはがたぴしや<(#「<」は繰り返し)と音がして鼠は居らなくなり爺だけが眞暗な中に取り殘された。爺は手探りで外へ出ようとするがどうしても行けぬ。一方爺の家では婆が今日は家の爺さんがお土産を持つて歸つて來るであらうと待つてゐるが仲々歸つて來ない。裏の畑へ菜葉を取りに行くと土がむく<(#「<」は繰り返し)動いてゐる。何だらうかと思つて鍬で掘ると爺は鍬の三つ目の所にささつて引張り出されて來た。人の眞似はだからするもんで無い。                         (傳承者は仲多度郡廣島の大石角太郎老)
ロ                (斎田フミ子)
イの話に殆んど同じだが鼠の臼搗きの歌は
今 年 は 豊 年 猫 の 子 は 居 ら ぬ

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となつてゐる。隣の欲深爺は眞似をして出掛けて行き猫の啼眞似をして失敗する。正直爺は隣の爺はまだ歸らぬが如何したのであらうかと思つてゐると庭の隅の方で唸り聲がするので掘つて見ると爺さんが出て來た。                        (話者は琴平町の者)
ハ                (浮草永子)
此話ではおむすびが轉つて行くので爺は後を追つて行くと
む す び こ ろ り ん す つ て ん と ん
と言ふ聲がするのでもう一つ落すと
も 一 つ こ ろ り ん す つ て ん と ん
面白いので次のを落すと
ま だ <(#「<」は繰り返し)こ ろ り ん す つ て ん とん
と歌ふ聲がした。爺は面白がつて五つのおむすびを皆轉したと言ふのは仲々念入りである。鼠の淨土へ行くとおどりを見せて呉れ御馳走をして呉れたが鼠の臼搗きの歌は此話には落ちてゐる。鼠の座敷では天から小判が降つて來る。その小判を貰つて歸り今度は隣の爺が登場するが失敗をして家へ仲々歸らない。婆が竃(ルビ カマド)の前まで行くと爺は黑くなつて死んで居た。          (話者は丸龜市の人)

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以上の三話を見ると鼠の異鄕は地底の世界でありそれも自分の家の地下である事が注意される。ハの話は臼搗きの歌は脱落したが此歌の文句は御伽草子の鼠の米歌の
早 苗 の 葉 に は 蝗 も 附 き そ
虎 毛 の 猫 は 聲 を も い や よ
と同系統のものであり鼠淨土の昔話の一の目標とも考へ得られるものである。
ニ(#底本ではニの後に「、」がある)打出の小槌    (多賀千代子)
一人の男が山へ行つて薪や草を刈る。晝になつておむすびを食べてゐるとむすびが轉つて或家の倉の穴へ入る。男もその後を追つて中へ入ると鼠が居て御馳走をして呉れ歸りには一つの槌を呉れた。是は自分の欲しいものゝ名を三度云つてから振ると何でも出て來る寶の槌であつた。男は喜んで家へ歸り先づ御馳走を出し次には立派な家がたつやうにと言つて其の通りすると忽ち家が出來た。今度は米に倉を出さうとコメクラ<(#「<」は繰り返し)と振ると盲が澤山あらはれて何の御用ですかと男を取り巻き責め殺されて仕舞つた。
座頭の坊の話し方の一端が米倉の條から察し得られる。
(話者は丸龜市の人)

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三四、地藏淨土
採集手帖五〇番。極めて省略されたものが三話集まつて來た。其の中の二話は普通の型だが既に「笑の咎」と言ふ此昔話の最も素朴な條は落ちてゐる。他の一話は後段が稍變つてゐるが是も此土地の獨創ではなく甲斐の國にもあり聽耳草紙にも豆子噺とて團子淨土と鼻たれ小僧のモチーフが結合したものがある。此地のは聽耳草紙の豆子噺に最も近く兎に角珍しい。
イ             (秋山幸子 杉峯千代)
爺が山へ薪を取りに行つたと言ひ或ひは山の畠へ働きに行くとなつてゐる。兩話とも握飯を持つて行つたのだが晝になつて食べようとするところ<(#「<」は繰り返し)と轉げて暗い洞穴の中に入つた。山を下りて道端の地藏様の所まで行つたと言ふのは既に新しい。爺が追掛けて行くと地藏様は既に食べて仕舞つてその代りに夜中に鬼の博奕があるから合圖をした時に鷄の啼眞似をせよと教へる。言はれた通りにすると鬼は驚いて逃げ爺は鬼の寶物を持つて歸る。一話は後段が脱落して是でお仕舞ひだが他の一話は隣の爺が出現し山へ行つておむすびを故意に轉しお地藏様のお口の中へ無理に押しこみ勝手に後に隱

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れてゐる。鬼が來て博奕を打つ時に鷄の啼眞似をしたが鬼は人臭い<(#「<」は繰り返し)と言ひ爺の姿を見付け苦しめて殺して仕舞ふ。               (話者は丸龜市の者)
ロ              (今田惠美子)
昔爺と婆があつて爺は山へ草刈りに行く。お晝になつたので辨當を食べようとすると握飯がころ<(#「<」は繰り返し)と轉つてお地藏さんの口へ入つて行つて仕舞つた。其の日はそれで歸り次の日も大きな握飯を持つて山へ行く。握飯を見てゐると煙草が飲みたくなり煙草を吸うてゐる内に握飯がころ<(#「<」は繰り返し)と轉んで行く。さうして地藏の口へ入つて仕舞ふ。次の日も<(#「<」は繰り返し)同様なので五日目にはお握りを澤山作つて山へ持つて行く。お地藏様は美味しそうにして皆食べて仕舞ひ私を背負つてお爺様の家へ連れて行つて呉れと言つた。そこで重いお地藏様を言はれた通り背に負つて歸ると今度は私の鼻の穴へ紙で栓をして呉れと言ふ。或日地藏様は今日は爺様に御恩返しをするから右の鼻の栓を抜いて呉れと言つた。爺様が今度も言はれた通りにするとお米が瀧のやうに鼻の穴から流れ出て來た。お爺様はそこで大層な金持となるが段々欲深くなつて或日左右一度に栓を抜くともつと澤山の米が出るだらうと思ひ兩方を抜いて見ると米では無くて水が瀧のやうに流れて來た。さうして家も米も爺さんも流れて行つて仕舞つた。

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地藏淨土よりも地藏の報恩と龍宮童子系の話の末段とに近いが便宜上此處に記載した。
(話者 仲多度郡琴平町 今田ハル)
今度の採集では是に稍近いものが今一話あるが「地藏と酒」として別記した。

三五、猿地藏

今まで此話は四國には存在してゐることが公表せられてゐなかつた爲に如何であらうかと思つて居たが編者が去冬髙松附近で採集し今度の採集では二話を得た。イの話は登場する者が猿では無く狸であり川渡りの際の謔けた文句が他地方のと同じ様に付いてゐるがロは殘念な事に川渡りの條が落ちてゐる。併し此話は發端を見るとイの話よりも素朴な氣がする。イロ共に簡略に記す。
イ               (松井和子)
貧乏な爺と婆が住んで居る。爺は毎日山へ芝刈りに行くが貧乏なのでおちらしを紙に包んで持つて行く。山でおちらしを半分程食べてから殘りを枕元に置いて晝寢をしてゐると風が吹いておちらしを散らし爺の顔から頭からおちらしもぶれになる。狸が來て爺を地藏と間違へお地藏が寢てゐるから舁

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いで行かうと言ひ爺を舁いで川の中を渡る。爺は目をさましてゐたが知らん振をしてゐた。可笑しくて堪らぬのをこらへてゐると屁がぷつと出た。狸共は「今鳴つたん何ぢやな」「お噺の太鼓」「臭いのなあに」「御香の煙」「お地藏様えつへのえ」
と言つて舁いで行きお供物を澤山供へて呉れた。爺は夜になつて其のお供物を持つて歸つて婆と一緒に食べる。毎日<(#「<」は繰り返し)その事をして貧乏な爺は段々金持になつて來た。近所の欲張り爺がその事を聞いておちらしを持つて山へ行きおちらしを枕元に置いて寢てゐると又風が吹いて來て爺はおちらしもぶれとなつた。黙つて寢てゐると狸が大勢やつて來てお地藏様が寢てゐる。「お地藏様えつへのえ」と言つて舁いで行く。爺は可笑しくてたまらぬので笑ふと狸は此奴は僞者だと爺をそこへ投出して仕舞つた。                 (話者は丸亀市の人とある)
ロ 麥粉長者          (鹽田千鶴子)
麥粉長者と言ふ名前は或ひは此土地のものかも知れない。そこでこの題のまま出す事にした。
爺と婆が麥粉をひいて山の畑に働きに行く。晝になつて畑に腰かけて麥粉を練つてゐると何時の間にか眠つて仕舞つた。風が吹いて來て麥粉は二人の頭の上にかかり眞白となる。そこへひき猿が三匹や

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つて來てこんな所へ白峯さんが御座つてゐると言ひひき猿は澤山の連を連れて來て大判や小判を投げて行つた。二人はやがて目をさまし是から仕事に取り掛からうとすると大判小判が自分等の身のまはりに澤山轉つてゐるのでこれは二人が正直だから神様がお惠み下さつたのに違ひ無いと思つて持つて歸つた。隣の欲深い爺と婆は壁の穴からそれを見て同じ様に麥粉を持つて畑へ行く。畑で寢てゐても仲々風が吹いて來ないので東の風よぶいと吹け西の風よぶいと吹けと叫んだが矢張風は吹いて來ない。仕方がないから爺が婆の頭へ麥粉をふりかけ婆が爺の頭へ麥粉をふりかけて狸寢入りをしてゐるとやがてひき猿が來て今日も白峯さんが寢て御座ると言ひ大判小判を澤山投げ付けた。爺と婆は餘りの嬉しさに目をちょこ<(#「<」は繰り返し)あけて見るとひき猿がそれを見付けて僞せ者だ喰ひ殺せと言つて大判小判を取り戻されたばかりか命まで取られようとしたがやつと逃げて歸つた。            (傳承者は仲多度郡白方村 鹽田つた)

三六、鎌倉海老            (古川美恵子)

此話は隣の爺型になつてゐる。鎌倉權五郎を題材にしたのは九州南部の鼻利きの六平も同様であるが何の故であらうか。參照昔話と文學 二七七頁。

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昔怠け者があり懐手をして山中をぶら<(#「<」は繰り返し)と歩いてゐると天狗が博奕を打つてゐる所へ來た。此の男は不精者で逃げるのも面倒臭く天狗の博奕打つを見てゐたと言ふのだから餘程の怠け者であつたに違ひない。天狗が貴様は誰だときくので鎌倉權五郎だと言ふと天狗はかまものごんごらうと聞いて肝をつぶして逃げた。逃げた後には寶とお金はどつさり殘つてゐたので其れを拾つて自分の家へ歸る。今度は隣の家の怠け者が自分も一度天狗の博奕に行逢つて金を儲けて來ようと欲張つて山中へ出掛ける。丁度天狗が博奕をうつてゐる所へ出たが男は恐くて<(#「<」は繰り返し)たまらない。しかし辛抱をして木の根に腰を掛けて見てゐると天狗が貴様は誰だと聞いた。「鎌倉海老」だと威張つて答へたので天狗は男を引裂いて食べて仕舞つた。                          (話者 仲多度郡高篠村 古川ヤス)

三七、竹の子童子           (香川光子)

此話は一話採集されたのであるが話し方が少し巫山戯てゐる。竹切爺の説話ひいては竹取物語と同じ脈をひいてゐることは既に丸山學氏が注意された如くである。茲にはずつと簡略に記載した。參照竹の子童子、球磨民話抄昔話研究一の八號。
昔々桶屋の小僧の三吉が裏の竹山へ桶のたがにする竹を切りに行く。何處かで虫が鳴くやうな聲が

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聞えて來たのであたりを見廻すと三ちやん此處だ<(#「<」は繰り返し)と言ふ聲がする。どうぞ竹の節と節との間から出して呉れと云ふので竹を伐り倒すと一番下の枝の節から身の丈が五糎位の小人が出て來た。三吉の前でぺこんとお辭儀をしたのでお前は何者かと聞くと自分は七夕姫の家來だが七夕の晩にお姫様の使ひで此の人間の世界に下りて來ると此の惡い竹に捕つて竹の中に入れられて仕舞つたのだがお蔭で命を助かり竹の中から出して頂いてこんなに嬉しいことは無い。自分の名は竹の子童子であり世界中の事は何でも知つてゐる。歳は千二百三十四歳だと語る。助けて呉れた御禮に三ちやんの望みを五つだけ叶へると言ふ。それではお菓子を出して貰はうと竹の子菓子を出せと三度言ふとちやんと菓子が出て來た。今度は侍にして貰はうと思ひ三度となへると侍になる。そこで武者修行に行きある國で手柄をたてゝ大名に召抱へられる。竹の子童子は天人になつて天まで歸つて行つたと謂ふ。
(丸龜市の人から聞いたとある。或ひは雜誌からの轉載ではなからうか)

三八、牛方山姥

柳田先生を始め關敬吾氏の研究もあり天道さん金の鎖、喰はず女房、三枚のお札等と共に我が國の逃竄説話の代表的なものであるが今度は二話集つた。若干異つてゐるから二つ共に載せる。

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イ                  (岩谷敏子)
牛方が荷車に鰯をつけて山の麓を通つて行くと何處かで牛方<(#「<」は繰り返し)と呼ぶ聲がする。牛方はあゝ山姥だなと思つたが知らぬふりをして歩いて行くと「鰯一匹呉れんか」と言ふので一匹投げてやつた。もう一匹と言つて結局皆食べて仕舞ひ今度はお前の家へ連れて行かねば牛を食べるぞと言ふ。牛方はこれは困つたと思ひ山姥を荷車に乘せて歸つて行つた。山姥がどこかへ寢させて呉れんかと言ふので大釜の中へ藁を敷いて山姥を入れ上から蓋をして大きな石で押しをした。山姥がよい氣持だと言つて眠つてゐるので牛方はカチ<(#「<」は繰り返し)と火打石で火をつけようとすると山姥は牛方々々もう夜明けかと言ふ。
そうして
「カチカチ鳥が啼くぞよ」
と歌つた。火がぼう<(#「<」は繰り返し)と燃えて來ると牛方々々もう夜明けかと言ひ
「ボウ<(#「<」は繰り返し)鳥が啼くぞよ」
と歌つた。牛方は火をどん<(#「<」は繰り返し)燃して夜明けになつて「山姥々々」と呼んで見たがもう何の返事もしない。大釜の蓋をあけて見ると山姥は眞黑に燒死んで居た。
是から先が此の昔話は他地方と變つてゐて牛方は山姥を箱の中に入れて「山姥の黑燒」を賣りに出

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掛ける。村中の人が山姥の黑燒きは薬になると言つて買ふので牛方は大金持になつた。
此の昔話で牛方が山姥を連れて歸るとは新しい趣向である。さうして山姥の黑燒きに至つては仲々珍奇であるが何故こんな話になつたのであらうか。しかし牛方が後に金持になつたと説くのは比較的に古い型式を保有してゐると言へる。カチカチ鳥が啼き出したボウボウ鳥が啼き出したと言ふ條が最も興味ある部分であつた。                       (話者は丸龜市在住)
ロ                  (多賀千代子)
太郎が車に俵を積んで山路を通り掛ると鬼婆が出て來て俵を取り牛を取り果ては車まで取つて行つて仕舞ふ。此處までは何處の話でも同じだが次に天道さん金の鎖のモチーフが結合し或日太郎が使ひに出ると又鬼婆が居たので恐しくなつて傍の木に登ると追掛けて來て太郎どうして登つたかと言ふ。足に油をつけて登つたと言つたので鬼婆は其の通りにして登り滑つて下の池の中へ落ちる。太郎は急いで下りて走つて或る家の中に隱れて居ると丁度其の家が鬼婆の家であつた。鬼婆は濡れ鼠になつて歸つて來たので太郎が驚いて天井の中に隱れてゐるとあゝ今日は太郎の爲にえらい目に會うた。お餅でも燒いて食べようかと火鉢で餅を燒いてゐたがやがて燒けたので砂糖を取りに行つた。太郎は急いでその餅を取つた。しばらくすると鬼婆はそこへ現れて

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あゝお袋さんに取られて仕舞うた。
今晩は釜の中に寢ようか疊の中に寢ようか
と言ふと太郎は釜の中に寢よと言つた。鬼婆はお袋さんが釜の中に寢よと言つたので釜の中に寢た。太郎は天井から下りて來て釜の蓋の上に大石を置き下から火を付けた。火がほろ<(#「<」は繰り返し)と燃えてくると鬼婆は
「ほろ<(#「<」は繰り返し)鳥が啼くぞよ、あゝえゝ気持ぢや、あゝ痛い<(#「<」は繰り返し)」
と言ひながら燒死んだ。太郎は鬼婆の家の中を探し自分の奪られた俵や牛車を始め他の人々から奪つた品々を取り出して村へ持つて歸つた。お袋さんとは鼠の事である。
(話者は丸龜市の人である)
此話は前段に天道さん金の鎖のモチーフが結合してゐるが話の繼目は無理無く續いてゐる。八戸地方の昔話の牛方山姥「鬼婆と鱈助サアブ」の話にも後段に天道さん金の鎖のモチーフが結合してゐる。現在傳承されて居る逃竄説話のあらゆるモチーフを含んだ昔話が前には存在してゐたのであらうことを暗示する。鬼蓄と人間との葛藤の長い歴史は民間説話にまで深い影響を與へてゐる。

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三九、天道さん金の鎖

此話は小學校の先生の改作らしいものを加へて都合十一話集つた。内容は共通してゐるが末尾に於いて兄弟二人が二つ星となつたと説く條があるのと無いのとある。此の條を目標にして比較的に筋が纏つてゐるのを一つづつ載録しそれに終りが蕎麥の根は何故赤いとなつてゐるものを附記した。
イ おとどひ(「おとどひ」に傍点)星 (小松田鶴子)
此昔話の定型として父は無く母と二人の子と赤坊が山中の一軒家に住んでゐる。母は用事があつて家を留守にするので子供達に山婆が來るかも知れぬから母が歸つたと言つて來ても戸はあけるでは無い。窓から手を出すから手のざら<(#「<」は繰り返し)してゐるのは山婆だと言つて出掛けて行つた。夜になつて山婆は來て母が歸つたから戸をあけて呉れと言ふ。しかし子供達が手を出させるとざら<(#「<」は繰り返し)してゐる。そこで戸を開けない。山婆は畑へ行つて葱を取り葱の皮を手に巻いて再びやつて來た。今度は手がつる<(#「<」は繰り返し)してゐるので戸を開けて中へ入れると赤坊を抱いて寢たがポリ<(#「<」は繰り返し)と何かを食べてゐる様子である。二人の子供は母に何を食べてゐるかと聞くとお香コだと言つて小指を呉れた。是は山婆だと氣が

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付いて二人は便所へ行くふりをして外に出、井戸端の柿の木に上り油を上から下へ流してゐると山婆は二人の子供を探しに來る。井戸を覗き二人の影が映つてゐるのを見て池の水を汲み出そうとする。山婆は一生懸命に水を汲んで居たが腰が痛くなつて來たので腰を伸して上を見ると柿の木に二人の子供が上つてゐるのに氣が付いた。木に登らうとするが油に滑つて仲々登れない。出刄庖丁を持つて來て木を刻んで登つて來た。子供は天道さん金の鎖と叫ぶと天からふごの付いた金の鎖が下りて來た。子供達はそれに乘つて天へ昇りおとどひ星となつた。山婆には天から腐つた繩が下りて來たのでそれに傳つて昇つてゐるうちに中途で繩が切れて落ちて死ぬ。(話者は香川郡佛生山の人)
二人の兄弟がおとどひ星或ひは二つ星となつたと説くのは此話を含めて全部で四話集つた。妹が星姉が月となり後から家に歸つて來た母が天國の殿様になつたと言ふ話し方もある。
ロ               (松本、 三好、 山地、 北村)
星になつたといふ條が無いだけがイの話と異つてゐる點である。イと同様に四話集つてゐるが子供達が母の聲をそんなにどら聲で無いと言ふと油を飲んで來、今度は手がざら<(#「<」は繰り返し)してゐると言へば手にうどん粉をつけて來た。手はつる<(#「<」は繰り返し)してゐるが着物がボロ<(#「<」は繰り返し)だと言ふと今度は本當の母が町か

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ら歸つて來るのを途中で待ちかまへて殺し其の着物を着て家の中へ入つて來たと語るのは珍しい。尚子供達が手がざら<(#「<」は繰り返し)してゐると言へば牛の毛を一本づゝ抜いて手につけて來たと話すのもある。
(話者は丸龜市の者が多い)
ハ 蕎麥の根は何故赤い       (高倉芙紗子)
是は二話集つた。其の中の一つは鹽飽の本島に於ける採集である。山姥が腐れ繩から落ちたのが丁度蕎麥畑の中で傍の大石に頭を打ちつけて血が流れその血が蕎麥の根についたと話してゐる。

四〇、口無し女房

口無し女房即ち食はず女房の昔話は七話採集された。此話の末段は端午の節句の菖蒲と蓬の由來になつてゐるものと、夜小蜘蛛になつて化けて來たのを退治するのと二通りの型があるのだが前者は一話、後者は五話集つた。他の一話は何の關係もない耳切り藤平の昔話と結合してゐる。主人公が桶屋であつたと語るのは此昔話の著しい特徴であるが當地方の例には其の點は無いけれども、風呂桶の中へ入つたまゝ山の中へさらはれて行つたと話されてゐる。

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イ 端午の菖蒲の由來         (岩田房子)
惜しい事に破片である。口無しの女房が來たと言ふ條は既に落ちてゐる。昔一人の男が野風呂に入つてゐると隣の人が來て下を焚いて呉れた。いくら話をしようとしても返事をしない。風呂から出ようとすると急に風呂桶が動き出し山の方へ登り始めた。ふと桶の下を見ると魔物が桶をかついでゐるのだつた。驚いて逃げようとするが逃げられない。松の枝がつき出てゐるのがあつたのでやつとそれに〔ツカマ〕(#「ツカマ」は文字番号12572≠ツて下り菖蒲のかげに隱れた。魔物は氣が付いて山から下りて來たが氣が付かずに通り過ぎて仕舞つた。歸つて暦を見ると五月五日であつた。それから後五月五日を端午の節句と言ひ菖蒲湯をたてる事になつた。   (話者は綾歌郡宇多津の木戸きぬ)
ロ 夜の蜘蛛
欲の深い人が飯食はぬ嫁を山へ捜しに行くと私は食はぬしよく働くから置いて下されと言つて一緒に家へ來た。一月たつても二月たつても飯を食はずよく働くので少し薄氣味惡くなり或日琴平参りに行くと欺き近所の二階へ行き自分の家の中を覗いて見ると髪はおんぼろ(「おんぼろ」に傍点)にして手には長い爪が生えてゐて一斗の麥を抄つてそれを髪のすり込んでゐる。知らぬ顔をして家へ歸り家から出て行けと言ふと

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土産にするから風呂釜と繩一把を下さいと言ふ。亭主が風呂釜をやると山姥の姿となりすぐ蓋をあけて亭主を中へ押し込んだ。さうして繩でくくり山の中へ連れて行く。山の山のおんごくへ來ると風呂釜を木の間に据ゑて山姥はその子供を探しに行つた。亭主はその隙に釜を割つて外へ逃げた。山姥は子供と一緒に明日の夜は蜘蛛になつて行つて男を捕へて來ようと話をしてゐる。男はそれを聞いて逃げ歸り村の人を集めて火をかん<(#「<」は繰り返し)に起し鍬や火箸やとんぐわを眞赤に燒いて山姥の來るのを待つてゐる。夜になると大きな蜘蛛が家の中に入つて來たので人々は鍬や火箸で蜘蛛を火の中に入れて燒き殺して仕舞つた。後で見ると大きな山姥であつたと言ふ。
山姥とは蜘蛛の事である。此話の後段に於いて夜の蜘蛛は親に似とつても殺せ朝の蜘蛛は仇と思つても生かせと言ふ諺の由來に落ちてゐるのが一話あつた。男が山から逃げて歸る途中にとげの木がありとげの木よどうか助けて呉れと言ふと人一人が入る位のすきまを作つて呉れた。山姥が追つて來てとげの木の傍で人臭い<(#「<」は繰り返し)と言ふととげの木の枝がばさつと彈ね返つて山姥の顔を打つ。そこで探せないで山へ歸り翌晩蜘蛛になつて男の家へ行つたと話してゐる例も集つた。化物の正體はどの話も蜘蛛であるが山姥の姿であると言ひ飯を頭の中の口へ入れたとか髪の中へすりこんだと言つてゐるが手から足から頭から御飯をいれたと語つてゐる例は珍しい。尚一つ變つてゐるのは男が二三日の旅に出掛けて行くと欺き自分の家の屋根に上り煙突から覗いてゐると嫁は米一斗に鷄三羽を頭の中につきこ

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んでゐた。或日の事嫁は男に何か歌つて呉れと言ふので二三日の旅に米一斗鷄三羽と歌ふと嫁は始めて氣がつき男を桶の中に入れて山へ舁いで行つたとあるが「米一斗鷄三羽」と言ふのは改良童話らしく思はれてならない。               (丸龜市の生徒も郡部の生徒も書いて來た)
ハ               (松浦、小野)
此話は喰はず女房に鼻きゝ藤平の話が結合したもので柳田先生は斯ういふのは座頭話なるべしと説かれた。極く手短かに記すと
飯喰はぬ筈の女房が頭の中の大きな口へ御飯を入れてゐるのを近所の人が見付けて男に告げる。男はそんな事はあるまいと言つたが或日仕事に出ると言つたまゝ家の屋根の大窓に上つて覗くと成程その通りである。男は是は蜘蛛の化物だと思ひ仕事にも行かずに家の中へすぐ歸つて來た。丁度女房は爼板の上で卵を切つてゐたが急に主人が歸つて來たのであわてて持つてゐた庖丁を縁の下に投げ込んだとここから「耳きき藤平」の話となる。しばらくして女房は庖丁を何處へ投げたのか忘れてしまひ一生懸命に探してゐる。男は庖丁は縁の下に有ると女房に教へる。女房は驚いて自分の夫は失物探しの名人だと方々へ觸れて歩いた。
丁度其の頃殿様の巻物が紛失して困つてゐる。其の男の事がお殿様の耳にも入り召出される事にな

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つた。殿様の家來が迎へに來たので仕方なく御殿へ行く。殿様は男にお前は世に名髙い失物探しの名人だから巻物を是非探し出せよと言ふ。男は二日間の猶豫を乞ひ心配しながら家へ歸つて來る途中道端に赤と白の餅が落ちてゐた。其の餅を拾つて歩いて行くと狸の小屋があつて何かひそ<(#「<」は繰り返し)と話をしてゐる聲が聞える。其の男は狸に若しも巻物の在處を知つてゐるのではないかと思ひ尋ねると狸はその赤と白の餅を呉れたならば教へると言ふ。其の餅を與へ巻物が御殿より少し外れた溝の中に埋めてある事を教はる。男は忍術を使ふ如く見せ掛けて大勢の殿様の家來と共に溝の中を探し遂に巻物を探し出す。そこで殿様から褒美を澤山貰つたと言ふ。 (話者は丸龜市の人)
四一、山寺の恠              (小西 智)

是は恠譚の一種であるが住む人とて無い化物が出ると言ふ噂の寺へ旅の僧が來て宿るが夜中に恠物の正體を見る。村の者は多分昨夜の旅僧は化物に命を取られたらうと思つてゐると無事である。其の後化物は出なくなつたと話すのが普通の例のやうだが本來は化物退治の話でなかつたらうか、化物の名が面白いので記録して置く。
寶藏院には化物が出ると言ふので住職が居ない。在所の衆が代り番こに泊つてゐると或日旅僧が來

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る。一宿を乞ふので此寺には化物が出ると斷つたが是非にと言ふので泊つて貰ふ事にした。旅僧が一人で泊つてゐると眞夜中頃に表の戸を叩く音がする。「てい<(#「<」は繰り返し)こ坊師はお宿にか」と外から聲をかけると寺の奥からどなたで御座ると言ふ聲がする。北山の白狐で御座ると外の物が言へば中から今夜はよき生物が參つてゐるからと答へる。次から次へとてい<(#「<」は繰り返し)小坊師はお宿にかと訪ねる物があり暫くすると旅僧の周りを白狐、西竹林の三鷄、東野の牛頭、南池の鯉魚、及び此寺のてい<(#「<」は繰り返し)小坊主がとり巻いて踊りを始め旅僧に隙があつたら食べようとしてゐる。併し旅僧はお經を靜かに唱へてゐる。夜が明けたので化物達は逃げて行く。村の人は旅僧の安否を氣遣つて來ると別段變つた事も無い様子である。村人が僧に夜中に何か變つた事がなかつたかと聞くと一部始終を話し此寺の主は昔寺を建てる時に大工が家の棟に椿で拵へた小槌を置き忘れたのが化けて出るのだと語る。白狐は白山の白狐、三鶏は西の和仁川宮の竹林の三本足の恠、東野の牛頭は牛を殺して棄てた頭が化けて出るもの、南池の鯉魚とは南の宮池の主の大鯉であると語りそれぐ(#「ぐ」は繰り返し)弔つたので其後は化けて出ぬやうになつた。
此話は大川郡長尾町に於ける採集である。                                (話者は近所の老人とある)

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四二、一つ目小僧            (北村喜代美)

一人の魚屋が朝暗い時分に起きて寂しい道を歩いて行くと大きい一つ目小僧が出て來たので夢中で走つて或る一軒の家に飛びこむと家の人が出て來た。「あゝ恐ろしかつた。大きな一つ目が出ましてなあ」と言ふと其處の人がそれじやこんなもんぢやろがと言つて忽ち今見て來た化物の一つ目小僧になつた。魚屋は急いで家へ逃げ歸り重い病氣になつた。
(話者は多度津町豊原村)

四三、金の茄子             (高瀬照子)

昔薩摩の國の殿様が肥後の國の殿様の姫君を奥方にした。或時奥方は殿様と一緒に御飯を食べてゐたが過つて屁を放る。殿様は怒つて奥方を手討にしようとするが子を姙つてゐるのでうつろ舟に乗せて流すことにした。うつろ舟は流れ<(#「<」は繰り返し)て故郷の肥後の國の港に漂着した。姫が流れ着いたのを見たのが姫の乳母であつた。姫君を連れて歸り家の中へ縁臺四つを置いてその上に疊を敷きそこで暮させ三度の御飯も御馳走をして大事に養つた。やがて姫君は子供を生んだ。子供が大きくなり寺小屋へ行

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つた時に皆の者から父無し子と卑しめられたので歸つて母に昔のことを聞く。息子はそこで薩摩の國へ行き小判のなる木はいらんか<(#「<」は繰り返し)と城下中をふれまはる。殿様は家來に云つて早速それを買ふことにして御殿へ召された。殿様が小判のなる木は幾價かと御訊ねになると息子は一千兩だと答へる。そうして此の小判のなる木には肥料をやらねばなりません。女の人で放屁しない人の骨を埋めさへすれば小判は何時まででも實りますと答へた。そこで殿様はお笑ひになり女で屁を放らないものが世の中にあるものかと言つた。息子はそこで昔の母の事を語つた。殿様はそこで奥方を前の通り引き取つた。子は縁のつなぎと言ふのは此の事を言つたものだ相な。
昔話採集手帖七八番參照。          (綾歌郡宇多津町の大久保老より聞いたとある)

四四、仁王の力競べ            (横田ます子)

仁王が天竺へ力競べに行く時に觀音様が鑢を呉れたとある。仁王は天竺の強力の者の家へ行くと其の者は居らず妹がゐて大きい石の茶椀にお茶を入れて來た。庭には大きな石の下駄があるので是ぢやとても勝つ見込みは無いと逃げる。あとへ天竺の大力が追掛けて來たので一本の大きな藤の木に上り木の下の井戸へ石を投げ込んで隱れてゐる。天竺の大力は仁王は井戸へ入つたと思ひ中を覗くと影

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が映つてゐる。そこで井戸の中へ入らうとする。仁王は其の間に逃げ舟を漕ぎ出す。そこへも追掛けて來て重い分銅を鎖のさきにつけて舟の中へ投げ付け舟を引戻さうとする。觀音様から貰つたやすりで八度磨つて鎖をたち切つたので逃げる事が出來た。それよりやすりと言ふ名前が起つた。仁王は藤とやすりで命が助つたので今でも鑢を手に持ち藤を體に巻付けてゐるのは其の爲だと言ふ。
採集手帖には無いが弘く分布してゐる大話である。一話しか集らなかつた。
(話者は丸龜市の人)

四五、慢心は怪我のもと          (尾池富士子)

是は今迄の採集例は少いが明らかに各地に殘つてゐる筈の昔話である。川越地方昔話の海老の腰は何故短い及び北宇和郡の伊勢蝦の腰等と同系のもので慢心を戒める教訓を添へて話される。面白い話でないが一種の大話として發達したものらしい。簡單に書く。
片羽開げると千里又片羽擴げると千里の大きな鳥が居た。われ程大きなものは無からうと思ひ世界漫遊に出掛ける。飛んでゐる内に大洋の眞中に出で羽が苦しくなつたので止る處は無いかと思つて見ると材木が二本海の中に出てゐるので止つて休んでゐると下から儂の髭に上る奴は誰だと大きな聲が

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する。一體お前は誰だと問返すと大海老だと言ふ。儂は二千里の長さがあるがお前の大きさはどれ位だと聞くと海老は五千里の大きさだと言つた。そうして海老は自分が大きいのに氣が付き今度は海老が世界漫遊に行く。海の岩の上でくたびれたので休んで居ると下から大龜が儂の背中で休むなと言ひ儂の體は一萬里あると言ふ。さうして今度は龜が漫遊に行く。途中蛤を小山と間違へて蛤の上で休むと儂は二萬里ある蛤だと言ふ。蛤は自分が世界で一番大きいものだと思ひぞろり<(#「<」は繰り返し)と濱邊を匍つて行くと小さい子供が蛤を籠の中へぽーんと入れたと言ふ話。 (話者は丸龜市の人)

四六、蟻の目にどんぐり

昔はとんとあつたげな。蟻の目にどんぐりがはいつて針で掘つても<(#「<」は繰り返し)取れなかつた。杵で掘つたらぽーんと取れた。
○
當地方の昔話の語り始めの文句は此話の如く「とんと昔もあつたげな」である。安藝國昔話の「なんの昔があつたげな」三好郡昔話の「とんとん昔もあつた相な」が近隣の例として注意される。尚此話の末尾の文句は越後蒲原に近いものがある。

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四七、運定め話              (祖一澄子)

讃岐では運定め話は三話共に分布し、蘆苅型は三豊郡志々島の採集例が昔話研究二巻にあり其の他水のものに取られる話、虻と手斧型も既に採集したが今度の採集では水のものに取られる話が集つた。破片に過ぎないのは殘念である。
立聽きの條は無く男の親は子供が五歳の年に水難の相があると言ふ事を他の人から聞く。妻には心配するといけないからと思つて話をせず五歳の年に子供を家の柱にぐる<(#「<」は繰り返し)巻きにして刄物を持つて待つてゐる。近所の人々は氣が違つたのかと思つて繩をほどいてやらうとするが傍へ近寄せない。其處へ一人の老婆が通り掛り可愛相にと言つてほどかうとしたので刄物で斬りつけ殺して見ると海のガーラ(河童)であつた。其の子供は後に長生をした。          (話者は丸龜市在住)

四八、親捨山

多く集つたが話の筋が亂れて存在してゐる。此の昔話は更級型(即ち捨てる心算で山まで連れて行

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くが枝を折つて息子の歸る道を失はぬやうにしたので捨てるのを止めて連れて歸るとか、或ひはふご(「ふご」に傍点)の中に乘せて山まで運んで行くと今度お前が年寄つて捨てられる爲にいるからふご(「ふご」に傍点)を持つて歸れと言はれて始めて捨てる心を飜へした)と棄老國の難題型に分れて存在するのであるが此地方では兩話が混在してゐる爲に首尾が一貫してゐない。しかし是も説話變化の一傾向だらうと思ひ最も筋のとほつてゐるのを記載する。
丹後の姥捨山の麓に老母と若者が住んでゐるが殿様が八十歳以上の老人は棄てよと言ふ法令を出した。若者は老母を月夜に山へ負ふて捨てに行く。捨てた歸り途に栞を折つて迷はぬやうにして呉れてあるのを見て親の恩を知り連れ戻つて床下に匿す。隣の國の大名から色々な難題が來るので殿様は困り難題を解かせる。一は毛色や大きさの一寸も變らぬ白馬二匹の親子を見分ける事であつたが若者は老母に二匹に枯草を食べさせて早く食べる方が子だと言ふ智惠を教へられて殿様に申し上げる。第二は灰縄千束、第三の難題は蟻通しであつた。何れも母に教へられて殿様に申し上げ何でも望みの事を云ふがよいと言はれる。若者は老人を棄てるのを取止めて頂き度いといひ其の通りになる。
孝行の教訓譚として殊に枝を栞る條は奥山に枝折る栞は誰が爲ぞ等と言ふ歌が近世の繪本の類には入つてゐるのであるが何時頃から教訓譚の形式を備へて來たか興味ある所である。

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四九、山伏と狐              (丸岡、片岡、長岡)

三話集つたが殆んど内容は共通してゐる。惡戯をした山伏に狐が仕返しをするといふ單純な話だが何故何處にでも分布して居るのであらうか。併し曾呂利物語にも見えて居るのであるから來歴は古いものらしい。日本昔話集七十二頁參照。
一人の山伏がお四國の山の道を歩いて行くと子狐が道端で寢てゐるので面白半分に法螺の貝を吹きかけた。しばらく行くと急に日が暮れかけて來た。是は困つた事だと思つて居ると向ふから葬式がやつて來る。暫くよけようと思ひ傍の木に上つた。葬式は其の木の元を三返廻つて死人を埋めて人々は去んで仕舞つた。さうすると今度は桶の割目から幽靈が出て來て山伏の足の所まで登つて來て足を引ぱつたとある。山伏は驚いて木から落ち目を廻してゐた。通りかかつた樵夫が見付けて助ける。其の後山伏は惡戯をしなくなつたと言ふ。他の二話では村の人の爲に山伏が縛り付けられたと話すのと山伏が一軒家の婆に頼まれて爺の棺桶を見てゐる内に桶が傍へ寄つて來たと言ふのがある。後者は末段が混同して山伏は近よつて來る桶を避けてゐて野つぼの中へ入り風呂だと思つて浴びてゐたなどと話されてゐる。                (話者は三豊郡吉津村及び仲多度郡豊原村の老人)

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五〇、うそつき小僧            (眞鍋智壽子)

採集手帖七十六番俵藥師參照。此の話は狂言記の中に近いものがある。近世作ではあるが柳田先生が説かれてゐるやうに惡の技術を説いて何の制裁も反省も附加しない一群の昔話の中に入る。
寺に院主と小僧があるが虚言ばかりつくるのでうそつき小僧と言はれてゐた。ある朝院主が今日は雨が降るけん葬式もないやろと思ふからのるかそるかの嘘を言へと言つたとある。その内に晴れて葬式があつたので院主は小僧を連れて行く。小僧は途中で腹が痛いと言つて院主を騙し先に歸つて院主は死んだから尼になれと言つて院主の妻の頭を剃つて仕舞ふ。暫くして院主が歸つて見ると妻は尼になつてゐる。びつくりして聞くと小僧は是がのるかそるかの嘘だと言つたとある。和尚と小僧の話の多數は和尚が小僧に乘ぜられるのであるがうそつき小僧の話などはまだ笑話化してゐない其の前の形だと言ひ得る。
(話者は綾歌郡土器村とある)

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五一、二反の白木綿

嫁と姑のたわいの無い口爭ひ。此地の話では「ひがん」か「ひーがん」かをどちらでも良いやうであるが爭つた話。勿論聞きに行くのは寺のお住持様の處へである。結局二反の白木綿を和尚がせしめるのである。此の話は相當數多く集つてゐる。中には二升の初穂米を和尚がせしめる事になつてゐるのが一話あつた。
(書いて來た生徒の中には丸龜市の者もあるし仲多度郡三豊の者等もあつた)

五二、尼裁判                (向井富美子)

採集手帖八十七番。田能久と尼裁判は數ばかりが大層多く集つた。落語の知識から來てゐるのでどれもこれも面白くない。何故田能久話と尼裁判の民間説話が落語に作爲されたかが注意されるべきである。茲にはさういつた潤色が加はつてゐない本物を採録する。仲多度郡廣島に於ける採集である。
昔京都の京極に始めて鏡屋が出來た。田舎の親爺が京の買物に行き其處を通り掛つて「かゝ見所」

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とあるので嬶を見ようと思つて中へ入つて見ると死んだ父が居た。早速買つて歸り毎日覗いて居るので嬶が不思議に思つて見ると美しい女が居る。そこで嬶が怒つて夫婦喧嘩をしてゐると尼が通りかゝつて是は鏡といふもので人の顔をうつしたり人の心を映し出すものだと教へる。女は改心して尼になつたと言ふ條は無い。
座頭話である事は明らかである。                               (話者 廣島大石角太郎老)

五三、旅學問                (三木歌子)

昔庄屋の息子が大阪へ學問に行く。宿屋へ來て泊ると女中が上落に致しませうか下落に致しませうかと言ふ。何の事かと聞くと上落は二階で下落は下だと言はれる。成程と思つて帳面に書付けて置く。二階に上ると今度は茶菓子と干柿を持つて來たので是は何かと聞けば茶菓子と柿だと答へる。是も帳面に書く。今度は膳に朱椀をつけてきたので是も何かと尋ねると朱椀だと教へられる。流石に大きい町へ來ただけあつて學問をしたと思つて宿を出ると大きな牛の死んだのを人がかついで來る。何かと聞くとおなめだと答へる。三月位居て村へ歸へると父の庄屋はよく歸つたと言つて喜び裏の柿の木に登り實を取らうとする。其時息子は醫者へかう云ふ手紙を書いた。

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茶菓子の上に上落致し中程に下落仕り候、朱椀たら<(#「<」は繰り返し)藥一服ときまにおなめになり候。
柿の木と上落、下落、朱椀は此の昔話に不思議によくくつついて居る。何故だらうか、何れにしても座頭話には違ひない。                              (話者は多度津町の者とある)

五四、愚か村                 (山本知子)

二話集つたが何處にでもある話で格別珍しい趣向のものは無い。はしごそばの話と琴三味線指南所の話である。はしごそばは干蕎麥が長いので二階の上から下まで垂らして食べたと云ふ話である。琴三味線指南所の方は京見物に行つた田舎者が或家の前を通り掛ると今迄聞いた事もないやうな音が聞えて來たので何だらうかと思ひ中へ入らうとすると「今年しや見せん死なん所」と書いてあるので成程今年は見られないが來年までは生きてゐるだらうと思つて歸つて行つたと謂ふ話である。職業の徒が持歩いたのであらうが、何處からもたらされたかは容易にわかるやうな氣がする話である。
(仲多度郡善通寺町の母より聞いたとある)

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五五、愚か聟

笑話までが種類を少くしてゐる。東日本には殊に多い愚か聟すら此の通りの有様である。
イ 團子の名
嫁の里で團子の御馳走になつた馬鹿聟が歸る途中川を渡る拍子に團子の名を忘れピントコショなどゝ言ひ乍ら歸る。嫁に作らせようと思つたがどうしても名前が出ないものだから腹を立て、嫁を火吹竹で叩いて頭に團子のやうな瘤が出來たと言はれて始めて名を思ひ出したといふ話。是は數多く集つたが中には餅になつてゐる場合もあるが餅ではちつとも面白くない。
ロ 糸引き合圖
馬鹿聟が親類の婚禮に出掛けるが嫁が心配して人に見えないやうに手に糸をつけて合圖をする事にした。先方へ行つて始めの挨拶は巧く言つたので親類の者達は是は馬鹿だと言ふが何もそんなことは無いと思ふ。愈々席についた時に其の家の猫が糸に戯れついたので聟はきつと何かの合圖だらうと思

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ひをかしな真似をして失敗する。是は一話しか集らない。
ハ ほつこに(「ほっこに」に傍点)入智惠すな
聟が嫁の里へ正月禮に行く事になつたが嫁が入智惠して里の親が何か相談をかけるだらうが多分今度普請をするからどの位のを建てようかなどゝ聞かれるに違ひない。二間に三間のがよからうとお言ひなさいと教へる。聟が里へ行くと舅が今度頭巾を拵へようと思ふがどの位のがよいかと聞いた。聟は二間に三間のが宜しいでせうと言つたと謂ふ話。

五六、グツとシンの話            (斎田フミ子)

グツとシンは婆が寺へ和尚を迎へに行つた留守を頼まれたので御飯を炊いてゐたのを見てゐる。グツ<(#「<」は繰り返し)と煮える音がし、シン<(#「<」は繰り返し)と湧きだしたのでグツとシンは自分等の名前を呼ばれてゐるのかと思ひ返事をしたが一向呼ぶばかりするので怒つて御飯の中へ灰を入れて仕舞つた。今度は甘酒の壺を棚から下す時に婆が壺の尻を持てと言つたのを間違へて自分の尻を持つたので壺を落して割つて仕舞ふ。次には和尚の法衣を風呂の火に燃して仕舞ひ和尚は裸になつて歸る。茲までは何處にでもあるグ

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ツの話だが此話はまだ續きグツが道を歩いてゐると大人が角力を取つてゐるのを見て喧嘩かと思ひ中へ入つて止めて呉れと言つて叱られ、今度は子供の喧嘩を見て角力かと思ひもう少しやれと言つて居ると他の人に怒られる。グツと言ふ物の煮える音が何故笑話になつて全國的に流布されてゐるのであらうか。極めて單純な笑話すらも方々にあると言ふのは此種笑話の傳播者は極く最近まで國内中を旅行してゐたのであらうか。何れにしても不思議である。
(話者は仲多度郡琴平町の老人)

五七、雨降れ<(#「<」は繰り返し)と鳴く蛙          (島信子)

水乞鳥の話が蛙となつてゐる。胸毛の赤いあの赤しようびんを見た事が無い農民の文藝では蛙に變化するのも當然である。
昔々蛙は鹽賣りの女房であつた。故あつて離縁されたが雨が降ると鹽がとけるので喜び雨降れ<(#「<」は繰り返し)と鳴く。鹽賣りの女房とは讃岐産らしく面白い。

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五八、鳶不孝                (島信子)

「雨が降つたら鳴く鳶」と題を付けてゐる。昔々鳶は親不孝で親の反對ばかりするので母が死に際に「死んだら墓を川の中へ作つて呉れ」と言ふ。母はさう言へば山の中へ墓を作つて呉れるだらうと思つたからである。子は親の死後始めて自分の惡かつた事に氣が付き親の言ひ付けどほり川の中へ葬る。ところが雨が降つて川の水が增す毎に母の墓が流れはしまいかと心配して雨の降る毎に鳴くと言ふ。此昔話はもう一話採集されたがそれは鳶とは言はず親不孝な息子の話となり母の死骸を海の中に投げこんだとあるがかう言ふ鳥の前生譚も遂には笑話化してゆく傾向が見られるのである。

五九、尻尾の釣               (鹽田文子)

採集されたのは一話。騙されたのは熊で騙したのは狐となつて居る。日本ではよく猿の尾は何故短いの話になつて居り此話の如きは主として外國に多いものである。生徒は祖父から聞いたと書いてゐるが怪しく思はれて仕方がない。

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六〇、弟子戀し               (髙木淸子)

中國から四國にかけては時鳥と兄弟の話が鍛冶屋と弟子とか和尚と弟子の話になつて居り何れも山薯の條を説くのは諸國の時鳥の話に同じい。今度採集された一話は惜しいことに破片である。
和尚が可愛がつてゐた小僧が川に流れて死んだので和尚は弟子戀し<(#「<」は繰り返し)と言つてゐる内に時鳥となつたと言ふ話である。
參照 採集手帖八十八番。昔話研究二巻北宇和の昔話。               (傳承者は丸龜市在住の人)

六一、猿蟹合戰               (佐長英子)

話の筋は教科書に似てゐるが話し方が素朴で眞面目に書いてゐるので甲式で原文のまゝ出す。
(三豊郡麻村の生徒である)
猿と蟹があつて山で遊んでをると蟹がおつきょいむすびを一つ拾ひました。それから猿は柿の種を一つ拾ひました。猿はそれを見て欲しくでたまらんもんぢやから智惠を出して言ふのには

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蟹さん<(#「<」は繰り返し)其のむすびを食うてしもうたらもうそれぎりぢやけんど儂が持つて居るこの柿の種は今すぐには食べられへんけど、是を植ゑて置いたらおつきょいむまい實がなるんぢやから儂の種とお前のむすびと一つかへことしようじやないか
と云ふと蟹はとう<(#「<」は繰り返し)かへました。惡い猿はこれはむまい事やつたと思うて見よる間にぷちや<(#「<」は繰り返し)と食べて仕舞ひました。蟹はすぐ家へいんで裏のあいた所へ播いて日に<(#「<」は繰り返し)水をかけて居ると其の明くる年びつくりする程ようけ實がなりました。蟹は嬉しくてたまらんもんぢやけに毎日木の下へいてじつと見てゐました。併し木に上る事が出來んもんじやから怨めしげに見て居ると猿がやつて來て
これはうまげな實ぢや、お前はちぎれんきに、儂が上つてむまいのをちぎつてやる。
と如何にも親切げに言ふてする<(#「<」は繰り返し)と上つてように熟れたむまげな分を手當り次第にちぎつて食べました。そこで自分のおなかがおきるごろになると下から蟹が一つちぎつて呉れと云ふと自分はむまい柿をむしや<(#「<」は繰り返し)齒をむいで目をまるうにして食べもつてよしといふて靑い渋いのを二つも三つも上からぶつけました。すると親蟹の背中に當つてたう<(#「<」は繰り返し)死んでしまひました。子蟹は是を見て大變悔んでおん<(#「<」は繰り返し)と泣いて居ると其處へ隣の臼と栗と蜂がやつて來てどうしたんかといふて泣くわけを問ふと子蟹はそのわけを泣きもつて言ふと三人はそれこそ目をむいで怒つておのれ憎い猿め今に敵を打つてやるといふて猿をやりつける相談をしたのです。そんで臼は蟹の家の屋根の上で待つて居るし栗は

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ちやんと火鉢の灰の中に隱れて居るし蜂は自分の槍をとぎすばいて水がめの裏へぢつと隱れて居つて別に使の者をやつて又柿をちぎつて呉れと頼んでやると賤しいて欲な猿じやけに又むまい柿が食べられると思うてすぐやつて來ました。そんで火鉢のとこへ座ると待ち構へて居つた栗はぽーんといふてそれこそ力一杯はりさけたのです。なんとて思ひがけない不意をやられたもんぢやから痛つと言つてあばてゝ水がめの水をつけに行くと又そこに隱れて今か<(#「<」は繰り返し)と待ち構へて居つた蜂が細い長い槍の針で力一杯にさしたもんぢやからもう愈々あはてゝ今度はたう<(#「<」は繰り返し)戸口から外へ逃げようと思うて飛び出さうとすると又其處に待つて居つた大きな立臼がどすんとおつきょい音をして屋根の上から落つて來、憎い猿を押へ付けました。それで子蟹はおどれ憎い奴め親のかたけぢや覺悟せと言うて自分のよう切れる鋏で憎い猿の首をちよん切つてたうとう目出度く親の敵を討ちました。
(話者は農、年齢六二とあるのみで氏名は明記してゐない。恐らくは此生徒が方言で書いた猿蟹合戰の作文であらうが面白いから載せた)

六二、片足脚絆

手帖八九番參照。此の片足脚絆は讃岐の特産であらうか他地方で餘り聞かない。五話集つたが何れ

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も繼子話と結合してゐる。併しそれもよく注意して見ると二つに分れイは發端が本子が繼子に同情した話即ちお銀こ銀などに近い話が始まるものロは兩方とも繼子である。イは一話ロは四話集つた。
イ                 (杉峯千代)
昔おてつとおかつの姉妹があつたがおてつは繼子でおかつは本子であつた。或時繼母がコツプ二杯の甘酒を作つたので妹が何の爲に作つたかと尋ねると一方はお前の爲に他方は姉を殺す爲に毒を入れたのだと教へる。そこで妹は姉に其の事を教へ一緒に家出をして仕舞ふ。父が外から歸つて來ると二人の姿が見えないので妻に尋ねると貴方の歸りが遅いので見に行つたのだと答へる。其れを聞くと父は脚絆を片一方だけつけて探しに行きどうしても見付からないで死んで仕舞つた。しかし思ひ切る事が出來ないで今でも「てつちよかつちよ」と啼いてゐる。其の鳥の足は一方が黑く他は白いと言はれてゐる。                          (話者は仲多度郡筆岡村の人)
ロ                  (田中久子)
四話の中から筋がよくとほつてゐるものを甲式で書く。是は郭公の前生譚となつてゐる。
或所になおてつ云ふのとなお勝云ふ繼子が居つたんぢや。或日繼母がな夕方頃二人を薪取りに出し

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たんぢやと。ほいで二人はしよが無いけに取りに行たんぢやけど仲々一杯にならんけに山の方まで遅うまで取つて迷ふてな。晩が來たのに歸らなんだんぢやがな。家では夕方父さんが歸つて來て足の脚絆を片足のけた時「お鐡とお勝はどうしたのい」と言ふんぢやわい。そした所がな「木取りに行て未だ歸つて來んので」と言ふんぢやと。ほんだ所がお父さんが脚絆片足の儘そらいかん云ふて山へ行て「鐡ちよい勝ちよい」「鐡ちよう勝ちよ」と呼び歩いたんぢやけど返事がなんぼにも無いんざや。其の中にお父さんはとうとう倒れて仕舞ふんぢやわい。それが死んでな鳥になるんぢやがな。その鳥は足が片足白で片方は黑の脚絆みたいなんぢやと。ほいでな「鐡ちよい勝ちよい」云ふてな啼きよんぢやと。それが郭公ちゆう鳥ぢやわい。         (傳承者は綾歌郡宇多津町在住の老人)
ハ                  (西山美代子)
中には梟の話になつてゐるものがある。簡單に書くと
お鐡とお勝は繼子であつた。夜遅くなつて父が歸つて來ると二人共に居ないので母親に尋ねると母は山へさゝぎを取りに行つたのだと嘘をついたが實は殺したのであつた。父親は片方の脚絆だけしかのけてゐなかつたがすぐ山へ探しに行き鐡ちよ勝ちよと呼んでも<(#「<」は繰り返し)返事をしないので遂に倒れて鳥となる。それが世に梟と云ふ鳥だ相である。(話者は仲多度郡四箇村の老人)

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六三、長い話

イ
昔大名屋敷の米藏の中へ鼠が澤山入つて居た。それが一匹づつ外へ出て來た。チューチューチューと言つて始めのが跳び出して來た。次のもチューチュチュと鳴き其の次のもその次のもチューチュチュ・・・・・・・・。
ロ
山中の池の傍に團栗の木が生えてゐた。風が吹いて來ると一つづつ木から落ちては池の中へ落ちる。池の中には岩があつたのでドブンカツチリ<<(#「<」は繰り返し)と次から次へと落ちる。といつて何時まででも聽手が聞き飽きるまで話すのである。
ハ
長崎からおこわめしを持つて來た。天から褌が下りて來た。

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後編

六四、小判チャリン

話者は七十三歳の老女だと云ふが作り話である。昔話には入らない。
駿河の太郎は怠け者であつたが或日淺間様と云ふ社に参詣して私の手が何かに觸つたら何でも小判になるやうにと願を掛ける。願の通り美しい花を取らうとするとチャリンと音を立てゝ花が小判となる。今度は自分の着物に手を觸れると着物は消えて小判が落ちて來る。何かを食べようとしてもすぐ小判になるので困つて是からは欲なお願ひはすまいと思ひ良く働くやうになる。此話も教訓の香が髙い。矢張説經僧の作であらう。

六五、稻神さま

是は教訓じみてゐるが「物の始まり」とでも名付くべき話である。かう云ふのが説教者の話し方で

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説教を聞きに來てゐる善男善女に多大の感銘を與へる爲には最もふさはしい趣向の話である。大昔には人は木になるお餅を食べて働かずに生活してゐたがお餅が減つてからは道の畔の小草に籾がなり始めた。すると若い人が出て來て是は槌にて打つてくだいて食べると教へた。この若い人が稻神様だと云ふ。其後土地を耕すのに便利なやうに牛が出來た。人はこんな風にしてお米を食べるやうになつたと言ひ
道の小草に米がなる。あらこんこんこ 豊年ぢや 滿作ぢや
と豊年には歌をうたつて祝ふやうになつた。
勿論新しいつくりものには相違ないが末尾の謠の「あらこんこんこ」と言ふのは狐の啼聲だらうが豊年に何の關係があるのか、能登國の萬行の三郎兵衛の話に脈絡があり相だ。

六六、三人片輪

三人の片輪があつた。躄と盲と唖である。仲好く一軒の家に住んでゐたが或日火事があり躄を唖が負ひ盲は唖の袂につかまり躄は目が見えるので指圖をして三人共に逃げる事が出來た。是だけではいさゝか話が不充分である。三人片輪の趣向は狂言記にもあるが元來は極端な大話であつたらうが段々

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と改作せられてゆく様に見える。昔話よりは世間話に近いものである。

六七、龜の伊勢參宮

是もこしらへ話である。併し從來の昔話と無關係に發生したものでは無く基づくところがある。例へば”龜の甲の由來”とか動物競走の昔話を土臺としてこんな話が出來たものと思はれる。
夏の土用に龜が伊勢參宮に出掛ける。途中で兎に逢ひ何處へ行くのかと尋ねられる。伊勢參宮に行くと言へば兎は手もろくにうてないものが參宮などに行つても仕様がない。若しそれでも行くのだつたら儂の分も一緒に拝んで置けと言ふ。龜は兎の言ふことを聞かずそこで二匹が喧嘩をしてゐると一羽の鳶が下りて來て龜に助勢し兎を蹴とばさうとするので兎は逃げた。鳶は龜を自分の足にとつつかせてお伊勢さまの門まで飛んで行き歸りにも龜を連れて歸つた相である。
昔話採集手帖九十三番雁と龜參照。

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六八、橫津の泥棒

古い昔話の破片を修理したものらしい。水の神の使ひのおもかげがある。是は昔話の世間話化したもの。
相撲取が子供を連れて夜中頃に横津の池のそばを通りかかる。池の邊へ來ると若い女の人が提灯を持つてぢつと立つてゐる。知らぬ顔で通り過ぎようとするとどちらへお出ですか私もお供させて呉れと言ふ。氣味惡く思ひながら一緒に歩いて行く。途中女は一寸私は行つて來る所があるから先へ行きなさいと言ひ提灯だけを相撲取に持たせて向ふへ行つて仕舞ふ。相撲取は提灯は傍の木に引掛け子供をなつぱいどして自分の家の方へ一生懸命に逃げて行つた。しばらくしてドーンと言ふ鐡砲の音がしたと思うと提灯がゆれて落ち燃えてゐる。是は女が故意に提灯を持たせて小髙い處から鐡砲でうち殺さうとしたのであつた。翌朝村の人と一緒に見に行くと池の傍の山には鍋や釜を澤山置いてあり是は泥棒の巣であつた。

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六九、眞島のおばけ

是は昔話の破片。親子の漁師が海へ行き時化に逢ひ仕方無しにお化けが出ると云ふ眞島に舟をつけ山の方へ行き木を燃してあたつてゐる。丁度そこへ白髪の婆が來て同じやうに手を出してあぶる。親子は共にびつくりして仕舞つたがしばらくして親が「お婆さんに鰹を燒いてあげよう。舟の中にあるから取つて來い」と子供に言ひ付けた。子供はそれを聞いて山から下り舟の中でぢつとしてゐる。しばらくすると今度は親が何時迄待つても取つて來ないから今度は私が見て來ようと言つて逃げて行く。そこで親子の者は舟を漕出した。婆は逃げたのを知つて口惜しがり乳房を切つて舟めがけてぶつけようとする。その乳房があたると舟はひかれるやうになるのだが幸ひ大分沖へ漕出してゐたので親子は命拾ひをした。
此話は各地にある山姥が餅と白石を間違へた話を思ひ出させるものがある。末段の乳房を切つて投げると云ふ趣向は珍しい。

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七〇、名を惜しむ商人

是は「倫敦橋」系の話を説經僧が改作したもの。百姓男が夢で鴻池に千兩箱が落ちてゐることを教へられ大阪へ千兩箱を拾ひに行く。世間の評判となり鴻池の若主人もそれを知り番頭に命じて瓦の割れを千兩箱の空箱に入れさせ邸の外へ捨てさせようとする。老人の番頭が鴻池の定紋入りの千兩箱は中味が瓦の割れだと言はれると恥だと思つて眞實の千兩箱を捨てゝ置く。百姓男は其れを拾ひ大金持となる。

七一、四つの角

是は新趣向の面白い話であるが説經僧が改作したものであらう。主人公を貧しい爺と婆にして正直物だとし富んだ庄屋は欲深い者として對立してゐる點は明白に隣の爺型の説話とは無關係で無い事を証明してゐる。昔話採集手帖三九番寶手拭の話が是に近い。
昔雪が激しい日にみすぼらしい旅僧が村の庄屋の門前にたどりつき一夜の宿を求める。庄屋は強欲

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であつたので旅僧が庭の隅か物置でよいから泊めて下されと言つたが泊めてやらない。そこで旅僧は吹雪の中を歩いて行くと小さな藁葺きの家があつたので宿を求めに入る。其の家は貧しい家であつたが正直な二人の老夫婦だけがゐてどうぞ泊つて下されと云ふ。暫くして爺は食べるものがないから小鳥を射ちに行く。そうして一羽の小鳥を捕つて來て料理をして呉れた。旅僧は翌朝になると昨夜の小鳥の足は何本であつたかと聞く。二本であつたと答へると二つの望みを叶へてやると言ひ爺と婆が正直でよく働くやうにしてやる。是を聞いた床(#「床」は底本のママ)屋は大層口惜しがり翌年の冬になつて旅僧が歩いて來ると今度は叮嚀にもてなし牛の雜炊を作り絹の布團に泊めてやつた。翌朝旅僧が昨日の牛の角は何本かと聞くと欲が深いので四本と答へる。では四つの望みを叶へると云つたので庄屋はほく<(#「<」は繰り返し)で喜ぶ。見送りの馬車に乘つて行く途中馬が立止つたので主人はさつさと走れと言つたが仲々動かうとしない。そこで腹を立てゝこんな馬は死んで仕舞へと云ふと馬は倒れて仕舞ふ。旅僧がお前の望みはもう二つしか無いと言つたので主人はぷん<(#「<」は繰り返し)と怒り歩いて家に歸り今度は女房にお前の頭に角が生えるとよいと言ふと二本の角が生える。女房が元の通りにして下さいと言つたので最後の望みをかけ四つとも望みは失つてしまつた。庄屋は其れから段々と家運が衰へたが一方正直な爺と婆の家は金持になつたと言ふ話である。

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七二、みみ(#底本では「ゝ」)ずの縁談話

みゝずが嫁を貰はうと思つて居ると或人が蛙を貰つたらとすすめた。蛙はバクチウツ<(#「<」は繰り返し)と鳴くので嫌ひだと言ひ百足を貰はうと言ふ。何故かと聞くと百足ではおあし(「あし」に傍点)が多いから金持だと言つた。

七三、てんの淨瑠璃語り

牛と馬と鼠が聞きに行き「てん<(#「<」は繰り返し)」と語り始めると牛は「もういのう<(#「<」は繰り返し)」馬は「ひんが暮れる<(#「<」は繰り返し)」と言へば鼠はまあおききのきーと言つた。

七四、正直小判

説經僧の新作と思はれる。「大歳の火」に似かよつた點があるのみ。略す。

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七五、嫁と姑

仲の悪い嫁と姑が仲好くなつたと云ふ話。説教師の新作。

七六、話千兩

話千兩の昔話を説經僧か家庭が加工改作したもの。今日の事は其の日に必ずせよと言ふ話を買つて歸り稲の穂を其の日の内に家の中へとりこんだが夜大嵐となり幸ひ稲は無事だつたと云ふ話。

七七、鬼の橋
村の橋に鬼が出るので三吉が馬に乘つて退治に行く。油を三石三斗三升三合買ひ馬の尻から尻尾にかけて行く。橋の上まで來ると若い女が居るので逃げようとすると鬼の姿になつて馬の尻にとびつき油の爲にすべつて鬼は倒れる。三吉は無事歸つたがそれから後に三吉の家では戸がひとりでに動いた

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り鳴つたりする。占者に見て貰ふと三日の間は物忌みをせよと言はれる。三日目の晩に鬼は三吉の弟に化けて來て三吉の首を食ひ切つてしまつた。
此話は昔話とは云はれないが不思議なものである。油を塗る條は珍しい趣向である。傳承者は此話を書いた子の祖母であるが藤袋の乙女の話をも知つてゐると云ふ。或ひは近世の草紙の中にあるのだらうか。
(話者は多度津町の者)

七八、ゴーヘイ鳥

昔話とは云ひ難い話であるが各地に行はれてゐる。
周章者の五郎兵衛爺が大根を風呂敷に包んで村境まで來ると頭の上の松の樹の髙い所から「ゴーヘイテレツクテーコ」と叫ぶ聲がする。爺さんには「ゴロベエ、フロシキデーコン」と聞えたので此の山の天狗が風呂敷の中に大根を包んであるのを知つてゐて俺に置いて行けと言つたのだと思ひ蒼くなつて逃げて歸る。天狗では無くゴーヘイ鳥だと言ふ。ゴーヘイ鳥とは梟だとも言つてゐる。

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七九、福の神の出て行く話

此話は醒睡笑にもある古い口合ひの一つである。純粹の昔話とは違ふ。
村に二軒の家があり一軒は一家揃つて仲好く働き金持であるが隣の家は貧しくて仲が惡い。仲のよい方の家では元旦になると其の家の子供を福の神にして朝暗く戸口から中へ入ると主人が福の神様どうぞお入り下さいと言つて子供をとほしお祝をする。それを知つた隣の仲の惡い家でも子供を元旦に福の神にして家へ入つて來させようと思つてゐる。所が怠け者なので元旦の日にも朝寢をしたので主人は皆を起し子供もゆり動かされたのでびつくりして外へ出ようとすると主人はもう外から入つて來たのかと思ひどなたで御座居ますかと云へば子供は福だ<(#「<」は繰り返し)と唱へる。どうぞお入り下さいと言へば今出て行く所だと言つたので矢張福の神を迎へる事が出來なかつたと云ふ話。

八〇、魔の池

是は傳説が説話化したもの。蛇聟入の昔話と無關係であるとは言へない。昔話と傳説の移行とか交

―102―

錯を考へる事が出來る。
昔或山奥に魔の池があり若い男が其處を通り掛つて綺麗な娘に會ふ。娘の事が忘れられなくなつて來て毎日通ひ娘の家へ行く。一月餘りたつて息子が氣抜けしてゐるので其の母が心配して聞き魔の池の魔の者に違ひないから體に針を立てよと教へる。息子は翌日出掛けて行き娘の體に針をたてると夜が明けて見ると血が一面に出て魔の池まで續いてゐる。家へ歸つて來てから息子は死んで仕舞ふ。魔の池の魔物も池の中で蛇を七匹生んで死に魔の池は七つに割れて蛇はそれぞれの池へ入つたと言ふ。

八一、年自慢

此話は輕口噺。江戸、上方から入つて來たもの。浦島太郎と東方朔と桃太郎小太郎が集つて話をしてゐると村の七億婆が來てやれ若い者が集つて話をしてゐることよと言つたと云ふ話。

八二、消えた僧

支那にもある人なし草の話。落語にもあるが矢張各地で昔話と混同して話されてゐる。

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坊主が隣村の法事に出掛けうどんを食べ過ぎたので來る途中巨蟒(ルビ ウハバミ)が食べてゐた草を食べると溶けてしまつてゐなくなつたと言ふ話。

八三、首のぬ(#底本では「拔」)きかへ            (香川恭子)

殿様が鷹狩に行く。向ふから鳶が飛んで來てお籠の上に糞をしかけた。家來の者がお籠の取り換へと言つたのですぐ綺麗なお籠と取り換へた。今度は狩場で又々鳶が來て糞を草履の上にしかけた。家來の者は草履の取り換へをした。今度は鳶は着物に糞をしかけそれもとりかへた。今度は殿様の頭の上へ糞をしたので家來の者は首の抜き換へをして別の首をさし入れた相である。此話は各地にあり江戸の話し家の製作だらうと思はれる。近くの例では昔話研究二巻に美馬郡祖谷山の話がある。

八四、圓座の泥棒             (和泉日出子)

ラムプシニツト系の民間説話であるが笑話化してゐる。
或晩盗人が圓座の酒屋の壁を掘つて穴をあけ杓を突込んで人間の頭の通り動かして見た。誰も氣が

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附いてゐないらしいので今度は眞實の自分の頭を中へ入れた。酒屋の主人は盗人が來てゐるのを始から知つてゐたので芋のずいきで盗人の首をしばいた。ずいきが冷たかつたので盗人は首を切られたものと思ひ氣絶して仕舞ふ。酒屋の主人は盗人が死んだものと思ひ是は只事でないと菰に包んで河原へ埋めて來た。丁度雨が降つて盗人は正氣づき自分は婆(#「婆」は底本のママ)婆で惡い事をしたから賽の河原へ迷うて來たのかと思ひ遥か向ふで念佛の聲が聞えて來るので佛生山のお寺の念佛の聲とは知らずそれをたよりに歩いて行つた。途中に蓮の生えた池があつたので蓮の上に浮んで佛にならうと葉へ上らうとするが仲々上れない。矢張自分は佛様になれないものと思ひ念佛の方へ歩いて行く。坊さんが澤山お經を唱へてゐたが丁度淨念佛の交代の坊さんが來たので自分は娑婆で惡い事をして來たので浮ばれなくて困る。どうぞ助けて下さい頼む。此處は婆(#「婆」は底本のママ)婆だと言つても本氣にせず其の男は一生を寺の掃き掃除として毎日<(#「<」は繰り返し)念佛を唱へながら送つた。
是は餘程巧妙な説教師の工作の如くに見られる。
(話者は丸龜市在住の者)

西讃岐昔話集終

西讃岐昔話集 (奥 附)