1800年(寛政12) ~ (61K)


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底本の書名   香川県史 年表 別編Ⅱ 近世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      


1800年 寛政12 (庚申)
  政治・経済
   3・- 高松藩,御触書の中で下し山についての4か条を定める(別所家文書「御
       用留」)
   3・- 高松藩領大内郡中筋村百姓政五郎ほか2名の者,向山周慶より砂糖の製
       法の伝授を受けたい旨願い出,許される(大山家文書 寛延2年「御用
       留」)
   4・- 高松藩領大内郡水主村伝蔵ほか10名の者,向山周慶より砂糖製法の伝授
       を受けたい旨願い出,許される(大山家文書 寛延2年「御用留」)
   8・8 高松藩主松平頼儀,岡井赤城を政務に参与させる(増補高松藩記)
   10・4 高松藩,年寄(家老)小笠原三助にかわり,玉井三郎右衛門を財政担当年
       寄に任じる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段80匁(佐伯家
-182-
       文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・18 高松藩,栗林荘の池水を城下の家臣の用水とするため溝を掘り,兵庫町の
       外濠や天神の手洗池,玉井邸の東横手,五番丁用水堀へそそぐ〔この用
       水は文化末年頃廃される〕(歴世年譜)
1789~1801年 寛政年間
   この頃 高松藩,大量の藩札を回収し藩札の流通高を減らす方針をとる(増補高
       松藩記)
   この頃 丸亀藩領那珂郡塩屋村で甘蔗を作り始める(西讃府志)
1801年 享和1 2・5 (辛酉)
  政治・経済
   12・- 高松藩年寄玉井三郎右衛門,藩政の方針を転換し藩札を家臣や商工業者へ
       の貸付に運用する.また国産奨励をはかって財政増収を目指す.これを
       「享和新法」という(増補高松藩記)
   この年 高松藩,貯え金25万両を本丸へ納める(歴世年譜)
       丸亀藩,12月の石代値段76匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・- この頃高松領内各地で,乞食が万歳芸を披露することが盛んとなる(別
       所家文書「酉歳御用留」)
   11・26 高松藩,目明しらに対し,法外な取り調べや拷問などの禁止を通達する(別
       所家文書「酉歳御用留」)
   この年 高松藩,国産品取引の場として東浜の海中を埋めたて,新地を築くこと
       を計画する(増補高松藩記)
1802年 享和2 (壬戌)
  政治・経済
   5・6 多度津藩,幕府より駿府加番を命じられる(京極御系図)
   7・- 高松藩,「永引改方」についての11か条の通達を出す(日下家文書「地方
       御用留」)
   8・26 丸亀藩,東海道筋甲斐・美濃・伊勢川々の普請手伝いを命じられる(京極
       御系図)
   9・2 高松藩,砂糖運上銀を廃止する(日下家文書「地方御用留」)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 丸亀藩領豊田郡財田中ノ村,この夏旱魃の被害が大きく百姓29人が合計
       10町2反の破免申請を行う(大矢家文書「御細見御願目録」)
1803年 享和3 (癸亥)
  政治・経済
   (2)・12 高松藩,楮の植付伝授のため,城下の春野屋新助と喜多屋彌右衛門を
       毎年廻村させる(大山家文書「御用留」)
   11・17 高松藩,繰綿・実綿・延綿・篠巻綿・綿実の運上銀を免除する代わりに,
       綿類の他領での売払代銀を納めさせて正貨の獲得をはかる(大山家文書
       「御用留」)
   12・- 高松藩,槌屋誠助に繰綿に関
-183-
       する営業独占権を与える(近世史料Ⅱ「高松町年寄御用留」)
       丸亀藩,12月の石代値段65匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・10 高松藩,百姓による田畑の新開についての手続きを再確認し,あわせて違
       法な新開に対する罰則を定める(政要録)
   4・14 向山周慶,薬坊主となる(増補高松藩記)
   6・7 高松藩領大内郡水主村の大山家,村内植村の楮苗3000本の借用を願い出
       る(大山家文書「御用留」)
   12・24 高松東浜新材木町より失火,30余軒焼失する(歴世年譜)
1804年 文化1 2・11 (甲子)
  政治・経済
   3・11 高松藩,海陸際面改めを西浜浦より実施する(別所家文書「子歳御用留」)
   4・10 高松藩,向山周慶に領内村々へ国産砂糖製法技術を指導するよう指示する
       (別所家文書「子歳御用留」)
   9・- 高松藩,梶原九郎兵衛(槙屋)より屋島亥ノ浜塩田を480貫目で買い上げ
       る(上原家文書「一札之事」)
   この年 小豆島草加部村安田の橋本屋文右衛門,大坂へ初めて醤油を出荷する(高
       橋家文書「醤油帳」)
   この頃 多度津で認められていた酒造米高は1000石,酒造株高1004石(多度津藩
       日記)
       丸亀藩,12月の石代値段67匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・1 高松藩領香川郡西のえた,牛馬革骨などの大坂への積出を願い出るが,
       高松藩,革類の積出しは禁止とする(別所家文書「子歳御用留」)
   4・18 高松藩,上方の革細工人を雇用する香川郡東のえたに対し,武具・馬具の
       生産・販売について去年の許可の確認をする(別所家文書「子歳御用留」)
   4・21 高松藩,各寺院に対して,所在村・境内除地などの書き出し提出を命じる
       (別所家文書「子歳御用留」)
   この年 満濃池竪樋の仕替をする(政要録)
   この頃 牛馬の皮・肉・骨などの値段は上方問屋仕切状によって,売却すると定
       められる(別所家文書「子歳御用留」)
1805年 文化2 (乙丑)
  政治・経済
   7・28 丸亀藩,財政再建のため家臣へ借米を行い,郷中へ才覚銀を課す(長谷川
       家文書「覚帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段67匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・初 高松東浜の新埋立地がほぼ完成し,新湊町と称する.川口番所と切手番所
       が置かれる(草薙家文書 文化2~6年「鳥屋触帳」)
   この年 高松藩,「切支丹宗徒人名録」を撰修する.
1806年 文化3 (丙寅)
  政治・経済
   11・11 高松藩,幕府財政窮乏につき7万両を献上する(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段71匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   この年 丸亀藩,城下福島町北岸に湛浦を築造する.役夫人5万614人,扶持米
       435石7斗8升7合,石工賃銀18貫995匁7分2厘を要する(西讃府志
       ・旧丸亀藩事蹟)
1807年 文化4 (丁卯)
  政治・経済
   6・- この頃までに,多度津御茶屋完成する(多度津藩日記)
   6・- 高松藩,田畑売買・質入れに
-184-
       際し,証文に大庄屋の証明印を付けることを義務付ける.〔文化9年3月
       に廃止する〕(丸岡家文書「御法度被仰出留」)
       丸亀藩,12月の石代値段78匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   この年 引田湊から白砂糖750樽,黒砂糖43樽,密389樽が大坂を中心に広島・
       伊勢・尾道へ積み出される(日下家文書「浦方御用留」)
1808年 文化5 (戊辰)
  政治・経済
   2・- 小豆島安田村の橋本屋,大坂米田町近江屋善兵衛に醤油小樽9つを販売す
       る(高橋家文書「万覚」)
   12・- 高松藩,以後の砂糖積出は,大政所が出した積出切手ではなく村・浦の政
       所が出した積出切手によると通達する(日下家文書 寛政5年~文化6年
       「浦方被仰出」)
   この年 小豆島安田村橋本屋の醤油醸造高,63石6斗(高橋家文書「万覚」)
       丸亀藩,12月の石代値段78匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・- 高松藩領香川郡東の芦脇井関が堅固に普請され,一ノ井井関の水掛り量が
       不足する恐れが生じたため,一ノ井井関水掛り香川郡東由佐村・横井村・
       池内村の3か村が善処を高松藩に嘆願する(丸岡家文書「芦脇井関一件願
       留」)
   9・9 四国地方測量中の伊能忠敬一行,伊予より讃岐豊田郡箕浦へ入る(戊辰治
       海日記)
   9・- 夏,旱魃で高松城下新井戸の水源が減り,通町・東浜帳・新湊町への配水
       不能となったため,南紺屋町・古新町の水を廻す(草薙家文書 文化2~
       6年「鳥屋触帳」)
   11・5 伊能忠敬一行,讃岐沿岸の測量を終え,引田から阿波国へ入る(戊辰治海
       日記)
   この年 稲毛屋山の漢詩集「采風集」3冊完成する.
1809年 文化6 (己巳)
  政治・経済
   9・24 久米栄左衛門(通賢),高松藩から天文測量御用向きを命じられ,二人扶
       持を与えられる(日下家文書「月番帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   10・- 丸亀藩領の村方,盗賊の取締りを足軽からえた・おんぼうに切り替えるよ
       う建言する(長谷川家文書「覚帳」)
1810年 文化7 (庚午)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段61匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
 社会・文化
  7・- 中山城山一門29名の漢詩集「南海遺珠」2冊刊行される.
1811年 文化8 (辛未)
  政治・経済
   1・13 第5代丸亀藩主京極高中,江戸で没す.58歳(京極御系図)
   3・9 京極高朗,丸亀藩第6代藩主となる(京極御系図)
-185-
       丸亀藩,12月の石代値段64匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   11・- 高松藩領香川郡東安原上村の百姓50余名,郡林設置により炭焼きなどの
       生活権が侵害されるとして高松城下に押しかける(別所家文書「安原上村
       分郡林取扱一件留」)
   12・27 金光院,重立の者に常帯刀を許可する.〔当人のみで兄弟,嫡子は許され
       ない〕(琴陵家文書「町年寄系譜」)
1812年 文化9 (壬申)
  政治・経済
   9・- 丸亀藩,5か年の倹約政治を始める(長谷川家文書「覚帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段73匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・- 高松藩,牢人風の者の取締りをえたに命じる(別所家文書「村方御用留」)
   11・17 金毘羅大権現金堂建立の講元香川治兵衛・秦半左衛門,金光院より永代苗
       字帯刀を許される(金刀比羅宮史料)
1813年 文化10 (癸酉)
  政治・経済
   1・26 高松藩,諸事を明和・安永の藩政に模して行うことを命じる(歴世年譜)
   (11)・10 高松藩,以後5か年間の倹約政治を行う(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段72匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・27 金毘羅代権現金堂起工式,行われる(金刀比羅宮史料)
   4・- 高松藩領香川郡の村々に対し,郡奉行から乞食の諸芸門付の縄張について
       触書が出される(別所家文書「村方御用留」)
   10・- 中村春野,崇徳院六百五十年忌につき,白峯寺に「校訂万葉集考異」「松
       山百首」「神賀詞」を奉納する.
   (11)・10 高松城西ノ丸の学問所,財政難を理由に廃止される(増補高松藩記)
1814年 文化11 (甲戌)
  政治・経済
   5・17 丸亀藩主京極高朗,初めて丸亀に入部,この時領内に御用銀を課す(佐々
       木京極家記録)
   10・2 丸亀藩,来年4月の日光東照宮における御馳走役を命じられる(京極御系
       図)
   12・26 高松城下新湊町の森屋嘉兵衛,他所紙問屋に任じられる(近世史料Ⅱ「高
       松町年寄御用留」)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   8・24 高松藩主松平頼儀,屋島に東照宮の造営を開始する(筐底秘記)
   この年 中山鼇山の漢詩集「鼇山遺稿」刊行される.
1815年 文化12 (乙亥)
  政治・経済
   3・- 高松城下百間町の茶屋岩之丞,紙問屋に任じられ土佐紙を扱う(近世史料
       Ⅱ「高松町年寄御用留」)
-186-
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・11 屋島の東照宮完成し,神影を本門寿院から移す.造営費用に金14万両を
       要する(増補高松藩記・筐底秘記)
1816年 文化13 (丙子)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段81匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   10・- 高松藩領香川郡東岡村・由佐村・横井村・池内村4か村の百姓ら,芦脇・
       一ノ井井関各々の水掛り高の調査と高相応の分水を要求する願書を,政所
       に提出する(丸岡家文書「芦脇井関一件願留」)
1817年 文化14 (丁丑)
  政治・経済
   8・28 高松藩主松平頼儀,幕命により京都使者として江戸を出立する(増補高松
       藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段74匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・- 芦脇・一ノ井両井関の水論の解決策として香川郡東岡村内に新池築造の
       嘆願が,岡村・由佐村・横井村・池内村の4か村から政所に出される(丸
       岡家文書「芦脇井関一件願留」)
   9・- 丸亀藩領豊田郡河内村の小作人ら,細見結果による年貢減免に応じて小
       作料も減額して欲しいと,徒党を組み庄屋門前で騒ぎ立てる(近世史料
       Ⅰ「御細見の節立騒ぎ一件」)
   12・22 丸亀藩領豊田郡河内村の騒動の判決が出る.首謀者ら12名は,家財闕所
       のうえ丸亀・多度津両藩から追放される(近世史料Ⅰ「御細見の節立騒
       ぎ一件」)
1804~1818年 文化年間
  社会・文化
   初め頃 高松藩,古城跡・名将勇士の墓の破壊を禁じる(近世史料Ⅰ「高松藩諸
       達留」)
   初め頃までに,高松城下に十番丁つくられる(高松城下武家屋敷住人録)
1818年 文政1 4・22 (戊寅)
  政治・経済
   5・1 高松藩,財政難により家臣知行米渡しを二つ物成とし,倹約令を出す(増
       補高松藩記)
   9・1 高松藩,郷中に毎年御用銀金5200両,御借用銀金3900両を5年間課す(渡
       辺家文書「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段65匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
-187-
1819年 文政2 (己卯)
  政治・経済
   2・14 丸亀藩,農村の小間物問屋などの店に対して,奢侈品の店頭陳列や高価な
       雛人形の売買などを禁止する(長谷川家文書「覚帳」)
   (4)・7 高松藩,大政所・政所・組頭へ倹約を励行し農業に出精するよう通達
       する(渡辺家文書「御用日記」)
   7・6 高松藩,繰綿・実綿・延綿・篠巻綿・綿実に再び運上銀を課す(渡辺家
       文書「御用日記」)
   9・26 高松藩,城下(2か所)・大内郡松原村・寒川郡津田村・同郡志度村の5
       か所に砂糖会所を設置し,座本を置く(近世史料Ⅰ「御法度被仰出留」)
   この年 高松藩,藩札引替金を加島屋に調達させその返済として砂糖の売払代金
       を加島屋へ納めさせる〔これを加島屋掛込という〕(渡辺家文書 文政3
       年「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段60匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 三野郡の説教師惣元惣太夫,説教の号改めを三井寺に願い出て,兵侍下
       司と号することを許される(蝉丸神社文書)
1820年 文政3 (庚辰)
  政治・経済
   4・2 高松藩,正貨流出防止のため国産品使用を奨励し,領外積出しや他領から
       の移入禁止の方針を出す(渡辺家文書「御用日記」)
   5・17 高松藩,宇足津浦・香西浦・壇ノ浦からの通用米・綿・雑穀の積出しを許
       可する〔後に,志度浦・津田浦・三本松浦・引田浦からも許可される〕(渡
       辺家文書「御用日記」)
   6・- 高松藩,蔵米・通用米・綿・雑穀・菜種の「二歩半延代銀札」を中止し,
       代わって運上銀を課す(渡辺家文書「御用日記」)
   7・11 高松藩,藩内の正貨不足により,加島屋掛込を中止し,砂糖運上銀を再び
       課す(渡辺家文書「御用日記」)
   8・4 丸亀藩,旅商人の木綿・綛糸・古着の農村内での直接取引の禁
-188-
       止,商人札を所持しない者の営業禁止など,流通統制に乗り出す(長谷川
       家文書「覚帳」)
   8・- 高松藩,財政難のため家臣に対し,以後5年間の諸事簡略を命じる(歴世
       年譜)
   10・30 丸亀藩,三野郡詫間村の土佐屋恒蔵を砂糖取締り吟味方に任じ,川口運上
       ・歩行荷運上に代わって,砂糖車一挺につき1か年銀10匁の運上取立を
       命じる(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
   10・- 高松藩,砂糖運上銀を中止する(歴世年譜)
   この年 高松藩,内高20万4234石5斗9升3合から「永引」3230石3斗4升を
       除いた20万1003石8斗5升3合が年貢賦課対象石高(渡辺家文書「御用
       日記」)
   この年から 高松藩で御借米が行われる(渡辺家文書 文政4年「御用日記」)
  社会・文化
   4・- 高松藩領鵜足郡造田村の組頭西村忠右衛門,紙漉業を行う許可を大庄屋
       から与えられる(近世史料Ⅰ「紙漉一件留」)
   10・28 高松藩,えたが栽培した砂糖黍を焼却処分にし,えたの砂糖作りを禁止す
       る(別所家文書「辰歳日帳」)
   10・- 高松藩領大内郡の百姓2400人,高松城下に押し寄せ砂糖運上の免除を要
       求する(歴世年譜)
   この年 満濃池底樋前半部の仕替えをする(政要録)
1821年 文政4 (辛巳)
  政治・経済
   5・6 高松藩,加島屋掛込を復活する.但し,砂糖代の「七歩金掛込」とする
       (渡辺家文書「御用日記」)
   5・27 高松藩主松平頼儀,病により隠退し,松平頼恕た高松藩第9代藩主となる
       (増補高松藩記)
   9・晦 高松藩,宇足津浦での綿運上銀微収(#「微」は底本のママ)を免除する
       (渡辺家文書「御用日記」)
   12・26 丸亀藩,幕府より勅使御馳走役を命じられ,領内へ銀650貫目の御用銀を
       課す(京極御系図・大喜多家文書「御用銀覚帳」)
  社会・文化
   この年 大内郡三本松浦の廻船数は77艘,総石数は7084石(津本家文書「大内郡
       三本松浦船数石目指出帳」)
1822年 文政5 (壬午)
  政治・経済
   (1)・- 高松藩,鳥屋・亀田屋・森屋・茶屋・虎屋の五軒を御国紙漉問屋とし,
       国産紙取扱いを専らにさせ他所紙の輸入を規制する(近代史料Ⅰ「御法
       度被仰出留」)
-189-
   4・2 高松藩主松平頼恕,幕命により京都使者として江戸を出立する(増補高
       松藩記)
   6・- 高松藩,紙漉人の不正行為取り締まりのため,城下東浜村の無類屋新助
       を紙漉重頭取に任じる(近世史料Ⅰ「御法度被仰出留」)
   6・- 高松藩,柿・梨・蜜柑・桃などの領外買入を禁止し,国産品を専らに売
       買するよう命じる(近世史料Ⅰ「御法度被仰出留」)
   9・14 丸亀藩,城下の竹島屋万蔵に領内砂糖の買入れを認める(長谷川家文書「覚
       帳」)
   この年 高松藩大老大久保飛騨(黄之助頼郁),財政難により知行高の内1000石を
       献上する.高禄の家老もこれに倣う(増補高松藩記)
   この年 多度津藩領の甘蔗作付面積14町,砂糖類製作高4万3376斤(多度津藩日
       記)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2~3月 丸亀藩領豊田郡萩原寺で本尊開帳が行われる(萩原寺文書「本尊開帳
       記録」)
   10・8 香川郡東法然寺,寺堂修覆のため高松藩に開帳願いを提出する(近世史料
       Ⅱ「御開帳記録」)
1823年 文政6 (癸未)
  政治・経済
   2・1 高松藩,家臣に対し夏の衣類は晒・麻葛を着用し華美にならないよう規
       制する(近世史料Ⅰ「御法度被仰出留」)
   3・1 木村亘(通明・黙老),高松藩年寄となる(増補高松藩記)
   6・- 紙漉頭取ら,他所紙の不正輸入の取締り,楮の自由な売買の許可など4
       項目を高松藩に願い出る(西村家文書「紙方留」)
   12・25 丸亀藩,砂糖車運上を中止しもとの川口運上・歩行荷運上を課す(長谷川
       家文書「覚帳」)
   この年 高松藩,大旱魃により収納米4万7000石余の減少となる(増補高松藩記)
   この年 高松藩の紙統制緩和によ
-190-
       り,他所紙が大量に流入し,紙価格下落する(西村家文書「紙方留」)
       丸亀藩,12月の石代値段80.2匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・5 法然寺の居開帳が行われる.4月25日まで(近世史料Ⅱ「御開帳記録」)
   2~3 善通寺において弘法大師一千五十年誕生会の諸行事,執行される(善通
       寺文書「高祖大師一千五十年御嘉辰記録」)
   7・18 丸亀藩領多度郡上吉田村又五郎,善通寺古寺領分の二頭出水溜り水を他村
       へ放流し,寺側と取水権をもつ多度郡上吉田・下吉田・稲木の3か村と
       の間で公事訴訟になりかける.下手人又五郎は村預けとなる(善通寺文
       書「早(#「早」は底本のママ)魃ニ付二頭水取一件并三吉田掛合控」)
   この頃 金比羅祭礼の頭人を上頭・下頭の順年制とする(衣輪家文書「金毘羅神
       事之義ニ付取極候書付」)
1824年 文政7 (甲申)
  政治・経済
   8・6 筧速水(助左衛門政典),高松藩江戸藩邸の年寄となる(増補高松藩記)
   (8)・7 木村亘,高松藩財政担当となる(増補高松藩記)
   (8)・25 幕府,高松藩に,文姫様輿入による出費多大のため,文化3年の献上
       金7万両のうち3万両を1か年1万両ずつ3か年で下げ渡すことを通達
       する(増補高松藩記)
   10・13 久米栄左衛門,阿野郡北坂出村の海浜を塩田にして藩の財政収入を図る事
       を年寄木村亘に建言する(鎌田博物館「乍恐奉願上内存ノ損益心積ノ口
       上」)
   10・- 高松藩,正銀と藩札との交換比率を1:1.56に定める(近世史料Ⅰ「高松
       藩諸達留」)
   この年 高松藩領阿野郡北の綿作付面積,30町2反余(渡辺家文書「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・- 阿部〔ケン〕州(#「ケン」は文字番号8365)著「良山堂茶話」初編刊
       行される.
   3・- 金毘羅で酌取女の殺害事件を機に,酌取女常置の宿を茶屋その他の宿を
       旅籠とよんで区別し,その心得を通達する(琴陵家文書)
   春   丸亀藩領豊田郡の和田組並びに大野原で川口運上に対する反対おこる(長
       谷川家文書 文政8年「覚帳」)
   5・18 金毘羅大権現金堂の本柱,建立される(金刀比羅宮文書「金堂建築之記草
       案」)
   7・8 高松藩主松平頼恕,自ら聖像を作り講道館へ納める(増補高松藩記)
   7・10 高松藩領鵜足郡西川津村の小百姓・間人ら,麦年貢など願いのため高松城
       下まで押しかけようとするが,阿野郡南国分村付近で押留められ帰村す
       る(宮井家文書「内在留」)
1825年 文政8 (乙酉)
   7・10 高松藩,正銀と藩札との交換比率を1:1.74に定める(近世史料Ⅰ「高松
       藩諸達留」)
   9・- 高松藩,前年からの「天王寺屋七分金掛込」を中止し,「砂糖車元調達金」
       を行う(丸岡家文書「諸仕出控覚帳」)
   秋   丸亀藩,再び砂糖車運上を課す(長谷川家文書「覚帳」)
   10・7 丸亀藩,倹約令を出し藩政の革新をはかる(旧丸亀藩事蹟)
   10・17 筧速水(助左衛門政典),江戸より帰藩し高松藩世帯方引受を命じ
-191-
       られる(歴世年譜)
   10・- 丸亀藩,四民就学のため城外に敬止堂を創設する(旧丸亀藩事蹟)
   この年 高松藩の年貢米関係収入計8万1472石余(鎌田博物館「久米栄左衛門史
       料」)
       丸亀藩,12月の石代値段84匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・12 高松藩主松平頼恕,鵜足郡土器川裾より阿野郡境の海辺寄りの州一円を,
       金毘羅神領御供田として寄進する(近世史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
   11・25 金毘羅で九条家寄進の大般若講による初めての富籤が行われる.興業の寄
       高4053枚(琴陵家文書「九条殿御寄附大般若講一件留記書抜」)
1826年 文政9 (丙戌)
  政治・経済
   1・23 久米栄左衛門,坂出塩田開発のため,高松藩領阿野郡北御供所浦新開より
       林田村末包新開まで測量する(鎌田博物館「方位記」)
   3・13 久米栄左衛門,坂出塩田の堤防築造を備前北児島宮ノ浦久太郎組・伊予今
       治領北浦仲右衛門組らに依頼し,同年5月21日に工事を開始する(鎌田
       博物館「方位記」)
   3・- 高松藩主松平頼恕,久米栄左衛門を普請奉行に任じ,坂出塩田の開発を命
       じる(増補高松藩記)
   7・29 多度津藩,江戸において五か年の倹約令を出す(多度津藩日記)
   秋   丸亀藩,以後3か年で田面改めを行うこととする(長谷川家文書 文政10
       年「覚帳」
   10・9 坂出塩田堤防工事のうち,潮溜工事が開始される(鎌田博物館「出来塩之
       積控」)
   10・17 多度津藩士塩津八郎兵衛,丸亀藩佐脇監物に会い,藩主の多度津への引移
       りについて了解を得る(多度津藩裏判方日記)
   10・- 高松藩,城下からの砂糖積出切手を平福屋安兵衛に扱わせる(草薙家文書
       文政9年~11年「鳥屋触帳」)
   11・10 多度津の柳屋治郎七ら,多度津藩庁の引越しに51貫500目の冥加金を納
       める〔多度津藩庁の引越のための冥加金は計銀156貫185匁,米129俵〕
       (多度津藩郡方日記)
-192-
   11・27 将軍徳川家斉の息女文姫,高松藩世子松平頼胤に嫁ぐ(増補高松藩記)
   11・- 高松城下若木屋与次兵衛ら7人,材木問屋を結成する(草薙家文書 文政
       9年~11年「鳥屋触帳」)
   12・25 多度津藩,丸亀御屋敷御広間御番(執務室)を多度津御屋敷に移す(京極
       御系図)
       丸亀藩,12月の石代値段64匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   10・13 多度津陣屋建設区域にあたる新川の住民,多度津藩へ移転許可願いを出す
       (多度津藩日記)
   この年 丸亀藩領多度郡善通寺村の小百姓ら,徒党して組頭松浦佐郎左衛門の罷免
       を求め村方騒動を起こす(長谷川家文書 文政12年「覚帳」)
1827年 文政10 (丁亥)
  政治・経済
   1・- 高松藩,藩札回収の一環として,香川郡東吉光村・同郡西御廐村・同郡鶴
       市村の御用地作徳米の入札売を高松城下に通達する(草薙家文書 文政9
       年~11年「鳥屋触帳」)
   2・10 高松藩,以後10か年の倹約を命じる(増補高松藩記).この期間は藩財政
       経済面の別帳を作成し,これまでの方針によらないこととする(渡辺家文
       書「御用日記」)
   2・28 高松藩,無株の店商いに店株を与え営業を許可する(渡辺家文書「御用日
       記」)
   3・2 丸亀藩主京極高朗,幕府に多度津陣屋建設の願いを出す.4月8日,聞
       き届けられる(京極御系図)
   3・- 高松藩,城下の材木問屋を若木屋与次兵衛一人に限定し,若木屋以外は
       材木仲買とする(草薙家文書 文政9年~11年「鳥屋触帳」)
   5・- 高松藩,正銀と藩札との交換比率を1:3.63に定める(近世史料Ⅰ「高松
       藩諸達留」)
   (6)・- 高松藩,新湊町の問屋16人に焼物類と炭の取扱の独占を認める(草薙
       家文書 文政9年~11年「鳥屋触帳」)
   9・20 高松藩,他所紙の移入を許可する(西村家文書「紙漉一件留」)
-193-
   10・16 丸亀藩,京極高周を元老とし藩政を総覧することを幕府に請い,許される.
       以後老職の上位に座る(旧丸亀藩事蹟)
   12・- 久米栄左衛門,坂出塩田完成後の国益を見積もる.塩の売上銀が1万2000
       両,畑地栽培の実綿収入2000両と見込む(鎌田博物館「東新開諸積心覚」)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・15 高松藩,高1000石につき馬仲次の者1人・牛仲次の者2人を置き,牛馬
       の取締りにあたらせる(渡辺家文書「御用日記」)
   5・12 丸亀藩,江戸詰の家臣修学のため,江戸藩邸の西御窓を改修して集義館と
       する(丸亀市立図書館「集義館一件帳」)
   11・14 高松城下大工町の山川元助宅に,町人の教育機関として明善郷校設置され
       る.11月23日より授業開始(草薙家文書 文政9年~11年「鳥屋触帳」)
   この年 引田浦から伊勢へ出かけた廻船は200石船4艘・250石船1艘,江戸へは
       800石船1艘・650石船2艘・600石船2艘・450石船1艘,馬宿浦から江
       戸へは800石船1艘・700石船1艘・600石船2艘・500石船2艘(日下
       家文書 文政7年~天保11年「浦方御用留」)
   この年 満濃池の底樋後半部・竪樋櫓の仕替をする(政要録)
1828年 文政11 (戊子)
  政治・経済
   4・29 高松藩,塩田開発費用にあてるため,坂出の湛甫および両潮留口を利用す
       る船頭に対して,帆別銀として1反につき30文を課す(鎌田博物館「出
       来塩之積控」)
   5・9 多度津藩,初めて時太鼓を打つ〔多度津陣屋完成カ〕(京極御系図)
   5・- 高松藩,坂出塩田開発の人足扶持米を賄うために,2年間村高100石につ
       き1石の借米を課し,その返済は5年後に塩田利益銀で行うこととする
       (鎌田博物館〔東新開諸積心覚〕)
   7・- 高松藩,正銀と藩札の交換比率を1:9に定める(田中家文書「御用留」)
   8・晦 丸亀藩,相模国鶴ケ岡八幡宮修覆を命じられる(京極御系図)
   8・- 高松藩,財政窮乏につき御借米に代わって1万5000石の過納米を実施す
       る(山崎家文書「御用留」)
   8・- 高松藩,藩札の価値を回復するため,藩札100匁を納めた者に対し「代り
       現米」1升5合を与える(山崎家文書「御用留」)
   12・- 久米栄左衛門,坂出塩田施設建設のため撫養高島及び安戸浦の施設を調査
       する(鎌田博物館「諸積之心覚」)
-194-
   この年 高松藩,近年無許可で塩売買をする者が多く塩値段が不統一のため,従来
       通り許可を得て売買するよう通達する(渡辺家文書「御用日記」)
   この年 高松藩,財政著しく窮乏し,江戸・京・大坂・堺・大津の商人からの借入
       金額50万両余にのぼる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段100匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   8・21 丸亀藩,飛び地播磨国揖西郡伊津浦に波止75間の築造を幕府に願い出る.
       26日許される(旧丸亀藩事蹟)
   この年 中山城山著「全讃史」成る.
1829年 文政12 (己丑)
  政治・経済
   5・25 坂出塩田の岡之手において潮留が行われる.6月2日,塩田の地割,完了
       する(鎌田博物館「岡之手潮溜地割之図」)
   6・20 多度津藩主京極高賢,初めて多度津陣屋に入る(京極御系図)
   6・- 高松藩,5か年間正銀と藩札との交換比率を1:10に固定することを通
       達する(田中家文書「御用留」)
   7・9 坂出塩田の中升4か所の潮留工事の完了により,すべての堤防工事が終
       わる(鎌田博物館「東新開諸積心覚」)
   8・25 第8代高松藩主松平頼儀,没する.55歳(歴世年譜)
   8・- 坂出塩田完成する.総工費2万両余,塩田釜屋数70軒,年間製塩高30万
       俵,諸上納金1800両余,畑地97町余から収納させる年貢米397石余(増
       補高松藩記)
   10・10 丸亀藩,大庄屋の田面改めの調査期間延長要望に対し,3年間の延長を認
       める(長谷川家文書「覚帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段82匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 高松藩,坂出塩田を築造した久米栄左衛門の功績を顕彰し,坂出墾田之
       碑を建てる(増補高松藩記)
   12・- 高松藩領阿野郡南・同郡北・鵜足郡・那珂郡の大政所ら,過納米割当石数
       の七割免除を要望する(渡辺家文書「御用日記」)
   この年 小豆島橋本屋文右衛門,初めて自家醤油の樽印を設ける.各醸造家の樽
       印,これより始まる(高橋文右衛門事歴)
   この年 小豆島安田村の醤油醸造家橋本屋の大坂得意先,45軒に及ぶ(高橋家文
       書「醤油帳」)
   この年 石津亮澄著「金毘羅山名所図会」成る.
1830年 天保1 12・10 (庚寅)
  政治・経済
   (3)・21 池御料,松山藩預け地となり,受取役人が金毘羅に参詣する(金刀比
       羅宮文書「金光院日帳」)
   5・28 多度津藩家老林直記,商人や
-195-
       庄屋などから銀100貫目を借入れるよう勘定奉行に指示する(多度津藩裏
       判方日記)
   7・22 高松藩,藩札の二分札と三分札の通用を停止する(渡辺家文書「御用日記」)
   8・12 高松藩,郷普請奉行に対する農村での賄や普請に関する入目(費用)の村
       割と内容書の提出を命じる(渡辺家文書「御用日記」)
   8・25 高松藩,不良仕立の米俵・不良米の入った俵の取締りを行う(渡辺家文書
       「御用日記」)
   9・2 高松藩,文政10年から同12年までの3年間の「郡入目割符帳」と「村々
       入目帳」の提出を命じる(渡辺家文書「御用日記」)
   9・18 高松藩,家臣知行米渡しを一つ七分物成とする(増補高松藩記)
   10・17 塩飽本島泊浦で,坂出の塩浜師の指導により塩田の築造が始まる(塩飽勤
       番所文書「塩浜拵勘定請払帳」)
   10・- 高松藩,砂糖の積送を大坂に限定し,他所売を禁止する(日下家文書 文
       政7年~天保11年「浦方御用留」)
   この年 小豆島の草加部・福田・大部3か村,伊予松山藩の預り地となる(「小豆
       島志料」所収「年代記」)
   この年 高松藩,御座船飛龍丸を修造する(歴世年譜)
       丸亀藩,12月の石代値段98匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・- 高松城下の藤塚を改めて藤塚町,瓦焼を新瓦町,片町を新片原町,築地
       を築地町,橋本屋前を塩屋町3丁目と称する(政要録)
   6・9 多度津藩家老林直記,村川友蔵の塾を藩校(後の自明館)とする旨を申
       し渡す(多度津藩日記)
   7・- 高松藩,土地の質入れ・質流れに関する訴訟については取り上げないこ
       とを通達する(丸岡家文書「被仰出諸触事留帳」)
   この年 高松藩の大制札場14か所,伝馬継所14か所(政要録)
1831年 天保2 (辛卯)
  政治・経済
   3・- 高松藩,阿野郡北高屋村塩田沖合の新波止築造のため,阿野郡北の村々に
       郷人足差出しを命じる(渡辺家文書「御用日記」)
   5・- 高松藩,以後5か年間郡村入目の削減を命じる(日下家文書「郡村入目一
       件被仰渡写」)
   7・- 塩飽本島泊浦の塩田,本島21
-196-
       名の出資により完成する(泊浦人名共有文書)
   12・26 丸亀藩,田面改めが当年9月までに未完了の地域に対し,翌年春まで提出
       期限を延期する(長谷川家文書「覚帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段98匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 高松藩,瞽女・座頭に対し2年間秋の領内廻りを禁止する(十河家文書
       「御振改書抜」)
   10・- 丸亀藩,金毘羅参詣のため城下西平山に湛甫(新堀湛甫)の新築を幕府に
       願い出る(旧丸亀藩事蹟)
   11・16 金毘羅金堂の初重,上棟される(古老伝旧記)
   11・- 小豆島で東組醤油屋仲間,結成される(高橋文右衛門事歴)
   11・- 高松藩領阿野郡南枌所西村錆田池の修築が完成し,以後永富池と称する(増
       補高増藩記)
1832年 天保3 (壬辰)
  政治・経済
   1・14 高松藩,札会所金相場は金1両が藩札633匁,「加印札」は63匁5分とす
       る(山崎家文書「御用日記」)
   4・27 高松藩,阿野郡北高屋村塩田沖合の新波止築造の郷人足数を500人とし,
       残りは日雇で賄う旨を阿野郡北の村々に通達する(渡辺家文書「御用日
       記」)
   6・- 高松藩,田地・山林売買の際に売主買主それぞれから価格の4%を冥加
       銀として徴収することとする(丸岡家文書「御用御廻文諸触事留帳」)
   8・9 多度津藩,江戸麻布の岩瀬邸の屋敷・家作を買取り下屋敷と称する(京
       極御系図)
   9・16 高松藩,大坂以外への砂糖の積出しを許可し,為替銀貸付を中止する(山
       崎家文書「御用留」)
   9・24~29 高松藩,通用藩札に「増印」を実施する.城下・庄内は札会所,郷
       分は大政所のもとで行われる.増印藩札は100匁を正銀10匁とする(渡
       辺家文書「御用日記」)
   秋   高松藩,領内へ米1万石・金1万両の上納を命じる.天保4・5年にも
       計金4万両の上納を命じる(増補高松藩記)
   10・- 高松藩,大坂「加印札」を引き替え,以後「加印札」の通用を禁止する(渡
       辺家文書「御用日記」)
   11・- 高松藩,以後3か年にわた
-197-
       り,年間金2万両の取立金を課す(渡辺家文書「御用日記」)
   12・- 阿野郡北高屋浜塩田百姓,困窮のため高松藩に銀5貫200匁の借銀を願い
       出る(三野家文書「願書控」)
   この年 高松藩,江戸・大坂などからの借金の返済を3年間猶予する(増補高松
       藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段96匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・- 梶原九郎左衛門景惇,「歴朝要紀」の草稿本150巻を高松藩に献上する(増
       補高松藩記)
   7・- 高松藩,西ノ丸に史局を設け考信閣と名付ける(増補高松藩記)
   11・- 丸亀藩,幕府より新堀湛甫の許可を得る(鎌田博物館「湛甫工事雑記」)
   (11)・- 高松藩,講道館内に大聖廟を建て聖像を安置する(増補高松藩記)
   この年 三本松の私塾経営者泉川星堂の漢詩集「星翁花月吟」刊行される.
1833年 天保4 (癸巳)
  政治・経済
   3・2 高松藩,新藩札を発行し,正銀と同じ価値での通用を命じる(山崎家文
       書「御用留」)
   3・8 京極高琢,多度津藩第4代藩主となる(京極御系図)
   4・8 高松藩領阿野郡北の村々,高屋村塩田沖合の新波止築造の郷人足500人に
       対し,扶持米銀の支給を嘆願する(渡辺家文書「御用日記」)
   11・7 高松藩,領民に対し米の節約を厳命する(渡辺家文書「御用日記」)
   11・9 高松藩,全国的な米穀高値が予測されるため,穀類すべて津留にする旨の
       触書を出す(渡辺家文書「御用日記」)
   11・- 高松藩領阿野郡北高屋浜塩田百姓,雨天による製塩高の激減と米価高騰を
       理由に,高松藩に正麦貸付を願い出る(三野家文書「願書控」)
   12・- 高松藩領阿野郡北高屋浜塩田百姓,塩値段の下値・松葉高騰・雨天・米穀
       等諸物価高値を理由に,高松藩に銀20貫目の借銀を願い出る(三野家文
       書「願書控」)丸亀藩,12月の石代値段116匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・23 万福院,高松藩の要請により「金毘羅一山規則書」を整備し提出する(近
       世史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
   2・20 ~3・20 丸亀塩屋御坊で,京都西京寺の宝物の出開帳が行われる(香川
       家文書「万事覚附」)
   3・17 三野郡仁尾村覚城院,弘法大師一千年忌にちなみ,本尊千手観音ほか愛染
       明王画像などの開帳を執行する(覚城院文書「開帳縁起扣」)
   3・- 高見屋平治郎・福山屋平右衛門,多度津湛甫の築造を家老河口久右衛門
       に願い出る(白川家文書「宮川道祐覚書」)
   6・- 高松藩,えた目明しの勤務に対し郡方より年間給米8斗を支給する(渡
       辺家文書「御用日記」)
   8・- 丸亀新堀湛甫完成する.東西80間,南北40間,入口15間,深さ1丈6
       尺(旧丸亀藩事蹟)
   この年 高松藩,えた目明しに対し百姓家への踏み込みを制限する(丸岡家文書
       「御省略被仰渡覚」)
1834年 天保5 (甲午)
  政治・経済
   2・15 高松藩,米価抑制の措置として,米穀1石を銀115匁で売ることを命じる
       (草薙家文書「鳥屋触帳」)
-198-
   2・- 高松藩領阿野郡北高屋浜塩田百姓,1軒前当りの塩田面積を拡大するた
       め,釜屋数の削減を高松藩に願い出る(三野家文書「願書控」)
   3・2 高松藩江戸藩邸に,前月15日夜の金毘羅騒動の状況や鎮圧の役人派遣を
       記した書状届く(「聞ままの記」所収「天保五午年讃州金毘羅土民乱妨始
       末」)
   3・12 多度津藩,高松藩領・金毘羅社領の打ちこわしを教訓に救米支給の触書を
       出す(多度津藩日記)
   5・- 高松藩,高松城下で米の切符売りを始める.配給料は1人1日当り3合
       とする(草薙家文書「鳥屋触帳」)
   8・6 大風洪水により,高松藩,農民へ御手元金1万1090両を貸与する(増補
       高松藩記)
   11・19 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩記)
   11・- 高松藩領大内郡引田村の佐野五郎左衛門,引田村に小引替所の設置を願い
       出る.認められ,引替用の金200両と藩札20貫目を札会所から貸し渡さ
       れる(佐野家文書「金銀札小引替一件御用留」)
   11・- 高松藩領内の大政所,連名で本年調達米の上納免除を要望する(渡辺家文
       書「御用日記」)
   12・- 高松藩,領内百姓へ以後5年間の年賦返済で御貸米8000石(藩札716貫
       541匁2分)を貸与する(山崎家文書「御用留」)
   この年 高松藩領の甘蔗作付面積1120町(「興業意見」所収「讃岐ノ砂糖」)
       丸亀藩,12月の石代値段93匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・21 高松藩領阿野郡北大政所渡辺七郎左衛門と渡辺卯八郎,飢人・難渋人3129
       人の救済を藩に嘆願する(渡辺家文書「御用日記」)
   1~9 痘瘡・傷寒流行.多度・那珂郡下の村々で死者多数出る.60年ぶりの流
       行という(香川家文書「万事覚附」)
   2・9 夜,高松藩領鵜足郡宇足津村の百姓ら,米問屋・質屋など富商の居宅に
       押しかけ戸前・家財などを打ちこわす.2日後の11日夜,隣村の阿野郡
       北坂出村に波及し,同地でも打ちこわしが行われる(宮崎家文書「民賊
       物語」)
   2・15 朱印地の那珂郡金毘羅・幕領の同郡榎井村・五条村などの窮民,金毘羅の
       米屋・酒屋・質屋に打ちこわしをかける(近世史料Ⅰ「金毘羅打ちこわ
       し一件」)
   2・16 金光院,前日の騒動の原因を米価高騰によるものと高松藩へ報告する.藩
       では米価1石当たり銀110匁の値下げ措置をとる(金刀比羅宮文書「金光
       院御用留」)
   2・16 金光院,金毘羅騒動に対し高松・丸亀藩に加勢を願い出る(金刀比羅宮文
       書「金光院日帳」)
   2・17 高松藩より物頭石野太郎大夫ら役人総数165人,金毘羅に到着する.夜,
       警固の役人出張り,当夜町方は静謐(金刀比羅宮文書「金光院御用留」)
   2・18 金毘羅打ちこわしに対する丸亀藩側の加勢,櫛梨に陣取る(金刀比羅宮文
       書「金光院日帳」)
   2・20 金毘羅騒動の高松藩警固役人,首謀者を召し捕り引き揚げ,宇多津方面に
       向かう(金刀比羅宮文書「金光院御用留」)
-199-
   2・21 丸亀藩領の百姓,夫食願いを提出する(香川家文書「万事覚附」)
   3・2 丸亀新堀湛甫の銅灯籠の最初の一基,江戸より積み出される(丸亀市立資
       料館「新堀湛甫築立一条記録帳」)
   3・20 世上困窮につき,弘法大師一千年忌の大曼茶羅供執行,来春に延期となる
       (善通寺文書「高祖大師一千御忌諸記録」)
   3・26 高松藩領阿野郡北坂出村ほか5か村の140人へ,高松藩より扶持米が支給
       される(渡辺家文書「御用日記」)
   4・- 高松藩,「歴朝要記」を朝廷へ献上する(増補高松藩記)
   8・6 大風洪水.丸亀藩領那珂郡下では家屋54軒倒壊(津島家文書「晴雨記」)
   10・1 丸亀新堀湛甫の銅灯籠,上棟する(丸亀市立資料館「新堀湛甫築立一条記
       録帳」)
   10・24 丸亀藩領豊田郡新田村の百姓ら,村の経理責任を問い庄屋弥三八の罷免を
       求め,大庄屋へ出訴する(近世史料Ⅰ「新田村庄屋不帰依一件」)
   11・- 小豆島草加部村の枝村安田村で年寄役選任について騒動起こる(広瀬家文
       書)
   12・- 高松藩,えた・乞食に対し,城下呼出しの際の逗留場所を指定する(渡辺
       家文書「御用日記」)
   この年 多度津藩,湛甫築造に着手する(白川家文書「宮川道祐覚書」)
   この年 高松藩,町人・百姓の子弟に月2・3度講道館で講釈の受講を通達する
       (近世史料Ⅰ「高松藩諸達留」)
   この年 秋山惟恭著「讃岐国神社考」成る.
   この年 丸亀藩医尾池桐陽の漢詩集「桐陽詩妙」刊行される.
-200-
1835年 天保6 (乙未)
  政治・経済
   2・- 高松藩領阿野郡北高屋浜塩田百姓,大雨による釜屋・沼井などの破損の
       ため,高松藩に薪仕入銀として15貫目の借銀を願い出る(三野家文書「願
       書控」)
   4・20~21 丸亀藩,多度郡弘田村で大筒の試射を行う.5月1日にも同村で大
       筒の試射あり(香川家文書「万事覚附」)
   6・- 小豆島醤油仲間,小豆島醤油の一手販売権を大坂若狭屋に与える(高橋
       家文書「醤油帳」)
   9・- 高松藩,砂糖替為金趣法を始める(丸岡家文書「諸触事留帳」)
   12・- 高松藩,済方を勘定奉行から独立させ,札会所元締役日下儀左衛門に兼任
       させる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段106匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・28 金光院,金毘羅芝居を瓦葺定小屋とし,大般若講の会所も兼ねた定小屋建
       立願いを高松藩に出す(金刀比羅宮文書「金光院御用留」)
   2・5 高松藩より金毘羅芝居の定小屋建立の許可おりる(金刀比羅宮文書「金
       光院御用留」)
   7・- 金毘羅大般若講の10か年の再延長が高松藩に認められる(古老伝旧記)
   (7)・6 宇足津・坂出村打ちこわし騒動の首謀者6名,宇足津村平山で4名,
       坂出村内浜で2名それぞれ処刑される(宮崎家文書「民賊物語」)
   9・23 金毘羅芝居定小屋,完成する(金刀比羅宮文書「金光院御用留」)
   10・9 金毘羅定小屋で初めて芝居興行される(山下家文書「多門院日記書抜」)
   10・19 丸亀藩普請方松下忠衛門ら立合いの下,破損した豊田郡井関池の大樋の修
       復工事,着工される(平田家文書「井関池大樋損ニ付御普請中日記」)
   12・- 高松藩主松平頼恕,阿野郡北林田村の雲井御所を免租地とし碑を建てる(増
       補高松藩記)
   この年 高松藩儒臣三木雲門の「四書類編」刊行される.
1836年 天保7 (丙申)
  政治・経済
   4・19 丸亀藩,多度郡弘田村で大筒の試射を行う(香川家文書「万事覚附」)
-201-
   5・2 多度津藩,駿府加番を命じられる(京極御系図)
   9・- 他国船,丸亀の綿実を買い付けに来る.綿実1貫につき銀3匁から3匁
       3分の相場(諸国珍事大変控帳)
   9・- 諸国大洪水で凶作ながら讃岐国大豊作により,米穀買取りの他国船,丸
       亀川口に多数入船する(諸国珍事大変控帳)
   10・25 丸亀藩主京極高朗,多度郡白方村で大筒の試射に臨場する.家老佐々九郎
       兵衛・岡七郎兵衛,供奉する(香川家文書「万事覚附」)
   10・- 阿野郡北高屋浜塩田百姓,砂糖生産の資金繰が困難であることを高松藩に
       訴え,借銀返済の猶予を願い出る(三野家文書「願書控」)
   12・25 丸亀藩,勅使御馳走役を命じられる(京極御系図)
   この年 那珂・多度両郡下での綿相場120匁,麦1石123.4匁(香川家文書「万事
       覚附」)
       丸亀藩,12月の石代値段149匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・- 豊田郡柞田郷4か村の氏神山王宮別当黒渕村延命寺と社人牧野勘解由(飛
       騨)との間に,神主号をめぐって争い起こる(近世史料Ⅱ「柞田郷社職
       差縺付被仰渡書」)
   8・13 丸亀藩領多度郡吉原村の上池,大雨により破損する(長谷川家文書「諸注
       進控」)
   11・- 丸亀藩領多度郡善通寺・大麻両村で,貧農層を中心に小作米・小作料をめ
       ぐる村方騒動起こる(長谷川家文書 天保8年「覚帳」)
   12・1 高松城下の安養寺より出火,福田村・塩屋町に類焼して30軒を焼失する
       (歴世年譜)
   12・21 丸亀城下で火事,作事棟焼失する(香川家文書「万事覚附」)
   この年 秋山惟恭著「讃岐小史」成る.
1837年 天保8 (丁酉)
  政治・経済
   2・- 大塩平八郎,乱を唱え暴徒を聚め大阪市街を放火する.高松藩,大坂城を
       警衛するとともに市中の防火につとめる(増補高松藩記)
   4・14 筧速水,高松藩年寄を辞任する.8月17日没(増補高松藩記)
   9・21 高松藩主松平頼恕,幕命により京都使者として江戸を出立する(増補高松
       藩記)
   11・15 小豆島西部6か村(土庄・渕崎・上庄・肥土山・小海・池田),津山藩領
       となる(津山藩日記)
   12・5 高松藩,家臣知行米渡しを再び一つ七物成とする(増補高松藩記)
-202-
   12・- 阿野郡北高屋浜塩田百姓,生活困窮のため高松藩に正銀6貫500匁の借銀
       を願い出る.利銀は1か月1歩(三野家文書「願書控」)
   この年 塩飽与島の塩田,備前児島郡鎌田重郎右衛門の開発により完成.面積6町
       4反(「瀬戸内海に於ける島嶼部塩田の研究」所収「万日記留帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段127匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・25 高松藩,大塩平八郎の乱に係る領内被疑者の探索と大坂町奉行への差出し
       を命じる.とくにえた村の探索を厳命する(別所家文書「御用留」)
   この年 丸亀領内に「日本風病」流行し,死者多数でる(香川家文書「万事覚附」)
   この年 高松藩の三木半村の漢詩集「欸乃一聲集」刊行される.
   この年 中山城山著「続々讃岐国大日記」成る.
1838年 天保9 (戊戌)
  政治・経済
   3・6 第4代多度津藩主京極高賢,江戸麻布永坂の下屋敷で没する.63歳(京
       極御系図)
   3・16 高松藩,江戸城西ノ丸焼失再建費用として金2万両を献上する(増補高松
       藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段172匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   8・12 夜,丸亀城下福島で火事発生.17軒焼失する(香川家文書「万事覚附」)
   10・24~25 丸亀藩領豊田郡観音寺村で火事発生.約10軒焼失する(香川家文書
       「万事覚附」)
   この年 多度津湛甫が完成,東方突堤119間,西突堤74間,中央に120間の一文
       字突堤を設け,その両端に港門を開く.工費6200両とも1万両ともいわ
       れる(白川家文書「宮川道祐覚書」)
   この頃 丸亀城下の家数2813軒,人口8457人(丸亀市立図書館「御巡見様御越ニ
       付御尋之節答控」)
   この頃 高松城下の武家屋敷484軒,町家5991軒(鎌田博物館「御領分明細記」)
1839年 天保10 (己亥)
  政治・経済
   2・10 池御料3か村,松山藩預け地から倉敷代官支配となる(金刀比羅宮文書「金
       光院日帳」)
   8・28 丸亀藩江戸藩邸と津軽藩邸との屋敷替の噂あり,瀬山登,水野忠邦の勝手
       勤めを志願し噂の抹消に成功する(水野様御勝手勤由来記)
   この年 多度津藩の総収入371貫287匁3分5厘.総支出銀393貫615匁7分(近
       世史料Ⅰ「亥ノ歳御積帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段93匁(佐伯家
-203-
       文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・- 金毘羅の大般若講,一時休止し5月以降は九条家の称号を外すこととす
       る(琴陵家文書「九条殿御寄附大般若講一件留記書抜」)
   6・21 高松藩領那珂郡東高篠村と鵜足郡岡田4か村の間で,取水についての争い
       が起こる(篠原家文書「那珂郡東高篠村羽間大池入割ニ付取遣シ書控帳」)
   6・22 高松藩,「歴朝要紀首編・後醍醐天皇紀」を朝廷及び幕府に献上する(増
       補高松藩記)
   7・20 多度津藩領多度郡山階村百姓と丸亀藩領同郡弘田村上組百姓との間で,山
       階池の引水をめぐり水論発生する(香川家文書「万事覚附」)
   この年 玉楮象谷「一角製印籠」を上納し,玉楮の姓と帯刀を許される(増補高
       松藩記)
1840年 天保11 (庚子)
  政治・経済
   5・- 高松藩,田畑売買に際し,証文に村役人の証明印と消印のある古証文の提
       出を義務付ける(丸岡家文書「御法度被仰出留」)
   11・7 木村亘,高松藩江戸藩邸の財政改革に取り組む(増補高松藩記)
   12・1 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段90匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・14 丸亀藩,地誌掛を置き「西讃府志」の編纂に着手する(佐伯家文書「万覚
       帳」)
   9・18 金毘羅大権現金堂の銅屋根平葺,終了する(金刀比羅宮文書「金光院日帳」)
   11・- 高松藩領鵜足郡宇足津村権四郎,阿野郡北坂出村清助に紙問屋株を譲渡す
       る(渡辺家文書「御用日記」)
   12・17 天明8年に再建した善通寺五重塔,焼失する(善通寺文書「善通寺五重大
       塔再建之記」)
   この年 満濃池の竪樋・櫓の仕替えをする(政要録)
   この年 高松藩士久家暢斎の漢詩集「昇平楽事集」刊行される.
1841年 天保12 (辛丑)
  政治・経済
   2・17 阿野郡北高屋浜塩田百姓,松葉値段高騰のため塩田経営が悪化し,高松藩
       に松葉購入資金として5貫目の借銀を願い出る(三野家文書「願書控」)
       丸亀藩,12月の石代値段118匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・25~4・25 善通寺で大規模な開帳,行われる.4月6日からは大芝居が興
       行される(香川家文書「万事覚附」)
   4・9 丸亀藩領多度郡中村と同郡弘田村との間で,井壺の取水をめぐり水論発生
       する(香川家文書「万事覚附」)
1842年 天保13 (壬寅)
  政治・経済
   4・16 第9代高松藩主松平頼恕,江戸藩邸で没する.45歳〔5月15日,寒川郡
       西末村霊芝寺の西側日内山に儒礼により葬られる〕(増補高松藩記)
   5・24 松平頼胤,高松藩第10代藩主
-204-
       となる(増補高松藩記)
   7・- 丸亀藩,藩財政ますます逼迫し家禄の10分の6を減給する(旧丸亀藩事
       蹟)
   7・- 高松藩,店商いと冥加株料の調査を命じる(渡辺家文書「御用日記」)
   9・- 丸亀藩,備荒貯蓄米を整理し,1か年420石余を5か年継続し2000石に
       なるまで積立て,管内5か所にこれを貯蔵することとする(旧丸亀藩事蹟)
   12・1 高松藩,農村に質素倹約と店商いについての通達を出す(近世史料Ⅰ「御
       改革一件記」)
   12・23 多度津藩,湛甫完成の功労者に褒賞を与える(木谷家文書)
       丸亀藩,12月の石代値段95匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・13~22 丸亀藩領豊田郡萩原寺で本尊・宝物の開帳並びに興教大師(覚鑁)
       七百年忌法要,執行される(萩原寺文書「本尊中開帳興教大師七百年御忌」)
   8・- 小豆島安田村百姓ら,草加部村庄屋の不正を倉敷代官に訴える(九州文化
       史研究施設「天保5年ヨリ弘化2年ニ至ル小豆島草加部村庄屋久五右衛門
       返答書写并一件取扱手続明細控」)
   この頃 香川郡東の大庄屋,郡林の売却益金で道の新設・拡張を行う(別所家文書
       「香川郡東村々往還広ケ附替道造橋掛等諸入目之内郡林御山銀年々之利指
       引書出帳」)
1843年 天保14 (癸卯)
  政治・経済
   1・28 高松藩,文政10年に営業を許可された店商いの調査を命じる(渡辺家文
       書「御用日記」)
   2・22 高松藩,通用米の川口積出しを当分の間許可する(渡辺家文書「御用日記」)
   3・10 高松藩,諸商い株と水車株の譲渡禁止を通達する.〔同年9月に水車株・
       酒造株・酢醤油株・油絞株・旅人宿株については許可〕(近世史料Ⅰ「御
       改革一件記」)
   3・- 高松藩,城下の商人が農村地域で商業活動を行うことを制限する(渡辺家
       文書「御用日記」)
   5・- 阿野郡北坂出村庄屋,高松藩の商業統制強化により領外へ買出しに行く者
       が増加しているとして,統制の緩和を嘆願する(渡辺家文書「御用日記」)
   6・28 松葉・薪高値のため,高屋浜塩田14軒前のうち5軒前が石炭焚を
-205-
       許可される.翌年には3軒前が許可される(三野家文書「願書控」)
   6・- 高松藩,幕府の物価引下げ令を受け日常品の値段を下げる(渡辺家文書「御
       用日記」)
   11・- 小豆島渕崎村に津山藩陣屋,建設される(津山藩地方郡代御用日記)
       丸亀藩,12月の石代値段105匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・- 高松藩,無許可の酒の小売・うどん・蕎麦切商いを禁止する.2月,阿野
       郡北の店商いら,日常差し障りがあるとして営業許可を嘆願する(渡辺家
       文書「御用日記」)
   4・- 阿野郡北青海村の百姓,高屋浜塩田の石炭焚により作物・山林に支障が生
       じ,石炭焚の禁止を嘆願する(渡辺家文書「御用日記」)
   6・- 金毘羅祭礼の頭入,村の上頭屋・下頭屋がくじ取りで順年を決めるように
       改められる(衣輪文書「金毘羅初耳之義ニ付取極候書付」)
   7・28 阿野郡北青海村の百姓ら,高屋浜塩田の石炭焚に反対して庄屋宅に押し寄
       せる.同郡の両大庄屋,高松藩に善処を願い出る(渡辺家文書「御用日
       記」)
   7・- 高松藩領香川郡東の平池尻に設置された水車3台の撤去を求める平池水
       掛り農民と,水車経営者との間に水論が生じる(喜田家文書)
   この年 耕牛に疫病蔓延し,多数の牛疫死、33年振りの流行という(香川家文書
       「万事覚附」)
   この年 丸亀藩医尾池松湾の漢詩集「梅隠詩稿」刊行される.
   この頃 香川郡東と山田郡のえた,生皮・骨の大坂積出しをめぐって対立する(別
       所家文書「御用留」)
   この頃 直島の沖船頭職堺屋平蔵,北国・日本海で活躍する(堺谷家文書)
1844年 弘化1 12・2 (甲辰)
  政治・経済
   5・6 幕府,水戸斉昭に隠居を命じる.新水戸藩主幼少につき,高松藩主松平
       頼胤ら後見役となる(増補高松藩記)
   5・17 高松藩,江戸城本丸焼失の復旧費として2万両献上する(増補高松藩記)
   この年 高松藩領大内郡引田村の甘蔗作付面積は31町,同村全耕地面積の29%を
       占める(日下家文書「大内郡引田村辰春甘蔗植付畝高御改手引帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段105匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・- 高松藩主松平頼胤,幕命により「隋書」25巻を刊行する(増補高松藩記)
   9・- 善通寺誕生院権僧正厳暁,五重塔再建の綸旨頂戴の願書を徳大寺大納言
       へ提出する(近世史料Ⅱ「善通寺五重塔再建綸旨御願諸記録」)
   12・- 小豆島草加部村庄屋,天保13年の訴えにより退陣する(九州文化史研究
       施設「天保5年ヨリ弘化2年ニ至ル小豆島草加部村庄屋久五右衛門返答
       書写并一件取扱手続明細控」)
   この頃 高松城下の武家屋敷数461軒,寺数67か寺(高松城下図)
   この頃 直島の船数24艘,積石数344石(三宅家文書)
   この頃 香川郡でえた浄瑠璃がみられる(別所家文書 天保15年「甲辰歳日帳」)
1845年 弘化2 (乙巳)
  政治・経済
   3・- 米綿の市取引自由となり,丸亀横町常磐屋で繰綿の取引が始まる
-206-
       (諸国珍事大変控帳)
   6・3 高松藩,家臣知行米渡し二つ物成を止め,三つ物成とする(増補高松藩
       記)
   7・- 高松藩,麦年貢のうち正麦納分を銀納に改める.麦年貢はすべて銀納と
       なる(政要録)
   10・3 丸亀藩,鳥居甲斐守を預けられ,即日請け取り新橋外屋敷に引き取る.同
       月28日,江戸を出立し,11月24日丸亀に着く(京極御系図)
       丸亀藩,12月の石代値段118匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・1 金毘羅の金堂完成し,講元から金光院に引渡される.総費用2万両とい
       う(古老伝旧記)
   2・1 高松藩領阿野郡北坂出村の百姓,無印の紙類を取り扱っていたため,紙
       類すべてを没収され紙商を差し止められる(渡辺家文書「御用日記」)
   2・9 善通寺五重塔再建の綸旨,出される(近世史料Ⅱ「善通寺五重塔再建綸
       旨御願諸記録」)
1846年 弘化3 (丙午)
  政治・経済
   6・15 高松藩,郷中の無願商いや認可商品以外の売買(増商)を禁止する(渡辺
       家文書「御用日記」)
       丸亀藩,12月の石代値段110匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・15 高松藩領那珂郡東高篠村の大池水掛り百姓ら,夕立などによる俄水の分水
       を普請奉行に願い出る(篠原家文書「那珂郡東高篠村羽間大池入割ニ付
       取遣書控帳」)
   9・5 多度津藩領三野郡大見村の弥谷寺で夜から翌朝にかけて火事発生.本堂
       を焼失する(香川家文書「万事覚附」)
   9・- 高松藩領の大庄屋ら,郷中の無願商いや認可商品以外の売買禁止の解除
       を藩に嘆願する(渡辺家文書「御用日記」)
1847年 弘化4 (丁未)
  政治・経済
   12・- 高松城下新湊町に浜会所設けられる(鎌田博物館「高松新湊町問屋申合定
       書」写)
   この年 高松藩の知行高50石以上の家臣数,387人(歴世年譜)
       丸亀藩,12月の石代値段110匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・8 丸亀藩領那珂郡今津村の百姓11名,農業不振による困窮訴えのため,高
       松藩領鵜足郡東坂元村の隋喜心院に越境する(十河家文書「御用留」)
   7・14 高松藩領土器川流域の鵜足郡土器村・東二村・西二村,大雨により死者・
       家屋流失などの損害を被る(十河家文書「御用留」)
   この年 丸亀藩の北岡石台の漢詩集「鼓腹集」刊行される.
   この年 暁鐘成(木村明啓)の「金毘羅参詣名所図会」刊行される.
-207-
1848年 嘉永1 2.28 (戊申)
  政治・経済
   6・- 高松藩領阿野郡北高屋村の百姓ら,塩田・田畑の冠水のため銀札6貫目の
       借用を高松藩に願い出る(渡辺家文書「御用日記」)
   10・- 丸亀繰綿相場,1本につき160匁(諸国珍事大変控帳)
       丸亀藩,12月の石代値段120匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・- 2月以来の長雨により小麦・大豆が大量に腐り,多度郡下では50年来の
       被害となる(香川家文書「万事覚附」)
   この年 篆刻家の細川林谷の漢詩集「林谷詩鈔」成る.
1849年 嘉永2 (己酉)
  政治・経済
   2・23 高松城下新湊町の諸問屋,材木類の運上銀徴収を任される(草薙家文書 
       弘化4年~嘉永2年「鳥屋触帳」)
   3・13 幕府,高松藩主松平頼胤の水戸藩後見役を免じる(増補高松藩記)
   4・16 高松藩,家臣知行米渡しを再び二つ物成とする(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段139匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 高松城下今新町十川屋小助,御坊町勝法寺の東の井戸を東百間町坂本屋
       才次郎から譲りうける(鎌田博物館「新井戸水本并水掛丁々辻井戸軒別
       内井戸惣絵図」)
   11・14 高松藩領志度浦大火.350戸延焼(増補高松藩記)
   11・- 小豆島草加部村の年寄鎌田嘉平次,枝村西村内日方村の百姓63人から退
       陣を迫られる〔嘉永5年11月退陣する〕(壺井家文書)
   12・9 夜,鵜足郡宇多津村で火事発生.30軒焼失する(香川家文書「万事覚附」)
   12・23 夜,阿野郡北坂出村で火事発生.13軒全焼する(香川家文書「万事覚附」)
   この年 満濃池の底樋前半部の伏替をする(政要録)