1850年(嘉永 3) ~ (39K)


入力に使用した資料
底本の書名   香川県史 年表 別編Ⅱ 近世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      


1850年 嘉永3 (庚戌)
  政治・経済
   3・7 京極朗徹,丸亀藩第7代藩主となる(京極御系図)
   3・15 赤羽根氏,多度郡中村宮場から弘田山地獄谷へ入り込み大筒の試射を行う
       (香川家文書「万事覚附」)
   5・26 高松藩,江戸の水道橋外別邸隣の会島般次郎邸・桜井金左衛門邸を目黒藩
       邸内の地と交換する(増補高松藩記)
   6・26 高松藩,家臣知行米渡しを三
-208-
       つ物成とする(増補高松藩記)
   8・29 高松藩,酢醤油株・油絞株・水車株・旅人宿株・うどんそば株の鑑札を新
       たにする(渡辺家文書「御用日記」)
   9・12 高松藩,家臣に対し100石につき5石の穀を与え,領民には3600両を下
       付する(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段182匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   この頃 多度津藩の林良斎の漢詩集「自明軒遺稿」成る.
   この頃 直島における鯛網の網元10統(三宅家文書「毎歳鯛網順番鬮取控」)
1851年 嘉永4 (辛亥)
  政治・経済
   9・20 高松藩,枡を使用しての商売は極印つきを使用することを通達する(渡辺
       家文書「御用日記」)
   12・3 高松藩,諸職人から役銀を徴収する(渡辺家文書「御用日記」)
   12・7 高松藩領阿野郡北坂出村平太郎,坂出浜・御供所浜の塩庄屋を罷免される.
       翌8日,御供所浜孫助が塩庄屋に任じられる(渡辺家文書「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段115匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・- 玉楮象谷「堆朱松ケ浦香合」を作る(増補高松藩記)
   9・7 高松城下百間町の幾久屋角の大升から南新町池田屋前の大升まで,大樋
       ざらえが実施される(草薙家文書 嘉永4年~6年「鳥屋触帳」)
   12・25 高松城下,下町・福田町より出火.50軒焼失する(歴世年譜)
1852年 嘉永5 (壬子)
  政治・経済
   (2)・- 丸亀城下宗古町太田岩蔵と米屋町高貴清八,綛糸の大坂売り捌きを藩
         へ願い出る.許可され,同年5月頃,城下に綛糸寄会所および領地各
         地に綛糸小寄所が設置される(高貴家文書)
   10・29 高松藩年寄木村亘,隠退し黙老と号す(歴世年譜)
       丸亀藩,12月の石代値段128匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・20 丸亀藩領多度郡善通寺村の百姓300人,夜より翌日にかけて村を立ち去る
       (香川家文書「万事覚附」
   7・4 那珂郡羽間大池の取水をめくる同郡高篠村と鵜足郡岡田村ほか4か村との
       争論について,高篠村が早急な解決の嘆願書を提出する(篠原家文書「那
       珂郡東高篠村羽間大池入割ニ付取遺書控帳」)
   10・15 寒川郡長尾西村より失火.36軒焼失する(歴世年譜)
   10・20 寒川郡長尾寺の門前で火事.30軒程焼失する(香川家文書「万事覚帳」)
   この年 吉田蕃教の「神楽歌催馬楽弁解」刊行される.
-209-
1853年 嘉永6 (癸丑)
  政治・経済
   3・24 高松藩,昨年の江戸城焼失の復旧費として金2万両献上する(増補高松藩
       記)
   6・3 ペリー,浦賀に来航する.
   6・5 高松藩,幕府より沿海警固の人数を出すよう命じられる(靖公実録)
   6・9 アメリカ艦隊江戸湾に入る.高松藩は浜御殿を警固する(靖公実録)
   6・14 高松藩,浜御殿の警固を免じられ兵を引き揚げる(靖公実録)
   6・- 高松藩,武器の他領流出を禁止する触れを出す(近世史料Ⅰ「高松藩諸達
       留」
   7・18 高松藩主松平頼胤,幕府の諮問に応え,アメリカの貿易強要と土地の併呑
       を警戒し,開国は皇国を軽蔑・侮辱するものとの書翰を老中に差し出す
       (靖公実録)
   12・- 高松藩,幕府より京都使者を命じられ,郷中に御用金2万両を課す(近世
       史料Ⅰ「高松藩諸達留」)
   この年 讃岐塩田,十州休浜同盟(塩の生産調整)に参加する(煮海私記)
       丸亀藩,12月の石代値段145匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・26 玉楮象谷,狩野永笑下絵の「堆朱二重彫鼓箱」を献上する(増補高松藩記)
      
   5・- この頃高松藩,船83艘と水主1002人を所有(福岡家文書「御船手段心覚
       得覚書」)
   9・- 大井戸の水懸り惣代西瓦町年寄,大井戸の堀の東北角東西二間五尺,南
       北三間一尺を埋めて平地にすることを願い出る(別所家文書「日帳」)
   この年 満濃池の底樋後半部の仕替をする(政要録)
   この頃 梶原藍渠・藍水による「讃岐国名勝図会」の稿本完成.
   この頃 金毘羅儒医三井雪航の漢詩集「雪航翁遺集」成る.
1854年 安政1 11・27 (甲寅)
  政治・経済
   1・23 高松藩主松平頼胤,幕命により上京し,将軍宣下の名代を勤める(靖公実
       録)
   1・- 丸亀藩,江戸警固のため佐脇内匠以下200人を江戸に派遣し,三田の藩邸
       に駐屯する.9月,帰藩する(旧丸亀藩事蹟)
   10・8 高松藩,菜種を増産し,領内や大坂市場の品不足を解消するよう通達する
       (渡辺家文書「御用日記」)
   10・- 丸亀藩,倹約令を出す(近世史料Ⅰ「大急御用書」)
-210-
   この年 林求馬,多度津藩家老職につく(書入分限帳)
   この年 丸亀藩,異国船御手当として御用米を課す(佐伯家文書「覚帳」)
   この年 丸亀繰綿相場,1月1本につき160匁,7月上旬185匁,8月137匁,12
       月20日150匁(諸国珍事大変控帳)
   会・文化
   3・- 丸亀塩屋御坊本門の屋根の葺替え終わる(香川家文書「万事覚附」)
   5・15 高松城下中新町出火.78軒焼失する(靖公実録)
   7・9 満濃池決壊する.去る6日の朝ごろ穴があき,8日には矢倉立樋が崩れ,
       9日の九つ時に堤が切れる(金関家文書「御用留」)那珂郡は大水により
       田畑に被害,金毘羅は2尺程冠水する(靖公実録)
   9・9~10 丸亀藩領豊田郡黒渕村の百姓70名余,村方騒動によって多度郡吉原
       へ逃散する(香川家文書「万事覚附」)
   10・23 高松藩領寒川郡村々の庄屋,御貸銀米納期の1か年延期と御貸米1500石
       の無利息貸与を願い出る(近世史料Ⅰ「高松藩諸達留」)
   11・4~5 大地震起こり,高松城天守の屋根瓦・石垣崩れる.高松藩領の被害は
       死者5人,潰家2961軒,池堤264か所,川口番所3か所が大破.余震12
       月末まで続く(靖公実録)丸亀藩領では104軒倒壊(諸国珍事大変控帳)
   この年 丸亀藩医尾池松湾編「穀似集」刊行される.
   この年 玉楮象谷「蒟醤塗料紙箱並びに硯箱」を作る.
1855年 安政2 (乙卯)
  政治・経済
   1・- 丸亀繰綿相場,1月1本につき150匁.6月255匁(諸国珍事大変控帳)
   5・- 丸亀藩,藩札の信用回復を計るため封札令を出す(近世史料Ⅰ「銀札御
       取締ニ付御口演書写」)
   8・17 坂出新開塩問屋田地屋惣左衛門,塩問屋職を取り上げられる(渡辺家文書
       「御用日記」)
   10・2 江戸大地震,高松藩の藩邸倒壊し,金約10万余両を要して再建する(増
       補高松藩記)丸亀藩の上・下屋敷も大破する(佐々木京極家記録)
   10・6 丸亀藩,城下のほか新たに4か所(善通寺・観音寺・和田浜・仁尾浦)に
       物産会所を設置する(佐伯家文書「覚帳」)
   11・5 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩記)
   12・9 丸亀藩,幕府より皇宮造営手
-211-
       伝いを命じられる(京極御系図)
   12・29 高松藩,幕府より皇宮造営の役を命じられ,金1万9967両を献納する(靖
       公実録)
   12・29 高松藩,幕府より江戸小川町の元火消屋敷を預けられる(靖公実録)
   この年 丸亀藩,扶持米の6割減給を5割に緩和する(旧丸亀藩事蹟)
       丸亀藩,12月の石代値段105匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・- 高松藩領鵜足郡岡田東村と栗熊西村の百姓が打越池の東側の堤を切りあ
       け,同郡岡田上・同西村の百姓と争う(十河家文書「岡田上於打越下池
       ニ客水之義ニ付取調中諸入目割賦方之義願出候一件記」)
   11・16 多度津の田町で7つ頃火事発生.53軒罹災する(香川家文書「万事覚附」)
1856年 安政3 (丙辰)
  政治・経済
   1・29 丸亀藩,堺の忠岡屋清兵衛と大坂の綛屋庄兵衛に4年間の綛糸買入れと売
       り捌きを許可する(長谷川家文書「覚帳」)
   4・2 多度津藩,白方浦で13ドイム大砲試し打ちを行う(富井家文書「西洋流
       砲術見聞録」)
   6・21 丸亀藩,葉藍の統制策を打ち出す(長谷川家文書「覚帳」)
   8・19 高松藩,知行米渡し減少により家臣が武器を修補できないため,金子を貸
       与し修補させる(靖公実録)
   10・15 丸亀藩,当年限りとして産物趣法金納を実施する(安藤家文書「御産物御
       趣法御達写」)
   この年 丸亀藩,以後3か年にわたり領内に御用銀700貫目を課す(長谷川家文書
       「覚帳」)
   この年 丸亀藩領の稲作面積3854町6反余,甘蔗面積335町7反余,綿作面積1149
       町6反余(近世史料Ⅰ「御趣法之義ニ付口上控」)
   この年 丸亀藩,綿作百姓に反当たり金2歩の税を課す(近世史料Ⅰ「御趣法之
       義ニ付口上控」)
       丸亀藩,12月の石代値段160匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・17 高松藩領鵜足郡中通村の百姓32名,13年来の造田村との山論により阿波
       国三好郡太刀野山村に越境する(徳島県立図書館「高松様御領讃州鵜足
       郡中通村百姓三十二人歎願筋申立太刀野山村へ越境記録」)
   6・27 旱魃が続き,丸亀藩領那珂郡上櫛梨村では村高の半分程の耕地が無水の状
       態となる(鎌田博物館 嘉永6年「万日記」)
   6・28 高松藩領那珂郡郡家村,土器川剱ケ端に横井(関)を立て取水する.これ
       に対し,鵜足郡内8か村,横井を切り除き,争論となる(進藤家文書「剣
       来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
1857年 安政4 (丁巳)
  政治・経済
   1・26 丸亀藩,領内各村にほぼ1か所の綛糸小寄所を設置し,綛糸の集
-212-
       荷をはかる(高貴家文書)
   2・- 丸亀藩, 領内4か所に砂糖会所を設け,砂糖の流通統制にのり出す(近
       世史料Ⅰ「砂糖御趣法替り被仰出写」)
   4・28 高松藩,大坂守衛を命じられ,木津川口の砲台2か所を幕府より託される
       (増補高松藩記)
   6・3 高松藩,一昨年幕府より預けられた江戸小川町の元火消屋敷を返還する(靖
       公実録)
   6・17 高松藩,大坂守衛の兵士(総旗奉行岡野金太夫他70余人)の出陣式を行
       う.堀川より乗船出発し,21日大坂着.津守新田の大坂町人炭屋善五郎
       の屋敷を仮陣屋とする(靖公実録)
   8・11 丸亀藩,再び封札令を出す(佐伯家文書「覚帳」)
   9・26 高松藩世子松平頼聰と井伊直弼の息女彌千代姫との縁組決まる(靖公実録)
   10・21 アメリカ使節登城につき,高松藩主松平頼胤も登城し,着座する(靖公実
       録)
   12・26 多度津藩,小銃の大量買い付けと軍事力再編強化の資金として領内各郷村
       へ御用銀を課す(富井家文書「御用銀被仰付名前帳」)
   この年 高松藩江戸藩邸詰長谷川宗右衛門,甥の松崎渋右衛門とともに高松屏居
       を命じられる(歴世年譜)
   この年 高松藩領大内郡引田村の甘蔗作付面積は約66町,同村全耕地面積の約66
       %を占める(日下家文書「大内郡引田村甘蔗植付畝御改手引帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段166匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・21 高松城下片原町西福寺より出火(靖公実録)
   2・27 高松藩領鵜足郡岡田上・岡田東・岡田西村の庄屋,打越池をめぐる水論に
       つき,入目は用水高を基準に取り扱うことを決定する(十河家文書「岡田
       上於打越下池ニ客水之義ニ付取調中諸入目割賦方之義願出候一件記」)
   2・- 高松藩領大内郡で他国米を年貢米として納入したことが発覚,関係者が処
       罰される(坂東家文書「壁書」)
   4・29 高松城下新通町安治屋の井戸を御坊町の勘兵衛に譲渡する(鎌田博物館「新
       井戸水本并水掛丁々井戸軒別内井戸惣絵図」)
   11・29 丸亀城下真光寺のあたりで火事発生.30軒程罹災する(香川家文書「万
       事覚附」)
1858年 安政5 (戊午)
  政治・経済
   1・19 幕府,小豆島内3か村と直島・男木島・女木島の警衛を高松藩に
-213-
       命じる.高松藩,警衛箇所が多くなれば警備が不十分になると辞退を願い
       出,許される(靖公実録)
   4・15 幕府,高松藩主松平頼胤の帰国を留め,国事諮問に応えさせる(靖公実録)
   4・21 高松藩世子松平頼聰,井伊直弼の息女彌千代姫との婚儀を行う(靖公実録)
   4・26 高松藩主松平頼胤,会津藩主松平容保と共に登城し,将軍継嗣についての
       意見を問われ紀伊の徳川慶福を推す(靖公実録)
   4・- 丸亀藩,封札の部分的解除実施のため,郷・町の有力者に借上金を課す
       (佐伯家文書「覚町」)
   6・21 高松藩,大坂守衛を解かれ京都警備を命じられる(増補高松藩記)
   7・6 幕府,高松藩主松平頼胤,・守山藩主松平頼誠・長沼藩主松平頼縄並びに
       大目付池田頼方を上使とし,徳川斉昭に謹慎申し渡しを命じる.松平頼
       胤は,腹痛と称して辞退(靖公実録)
   7・28 高松藩,幕府より水戸藩士の不平・動揺の鎮撫を命じられる(増補高松藩
       記)
   8~10 高松藩を脱藩した長谷川宗右衛門,京都次いで江戸へ入る.のち次男速
       水とともに水戸に潜居する.その後,速水は高松藩江戸邸に自首し,父
       宗右衛門の罪に代わろうとする.宗右衛門は京都に潜入後,大坂の高松
       藩邸に自首する(長谷川峻阜伝)
   9・17 丸亀藩,大坂の炭屋彦五郎を掛屋蔵元に任じ,砂糖の他国積を禁止しすべ
       て大坂登とする(佐伯家文書「覚帳」)
   10・4 多度津藩,大坂御用商人米屋
-214-
       佐助献上の20ドイム大砲の筒試しを行う(富井泰蔵覚帳)
       丸亀藩,12月の石代値段265匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   秋   「西讃府志」成る.
   この年 丸亀藩の厳村南里の漢詩集「南里遺稿」成る.
   この頃 丸亀城下の戸数2562戸,人口8749人(西讃府志)
1859年 安政6 (己未)
  政治・経済
   3・11 京極高典,多度津藩第6代藩主となる(京極御系図)
   3・11 丸亀藩,砂糖生産者らの反対により,砂糖の他国積を再び許可する(長谷
       川家文書「覚帳」)
   4・5 京都警備にあたる高松藩兵士,樫原村より乙訓郡塚原村の陣屋に移る(靖
       公実録)
   8・27 幕府,水戸斉昭に蟄居を命じる.高松藩主松平頼胤は水戸藩鎮撫失敗によ
       り,自ら閉居する(増補高松藩記)
   12・1 高松藩,江戸城本丸普請につき7000両を献上する(靖公実録)
   この頃 高松藩士長谷川宗右衛門,江戸伝馬町の獄に囚われる(歴世年譜)
   この頃 瀬戸内十州塩田の塩浜軒数は,阿波391・讃岐287・伊予146・播磨747・
       備前222・備中70・備後156・安芸172・周防433・長門21(吉村家文書
       「十カ国塩浜所名寄控」)
       丸亀藩,12月の石代値段150匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・- 高松藩領阿野郡北坂出村の百姓・間人34名,砂糖絞り屋の新規営業許可
       鑑札の交付を願い出る(阿河家文書 嘉永7年起「諸願書留」)
   12・21 高松城下西浜町出火,50軒余焼失する(靖公実録)
   この年 小豆島池田村で初めて銀43匁の水車運上が上納される(池田町役場「池
       田村年貢免状」)
   この年 高松藩領寒川郡富田東村の高持百姓は77戸,無高百姓は64戸,無高戸数
       率45%(田中家文書「寒川郡富田東村未春五人組合御改済帳」)
1854年~1860年 安政年間
  政治・経済
   この頃 丸亀の団扇生産年間80万本(西讃府志)
1860年 万延1 3・18 (庚申)
  政治・経済
   1・14 丸亀藩,安政5年に課した借上金のうち郷方分1万両の7割を免除する(長
       谷川家文書「覚帳」)
   3・- 丸亀藩,百姓の質素倹約や分家の禁止等を通達する(近世史料Ⅰ「大急御
       用書」)
   8・9 長谷川速水,高松の獄中で吐血し,没する(長谷川峻阜伝)
   9・- 高松藩,領内の米流通量が少
-215-
       ないため,米所有者に売米を促す(渡辺家文書「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段208匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・13 塩飽笠島浦兵吉ほか50人余,咸臨丸乗組員として乗船.19日昼すぎ浦賀
       より出帆する(石川家文書「咸臨丸渡米日記」)
   8・- 丸亀藩領内の大庄屋ら,年来の凶作で百姓困窮のため,諸負担の免除を
       嘆願する(長谷川家文書「覚帳」)
   12・10 イギリス船1艘,志度浦に滞船する.翌11日に将分14人下僕1人が志度
       寺に入るが,玄関で留められ船に引返す.12日,出帆する(志度寺文書
       「海岸防禦異船滞帆留」)
1861年 文久1 2・19 (辛酉)
  政治・経済
   2・- 小橋安蔵,女婿太田次郎を丸亀に派遣し,臼砲など軍器製作に当らせる
       (小橋安蔵一門勤王史)
   6・- 米価高騰により百姓ら困窮する.高松藩,領内に銀126貫目の貸与を行う
       (渡辺家文書「御用日記」)
   7・8 高松藩主松平頼胤,病により隠退し,松平頼聰,高松藩第11代藩主とな
       る(増補高松藩記)
   この年 津山藩,小豆島西部6か村に対し,年貢1割増や諸々運上金上納など6
       か条の改革案を通達する(「小豆島志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   この年 前年の凶作により飢人多く出る.高松藩,粟3300石を与え窮民を救う(増
       補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段160匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   夏   善通寺で九条家寄進の護摩講と名付けた富籤興行始まる(琴陵家文書「九
       条殿御寄附大般若講一件留記書抜」)
   この年 丸亀藩の池口杏圃の漢詩集「杏圃遺稿」成る.
1862年 文久2 (壬戌)
  政治・経済
   4・18 高松藩御座船飛龍丸の修造成り,堀川で試乗を行う(歴世年譜)
   5・- 多度津藩,六斤軽カノン砲を購入する(富井家文書「西洋流砲術見聞録」
   10・3 高松藩,幕府より来年の将軍上洛に際し,二条城及び要所を警衛するよう
       命じられる(歴世年譜)
   10・26 高松藩,幕命に従い家臣の礼制を改める(歴世年譜)
   11・23 幕府,松平頼胤に蟄居を命じる.高松藩主松平頼聰は自ら閉門30日請う.
       翌年11月19日,頼胤の蟄居解かれる(増補高松藩記)
   11・- 長谷川宗右衛門,幕命により「永押込」を許される(長谷川峻阜伝)
   この頃 高松藩領鵜足郡の砂糖類製
-216-
       造高は,白糖49万6804斤・白下糖42万7943斤・糖蜜29万2418斤
       (十河家文書「鵜足郡村々酉歳砂糖類製作高売掛帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段183匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・23 金光院住職宥常,高松藩に大般若講の再興を願い出るが断られる(金刀比
       羅宮文書「金光院御用留」)
   2・- 小豆島の素麺問屋「三輪大明神講」が素麺製造の油の配合や値段などの
       議定を作成する(岡井家文書「明神講立会議定書写」)
   4~7 麻疹流行し,高松藩領内で多くの死者が出る(増補高松藩記)
   この年 高松藩医渡辺松窩の漢詩集「蘭桂集」刊行される.
1863年 文久3 (癸亥)
  政治・経済
   1・12 多度津藩,小銃方・大砲方に分かれて西洋流調練を始める(富井家文書「西
       洋流砲術見聞録」)
   1・24 高松藩,幕府より将軍徳川家茂上洛に際し,二条城を警衛するよう命じら
       れる(歴世年譜)
   2・11 高松藩主松平頼聰,病にかかり,松平大膳(頼覚)が代理として入京し警
       衛する(歴世年譜)
   3・1 高松藩,藩地の海防強化を命じられる.よって京都警備は解かれるが,
       二条城警衛は前命の通り.陣屋を塚原村より京市中に移す(増補高松藩
       記)
   3・4 将軍家茂,入京し二条城に入る.
   3・4 高松藩,江戸詰藩士に帰国を命じる(歴世年譜)
   3・9 高松藩主松平頼聰,病が快癒し,入京する(増補高松藩記)
   3・11 高松藩,幕府より天皇の賀茂行幸の警衛を命じられる(歴世年譜)
   3・28 高松藩,海岸防備のため各地の御固場に人数を繰り出し,急場に備えるよ
       う村々に通達する(近世史料Ⅰ「異国船一件留」)
   3・29 朝廷,諸藩に命じ1万石ごとに家臣1人を出させ京都を守らせる.高松藩
       では12人を出し,准后門内を守衛する.9月6日,諸藩疲弊の一端であ
       るとして廃止(歴世年譜)
   3・- 小橋安蔵,高松藩に再度攘夷のための演武救弊・兵農撫育の意見書を提
       出する(鎌田博物館「小橋安蔵
-217-
       政事改革意見書草稿」)
   4・9 高松藩,幕府より摂津・播磨境の川より湊川に至る海岸の警衛を命じら
       れる(増補高松藩記)
   4・9 高松藩主松平頼聰,井伊直弼の息女彌千代姫を離縁する〔のち再び娶る〕
       (増補高松藩記)
   4・15 朝廷,松平大膳・同左近(頼該)に藩内海防の策略を練るよう命じる(歴
       世年譜 ) 
   4・18 多度津藩家老林求馬と藩士富井泰蔵,三原藩へ出張し,同藩砲術家岩本整
       太郎・板原嘉久次郎を訪問する(富井家文書「西洋流砲術見聞録」)
   4・- 高松藩主松平頼聰,摂津海岸の警衛地を巡視し帰藩する(増補高松藩記)
   4・- 丸亀藩集義隊,参勤の御供を願い出る(御家覚書)
   5・7 三条実美,諸藩に宮門守衛の兵を徴する朝命を伝える.高松藩は新庄孫
       八郎以下13名を派遣し,7月23日より准后門内を警衛する(歴世年譜)
   5・10 長州藩,下関で米船を砲撃.
   5・- 丸亀藩主京極朗徹,長州藩攘夷決行の報により,参勤を中止し帰国する
       (旧丸亀藩事蹟)
   5・- 高松藩,水戸藩に金1万両を貸す(歴世年譜)
   6・2 高松藩,松崎渋右衛門と対立する大久保飛騨(頼暉)に閉居を命じる(歴
       世年譜)
   6・7 高松藩主松平頼聰,船で藩内沿岸の要所や砲台を巡視する(歴世年譜)
   6・15 高松藩,幕府より攘夷について,みだりに開戦せず命令を待つよう達せら
       れる(歴世年譜)
   6・- 将軍東帰により,高松藩の二
-218-
       条城警衛解かれる(増補高松藩記)
   6・- この頃 高松藩,藤川山渓の提唱により農兵545名で龍虎隊を結成する(藤
       川家文書「叩心編」)
   7・2 長州藩重見多仲ら100人,多度津藩家老林求馬を訪ね,調練を披露する(富
       井泰蔵覚帳)
   8・17 丸亀藩主京極朗徹,参勤の途中,御用召により網干から入京する(京極御
       系図) 
   8・18 八月十八日の政変,丸亀藩主京極朗徹参内し,幕府より堺町・下立売・新
       在家方面の御門辺を厳重に守衛するよう命じられる(京極御系図)
   8・19 幕府,諸大名に対し,みだりに外国と開戦をすることを禁じる.高松藩
       には瀬戸内海の一層厳重な警衛を命じる(歴世年譜)
   8・27 丸亀藩,幕府より二階町警備を命じられる(京極御系図)
   8・- 大和行幸が伝えられ,長谷川正傑・小橋友之輔・太田次郎ら武器を携え
       て丸亀を出立する(小橋安蔵一門勤王史)
   9・29 幕吏酒井録四郎,高松藩の摂津警備並びに兵庫仮営舎を検閲する(歴世年
       譜)
   11・16 大和および但馬の騒乱により,幕府,高松藩に警備を厳重にするよう命じ
       る(歴世年譜)
   12・12 高松藩,幕府より来年春の将軍上洛に際し,竹屋町口の警衛を命じられる
       (歴世年譜)
   12・23 丸亀藩,二階町の警備を解かれ,新たに肥後細川家と共に桂川・久世の関
       門の警備を幕府より命じられる(旧丸亀藩事蹟)
   12・29 高松藩,幕領満濃池付属地及び五條・榎井・苗田と金毘羅社領
-219-
       を,治安上高松藩の管轄にすることを請い許可される(歴世年譜)
       丸亀藩,12月の石代値段210匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・4 多度津に異国船来航し,見物人多く出る.翌朝出航する(富井泰蔵覚帳)
   3・23 アメリカ船1艘,志度浦に来航する.翌日,郡奉行藤本茂内らが見分にあ
       たり,出航する(志度寺文書「海岸防禦異船滞帆留」)
   5・23 高松藩儒臣藤沢昌蔵,大坂城において将軍徳川家茂に講義する(歴世年譜)
   6・9 フランス船,志度浦沖合に停泊する.翌10日,出航する(志度寺文書「海
       岸防禦異船滞帆留」)
   8・8 備前宮浦の石工,小豆島草加部村の岩谷地区の丁場跡の残石を請負い,
       今津御台場築造用に利用する.福田村の残石も同築造用に利用される(壺
       井家文書)
   8・26 崇徳天皇七百年忌により白峯寺において供養を行う(歴世年譜)
   この頃 金毘羅重立ちの木村・菅・荒川家などの子孫,金光院士分の末席に加え
       られる(山下家文書「進退録」)
1864年 元治1 2・20 (甲子)
  政治・経済
   1・15 将軍家茂入京.
   1・24 多度津藩,大隊調練を始める(富井泰蔵覚帳)
   2・1 高増藩主松平頼聰,病により松平大膳(頼覚)を京に呼び,代わって諸
       藩主と国事を論じさせる(歴世年譜)
   2・13 多度津藩,領内の郷村より新抱足軽を徴発する.2月22日と3月4日に
       も追加編入(多度津藩日記)
   3・26 高松藩,幕府より男木島・女木島を異国船に対する沿岸防禦のため預けら
       れる(増補高松藩記)
   3・- 高松藩,綿値段高騰により綿類の川口積み出しを禁じる(渡辺家文書「御
       用日記」)
   4・6 高松藩,堀多仲(直清)・松崎渋右衛門(佐敏)を年寄に任じる(増補高
       松藩記)
   4・19 高松藩主松平頼聰,摂津海岸を巡視し帰藩する(歴世年譜)
   4・- 丸亀藩,久世の警備を解かれる(旧丸亀藩事蹟)
   5・4 丸亀藩,幕府より二条城へ家臣のうち一人を登城させるよう命じられる
       (京極御系図)
   5・- 将軍東帰により,高松藩の竹屋町口警衛の兵士撤兵する(増補高松藩記)
   6・15 丸亀藩集義隊の村松操・原友治郎・熊谷岩之助・同卯門・石川啓次郎・田
       中杢之丞ら脱藩する(御家覚書)
   6・21 長州藩,瀧彌太郎を丸亀に派遣し,時局対策を説き丸亀藩の方針を問う.
       丸亀藩は土肥大作が対応す
-220-
       る(旧丸亀藩事蹟)
   6・24 高松藩,長州藩が大挙京に攻め上がろうとする動きに対し,京都の厳重な
       警備を幕府より命じられる(歴世年譜)
   6・27 松平大膳,兵を率い上京する(歴世年譜)
   7・6 一橋慶喜,松平大膳に京都警護を命じる(増補高松藩記)
   7・10 丸亀藩,藩士一同に警備に関する意見があれば大目付に申し出るよう通達
       する(杉尾家文書「豊範半左衛門文化十三丙子年以来記録」)
   7・11 高松藩主松平頼聰,朝命により大坂に至る(増補高松藩記)
   7・16 高松藩主松平頼聰,入京し本国寺を陣屋とする。一部は大坂に留まり,警
       備にあたる.(増補高松藩記)
   7・19 禁門の変起こる.松平頼聰,親兵を率い参朝し,小御所の警衛にあたる.
       藩兵は朔平門外を守る.松平大膳は一橋慶喜に従い日門外を守衛する.
       大坂の藩兵は長柄川畔に出て水陸を警戒するよう命じられ,善源寺村に
       駐屯する.夜,敗走する長州藩士34人を生けどる(増補高松藩記)
   7・23 松平頼聰,朔平門外の守衛を解かれ,新たに日門前の守衛を命じられる.
       松平大膳は日門外にかわり,仙洞御所の守衛を命じられる.同日,長州
       藩征討の勅命出され,幕府により,高松藩,さらに大坂警備を命じられ
       る(増補高松藩記)
   7・24 高松藩,善源寺村の警衛にかわり木津川警衛を命じられる(増補高松藩記)
   7・25 高松藩,木津川警衛を解かれ,伝法川筋及び沿海水陸警衛を命じられる(増
       補高松藩記)
-221-
   8・2 高松藩,大坂警備のため摂津海岸警衛の解任を請い,許される(増補高松
       藩記)
   8・11 高松藩,大坂警備を解かれ,兵庫警衛を命じられる(増補高松藩記)
   8・22 高松藩,長州征討の四国第2陣を勤める(増補高松藩記)
   8・23 各務半左衛門,外圧に対処することが先決として,征長に反対の意見を幕
       府に述べることを丸亀藩主へ建言する(杉尾家文書「豊範半左衛門文化十
       三丙子年以来記録」)
   9・1 幕府,参勤交代制を旧に戻す(増補高松藩記)
   9・26 高松藩,年寄(家老)松崎渋右衛門を罷免し屏居を命じる(歴世年譜)
   9・28 高松藩,長州征討を理由に兵庫警衛の免除を願い,許される(増補高松藩
       記)
   11・2 幕府の征長軍監水野采女・服部中,高松に到着する(増補高松藩記)
   11・3 幕府,満濃池御料2000石余を以後5年間高松藩に預ける(増補高松藩記)
   11・5 高松藩主松平頼聰,兵を率い第1次長州征伐に出発する.松平大膳・大久
       保飛騨(頼暉)・間嶋沖・堀多仲以下2480余人(歴世年譜).14日,安芸
       国倉橋島鹿老渡浦に着船(増補高松藩記)
   12・2 多度津藩,京都所司代より禁裏前の警衛を命じられる(京極御系図)
   12・4 高松藩主松平頼聰,広島に至り尾張総督に謁し軍議に参与する(増補高松
       藩記)
   12・14 高松藩,綿類の密売買を禁止
-222-
       する(渡辺家文書「御用日記」)
   12・17 長州藩の謝罪により,幕府,長州征討軍を解く(増補高松藩記)
   この年 多度津藩,西洋鉄砲調代430両余を国許に準備する(富井家文書「御軍用
       御入目請払帳」)
   この年 阿野郡北の綿作付面積29町7反(渡辺家文書「阿野郡北村々子秋綿作畝
       数并斤数書出帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段255匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・15 各務半左衛門,丸亀藩に城下札元頭取大坂屋の砂糖入札をめぐる不正をと
       がめる建言書を提出する(杉尾家文書「豊範半左衛門文化十三丙子年以
       来記録」)
   7・1 高松藩領那珂郡西高篠村の百姓,連年の水不足解決策として満濃池の修
       復を嘆願する(森家文書)
   7・22 禁門の変の長州藩手負いの落人100人程,井島に船をとめる(年々日記)
   7・29 高松藩,金毘羅の大般若講再興願いに対して,九条家へことわることを金
       光院に通達する(琴陵家文書「九条殿御寄附大般若講一件留記書抜」)
   7・- 高松城下新井戸の水道の大樋普請と水源の大浚えをする.費用銀12貫390
       匁(草薙家文書「鳥屋触帳」)
   8・22 下関攻撃に参戦したと思われる蘭船3艘,小豆島白浜沖に停泊する.24
       日には異国船5艘,25日には4艘停泊(愛山文庫「日記」)
   8・25 小豆島蒲生村百姓幾太郎,白浜沖で停泊中の英船による不慮の発砲で死亡
       する(愛山文庫「日記」)
   9・29 多度津藩御座船順風丸,完成する(京極御系図)
   12・- 高松藩,えたの追放刑を禁じ部落内に監禁することを命じる(渡瀬家文書
       「被仰渡写」)
   この年 高松藩,初めて城内陸軍所に洋学校を設ける(歴世年譜)
   この年 丸亀藩主京極高朗の漢詩集「琴峰詩集」刊行される.
1865年 慶応1 4・7 (乙丑)
  政治・経済
   1・1 高松藩主松平頼聰,安芸国鹿老渡浦を出発し,5日帰藩する(増補高松
       藩記)
   1・18 小橋安蔵,息子友之輔が長州軍に参戦したことにより,再度投獄される.
       村岡宗四郎も連坐する(小橋安蔵一門勤王史)
   2・13 謹慎中の松崎渋右衛門,入牢を命じられる(多和文庫「年々日記」)
   4・17 丸亀藩,城下に幽閉中の鳥居燿蔵の赦免を幕府に請う(維新史料綱要)
   4・22 第2次長州征討のため,高松藩主松平頼聰参勤の東上中,明石より帰途に
       つく(歴世年譜)
   (5)・4 高松藩主松平頼聰,長州再征の兵を率い大坂に至る(増補高松藩記)
   (5)・25 将軍家茂,大坂に至る(増補高松藩記)
   6・19 高松藩,将軍在坂の間,西宮警衛を命じられる(増補高松藩記)
   10・4 将軍徳川家茂,大坂から京都に向かう(増補高松藩記)
   10・6 松平頼聰,京に至る.同日,高松藩,将軍在京の間,竹屋町口・北猪熊口
       の警衛を命じられる(増補高松藩記)
   11・3 将軍家茂,京より大坂に帰
-223-
       る,5日高松藩主松平頼聰,大坂に着く(増補高松藩記)
   12・- 阿野郡北坂出村西大浜の西に高屋村の松之助により,綾井浜塩田が完成す
       る(綾井家文書)
       丸亀藩,12月の石代値段358匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・2 仏船,小豆島神浦沖に停泊する.翌朝,乗組員上陸し食料を求める.同夜
       出航(愛山文庫「日記」)
   3・16 英船,小豆島神浦沖に来航,15人が上陸し酒を求める.村民が断ると英
       船,沖合の島に小銃を放って出航する(愛山文庫「日記」)
   3・- 高松城下二番丁から五番丁の西詰南地の宮脇通りに武家屋敷,御旅所の北
       に新屋敷が完成する(政要録)
   5・17 英船,豊島甲生村沖に来船し12人が上陸,小銃を持って村内の山で狩猟
       をする(愛山文庫「日記」)
   この年 高松藩,講道館中に皇学校・洋学校を置く.洋学は蘭学を用い,のち英
       学に改め仏学を兼修する(歴世年譜)
1866年 慶応2 (丙寅)
  政治・経済
   4・- 長州第二奇兵隊士による倉敷代官焼打事件に際し,小豆島草加部村から
       鎮圧のため鉄砲方39人,徴用される(山本家文書)
   5・19 丸亀藩,将軍不在中の江戸警衛を命じられる(維新史料綱要)
   6・9 幕府,丸亀藩・大洲藩・西条藩等に,長州藩脱藩浪士の渡海を警戒する
       よう命じる(維新史料綱要)
   6・20 津山藩領小豆島6か村,第二次長州征討のため足軽25人の出動を命じら
       れる(「小豆島志料」所収「足軽配置ト征長従軍」)
   6・21 丸亀藩,長州再征討の混乱に備え,領内8か所に御固場を設ける(長谷川
       家文書「覚帳」)
   6・24 高松藩,幕府より周防上関攻撃の応援を命じられる.出兵のため西宮警衛
       は解かれる(増補高松藩記)
   6・28 高松藩主松平頼聰,将軍より盃と錦戦袍を与えられ,長州再征を激励され
       る(増補高松藩記)
   6・- 丸亀藩,幕命により各務半左衛門・土肥大作を松山に派遣し,長征軍の
       指示を待つ(旧丸亀藩事蹟)
   7・6 高松藩主松平頼聰,帰藩する.幕府軍監小堀大学,高松に到着する(増
       補高松藩記)
   7・20 将軍家茂,大坂城にて病没.
   8・10 丸亀藩士各務半左衛門,松山に向け出立する(杉尾家文書「豊範半左衛門
       文化十三丙子年以来記録」)
   10・7 丸亀・多度津両藩,合同の銃
-224-
       隊調練行う(富井泰蔵覚帳)
   10・18 丸亀藩,領内の固場所出張を止める(長谷川家文書「覚帳」)
   10・22 丸亀藩,多度郡中村において500匁砲の試射を行う(長谷川家文書「覚帳」)
   この年 多度津藩,横浜において1700両でミネエール銃100挺を購入する(富井
       家文書「御軍用御入目請払帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段672匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・13 英船発砲による小豆島蒲生村百姓幾太郎死亡に関し,英国との交渉の結果,
       洋銀200枚を渡すとの報が神奈川奉行より津山藩に届く(愛山文庫 文久
       4年「日記」)
   6・19 丸亀城下札元頭取大坂屋に浪人者十数人押し入り,金をうばい火をつけて
       逃走する(鎌田博物館「慶応日記」)
   8・5 降雨が続き洪水となる.金毘羅社領内の川筋でも被害が大きく,鞘橋が
       流失する(鎌田博物館「万日記」)
   12・29 津山藩領小豆島6か村の惣代55名,渕崎陣屋に文久元年の達書6か条の
       撤回を求める嘆願書を提出する(改政一乱記)
   この年 高松藩山田梅村の漢詩集「吾愛吾盧詩」刊行される.
1867年 慶応3 (丁卯)
  政治・経済
   1・- 高松藩主松平頼聰,京都警備を命じられるが,病気のため上京できず一隊
       を出す(増補高松藩記)
   3・22 第5代多度津藩主京極高琢,多度津にて没する.57歳(京極御系図)
   4・22 高松藩在京藩士,新在家の警備を命じられる(増補高松藩記)
   10・6 多度津藩主京極高典,銃隊160人の小銃丁射訓練をみる(富井泰蔵覚帳)
   10・14 将軍慶喜,大政奉還の上表を提出する.
   11・16 丸亀藩主京極朗徹,上京を命じられる.病をおして12月21日,江戸を出
       発する(旧丸亀藩事蹟)
   12・9 王政復古の大号令.
   12・10 徳川慶喜,在京の高松藩士に二条城外弾薬庫を警備させる(増補高松藩記)
   12・13 高松藩,新在家の警備を解かれる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段455匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・9 津山藩渕崎陣屋代官,小豆島百姓らによる嘆願書の回答を求めての不穏
       な動きに対し,救米900石を支給する旨を百姓らに伝えるが拒否される(津
       山藩地方郡代御用日記)
   1・10~11 津山藩領小豆島西部6か村惣代の一部が,暴動決起の日を1月13日,
       場所は小海村滝宮天王社と決める(「小豆島志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   1・13 津山藩渕崎陣屋代官,事態収拾のため6か条の嘆願書を聞届ける旨を惣代
       に伝える.しかし暴動は収まらず,西部6か村の富農36軒が打ちこわし
       にあう(「小豆島志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   1・14 夜,津山藩領小豆島西部6か村の百姓による暴動,鎮静される(「小豆島
       志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   2・6 津山藩,小豆島西部6か村の一揆首謀者を津山に連行して投獄する(改政
       一乱記)
   3・- 小豆島西部6か村,津山藩の説得により6か条の嘆願書を取下げる(「小
       豆島志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   5・中頃 津山藩,難渋人救済のため,小豆島枝村28か村へ1500両を無利息で貸
       し出す(「小豆島志料」所収「乱妨後日之聞書」)
   11・中頃 高松藩領大内郡引田村にお札や大黒・恵比寿の金像などが降り,「ええ
       じゃないか」の喧噪,讃岐をおおう(鎌田博物館「慶応日記」)
   11・- 丸亀藩,「ええじゃないか」の群衆の取締りを,えた・おんぼうに命じる
       (長谷川家文書「覚帳」)
   11・- 津山藩領小豆島西部6か村の一揆首謀者,永牢を命じられる(八木家文書)