1400年(応永 7) ~ (50K)

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底本の書名   香川県史 別編2 歴史年表 古代・中世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
       文字番号を付した。
      ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
       と表記した。

登録日    2004年5月20日
      


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1400 応永7 (庚辰)
 県内  2・9 細川頼長,先に父頼有が寄進した永源庵領山田郡十二郷内本山徳(得)
         永名を安堵する(細川家文書)
     3・23 足利義満,細川頼長の讃岐・阿波・伊予3か国の所領を安堵する.つ
         いで8月24日,讃岐国の寒川郡神部(鴨部)荘地頭職以下を頼長代
         官に渡し付けるよう,守護細川満元に命じる(細川家文書)
     4・28 足利義満,豊嶋三郎左衛門入道の石清水八幡宮領三野郡本山荘公文職
         の安堵を取り消し,社家雑掌に渡し付けることを守護細川満元に命じ
         る.ついで9月15日,満元,守護代香川帯刀左衛門尉に施行する(石
         清水文書)
     7・23 守護細川満元,善通寺誕生院院主別当の同院内勧学院領に対する干渉
         を停止し,勧学院領所職名田を誕生院兵部卿法印に安堵する(善通寺
         文書)

1401 応永8 (辛巳)
 県内  4・3 相国寺僧周興,醍醐寺三宝院領長尾荘を請け負う(醍醐寺文書)
     9・29 金蔵寺蔵薬師如来坐像,開眼される.
     この年 足利義満,崇徳院御影堂領阿野郡北山本新荘年貢運送船に,兵庫南北
         両関の関銭を免除する(六波羅蜜寺文書)
     この年 常徳寺円通殿(現,仁尾町)造営される.

1402 応永9 (壬午)
 県内  3・30 大内郡虚空蔵院住持増吽,若王寺大般若経の外題を書く(若王寺大般
         若経)

1404 応永11 (甲申)
 県外  7・- 寒川元光(常文),東寺領山城国上久世荘公文職を舞田康貞に押領さ
         れたことを東寺に訴える.以後十数年にわたり寒川氏と舞田氏の相論
         つづく(東寺百合文書)

1405 応永12 (乙酉)
 県内  2・6 足利義満,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田を宝寿院玉寿丸
         (顕縁)に安堵する(八坂神社文書)
     10・29 足利義満,那珂郡子松荘・同金武名・同郡高篠郷一分地頭職・同公文
         職を備中守護細川頼重に安堵する(長門細川家文書)
     この年 東光寺(現,丸亀市本島)蔵鰐口造られる.

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1406 応永13 (丙戌)
 県内  1・2 由佐秀隆,香東郡井原荘内寺家半分を某姓久光と和与する(由佐家文
         書)
     (6)・17(#「6」は丸付き数字) 足利義満,祗園社領三野郡西大野郷・阿野
         郡萱原神田を宝寿院玉寿丸に所務させることを,守護細川満元に命じ
         る(八坂神社文書)

1407 応永14 (丁亥)
 県内  3・晦 熊野先達有慶,讃岐国旦那職を明尊に売り渡す(熊野那智大社文書)
     この年 与田寺(現,大内町)蔵十二天像版木,増吽によって開版される.

1408 応永15 (戊子)
 県内  12・20 足利義持,那珂郡子松荘ほかの所領を備中守護細川頼重に安堵する(長
         門細川家文書)
 県外  5・6 足利義満,没する(公卿補任)
     8・10 安富宝城,東寺領備中国新見荘領家方を請け負う(東寺百合文書)

1409 応永16 (己丑)
 県内  9・17 守護細川満元,醍醐寺三宝院領長尾荘の公田中分を止め,領家の所務
         を全うさせるよう地頭に伝えることを,守護代安富宝城(盛家)に命
         じる.翌18日,宝城,又代官安富次郎左衛門入道に施行する(醍醐
         寺文書)

1410 応永17 (庚寅)
 県内  3・14 金蔵寺評定衆,寺用足その他について連署起請文を作成する(金蔵寺
         文書)
     6・21 寒川常文,醍醐寺三宝院領長尾荘領家方年貢を260貫文で請け負う(醍
         醐寺文書)
     12・17 善通寺誕生院宥快,善通寺年貢を35貫文で本所隋心院に請け負う(善
         通寺文書)
     12・21 足利義持.後鳥羽院御影堂領三木郡氷上郷・香西郡中間郷の下地を雑
         掌に打渡すよう,守護細川満元に命じる(水無瀬宮文書)

1411 応永18 (辛卯)
 県内  5・2 京都大報恩寺,鵜足郡栗熊郷などの寺領目録を幕府に提出し,安堵を
         求める(宮内庁書陵部所蔵文書)
     8・21 足利義持,和泉半国守護細川持有に讃岐・阿波・伊予3か国の所領を
         安堵する(細川家文書)
 県外  この年 三野郡出身の僧岐陽方秀.東福寺第80世となる(本朝高僧伝)

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1412 応永19 (壬辰)
 県内  12・26 足利義持,山田郡本山郷徳(得)永名・多度郡葛原荘公文職・鵜足郡
         宇水ほかを建仁寺永源庵に安堵する(永源師檀紀年録所収文書)
     この年 香西常建,清水坂神護寺領香西郡坂田郷を170貫文で請け負う(御前
         落居記録)

1413 応永20 (癸巳)
 県内  4・27 細川家領小豆島代官安富宝城,備前国棟別銭の賦課について,備前国
         からの国役が小豆島に対して課せられたことはない旨を,備前守護に
         答える(東寺百合文書)
     8・9 守護細川満元,山田郡本山郷内徳永名を,和泉半国守護細川持有代官
         に渡し付けるよう,守護代安富宝城に命じる(永源師檀紀年録所収文
         書)

1414 応永21 (甲午)
 県内  4・21 善通寺誕生院宥快,誕生院住持職・所領免田畠などを宥栄に譲る(善
         通寺文書)
     12・11 白峯寺頓証寺.足利義持の執奏により,後小松上皇より宸筆の勅額を
         与えられる.また,合わせて細川満元の催した法楽百首が泰納される
         (白峯寺文書)
 県外  7・29 丹波守護代香西常建,東寺領同国大山荘における即位段銭の催促を止
         めるよう,幕府より命じられる(東寺百合文書)

1415 応永22 (乙未)
 県内  10・22 守護細川満元,賀茂御祖社領三野郡仁尾浦供祭人に対し,賀茂社の課
         役を免除し,海上諸役勤仕を命じる(仁尾賀茂神社文書)

1416 応永23 (丙申)
 県内  2・- 琴弾八幡神社(現,観音寺市)の縁起がつくられ,足利義持,御判を
         加え奉納する.
     12・- 足利義持,醍醐寺報恩院隆源の譲りにより,阿野郡陶保ほかの所領を
         隆寛に安堵する(醍醐寺文書)

1417 応永24 (丁酉)
 県内  10・23 和泉半国守護細川持有,山田郡本山郷徳永名・鵜足郡宇水ほかの所領
         を建仁寺永源庵に安堵する(細川家文書)
     この年 渕崎八幡神社(現,土庄町)に鰐口奉納される.

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1418 応永25 (戊戌)
 県外  この年 岐陽方秀,天竜寺第64世となる(本朝高僧伝)

1420 応永27 (庚子)
 県内  10・17 守護細川満元,守護料所三野郡仁尾浦供祭人の兵船勤仕を賞し,甲乙
         人の神人に対する狼藉を禁じる(仁尾賀茂神社文書)
 県外  5・20 奈良元俊,摂津守護代として,同国武庫郡小松荘内大光寺敷地等につ
         いて,小守護代佐藤師恒に命じる(大徳寺文書)

1421 応永28 (辛丑)
 県内  4・11 善通寺誕生院宥鎮,善通寺年貢を35貫文で本所随心院に請け負う(善
         通寺文書)
     この年 正覚院(現,丸亀市本島)蔵懸仏,造られる.

1422 応永29 (壬寅)
 県内  1・16 香川道貞,善通寺領弘田郷領家職・一円保所務職・寺家別当奉行を40
         貫文で本所随心院に請け負う(善通寺文書)
     3・12 善通寺誕生院,本所随心院より弘田郷領家職・一円保所務職・西山安
         養院並びに寺家別当奉行に任じられる.ついで5月14日,守護細川
         満元の安堵をうける(善通寺文書)
 県外  6・8 丹波守護代香西常建.没する(康富記)

1425 応永32 (乙巳)
 県内  6・6 三野郡仁尾惣浦,須賀五郎次を仁尾浦綿座衆に加える(仁尾賀茂神社
         文書)
 県外  11・22 十河宗善,摂津守護代として,同国小松荘内長芦寺領について,小守
         護代佐藤師恒に命令を出す(大徳寺文書)
     12・31 香西元資,円波守護代として,同国東寺領大山荘の人夫役について,
         守護細川満元より命をうける(東寺百合文書)

1426 応永33 (丙午)
 県内  2・25 増吽,三野郡仁尾覚城院を再興し,供養導師をつとめる(覚城院文書)
     10・16 守護細川満元没し,持元あとを嗣ぐ(満済准后日記)

1427 応永34 (丁未)
 県内  6・15 和泉半国守護細川家,多度荘内得武名地頭職ほかを建仁寺瑞応庵に安
         堵する(永源師檀紀年録所収文書)

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1428 正長1 4・27 (戊申)
 県内  2・- 持宝寺(現.丸亀市本島)蔵絹本著色両界曼荼羅,良海によって先師
         実海の菩提のため,正覚院尊師堂に施入される.
     5・19 万里小路豊房,不知行所領について足利義宣(義教)に直訴し,斥け
         られる.讃岐国衙領は女儒への公役滞納によって,足利義持が豊房か
         ら取り上げ,弟時房に宛行ったという(建内記)
     この年 若狭法眼某,醍醐寺三宝院領長尾荘の年貢を請け負う(醍醐寺文書)
 県外  9・18 近江.山城の土民ら蜂起し,幕府に徳政を要求する〔正長の土一揆〕

1429 永享1 9・5 (己酉)
 県内  7・2 醍醐寺,所領目録を幕府に提出し,足利義教の安堵をうける(醍醐寺
         文書)
     7・14 守護細川持元没し,弟持之あとを嗣ぐ(満済准后日記)

1430 永享2 (庚戌)
 県内  1・26 足利義教,備中守護細川氏久に,那珂郡小松荘ほかの所領を安堵する
         (長門細川家文書)
     5・25 和泉半国守護細川持有,鵜足郡宇水を建仁寺永源庵に安堵する(細川
         家文書)
     9・26 足利義教,金蔵寺の諸公事を免除する(金蔵寺文書)
     11・12 足利義教,南御所領阿野郡南条山地頭職ほかを安堵する(宝鏡寺文書)
     12・11 万里小路時房,讃岐国衙年貢を規定通り納めるよう,国衙代官成就院
         増観(阿波守護細川持常の弟)に伝えることを,持常被官飯尾氏に申
         し入れる(建内記)
     12・25 守護細川持之,善通寺領田所職・得一名を善通寺に返付するよう.守
         護代香川下野入道に命じる(善通寺文書)

1431 永享3 (辛亥)
 県内  9・6 幕府,清水坂神護寺の訴えにより,香西豊前入道常慶(元資)の同寺
         領香西郡坂田郷の所務代官を解任し,寺家直務とする(御前落居記録)
     11・28 守護細川持之,香西郡坂田郷は頼之以来の知行地であるので守護代官
         の所務を復活されるよう,醍醐寺三宝院満済にとりなしを頼む(満済
         准后日記)
     12・10 足利義教,香西郡坂田郷について,香西豊前入道常慶以外の人物を任
         命することで,守護被官の代官請負を認める(御前落居記録)
 県外  7・24 足利義教,丹波守護代香西元資の失政を咎め,守護代罷免を丹波守護
         細川持之に命じる(満済准后日記)

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1432 永享4 (壬子)
 県外  3・15 細川持之,鷹取城(大和《カ》)(#「カ」はカナ小文字)における由
         佐秀隆の戦功を賞する(由佐家文書)

1433 永享5 (癸丑)
 県内  6・5 守護細川持之,石清水八幡宮領三木郡牟礼荘の請負代官に被官安富筑
         後守を任命されるよう,同宮平等王院に申し入れる(石清水八幡宮文
         書)

1438 永享10 (戊午)
 県内  9・17 足利義教,和泉半国守護細川教春の讃岐・阿波・伊予3か国の所領を
         安堵する(細川家文書)

1439 永享11 (己未)
 県内  9・10 守護細川持之の援助により,領主近藤国茂,造営奉行として三野郡讃
         岐二宮大水上神社社殿を修築する.翌年4月,完成(二宮記録)
     この年 水主神社(現,大内町)蔵木造狛犬1対,造られる.

1440 永享12 (庚申)
 県内  12・11 寒川元光,醍醐寺三宝院領長尾荘を年貢210貫文で請け負う(醍醐寺
         文書)

1441 嘉吉1 2・17 (辛酉)
 県内  3・9 万里小路時房,讃岐国衙年貢滞納分について,細川持常に善処を求め,
         持常それを約する(建内記)
     この年 嘉吉の乱に際し,守護料所三野郡仁尾浦神人,守護代香川修理亮より
         出船を命じられ船2艘を仕立てる.御料所代官香西豊前これを僻事と
         し,船頭を捕え糺明する(仁尾賀茂神社文書)
 県外  6~9 赤松満祐,足利義教を自第に誘殺し,播磨に走る.9月10日,満祐,
         幕府の追討をうけ播磨本山城で自殺する〔嘉吉の乱〕
     9・12 これより先,京都周辺に土一揆が蜂起し,徳政を要求する〔嘉吉の土
         一揆〕この日,幕府,徳政令を公布する(建内記)

1442 嘉吉2 (壬戌)
 県内  2・5 細川持賢被官天竺孫次郎,大覚寺門跡領香西郡坂田荘を請け負う(山
         科家古文書)
     6・- 守護料所三野郡仁尾浦神人,御料所代官香西豊前の改替を要求し,逃
         散する(仁尾賀茂神社文書)
     8・4 守護細川持之没し,子勝元あとを嗣ぐ(管見記)
     10・- 6月に逃散した仁尾浦神人,一旦還住したが,代官香西豊前が同所陸
         分の検地を行おうとしたため,再び代官の改替を要求する(仁尾賀茂
         神社文書)

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1443 嘉吉3 (癸亥)
 県外  5・21 摂津堺北荘代官香西之長,万里小路時房知行の禁裏御厨子所率分(関
         所)の警固役に任じられる(建内記)

1444 文安1 2・5 (甲子)
 県内  2・13 女嬬代官,讃岐国衙役掻燈(かいともし)の費用滞納10万疋に及び,
         万里小路時房に催促する(建内記)
     5・14 万里小路時房,細川持賢に讃岐国衙年貢皆済の催促を頼む(建内記所
         収文書)
     8・- 大内郡水主神社,神人座配を定める(水主神社大般若経函底書)

1445 文安2 (乙丑)
 県内  8・- 法泉寺跡(現,多度津町)より発掘された石造宝篋印塔,造られる.
     11・25 秋山泰弘,三野郡高瀬郷伊予大道下地頭職・新浜土居給・東本山水田
         名を嫡子孫次郎に譲る(秋山家文書)
 県外  この年 1月より翌3年1月までの間に兵庫北関を通過した讃岐及び小豆島船
         籍船は,のベ240隻以上におよぶ(兵庫北関入船納帳)

1446 文安3 (丙寅)
 県内  2・7 三野郡本門寺,秋山泰忠の置文に基づき定書を作成する(本門寺文書)
     2・16 守護細川勝元,由佐助政の所領香東郡井原荘安原山・大野村を安堵す
         る(由佐家文書)

1447 文安4 (丁卯)
 県内  4・20 万里小路時房,国衙年貢滞納につき,守護細川勝元に皆済の催促を頼
         む(建内記)
     9・18 万里小路時房,讃岐国衙年貢の多額の滞納が続けば,直務とすること
         を幕府に訴える.また,この日,子息冬房に譲った讃岐国衙年貢の安
         堵を幕府に請う(建内記)

1448  文安5 (戊辰)
 県内  8・27 本門寺日門,本堂・聖教・所領を左京阿闍梨に譲る(本門寺文書)
     この年 水主神社(現,大内町)蔵木造獅子頭,造られる.

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1449 宝徳1 7・29 (己巳)
 県内  8・13 管領細川勝元,京都崇徳院御影堂領阿野郡北山本新荘の国料船福江丸
         について,年間10艘の海上・河上諸関の関銭免除を認める(東山御
         文庫記録所収文書)
     10・- 長尾景高,那珂郡上金倉荘惣追捕使職を金蔵寺に寄進する(金蔵寺文
         書)

1450 宝徳2 (庚午)
 県内  2・- 摂津尼崎本興寺日隆,宇多津弘経院の法度を定める(本妙寺文書)
     12・5 幕府,讃岐など6か国の段銭を東大寺八幡宮御供所造営料にあてる(東
         大寺文書)

1451 宝永3 (辛未)
 県内  6・2 本興寺日隆,宇多津の円信に曼荼羅を授与する(本妙寺蔵日隆曼荼羅)
 県外  この年 香西藤井某,和泉半国守護細川持久の守護代に任じられる(康富記)

1452 享徳1 7・25 (壬申)
 県内  7・- 宇多津本妙寺開創される(日隆寺号授与状)
    (8)・15(#「8」は丸付き数字) 琴弾八幡宮放生会祭式の配役定まる(観音寺
         文書)

1453 享徳2 (癸酉)
 県内  11・28 守護細川勝元,金蔵寺領の諸公事・段銭を免除する(金蔵寺文書)

1454 享徳3 (甲戌)
 県内  12・21 足利義政,近藤越中守の仁和寺法金剛院法華堂領三野郡勝間荘領家職
         ・祗園社領三野郡西大野郷領家方代官職を安堵する(八坂神社文書)
 県外  10・7 東寺,細川勝元の強い要請により,寒川元之を同寺領山城国上久世荘
         公文職に任じる(東寺百合文書)

1455 康正1 7・25 (乙亥)
 県内 (4)・-(#「4」は丸付き数字) 安富盛保,三木郡和爾賀波神社に三十六歌仙
         扁額を奉納する(和爾賀波神社文書)
     11・22 丸部泰家,三野郡三崎荘船越八幡宮に懸仏を奉納する.
 県外  12・29 幕府,河野教通の伊予守護職を解任し,細川勝元を任じる(斎藤基恒
         日記)

1457 長禄1 9・28 (丁丑)
 県内  12・29 守護細川勝元,寒川郡志度荘内志度寺領天野村3名半を安堵する(志
         度寺文書)
 県外  10・- 土一揆京都に侵入し,管領細川勝元以下の幕府軍・土倉軍と戦う(経
         覚私要鈔)

1458 長禄2 (戊寅)
 県内  5・3 瀧宮実明,賀茂別雷社領那珂郡万濃池の年貢6貫600文を納入する(賀
         茂別雷神社文書)
     7・10 瀧宮実長,善通寺誕生院領阿野郡萱原領家方代官職を請け負う(善通
         寺文書)
     12・晦 香西平五元資,請負額50貫文で,醍醐寺報恩院領阿野郡陶保代官職
         の継続を望む(醍醐寺文書)
     12・- 興福寺領藤原荘の請負代官新開某,年貢4貫文を納入し,残りの年貢
         免除を願う.大乗院尋尊,これを拒否し,前年・前々年の滞納分の納
         入を命じる(大乗院寺社雑事記)

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1459 長禄3 (己卯)
 県内  9・3 某,讃岐国崇徳院御影堂領鵜足郡皮古保地頭職半分の安堵を鑰前院に
         伝える(鎌田博物館蔵写真帳所収白峯寺文書)

1460 寛正1 12・21 (庚辰)
 県内  3・18 守護細川勝元,不行跡により冠尾社惣官の所帯を没収して,松井右近
         を補任し,社領及び社役人の管理を由佐助政に命じる(由佐家文書)
     4・- 京都崇徳院御影堂禅衆ら,院領阿野郡北山本新荘の国料船福江丸に対
         し兵庫南北両関が関銭を徴収したことを抗議し,応永8年以来の御教
         書の旨に任せて,関銭を免除するよう幕府に訴える(六波羅蜜寺文書)
     5・18 足利義政,備中守護細川勝久に,父氏久より譲られた那珂郡子松荘ほ
         かの所領を安堵する(長門細川家文書)
    (9)・13(#「9」は丸付き数字) 讃岐東方守護代安富智安,守護細川勝元の施
         行状をうけて,守護料所寒川郡志度荘の国役の催促を停止するよう,
         又代官安富左京亮に命じる(弘文荘古書販売目録所収文書)
     12・- 守護細川勝元,讃岐一宮田村神社に26か条の壁書を下す(田村神社
         文書)
     この年 讃岐旱損,翌年も飢饉が続き,醍醐寺報恩院領陶保においては,百姓
         ら5・60人餓死する(醍醐寺文書)
 県外  この年 近畿・山陰・山陽・北陸の諸国飢饉,翌年も続く〔寛正の大飢饉〕

1461 寛正2 (辛巳)
 県内  2・9 醍醐寺報恩院隆済,同院領陶保の代官香西平五元資を解任し,寺家直
         務とすることを細川持賢に求める(醍醐寺文書)
     2・14 熊野先達快什,那珂郡高篠郷の旦那職を宰相公に譲る(熊野那智大社
         文書)
     2・21 熊野先達実讃,本銭返しにて,讃岐国津守兵部門弟付属の旦那職を売
         却する(熊野那智大社文書)
     3・16 善通寺誕生院と玉泉院,誕生院住持職について相争い,守護被官新開
         某の口入により,住持職を誕生院宥栄に菊珍三昧職を玉泉院に渡すこ
         とで和解する(善通寺文書)
 県外  6・- 東寺領備中国新見荘領家方代官安富智安,荘民の土一揆により追放さ
         れる(東寺百合文書)

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1462 寛正3 (壬午)
 県内  6・13 安部加賀入道の給地山田郡東本山内切米,加賀入道一代の間という細
         川持有の約定により,永源庵に返付される(永源記所収文書)
     7・19 細川持賢,讃岐根香寺勧進のため,足利義政に奉加御判を請う.つい
         で21日,義政,根香寺浄土曼荼羅を上覧する(蔭涼軒日録)
     9・11 妙法院門跡教覚,同門跡領香東郡野原荘の年貢の内1万疋の納入につ
         いて,日野某に礼状を送る(妙法院文書)
     11・13 醍醐寺報恩院領陶保代官香西平五元資,請負額60貫文を30貫文に半
         減して代官職の継続を求める(醍醐寺文書)
     12・- 醍醐寺報恩院隆済の雑掌,同院領陶保の代官香西平五元資の押領を細
         川持賢に訴え,代官職解任を求める(醍潮寺文書)

1463 寛正4 (癸未)
 県内  4・13 細川持賢,根香寺勧進のため足利義政より,奉加として大刀・馬を与
         えられる(蔭涼軒日録)
     8・19 醍醐寺報恩院隆済の雑掌,同院領陶保請負についての香西平五元資の
         主張を斥け,下地を寺家雑掌に打渡すよう細川持賢に求める(醍醐寺
         文書)

1464 寛正5 (甲申)
 県内  6・7 守護細川勝元,香東郡井原荘内鮎瀧領家職を由佐助盛に安堵する(由
         佐家文書)
 県外  11・13 細川勝元の兵,河野通春と伊予で戦う.この日,幕府,大内義弘に通
         春討伐のため出兵を命じる(蔭涼軒日録)

1465 寛政6 (乙酉)
 県内  12・6 守護細川勝元,豊田郡姫江荘萩原地蔵院に,甲乙人等乱入狼籍の禁止
         などの禁制を下す(地蔵院文書)
 県外  9・16 細川勝元の兵,河野通春及び大内政弘と伊予井付で戦う(蔭涼軒日録)

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1467 応仁1 3・5 (丁亥)
 県内  7・20 守護細川勝元,6月27日の近衛室町合戦における由佐助盛の戦功を
         賞する(由佐家文書)
 県外  1・15 京都西岡の武士野田泰忠,京都の乱により上京し,翌16日,安富元
         綱に属し安楽光院御構に参陣する(編年雑纂所収文書)
     5・25 合戦始まり,安富元綱,野田泰忠などを従え,将軍家西門を守る(編
         年雑纂所収文書)
     5・26 細川勝元,西軍の将一色義直を攻め,応仁の乱はじまる(後法興院記)
     6・24 讃岐西方守護代香川五郎次郎と同東方守護代安富盛保,上洛し.東軍
         として合戦に参加する(編年雑纂所収文書)
     10・3 安富元綱,相国寺合戦において西軍に討たれる(後法興院記)

1469 文明1 4・28 (己丑)
 県内  11・28 守護細川勝元,故秋山泰忠の先例に従い本門寺大坊の定書を定める
         (本門寺文書)
     12・27 興福寺領多度郡藤原荘の代官新開某,年貢4貫文を納入する(大乗院
         寺社雑事記)

1470 文明2 (庚寅)
 県内  5・16 守護代香川和景,本門寺定書を寺家に通知させることを又代官香川備
         前守に命じる(本門寺文書)
     12・- 後花園上皇,泉涌寺領鵜足郡二村郷を鞍馬寺に寄進する(親長卿記)

1471 文明3 (辛卯)
 県内  11・1 本門寺諸坊,本門寺定書を遵守する旨を同寺大坊に誓う(本門寺文書)

1472 文明4 (壬辰)
 県内  10・2 垂水四郎,鞍馬寺領鵜足郡二村郷代官職を請け負う(鞍馬寺文書)

1473 文明5 (癸巳)
 県内  3・28 観音寺(現,内海町)蔵五輪塔形供養碑,造られる.
     4・2 近藤網国,祗園社領三野郡西大野郷代官職を10か年の約束で請け負
         う(八坂神社文書)
     8・7 細川政国,大覚寺覚勝院が香西郡坂田勅旨に下向したことをねぎらう
         (山科家古文書)
     8・11 細川政国,寒川郡志度寺に禁制を下す(志度寺文書)
     12・8 細川政元,塩飽の者が摂津国兵庫津での関銭を納入するよう守護代安
         富元家に命じる.ついで12月10日,元家,又代官安富左衛門尉に施
         行する(東大寺文書)
 県外  5・11 細川勝元没し,子の政元あとを嗣ぐ(親長卿記)

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1474 文明6 (甲午)
 県内  3・12 これ以前,幕府,香川美作入道の随心院門跡領多度郡弘田郷代官職を
         改易し,随心院の直務とする.この日,幕府,香川帯刀左衛門尉の弘
         田郷代官職就任要求を排する(善通寺文書)
     6・- 秋山●(読み・文字番号不明、雨かんむりの下に鶴)法師,寒川貞光
         が三野郡高瀬郷内三分の一と讃岐東方水田三分
         の二を掠めとったことを訴える(秋山家文書)
     10・- これより先,細川勝元の奉行人を勤めていた高安永隆,鞍馬寺領鵜足
         郡二村郷代官職を請け負う(親長卿記)
     11・15 八幡神社(現,土庄町)蔵石鳥居,本願次郎衛門・大工監物によって
         建立される.
 県外  3・- 東軍の安富氏配下の野田泰忠,軍忠を注進し,細川政国の確認を得る
         (編年雑纂所収文書)

1475 文明7 (乙未)
 県内  8・10 三野郡財田の矢野助朝の願文,先達土州蓮池谷坊を通じて熊野那智山
         御師廊坊に呈される(能野那智大社文書)

1477 文明9 (丁酉)
 県外  11・11 応仁の乱,終わる

1478 文明10 (戊戌)
 県内  2・- 塩飽浦の雑掌道光源左衛門,摂津国兵庫津での過書(関料免除の特権)
         を細川方へ訴えるが,拒否される.ついで4月,守護代安富元家,塩
         飽へ過書停止を伝える(多門院日記)
     12・18 香川帯刀左衛門尉,随心院門跡領多度郡弘田郷領家職年貢15貫文を
         同院に納める(善通寺文書)
     この年 讃岐に徳政行われ,盗賊多く出現するが,細川氏これを鎮圧する(弘
         化録)

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1479 文明11 (己亥)
 県内  7・18 細川政元,賀茂別雷社領阿野郡氏部荘代官寺町通定の訴えにより,同
         荘塩入らの名田職を取り上げ,年貢納入が果たされるべきことを守護
         代香川元景に命じる.ついで7月22日,元景,又代官香川備前守に
         施行する(賀茂別雷神社文書)
     10・18 志度寺,焼ける(半陶文集)

1480 文明12 (庚子)
 県内  この年 石清尾八幡宮(現,高松市)蔵猿樂面,造られる.

1482 文明14 (壬寅)
 県内  4・5 細川政国,三野郡覚城院に,門前における風流禁止などを内容とする
         禁制を下す(覚城院文書)

1483 文明15 (癸卯)
 県外  4・12 熊野那智の福寿,備前国小豆島に係る旦那職を質物として借銭する(熊
         野那智大社文書)
     12・20 熊野那智の井関良信坊,宇多津中善坊門弟付属の旦那職を売却する(熊
         野那智大社文書)

1484 文明16 (甲辰)
 県内  1・23 高松文知,応仁の乱中兵粮料所として預った随心院門跡領多度郡一円
         保領家職を同門跡に返付する(善通寺文書)
     10・11 瀧宮実家,弟又二郎を南御所の被官とすることで,南御所領阿野郡南
         条山内徳珍名の代官職を請け負う.ついで,同月20日,65貫文で請
         け負う(宝鏡寺文書)
 県外  1・2 香川氏,応仁の乱以来,一条家領摂津国福原荘の代官をつとめるが,
         年貢納入を果たさぬため興福寺より催促をたびたび受ける(大乗院寺
         社雑事記)
     3・27 熊野那智の井関良信房(坊)ら,那珂郡小松の津守兵部と阿野郡福江
         の玉泉坊門弟付属の旦那職を売却する(熊野那智大社文書)
     11・- 安富元家,細川政元より,物部神六とともに土一揆鎮圧の大将に任じ
         られる(蔭涼軒日録)

1485 文明17 (乙巳)
 県外  4、・13 熊野那智の重讃,安富一族と香東郡野原の角之坊付属の旦那職を売
         却する(熊野那智大社文書)
     12・- 山城国一揆起こる.

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1487 長享1 7・20 (丁未)
 県内  4・19 和泉半国守護細川元有,寒川郡鴨部荘内料所分を建仁寺永源庵源諦房
         に寄進する(細川家文書)
 県外  9・- 足利義尚,六角高頼を討つため近江坂本に布陣する(後法興院記)
     12・7 香川元景・安富元家・安富与三左衛門尉・香西五郎左衛門尉ら,細川
         政元に従い近江六角攻めに参加する(蔭涼軒日録)

1488 長享2 (戊申)
 県内  2・- 賀茂御祖社祝秀顕,多度郡葛原荘などの知行注文を作成する(賀茂社
         諸国神戸記)
     3・- 由佐某,北野社領香東郡鮎瀧の年貢2貫文を納入する(北野社家日記)
 県外  11・- 香西某,和泉国堺南荘に打入る(蔭涼軒日録)

1489 延徳1 8・21 (己酉)
 県外  8・12 香西・牟礼・鴨井・行吉ら,香西党としてその勢力が京都において注
         目される(蔭涼軒日録)

1490 延徳2 (庚戌)
 県内  3・7 善通寺法師,興福寺寺務領多度郡藤原荘の代官職を望む(大乗院寺社
         雑事記)
     10・20 瀧宮実家,南御所領阿野郡南条山西分代官職を100貫文で請け負う(宝
         鏡寺文書)
 県外  8・- 安富元家,和泉国堺南荘の代官となる(蔭涼軒日録)

1491 延徳3 (辛亥)
 県外  3・- 香西元長・牟礼次郎・同新次郎・鴨井藤六ら,細川政元の奥州遊覧に
         随行する(蔭涼軒日録)
     5・16 香川元景・安富元治,細川政元邸での評定に参加する(蔭涼軒日録)
     8・- 足利義材(義稙),近江六角氏を討つため出陣し,細川政元を近江守
         護とする(大乗院寺社雑事記)
     8・- 安富元家,足利義材より近江守護代の権限を与えられる(蔭涼軒日録)

1492 明応1 7・19 (壬子)
 県内  5・- 由佐三郎,北野社領香東郡井原荘鮎瀧の一昨年分の年貢200疋を納入
         する(北野社家日記)
     8・10 香西長秋,南御所領阿野郡南条山西分代官職を請け負う(宝鏡寺文書)
     8・- 香西千寿丸,北野社領香東郡野原の年貢を納入する(北野社家日記)
 県外  3・28 香西五郎左衛門尉,荘元資とともに備中守護細川勝久と戦うが敗れ切
         腹する.この戦で,讃岐の軍兵の大半が討死するという(蔭涼軒日録)
     9・21 安富元家,帰京し,近江より四国勢を帰国させる.ついで10月17日,
         近江守護代の地位を辞任する(大乗院寺社雑事記)

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1493 明応2 (癸丑)
 県内  2・10 香西千寿丸,北野社領香東郡野原の年貢の残り200疋を,鴨井元高を
         して妙法院へ皆済させる(北野社家日記)
     6・18 京都の羽田源左衛門,讃岐国は13郡,西方は香川が東方は安富が統
         治し,小豆島は安富が管理していることなどを蔭涼軒主に伝える(蔭
         涼軒日録)
 県外  4・22 細川政元,足利義材に背き,足利義高(義澄)を擁立する(親長卿記)
     6・29 足利義材,京都を逃れ越中に向かう(蔭涼軒日録)
     11・- 阿波守護細川義春,備前児島を経て讃岐引田に到る(後法興院記)

1495 明応4 (乙卯)
 県内  3・- 讃岐蜂起により,牟礼兄弟派遣されるが攻め殺される.ついで,安富
         元家,鎮圧に出向こうとするが細川政元に制止される(大乗院寺社雑
         事記)
 県外  10・- 組川政元,四国に下向しようとするが制止される(大乗院寺社雑事記)

1496 明応5 (丙辰)
 県内  3・- 善通寺誕生院宥栄,権僧正に任命されんことを朝延に請う.(九条家
         文書)
     4・20 某,鵜足郡聖通寺に禁制を下す(聖通寺文書)
     7・- 近衛政家,細川被官の求めにより阿野郡瀧宮へ三十六歌仙を書く(後
         法興院記)

1497 明応6 (丁巳)
 県内  1・- 小豆島の利貞名主家吉,同名などの年貢公事算用帳を作成する(赤松
         家文書)
 県外  10・- 香西元長,山城守護代となる(後法興院記)

1498 明応7 (戊午)
 県内  1・16 これ以前善通寺衆徒,同寺誕生院住持の死去に伴い,新たに斎藤弾正
         の弟兵部卿の就任を随心院に注進する(随心院文書)
 県外  12・4 香西元長,山城国山科で放鷹中,郷民にとらえられる(後法興院記)
     12・8 細川政元,安富・香川に,香西に合力することを命じる.同月11日,
         香西元長,山科より帰京する(後法興院記)

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1500 明応9 (庚申)
 県内  1.- 小豆島の利貞名主家吉,同名ほか5名の田畠・塩浜などの在所等の台
         帳を作成する(赤松家文書)
     12・13 善通寺誕生院宥助,随心院門跡に多度郡一円保の年貢1000疋を納入
         し,少僧都就任を請う(善通寺文書)

1502 文亀2 (壬戌)
 県外  8・5 香西某,足利義澄の命により,足利義材の弟実相院義忠を攻め殺す(大
         乗院寺社雑事記)

1503 文亀3 (癸亥)
 県内  9・5 善通寺誕生院宥助,成身院に,多度郡一円保の年貢を納入できないこ
         と,また,代替りの礼として100疋進上することを申し送る(善通寺
         文書)

1504 永正1 2・30 (甲子)
 県外  9・4 摂津守護代薬師寺元一,細川政元に背くが,攻められ自殺する(宣胤
         卿記)
     9・9 安富元家,摂津淀において寺町又三郎と戦い,討死する(後法興院記)
     9・- 香西元長,半済・地子免除を約して山城国の土民を狩り出し,摂津淀
         攻めに出陣させる(宣胤卿記)

1505 永正2 (乙丑)
 県内  5・- 安富・香川氏,上野氏らとともに京より讃岐に発向し,敵数百人を誅
         する(後法興院記)
 県外  6・12 熊野那智の道秀,香西郡円座の西蓮寺と一宮の持宝坊付属の旦那職を
         質物として借銭する(熊野那智大社文書)

1506 永正3 (丙寅)
 県内  10・12 細川澄元の家臣阿波の三好之長,篠原右京進と三好越前守に,香川中
         務丞知行の三野郡元山および本領の渡し付けを命じる(石清水文書)
 県外  4・26 細川澄元,上洛し,安富の宿所に移る(宣胤卿記)

1507 永正4 (丁卯)
 県内  6・12 香東郡多肥郷内うなさかのやしろ,丹波国の所領などとともに,丹波
         武士中沢道忍から多期本長に譲与される(中沢文書)
 県外  4・26 香西元秋・同元能,細川政元に従い丹波国へ下る.香西元長は病のた
         め出立せず(宣胤卿記)
     4・27 細川政元,細川澄元・三好之長を率いて,丹後守護一色義有を討つ(宣
         胤卿記)
     6・23 細川澄之,香西元長に養父政元を殺害させる(宣胤卿記)
     6・24 香西元長,同元秋・同元能ら,細川澄之に同心して細川澄元を攻める.
         澄元,三好之長と近江に逃れる.香西元秋は討死,同元能は翌日死去
         (宣胤卿記)
     7・8 細川澄之,幕府より家督相続を認められる(宣胤卿記)
     8・1 細川澄之,細川高国・同政賢らに攻められ自殺する.香西元長および
         讃岐守護代安富某・香川某,討死する(宣胤卿記)
     8・2 細川澄元,京都に入り家督を相続する(宣胤卿記)

1508 永正5 (戊辰)
 県内  10・26 細川澄元,讃岐西方の秋山大炊助跡を秋山孫八に宛行う(秋山家文書)
 県外  3・17 細川高国,同澄元と不和になり伊賀に逃れる(後法成寺尚通公記)
     4・9 細川澄元,同高国の入京を聞き近江に逃れる(後法成寺尚通公記)
     6・- 足利義尹(義稙),細川高国,大内義興らに擁立され入京する(後法
         成寺尚通公記)

1510 永正7 (庚午)
 県内  3・21 山田郡植田の僧宗敦,一休宗純33回忌に銭300文を供する(泉涌寺
         文書)
     5・28 細川澄元,三野郡高瀬郷内秋山水田跡職をめぐる秋山山城守と同源太
         郎の相論について,両者の主張を排し秋山水田跡職を守護料所とし,
         某淡路守を代官とすることを香川五郎次郎に命じる.ついで6月17
         日,香川五郎次郎,このことを香川備後守に施行する(諫徴記附録所
         収文書・秋山家文書)
 県外  1・29 足利義尹,細川高国・大内義興らに近江の足利義澄を攻めさせるが,
         高国ら敗れる(実隆公記)

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1511 永正8 (辛未)
 県内  7・25 細川某,鵜足郡聖通寺に禁制を下す(聖通寺文書)
     8・28 香川五郎次郎,多度郡明王院(道隆寺)へ涅槃田として田1段を寄進
         する(新撰讃岐国風土記所収文書)
     10・13 細川澄元,讃岐西方の秋山備前守跡職を新恩として秋山源太郎に宛行
         う(秋山家文書)
     この頃 秋山源太郎,細川澄元に属し,櫛無山等で合戦を行う(秋山家文書)
 県外  2・20 熊野那智の長光房ら.山田郡屋島の高松寺・那珂郡高篠の泉阿闍梨門
         弟付属の旦那職を売却する(熊野那智大社文書)
     8・24 足利義尹,細川高国・大内義興を従え丹波を出発し,細川澄元・同政
         賢を山城船岡山に攻め破る(後法成寺尚通公記)

1512 永正9 (壬申)
 県内  4・29 長尾大隅守,多度郡加茂神社に乱入する(多度津加茂神社蔵大般若波
         羅蜜多経奥書)

1517 永正14 (丁丑)
 県内  4・15 立石嶋阿弥陀院(現,丸亀市広島)の阿弥陀堂建立され,秀和法師を
         導師として開眼供養を行う(道隆寺文書)
     5・27 安野政重,三野郡覚城院に田銭等を免除する(覚城院文書)
 県外  9・18 阿波三好衆の寒川氏,淡路へ乱入する.閏10月23日,淡路衆,堺へ
         逃れる(松平頼武氏蔵大般若経奥書)

1519 永正16 (己卯)
 県外  11・6 細川澄元・三好之長ら,四国の兵を率いて摂津兵庫に到る(後法成寺
         尚通公記)

1520 永正17 (庚辰)
 県内  4・16 栗野景昌・はた安家,賀茂別雷社領那珂郡万濃池内代官職を請け負う
         (賀茂別雷神社文書)
 県外  3・27 三好之長,上京する(二水記)
     4・28 細川高国,近江坂本に陣をはる(二水記)
     5・3 香川・安富ら,細川高国の陣に降る(永源師檀紀年録)
     5・5 細川高国,三好之長を京都にて破る.7日,細川澄元,京都での敗戦
         を聞き阿波に帰る(後法成寺尚通公記・二水記)
     5・11 三好之長父子,京都にて自害する(永源師檀紀年録)
     6・10 細川澄元,阿波において没する (永源師檀紀年録)

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1521 大永1 8・23 (辛巳)
 県内  9・13 細川高国,秋山幸久知行の三野郡高瀬郷内の本地と水田分に対する押
         領を退ける(秋山家文書)
 県外  3・7 足利義稙,細川高国の専横を怒り,淡路へ逃れる(二水記)
     7・6 細川高国,足利義晴を奉じて入京する(二水記)
     12・25 足利義晴,征夷大将軍に任じられる(二水記)

1522 大永2 (壬午)
 県内  4・- 小豆島明王寺釈迦堂,須佐美元安入道成椿が大願となり,着工される.
         天文2年完成する.

1523 大永3 (癸未)
 県内  6・- 安富筑前守,寒川元政の神前城を攻める.ついで,寒川郡塩木で合戦
         となるがともに引き分ける(南海通記)
     11・- 香西三郎二郎,細川高国の命により,三木郡原荘年貢4000疋を近衛
         尚通に送る(後法成寺尚通公記)

1525 大永5 (乙酉)
 県内  この年 観音寺(現,観音寺市)金堂,造営される.

1526 大永6 (丙戌)
 県内  12・- 十河景滋・三好下野守,寒川元政と三木郡津柳で戦う(南海連記)
 県外  12・15 細川澄賢,三好政長らを率いて和泉堺に着く(実隆公記)

1527 大永7 (丁亥)
 県内  10・27 細川晴元,秋山幸久丸に,三野郡水田分を返付し安堵する(秋山家文
         書)
 県外  2・14 細川高国,足利義晴を奉じて近江へ移る(二水記)
     3・22 三好元長,足利義維・細川澄元の子晴元を擁し,阿波より堺に到る(二
         水記)
     7・23 細川晴元,安富盛方に,先に派遣した十河一存と協力して摂津国安定
         に尽くしたことを賞し,さらに今後の忠節を要請する(六車家文書)

1528 亨禄1 8・20 (戊子)
 県内  10・21 故善通寺誕生院宥栄法印,僧正の位を贈られる(実隆公記)

1529 亨禄2 (己丑)
 県内  1・26 安富元保,宇多津法花堂の諸課役を免除する.ついで7月2日,同政
         保,その意を宇多津法花堂に伝える(本妙寺文書)
 県外  8・10 三好元長,細川晴元と不和となり,阿波へ帰る(細川両家記)

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1530 亨禄3 (庚寅)
 県外  8・11 熊野那智の宰相,宇多津の仲善坊門弟付属の旦那職の内,良信房にか
         かる部分を実報院へ売却する(熊野那智大社文書)

1531 亨禄4 (辛卯)
 県外  2・21 三好元長,阿波より和泉堺に到る(細川両家記)
     6・4 三好元長,細川高国を摂津天王寺に破る(二水記)
     6・8 細川高国,細川晴元勢に攻められ摂津尼崎において自害する(後法成
         寺尚通公記)

1532 天文1 7・29 (壬辰)
 県内  この年 十河一存,寒川氏と寒川郡長尾で戦う(南海通記)
 県外  6・20 本願寺光教ら,三好元長を堺に攻め,元長自害する(言継卿記)

1537 天文6 (丁酉)
 県内  4・7 香川元景,多度郡明王院(道隆寺)へ護摩堂燈明田として田2段小を
         寄進する(新撰讃岐国風土記所収文書)

1539 天文8 (己亥)
 県内  6・1 香川元景,かつて秋山泰忠が定めた三野郡高瀬郷本門寺法華堂に関す
         る制法を保証するよう西谷藤兵衛に命じる(本門寺文書)
     10・6 阿波の細川持隆,白峯寺に禁制を下す(白峯寺文書)
     10・- 三好義賢(実休),白峯寺に禁制を下す(白峯寺文書)

 県外  1・14 三好元長の子範長(長慶),入京する(蜷川親俊日記)

1541 天文10 (辛丑)
 県内  7・17 篠原盛家,鵜足郡本妙寺多宝坊の諸課役を,先の安富元保の命の通り
         免除することを約する(本妙寺文書)
 県外  11・1 木沢長政京に迫り,足利義晴,近江坂本に逃れる(惟房公記)

1542 天文11 (壬寅)
 県内  1・- 寒川氏,阿波屋形や三好氏とともに,安富氏の拠る雨滝城を攻める.
         阿波屋形.安富氏に寒川氏の領地の一部を割き与えることで和する(南
         海通記)
     12・17 慶栄,鷲峰寺領内名々分帳を作成する(鷲峰寺文書)
 県外  3・28 足利義晴,近江坂本より京に帰る(言継卿記)

1543 天文12 (癸卯)
 県内  7・13 香西神五郎.摂津本願寺光教(証如)に初めて往信を出す.ついで8
         月3日,光教.香西に復信を出す(天文日記)
 県外  7・- 細川氏綱.管領職を望み,細川晴元と和泉堺で戦う(多聞院日記)

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1545 天文12 (乙巳)
 県外  5・24 香西与四郎,細川晴元の命により,三好長慶の軍勢らとともに山城国
         宇治田原に拠る細川氏綱の軍を攻め破る(言継卿記)

1546 天文15 (丙午)
 県外  10・- 四国勢,和泉堺に渡り,細川晴元に属し河内衆と戦うが敗れる(後奈
         良院宸記)

1547 天文16 (丁未)
 県内  7・8 香西五郎左衛門,讃岐より摂津石山本願寺光教に大刀を贈る.ついで
         同月12日,光教,香西五郎左衛門に返礼の復信を出す(天文日記)
 県外  3・- 香西与四郎,細川晴元に従い,細川持隆・三好長慶・十河・篠原らと
         ともに,細川氏綱側の三宅国村が拠る三宅城を攻める(天文日記)

1548 天文17 (戊申)
 県外  10・28 三好長慶,細川氏網を擁して,細川晴元・三好政長と対立し,摂津に
         おいて政長の子政勝を攻める(細川両家記)

1549 天文18 (己酉)
 県外  3・1 三好長慶,三好政長・同政勝を摂津に攻める(天文日記)
     5・2 細川晴元側の香西元成,摂津の三好長慶勢を攻める(細川両家記)
     6・24 三好政長,三好長慶・十河一存兄弟らと摂津江口で戦い,敗死する(鹿
         苑日録)
     6・27 細川晴元,足利義晴・同義藤(義輝)を擁し近江坂本へ逃れる(鹿苑
         日録)

1550 天文19 (庚戌)
 県外  4・- 香西元成.三好政勝とともに,京都周辺の山中に潜む(言継卿記)
     11・21 三好長慶,入京する(言継卿記)

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1551 天文20 (辛亥)
 県外  7・14 三好長慶の部将松永久秀,細川晴元方の香西元成・三好政勝らを京都
         相国寺に破る(厳助往年記)

1553 天文22 (癸丑)
 県外  6・17 細川持隆,三好元康(実休)に殺される(東寺過去帳)
     7・28 香西元成,細川晴元に従い,内藤彦七・三好政勝らとともに三好長慶
         軍の拠る京都に侵入する.翌日,元成・彦七・政勝ら,幕府に出仕す
         る(言継卿記)
     8・2 香西元成の軍,京都の三好長慶らの軍に押され,山城船岡山に陣を移
         す(言継卿記)

1557 弘治3 (丁巳)
 県内  この年 多聞院(現,多度津町)蔵絹本著色西谷藤兵衛肖像,描かれる.

1558 永禄1 2・28 (戊午)
 県内  6・2 香川之景,豊田郡室本地下人等の麹商売を保証する(観音寺市麹組合
         文書)
     8・- 三好実休,讃岐に侵入し,東・中讃の勢力を従え,香川之景と戦う(南
         海通記)
     10・20 善通寺,兵火にかかり焼失する(讃岐国大日記)
     10・21 秋山兵庫助,乱入してきた阿波衆と戦い,麻口合戦において山路甚五
         郎を討つ(秋山家文書)
     10・- 三好実休,香川之景と和し,阿波へ帰る(南海通記)
     11・15 香川之景,三野郡高瀬郷内知行分段銭と同郡熊岡・上高野御料所内の
         30石を,麻口合戦の功として秋山兵庫助に宛行う(秋山家文書)
 県外  5・3 香西元成,足利義輝・細川晴元が近江坂本に陣を移すのに応じて,三
         好下総守とともに近江志賀に陣を移す(言継卿記)

1560 永禄3 (庚申)
 県内  6・28 香川之景,多田又次郎に,院御荘内知行分における夫役を免除する(秋
         山家文書)
     11・13 香川之景,秋山又介に給した豊島谷土居職の替として,三野郡大見の
         久光・道重の両名を秋山兵庫助に宛行う(秋山家文書)
 県外  5・19 織田信長,今川義元を破る〔桶狭間の戦い〕

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1561 永禄4 (辛酉)
 県内  1・13 香川之景,秋山兵庫助に,秋山の本領であった三野郡高瀬郷水田分内
         原樋口三野掃部助知行分と同分内真鍋三郎五郎買得地を,本知行地で
         あるとして宛行う(秋山家文書)

1562 永禄5 (壬戌)
 県外  3・5 三好実休,和泉久米田の合戦で戦死する(厳助往年記)

1563 永禄6 (癸亥)
 県内  6・1 香川之景,帰来小三郎跡職と国吉扶持分の所々を,新恩として帰来善
         五郎に宛行うべきことを,河田伝右衛門に命じる(秋山家文書)
     8・10 香川之景・同五郎次郎,三野菅左衛門尉に,天霧籠城および退城の時
         の働きを賞し,本知を新恩として返すことなどを約する(三野文書)

1564 永禄7 (甲子)
 県内  3・- 三好の重臣篠原長房,豊田郡地蔵院に禁制を下す(地蔵院文書)
     5・13 香川之景・同五郎次郎,三野勘左衛門尉に,鴨村の柞原守の領有分を
         返し与えることを約する(三野文書)
     この年 宣教師フロイス,アルメイダ並びに4人の同宿とともに,塩飽島に寄
         港する(耶蘇会士日本通信)
 県外  7・4 三好長慶.没する(細川両家記)

1565 永禄8 (乙丑)
 県内  6・28 香川之景,秋山藤五郎に,三野郡熊岡・上高野御料所分内の父秋山兵
         庫助の所領分を安堵し,家弘名を新恩として宛行う(秋山家文書)
 県外  5・19 三好義継・松永久秀ら,足利義輝を攻め殺す(言継卿記)

1567 永禄10 (丁卯)
 県内  6・- 篠原長房,鵜足郡宇多津鍋屋下之道場に禁制を下す(西光寺文書)

1568 永禄11 (戊辰)
 県内  11・- これより先,香西氏,阿波衆とともに,備前の児島元太の城を攻める.
         香西又五郎配下のもの,児島元太勢によって討たれる(嶋文書)
 県外  6・- 篠原長房,備前で毛利側の乃美氏と戦う(乃美文書)
     9・26 織田信長,足利義昭を奉じて入京する(言継卿記)

1569 永禄12 (己巳)
 県内  6・- 篠原長房,鵜足郡聖通寺に禁制を下す(聖通寺文書)

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1570 元亀1 4・23 (庚午)
 県内  6・15 伊予能島の村上武吉,塩飽衆に対し,大友義鎮配下本田鎮秀の堺津へ
         の無事通行を命じる(野間文書)
 県外  9・- 石山本願寺光佐(顕如),横田信長に対し蜂起する(石山戦争開始)

1571 元亀2 (辛未)
 県内  1・- 篠原長重,鵜足郡宇多津西光寺道場に禁制を下す(西光寺文書)
     7・- 塩飽衆,阿波の岡田権左衛門に属し.伊予能島に兵粮を送るが,沼田
         警固衆並びに来島・因島衆に襲われ船3艘・船方数10人討たれる(萩
         藩閥閲録所収文書)
 県外  5・- 篠原長房,備前児島に乱入する.ついで6月12日,足利義昭,小早
         川隆景に,香川某と相談して讃岐へ攻め渡るべきことを要請する(柳
         沢文書・小早川家文書)
     8・1 足利義昭,三好氏によって追われた香川某の帰国を援助することを毛
         利氏に要請する.なお,三好氏より和談の申し入れがあっても拒否す
         べきことを命じる(吉川家文書)
     9・17 小早川隆景.配下の岡就栄らに,同月22日に讃岐へ渡海し,攻める
         ことを命じる(萩藩閥閲録所収文書)
     10・3 足利義昭,吉川元春に,阿波・讃岐を攻めることを命じる(吉川家文
         書)

1570~73 元亀年間
 県内      十河存保,香西・羽床氏を率い阿野郡の西庄城を攻める.香川民部少
         輔,城を出て小早川隆景に助けを求める(南海通記)