1573年(天正 1) ~ (10K)

入力に使用した資料
底本の書名   香川県史 別編2 歴史年表 古代・中世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
       文字番号を付した。
      ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
       と表記した。

登録日    2004年5月20日
      


1573 天正1 7・28 (癸酉)
 県内  5・13 三好長治,篠原長房・長重父子を討つために,細川真之の供をして大
         内郡引田に着岸する(木屋文書)
     8・- 宣教師カブラル,塩飽島に着き8日間滞在する.この間,宿の婦人が
         キリシタンとなる(耶蘇会士日本通信)
 県外  7・4 足利義昭,山城槇島城で織田信長に対し再度挙兵する.ついで同月18
         日,信長に降伏する〔室町幕府崩壊〕

1574 天正2 (甲戌)
 県内  10・- 三好長治,三好越後守・篠原入道らに,大窪寺を越え香西の拠る勝賀
         城を攻めさせるが,成功せず退く(南海通記)
     10・- 三好越後守・大西覚養など寒川郡昼寝城を攻めるが落とせず退く(南
         海通記)

1575 天正3 (乙亥)
 県内  5・13 これ以前.宇多津西光寺.織田信長と戦う石山本願寺へ.青銅700貫
         ・米50石・大麦小麦10石2斗を援助する(西光寺文書)
     5・25 備前の浦上宗景,安富盛定に書を送り,宇喜多直家との合戦の状況を
         伝え,今後の安富との協力を求める(六車家文書)
     この年 香川信景,他領を侵す那珂郡の金倉顕忠を,福家・滝宮氏などに討た
         せる(南海通記)

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1576 天正4 (丙子)
 県内  8・29 宇多津西光寺向専,石山本願寺顕如より援助の催促をうける(西光寺
         文書)
     この頃 香川之景と香西佳清,織田信長に臣従し,之景は名を信景に改める(南
         海通記)
 県外  2・8 足利義昭,毛利を頼り,備後鞆津に着く(小早川家文書)
     7・13 毛利輝元,信長側の水軍を破り,石山本願寺に兵粮を搬入する(毛利
         家文書)

1577 天正5 (丁丑)
 県内  2・1 奈良玄蕃助,三好越後守より,鵜足郡津郷内皮古村を与えられる(奈
         良家文書)
     3・26 織田信長,堺に至る塩飽船の航行を保証する(塩飽勤番所文書)
     7・7 香川信景.三野郡高瀬の蔵敷について,残り半分を秋山木工進に渡す
         ことを約する(秋山家文書)
     7・- 毛利・小早川氏配下の児玉・乃美・井上・湯浅氏ら渡海し,讃岐元吉
         城に攻め寄せ,三好方の讃岐惣国衆と戦う(萩藩閥閲録所収文書)
     11・- 毛利方,讃岐の羽床・長尾より人質を取り,三好方および讃岐惣国衆
         と和す(厳島野坂文書)

1578 天正6 (戊寅)
 県内  8・24 香川之(信)景,土佐軍が乱入し寺を焼き屏風浦で合戦が行われてい
         る風聞を矢原正兵衛に伝え,注意を喚起する(矢原家文書)
     この年 長宗我部元親,藤目城・財田城を攻め落とす(南海通記)
     この年 宣教師フロイス,京都から豊後に帰る途中,塩飽島に寄り布教する(耶
         蘇会士日本通信)
 県外  11・16 織田信長の水軍,毛利水軍を破る(萩藩閥閲録所収文書)

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1579 天正7 (己卯)
 県内  4・- 羽床伊豆守,長宗我部元親に降伏する(南海通記)
     5・12 某姓為国・長和,豊田郡地蔵院に禁制を下す(地蔵院文書)
     この年 香川信景,長宗我部元親と和し,元親の次男親政を婿とし,天霧城を
         渡す(南海通記)

1580 天正8 (庚辰)
 県内  この年 長宗我部元親,西長尾山に城を築き,国吉甚左衛門尉を城主とする(南
         海通記)
 県外  3・5 石山本願寺顕如,織田信長と和す.ついで4月,紀伊雑賀に移る〔石
         山合戦終わる〕

1582 天正10 (壬午)
 県内  4・- 塩飽・能島・来島,秀吉に人質を出し,城を明け渡す(上原苑氏旧蔵
         文書)
     7・- 長宗我部親政ら,西長尾から那珂・鵜足郡を通り,阿野郡国分寺に本
         陣を構える(南海通記)
     8・- 香西佳清,長宗我部軍と香西郡伊勢馬場・西光寺等で戦う.香川信景
         の仲裁により和議を結び,長宗我部親政に降る(南海通記)
     8・- 長宗我部親政,山田郡十河城を囲む(南海通記)
     9・21 十河存保,阿波国勝瑞城の戦いに敗れ,虎丸城に退く(長元記)
     9・- 仙石秀久,秀吉の命により十河存保を救うため,兵3000を率い小豆
         島より渡海.屋島城を攻め,長宗我部軍と戦うが,攻めきれず小豆島
         に退く(改撰仙石家譜)
     10・- 阿波から長宗我部元親軍到着し,十河城一帯を焼き払う(南海通記)

 県外  5・7 羽柴秀吉,備中高松城の清水宗治を包囲する(浅野家文書)
     6・2 明智光秀,織田信長を本能寺に攻め自殺させる〔本能寺の変〕
     8・28 長宗我部元親,十河存保を阿波国中富川に破る(長元記)この戦いで,
         奈良太郎兵衛,寒川三河守父子戦死する(南海通記)
     9・21 長宗我部元親,阿波国勝瑞城を陥す(長元記)

1583 天正11 (癸未)
 県内  2・18 十河存保,香東郡野原野潟の寺内を三木郡池戸の四覚寺原へ移転・再
         興するのに伴い,課役等を免除する(興正寺文書)
     3・2 長宗我郡元親,秋山木工進に対し,同弟蓬殿討死の悔みと戦功を賞す
         る(秋山家文書)
     3・6 十河存保家臣の三木通倫と東村政定,香東郡野原野潟の寺内を三木郡
         池戸の四覚寺原に移す普請を急がせる(興正寺文書)
     4・- 長宗我部元親,寒川郡に入り田面山に陣をしき,大内郡与田・入野に
         兵を出す(仙石家譜)
     4・- 仙石秀久,再度讃岐に入り2000余兵を率い,引田で長宗我部軍と戦
         う(仙石家譜)
     5・2 香川信景,大内郡入野屋合戦における山地九郎左衛門の戦功を賞する
         (諸名将古案所収文書)
 県外  4・21 秀吉,柴田勝家の兵を破る「賤ヶ岳の戦〕

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1584 天正12 (甲申)
 県内  6・11 土佐の香宗我部親泰,十河城落城を織田信雄に伝える.これより先,
         長宗我部勢,十河城を包囲し,十河存保逃亡する(香宗我部家伝証文
         所収文書)
     7・19 長宗我部元親の将久武親直,金子元宅に讃岐東方まで軍を進めること
         を促す(金子文書)
     11・7 本門寺諸坊,同寺供僧定書を制定し.守ることを誓約する(本門寺文
         書)
 県外  3・6 織田信雄,秀吉と絶交する(香宗我部家伝証文所収文書)
     6・16 秀吉,十河城に兵粮米を送るため,仙石秀久の指示に従い警固の船を
         用意するよう,小西行長らに命じる(竹内文書)
     8・20 織田信雄の家臣信純,長宗我部元親に備前国を与えることを約し,香
         宗我部親泰に淡路に早く渡ることを要請する(香宗我部家伝証文所収
         文書)
     11・15 秀吉.織田信雄と和睦する(幸田文書)