入力に使用した資料 底本の書名 讃岐の歴史 底本の編集者 香川地方史研究会 底本の発行所 講談社 底本の発行 昭和五〇年九月一〇日 入力者 今田一恵 校正者 田村洋美 入力に関する注記 ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の 文字番号を付した。 ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧 字)と表記した。 登録日 2008年10月14日
讃岐の歴史 目次 古代讃岐の世界 讃岐の夜明け‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二六 獲物を追って─旧石器時代 二六/ 縄文文化と瀬戸内海の形成 三〇/ 採集生活 と原始信仰 三二 古代国家への胎動‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三五 稲作の伝来とムラの発生 三五/ 動乱期の瀬戸内 三七/ 首長の出現 四二/ 古墳の発生 四五/ 大和朝廷と海上交通路 四九/ 讃岐の古代氏族 五三/ 群 集墳から薄葬令へ 五七 仏教文化の繁栄 律令下の讃岐‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥六六 讃岐の国府 六六/ 条里制と租庸調 六九/ 駅と津 七二/ 柿本人麿の歌 七四/ 城山城と屋島城 七七/ 讃岐の上代寺院址 八一/ 国分僧寺と国分尼寺 八六/ 讃岐の式内社 八九 讃岐の仏教と国司‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥九三 讃岐の名僧 九三/ 国司の政治家たち 九六/ 檀紙と円座 九八/ 塩飽の海賊 から水軍へ 九九 讃岐の支配者たち 武士の台頭‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一〇二 讃岐の武士 一〇二/ 純友の乱 一〇三/ ふえゆく荘園 一〇五/ 讃岐の交 通 一〇七/ 保元の乱と崇徳上皇 一〇八/ 西行法師の来讃 一一一 平家の滅亡と鎌倉政治‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一一二 讃岐の平氏 一一二/ 平家落人の伝説 一一六/ 法然上人の流罪 一一七/ 讃岐の守護・地頭 一一八/ 承久の乱 一一九/ 蒙古襲来 一二〇/ 日蓮宗 広まる 一二二/ 讃岐の文化 一二三 建武中興と足利幕府‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一二五 尊氏の叛旗 一二五/ 尊澄法親王と財田合戦 一二六/ 細川定禅と舟木頼重 一二八/ 白峰合戦 一三〇/ 佐々木信胤の挙兵 一三一/ 讃岐の武将の活躍 一三三/ 倭寇の出現 一三五/ 港町の発展 一三六/ 門前町と職人町 一三七/ 安国寺と利生塔 一四〇/ 岐陽方秀と山崎宗鑑 一四一/ 領国時代 の文化 一四二 戦乱の世終る 下剋上の世‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一四六 細川氏の衰退と三好氏 一四六/ 応仁の乱と讃岐武士 一四九/ 香西氏と讃岐 の豪族 一五一/ 仙石秀久・尾藤知宣の統治 一五四/ 長宗我部の侵略 一五六 秀吉の日本統一‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一五九 秀吉の四国平定 一五九/ 人名と朱印状 一五九/ 天下人の大坂築城 一六一/ 生駒氏の時代 一六二/ 新田開発と讃岐の農業 一六六/ 生駒家騒 動と伊予侍時代 一六八 藩政期の讃岐地方 高松藩の成立‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一七二 松平頼重の入封 一七二/ 讃岐守の地位 一七六/ 高松藩の家臣たち 一七七/ 高松藩の職制 一八一/ 嗣子の交替 一八四/ 真守の太刀 一八五/ 城下町の発達 一八六/ 上水道の布設 一八九/ 讃岐の五街道 一九〇 丸亀藩主の交替‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一九三 山崎氏から京極氏へ 一九三/ 多度津藩の誕生 一九七/ 天領と朱印地 一九八/ 漁場争い 二〇〇/ 漁家の習俗 二〇二 讃岐二藩の藩政‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二〇三 高松藩の財政危機 二〇三/ 藩札の発行 二〇五/ 丸亀藩の経済 二〇七/ 平 賀源内と高松藩 二一四/ 栗林荘 二一六/ 玉楮象谷と讃岐漆器 二一七/ 丸亀のうちわ 二一九/ 高松藩の教育と出版 二一九/ 丸亀藩の教育 二二二 農業政策・信仰・文化‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二二四 五人組制度 二二四/ 旱魃の記録 二二五/ 滝宮念仏踊 二二七/ 農民の 生活 二二九/ 百姓一揆の記録 二三〇/ 讃岐の切支丹 二三二/ 金毘羅 信仰 二三五/ 丸亀港の発展 二三六/ 太助灯籠 二三七/ 金毘羅街道 二三八/ 八十八か寺とお遍路 二三八/ 蕪村・一茶の来讃 二四〇/ 江戸 時代の絵画 二四三/ 塩飽の海運業 二四四/ 西廻り航路と塩飽船 二四五/ 咸臨丸と塩飽の水夫 二四八 変革期の讃岐 嵐の前の讃岐二藩‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二五二 鳥居甲斐守の幽閉 二五二/ 勤皇・佐幕の対立 二五三/ 鳥羽・伏見の戦いと 高松藩 二五五/ 時勢は移る 二五九/ 家老の殉死と朝敵事件 二六一/ 朝 敵事件の解決 二六二 御一新の世‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二六三 ええじゃないか 二六三/ 神仏分離・廃物毀釈 二六五/ 人名株を要求する 小坂浦漁民 二六七/ 松崎渋右衛門の謀殺事件 二六八/ 五十人組土肥大作 を襲う 二七〇/ 四国会議はじまる 二七二/ 讃岐から香川へ 二七四/ 徴兵令の公布 二七八/ 地租改正事業 二七九/ 抵抗する民衆 二八二/ 松平頼聡の帰京阻止事件 二八三/ 西讃血税一揆 二八五/ 豪商と自由民権運動 二八七/ 特設県会で活躍する人々 二八八/ 小西甚之助の国会開設請願運動 二八九/ 井上甚太郎の奔走 二九一/ 第三次香川県の設置 二九二/ 府県制・郡制の最終施行県 二九五 現代香川の歩み 近代社会への移行‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二九八 讃岐西郷・松本貫四郎と士族授産 二九八/ 奈良専二の農事改良 三〇〇/ 農談会から系統農会へ 三〇二/ 讃岐の灌漑水利慣行 三〇五/ 農民の歳時記 三〇八/ 瀬戸内海島嶼巡訪日記 三一〇 伝統産業と近代産業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三一三 讃岐糖業の衰退 三一三/ 讃岐の製塩業 三一四/ 麦稈真田と花莚・伝統工芸 三一六/ 島醤油と和紙 三一八/ 第百十四国立銀行 三一九/ 汽車・電車・ 乗合馬車 三二一/ 大久保諶之丞と四国新道 三二三 自我の芽生え‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三二五 寺子屋から小学校へ 三二五/ 中等教育および実業教育 三二六/ 藤川三渓と 大日本水産学校 三二九/ 菊池寛と香川不抱 三三〇 明治から大正へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三三二 善通寺第十一師団 三三二/ 谷本富の舌禍事件 三三三/ シベリア出兵と「軍 隊日記」 三三四/ 第一次世界大戦景気 三三四/ 香川の米騒動 三三六/ 潟元塩田の同盟罷業 三三九/ 普選即行を要求する大演説会 三四〇 目覚めゆく農民‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三四四 土を奪われた貧農 三四四/ 香川県下の小作争議 三四六/ 日農香川県連の 栄光 三五三/ 農民運動の屈折 三五五/ 穀物検査改正期成同盟 三五七/ 農家の副業 三五八 ファシズムの進行‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三五九 日華事変と安達部隊 三五九/ 政治家の苦悩 三六〇/ 満蒙開拓青少年義勇軍 三六二/ 銃後の生活 三六三/ 高松の空襲 三六五 敗戦から復興へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三六六 混乱のなかに胎動する地方自治 三六六/ 解体する寄生地主制 三六七/ 伸び ゆく諸産業 三六八/ 町村合併の進展 三七〇/ 学力テスト日本一 三七一/ 四国総合開発計画の夢と現実 三七二 「讃岐の歴史」を書き終えて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三七五 讃岐三藩歴代藩主系譜表‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三七七 「讃岐の歴史」年表‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三八〇 「讃岐の歴史」関係資料一覧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三九九 香川県文化財一覧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥四〇一 表見返 高松城城下絵図・寛永十七年(高松市立図書館蔵) 裏見返 幕末頃の四国八十八箇所順拝略図 撮 影 講談社写真部 仙波志郎 装 幀 森下年昭