1650年(慶安 3) ~ (41K)


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底本の書名   香川県史 年表 別編Ⅱ 近世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      


1650年 慶安3 (庚寅)
  社会・文化
   3・- 高松藩領大内郡引田浦のキリシタン助五郎,妻子とともに捕らえられ入牢
       する(切支丹宗徒人名録)
   9・- 京極伊知子,「涙草」を著す
   12・9 高松藩主松平頼重,金毘羅に詣で,金光院に宿す.翌日金毘羅権現へ太刀
       ・切紙・馬を奉納する(英公実録)
-128-
1651年 慶安4 (辛卯)
  政治・経済
   2・1 高松藩,法令13か条を出す(英公実録)
   2・- 高松藩,キリシタン信者を捕らえて江戸へ送る(英公実録)
   4・24 高松藩主松平頼重,参勤のため兵庫着.翌25日大坂町奉行より,去る20
       日に将軍家光死去との知らせが届き,28日高松に帰城(英公実録)
   10・26 第2代丸亀藩主山崎俊家,没する.35歳(山崎家譜)
   12・11 高松城の修築を許される(英公実録)
   この年 高松藩領寒川郡長尾村で検地が行われる(蓮井家文書「長尾西村当御代以
       後御免定帳」)
  社会・文化
   1・- 高松藩主松平頼重,近江園城寺にはたらきかけ,金倉寺をもとの天台宗に
       改宗させる(鶏足山金倉寺縁起)
   3・15 高松藩主松平頼重,真行寺・金倉寺へ20石宛寄進する(英公外記)
   3・18 高松藩主松平頼重,八栗寺へ10石寄進する(英公外記)
   3・- 高松藩主松平頼重,石清尾御山屋敷を造る(英公外記)
   7・10 高松藩主松平頼重,大猷院殿(徳川家光)弔のため,克軍寺において法会
       を催す(英公実録)
   10・- 高松藩主松平頼重,克軍寺へ30石寄進する(英公外記)
   この年 高松城下の家臣以外の人口1万5903人(歴世年譜)
   この頃 友安盛員の「讃岐国大日記」成る.
1652年 承応1 9・18 (壬辰)
  政治・経済
   2・8 山崎治頼(3歳),丸亀藩第3代藩主となる.幼少のため叔父山崎豊治,
       仁尾5000石を与えられ後見役となる(山崎家譜)
   2・18 丸亀藩主山崎治頼,使者を高松へ遣し襲封を告げる(英公実録)
   2・21 高松藩,法令を出す(英公実録)
   6・- 山崎豊治,幕府老中へ藩主治頼の後見役としての起請文を差し出す(山崎
       家文書)
   9・17 高松城の修築を許される(英公実録)
   この年 高松藩,財政難につき高松城下へ御用金3000両を命じ,また水戸藩から
       3000両借用する(英公外
-129-
       記)
1653年 承応2 (癸巳)
  政治・経済
   2・- 高松藩,法令を出す(英公実録)
  社会・文化
   1・10 高松城下西浜より出火.百間町・塩屋町・東浜町まで罹災する.武家屋敷
       22軒,町家481軒焼失(英公外記)
   2・24 高松藩主松平頼重,火災にあった家臣宅および町家を視察し銀・米を与え
       る(英公実録)
   3・- 高松藩,時鐘を大坂で鋳造させる(英公外記)
   6・10 高松藩,制札を新馬場に建てる(英公実録)
   この年 京の僧澄禅,「四国辺路日記」を著す.
1654年 承応3 (甲午)
  政治・経済
   2・13 幕府,塩飽に対し,4人の年寄りのうち1人年行司を置くこと,公儀御用
       および島中の諸事をつとめることなど11か条の「塩飽嶋中仕置之事」を
       出す(塩飽島諸事覚)
   この年 高松藩,凶作による年貢減少のため家臣知行米渡しを二つ物成にするとと
       もに,家臣へ高100石につき米5石と京銀200匁宛を貸与する(英公外起)
   この年 塩飽,長崎奉行の大坂から小倉への下向に際し,水主121人を差し出す.
       以後宝永元年まで続く(塩飽島諸事覚)
   この年 高松藩,寒川郡石田村および鵜足郡宇足津村で銀を掘る(英公実録)
  社会・文化
   4・6 丸亀藩奉行高野瀬左衛門,豊田郡大野原新田の井関池うてめ(#「うてめ」
       は底本のママ)切り広げの工事に着手する(平田家文書「大野原年代」)
   5・18 塩飽漁民と丸亀藩領西平山浦・北平山浦・御供所浦漁民との漁場争論が
       起こり,3か条を取決め和解する.また備前国領下津井の4か浦漁民との
       漁場争論が起こり,5か条を取決め和解する(塩飽島諸事覚)
   7・- 高松藩主松平家の菩提寺浄願寺の修造始まる(英公外記)
   12・12 松平家菩提寺浄願寺が落成する.夜出火して新建の客殿庫裏などを焼失.
       鐘楼・表門・唐門は焼残る(英公外記)
   この年 夏,大旱魃.「午年の大旱」という.高松領内の町・郷に飢人多数出る.
       牛馬2598匹死ぬ.翌年夏まで御救扶持・御救麦を支給する(英公外記)
   この年 満濃池の竪樋仕替を行う(政要録)
1655年 明暦1 4・13 (乙未)
  政治・経済
   6・15 丸亀山崎藩,三浦水主280人に生駒時代の畑8町6反4畝を再び
-130-
       与える(丸亀市立図書館「三浦漁夫旧記」)
   7・10 高松藩,老中より朝鮮使節来朝につき馬を差し出すよう命じられる(英公
       外記)
    10・8 高松藩主松平頼重,朝鮮使節来朝につき登城する(英公外記)
  社会・文化
   1・14 丸亀城下と塩屋村を結ぶ塩屋橋を架けるため,町方および塩屋村ほか4か
       村で費用を負担する(山下家文書「塩屋年代記」)
   2・7 大坂船奉行・同東西町奉行下代,小豆島へ住吉神社造営につき,鳥居と橋
       用の石材を松屋治兵衛請負で,切り出すよう命じる(笠井家文書)
   春   去年五穀実らず讃岐の百姓ら田を祭る.これを水口祭という(英公外記)
   6・- 鹿島踊が高松藩領西部から起こり,阿讃の国境まで波及する(歴世年譜)
   この年 高松城下の浄願寺再興成り,寺町から五番町の東に移る.高松藩,寺領高
       100石と山林を寄進する(英公外記・消暑漫筆)
1656年 明暦2 (丙申)
  政治・経済
   1・3 高松藩,後西天皇即位式の幕府使者として上京を命じられる(英公外記)
   この頃以降, 高松藩で本格的に土免法が行われる(蓮井家文書「長尾西村当御代
       以後御免定帳」)
  社会・文化
   5・3 小豆島土庄村庄屋笠井三郎右衛門,大坂町奉行あてに土庄村の鯛網を紀州
       網にするよう願い出る(近世史料Ⅱ「小豆島漁場関係文書」)
1657年 明暦3 (丁酉)
  政治・経済
   3・6 第3代丸亀藩主山崎治頼,江戸で没する.8歳(山崎家文書)
   3・9 丸亀藩山崎家断絶し所領4万5000石収公される(徳川実紀)
   3・10 伊予大洲藩主加藤泰興,丸亀勤番を命じられる(徳川実紀)
   3・19 故山崎治頼の後見人山崎豊治,丸亀城引渡しの諸事を命じられる(徳川
       実紀)
1658年 万治1 7・23 (戊戌)
  政治・経済
   2・26 京極高和,将軍家綱より山崎治頼闕地讃岐国丸亀城並びに城付5万67石
       5斗,播磨国龍野領の内1万石を領知すべき旨申し渡される(御家覚書)
   2・27 故山崎治頼の後見人山崎豊治,幕府老中より備中国成羽へ所替を命じられ
       る(山崎家文書)
-131-
   3・13 丸亀藩主京極高和,高松藩江戸藩邸に挨拶に赴く(英公実録)
   3・25 京極家家老佐々九郎兵衛ら27人,丸亀城を受け取る(西讃府志)
   5・2 丸亀藩主京極高和,龍野の1万石には郡代・奉行を置く(旧丸亀藩事蹟)
   5・3 丸亀藩主京極高和,龍野を出発,網干より乗船(京極御系図)
   5・5 丸亀藩主京極高和,丸亀に着船し入城する(京極御系図)
   この年 丸亀入部当初の朱印高は6万67石5斗,内高は8万2242石517合(丸亀
       市立資料館「御記録控」)
  社会・文化
   3・- 高松藩主松平頼重,後水尾上皇に「二百首和歌」を奉る(随観録・英公外
       記別録)
   8・23 高松藩主松平頼重,浄願寺に100石を寄進する(英公外記)
   この年 京極家菩提寺玄要寺が龍野から丸亀に移建され,泰雲山玄要寺と称する
       (西讃府志)
   この年 満濃池の底樋の仕替えを行う(鎌田博物館「讃州那珂郡満濃池底樋・竪樋
       ・矢倉御普請目論見帳」)
1659年 万治2 (己亥)
  政治・経済
   この年 高松藩および丸亀藩内の一部で検地が行われる(英公外記・弘化録)
  社会・文化
   6・- 丸亀城下の年寄,塩屋橋修繕について津森村大庄屋次郎兵衛と町方・在方
       の分担証文を取り交わす(古法便覧)
   12・- 高松藩主松平頼重,後水尾上皇に「四季二十首」の和歌を奉る(隋観録・
       英公外記別録)
   この年 小豆島土庄村黒崎から町人請負で,江戸山王神社鳥居石が採石される
       (笠井家文書)
   この年 豊田郡新田村庄屋西山治右衛門が中心となり,豊田新田を開く(近世史料
       Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
   この年 塩飽本島の年寄宮本伝太夫,瀬居島を開作し,畠高13石・水主役20人に
       定まる(塩飽島諸事覚)
   この年 満濃池の本樋後半部の仕替えをする(鎌田博物館「那珂郡満濃池諸色
       御普請覚帳」)
   この年 丸亀藩領那珂郡塩屋村の開発成る(西讃府志)
1660年 万治3 (庚子)
  政治・経済
   3・26 丸亀藩,山崎時代未完の丸亀城普請を許される(青家文書)
   この年 丸亀藩,江戸三田で屋敷地
-132-
       として5000坪拝領する.その後,百姓地620坪を買い添える(京極御系
       図)
  社会・文化
   この年 高松藩主松平頼重,金毘羅の経蔵を造営する(英公外記)
1661年 寛文1 4・25 (辛丑)
  政治・経済
   4・11 高松藩,諸士軍役の人数割を定める(英公実録)
   9・- 丸亀藩,勅使接待の御馳走役を初めて命じられる(徳川実紀)
   この年 高松藩,郡奉行として2人を置く〔寛文3年から5年まで一時廃止〕(政
       要録)
  社会・文化
   4・15 高松藩主松平頼重,洞林院(白峯寺)・屋島寺・金光院へ千本仏料10石を,
       聖通寺へ灯明料10石を寄進する(英公外記)
   冬   丸亀藩領豊田郡新田村の奥谷池の築造工事に着手する.翌年完成する(近
       世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
1662年 寛文2 (壬寅)
  政治・経済
   3・3 高松藩主松平頼重,将軍家綱より井伊直澄とともに老中と同席し,幕議に
       参画することを命じられる(英公外記)
   4・12 高松城石垣の修繕を許される(英公実録)
   9・13 初代丸亀藩主京極高和,帰国の途中,京都因幡薬師寺で没する.44歳
       (佐々木京極家記録)
   10・17 8月の落雷で焼失した高松城本丸多門櫓の修繕を許される(英公実録)
   12・4 京極高豊,丸亀藩第2代藩主となる(佐々木京極家記録)
  社会・文化
   8・3 落雷で高松城本丸北西隅の矢倉焼失,多門56間類焼,黒金門東北隅の矢
       倉のそばで鎮火する(英公外記)
   12・22 高松藩主松平頼重,白峯寺へ寺領50石および歌仙・琵琶などを寄進する
       (英公外記)
1663年 寛文3 (癸卯)
  政治・経済
   11・1 高松藩主松平頼重,病気につき6月の参勤交代を2・3月に改めることを
       老中より認められる(英公実録)
   12・4 高松藩主松平頼重,将軍家綱より世子松平右京頼世を水戸藩主徳川光圀の
       養子にするよう申し渡される(英公実録)
   この年 高松藩,郡奉行を廃止する〔寛文6年これを復活する〕(政要録)
  社会・文化
   11・16 高松藩,円座20枚を初めて幕府に献上する(英公外記)
1664年 寛文4 (甲辰)
  政治・経済
   2・18 高松藩主松平頼重,将軍家綱より水戸藩主徳川光圀の嫡子兵部(頼常)を
       養子とするよう申し渡される(英公実録)
   2・晦 高松藩,江戸目黒に別邸を置く(増補高松藩記)
-133-
   4・5 丸亀藩主京極高豊,将軍家綱より領知判物を与えられる.この時,曾祖母
       常高院の跡地近江国蒲生郡長田村・野田村の1400石も加えられる.また
       京極高房(頼母)に3000石を分知する(御家覚書)
   5・28 高松藩,軍用金に充てるため家臣に対し知行高100石につき金1両の拠出
       を命じる(英公実録)
   6・3 高松藩主松平頼重,将軍家綱より領知判物を与えられる(英公実録)
   10・25 高松城の城塁の修復を許される(英公実録)
   この年 高松藩領内で山検地が実施される(英公外記)
   この年 高松藩,「寺社覚」7か条を定める(金倉寺文書「御条目写」)
   この年 丸亀藩の内高は近江国・播磨国の飛び領を含めて8万8176石1斗7升3
       合(鎌田博物館「丸亀之内御領地郡村高辻」)
  社会・文化
   3・- 丸亀藩,町役人の居宅は間役銀免除を定める(古法便覧)
   11・16 高松藩主松平頼重,大内郡白鳥宮の本社・拝殿などことごとく新造し,京
       都より神主猪熊千倉を招く(英公外記)
   11・24 高松藩主松平頼重,白鳥宮へ参詣し,太刀・鎧を献納する(英公外記)
   この年 京都の豪商平田与一左衛門,大野原に移住という(平田家文書「大野原年
       代」)
   この年 直島と備前国胸上村との第1回目の漁場争論が表面化する(近世史料Ⅱ
       「石島論争ニ付双方口上書」)
1665年 寛文5 (乙巳)
  政治・経済
   2・4 大坂船奉行を小豆島並びに塩飽島の代官に任命する(徳川実紀)
   10・22 高松藩,館林藩城代大久保越中守と次男善之助の預かりを命じられる(英
       公外記)
   12・3 丸亀藩,幕府より不受不施派上総国妙覚寺の日堯・武蔵国法妙寺の日了の
       2僧を預けられ,丸亀郭内中山七郎左衛門屋敷内に幽閉する(佐々木京極
       家記録)
   この年 高松藩,城下周辺の五箇之庄(西浜村・宮脇村・中ノ村・上ノ村・東浜村)
              より検地を始める.寛文11年に完了する.これを「亥ノ内検地」という
       (英公外記)
  社会・文化
   7・11 大内郡白鳥宮神主猪熊千倉,社領大内郡帰来村200石の朱印状を与えられ
       る(英公外記)
   7・- 高松藩主松平頼重,白鳥宮に対し36か条の法を定める(讃州大内郡白鳥
       宮之法令)
   11・- 高松城下中ノ村に天満宮の造営成る(英公実録)
1666年 寛文6 (丙午)
  政治・経済
   5・25 高松藩,法令を出す(英公実録)
   この年 高松藩領山田郡の沖を埋立
-134-
       てた新田が完成する(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩,江戸戸越村に屋敷地を購入し下屋敷とする.もと谷内蔵頭屋敷
       で代金160両(佐々木京極家記録・旧丸亀藩事蹟)
  社会・文化
   7・2 高松藩主松平頼重,石清尾八幡宮の造営を見分する(英公実録)
   9・1 高松藩主松平頼重,金倉寺・屋島寺・聖通寺・虚空蔵院・志度寺・八栗
       寺・大窪寺・積善坊・真行寺に寺領安堵の証文を下す(寺社記)
   11・11 石清尾八幡宮完成し,松平頼重,太刀・折紙・馬1匹を奉納する(英公実
       録)
   11・11 高松藩主松平頼重,石清尾八幡宮に対し48か条の定を出す(弘憲寺文
       書)
   12・- 石清尾八幡宮神主友安刑部,罷免される(英公実録)
1667年 寛文7 (丁亥)
  政治・経済
   (2)・13 高松城の城塁の修築を許される(英公実録)
   4・24 海辺巡見使高橋又兵衛・向井八郎兵衛,引田・志度を経て,高松に着く.
       翌日宇足津・丸亀へ向かう(英公外記)
   6・11 幕府巡見使川口源兵衛・堀八郎右衛門・藤堂庄兵衛,高松に着き国内を
       巡察する(英公外記)
   12・3 高松藩,軍用金に充てるため家臣に対し知行高100石につき金1両2分の
       拠出を命じる(英公実録)
  社会・文化
   (2)・18 幕府,塩飽へ諸廻船の遭難に対する諸注意や対応策など7か条の触れ
       を出す(塩飽勤番所文書「御触書之写」)
   (2)・18 豊田郡琴弾八幡宮社僧役を観音寺と萩原寺が争い,観音寺が社僧役を
       勤めることになる(萩原寺文書)
   この年 高松城下町人口(家臣以外)1万9726人(随観録)
   この年 愛行院の社領福光院免(古馬場の東南部分),町家となり福田町と称する
       (政要録)
   この年 高松藩,松島すべりの沖より潟元村の沖まで東西の堤防を築き,沖松島・
       木太・春日の潟地を新開とする.下徃還より南手の新開は生駒時代に西島
       八兵衛が築く(英公外記)
   この年 松平可正の「松山和歌集」,刊行される.
   この年 満濃池の竪樋仕替えを行う(政要録) 
1668年 寛文8 (戊申)
  政治・経済
   4・17 高松藩寺社奉行間宮九郎右衛門と緒方伝兵衛,寛文4年の寺社覚7か条を
       守るよう指示し新たに5か条を定める(金倉寺文書「御条目写」)
-135-
   この年 高松藩領鵜足郡の塩入山を伐採し,材木を土器川を利用して羽間まで流し
       ,岡田から宇足津までは陸送する(造田家文書「塩入山御仲間日払目録」)
  社会・文化
   夏   高松藩領内,大旱につき香川郡安原村の百々潭で雨乞いをする(英公外記)
   12・15 高松藩主松平頼重,興正寺の願いを入れて興正寺楠川原の寺領を今里村
       福岡の地と取り替える(「藩祖松平頼重伝」所収文書)
   この年 高松藩領香東郡百相村で仏生山法然寺の造営始まる(英公外記)
1669年 寛文9 (己酉)
  政治・経済
   3・21 高松藩主松平頼重,病のため諸事を世子頼常に代行させたい旨を願出て許
       される(英公外記・英公実録)
   5・10 高松城天守閣の上棟式,行われる(英公実録)
   8・25 高松藩,御座船を新造し飛龍丸と名付ける(英公外記)
   10・27 塩飽諸島の検地行われる.総石高1378石9斗2合5勺(塩飽島諸事覚)
  社会・文化
   6・8 豊島甲生村庄屋吉左衛門ら,土庄村庄屋三郎右衛門に鯛網についての請負
       証文を出す(笠井家文書)
1670年 寛文10 (庚戌)
  政治・経済
   8。6 高松城天守閣造営成る.普請奉行朝比奈甚五兵衛に脇指
       を与える(英公実録)
   9・6 高松藩,鳥銃および小道具・軍器を製造する(英公実録)
   11・18 高松藩,栗林に武具庫を造営する(英公実録)
   11・24 高松藩,甲冑を製造する(英公実録)
   この年 高松藩,江戸藩邸への廻米不足につき水戸藩から米2936石余を借用する
       (英公外記)
   この年以後元禄10年までに,丸亀藩,定土免制(春免制)の採用に踏み切る(佐
       伯家文書「豊田郡有木村免相下札帳」)
   この頃より延宝にかけて,丸亀藩,領内一円の検地を行う(善通寺市役所 寛文10
       年「申上覚」延宝4年「多度郡善通寺村検地帳」)
  社会・文化
   1・25 香東郡百相村での伽藍造営が完成,仏生山来迎院法然寺と号する.寺領
       300石を与えられ,高松藩主松平家の墓所とする(英公外記・英公実録)
   1・25 高松藩主松平頼重,仏生山法然寺条目38か条を定める(仏生山法然寺条
       目)
   1・26 高松城下中ノ村天神に矢場が完成する(英公外記)
   8・8 金毘羅の三十番神社社人内記と権太夫,別当金光院の非を幕府の寺社奉行
       へ直訴する.11月11日権太夫・内記ら11人斬罪に処せられる(英公外
       記)
   10・22 高松藩主松平頼重,仏生山市立の興業に来た大坂芝居者を高松城内に召し
       て芸を観覧する(英公外記)
   11・3 高松城下南新町より出火,家屋51軒焼失する.瓦焼・中ノ村・東浜まで
       類焼する(英公外記)
   この年 岡田宜翁の遺稿集「竹庵遺稿」,刊行される.
-136-
1671年 寛文11 (辛亥)
  政治・経済
   5・17 高松藩,軍役帳・分限帳を作成する(英公実録)
   5・29 高松藩主松平頼重,御目見以上の寺々の住職に対し,宗派の法を守り藩令
       に従うことを申し渡す(英公外記)
   8・8 高松城の濠浚えが許される(英公実録)
   9・3 高松藩,家臣への知行米渡しを四つ物成に決める.定江戸・詰江戸・江戸
       供は四つ五分物成とする.以後四つ物成が永制となる(英公外記)
   9・- 高松城普請始まる.翌年5月完成する.普請奉行は朝比奈甚五兵衛と今泉
       八郎左衛門(英公外記)
   12・11 高松城の修築,許される(英公実録)
   12・28 直島領主高原数馬,家内取締不行届として改易される.以後直島は幕領と
       なる(国立公文書館「干城録」)
  社会・文化
   8・21 高松藩主松平頼重,長子頼母に金毘羅の代参をさせ,自らの病気平癒と隠
       居許可の願文を奉納する.白鳥神社へは図書を,石清尾八幡宮へは亀千代
       を代参させる(英公実録)
   10・26 幕府,塩飽へにせ薬種の売買禁止を通達する(塩飽勤番所文書「御触書之
       写」)
   この年 河村瑞賢,東廻り航路を開く.
   この年 河村瑞賢,西廻り航路の幕府直雇廻船に塩飽船のほか備前・摂津の船を
       使うことを幕府に建議する(奥羽海運記)
1672年 寛文12 (壬子)
  政治・経済
   2・9 高松城の修築を許される(英公実録)
   3・- 直島の浪人三宅三郎兵衛,倉敷代官より直島永住が認められる(三宅家文
       書「三宅家系図」)
   6・13 丸亀藩,飛び領播磨国横浜村・大江島村が幕府御用地となり,替地として
    近江国坂田郡清滝村・大野本村を与えられる(佐々木京極家記録)
   (6)・18 高松城の修築,許される(英公実録)
   この年 高松藩,領内の山検地を行い,藩有林(御林)と百姓自分林を設定し,
    浮役銀を徴収する(枌所公民館「子年百姓自分林検地帳之写」)
  社会・文化
   7・1 山田郡松尾池の築造,完成する(政要録)
   この年 再び直島と備前国胸上村との間で「はたごの瀬」をめぐって漁場争論が
       起こる(近世史料Ⅱ「石島論争ニ付双方口上書」)
   この年 河村瑞賢,西廻り航路を開く.
   この年 塩飽船,幕府直雇船として毎年7万5000石の城米輸送を命じられる.
       出羽から江戸への輸送運賃は100石につき金16両2歩(近世史料Ⅰ「廻
       船会合控帳」)
   この年 塩飽牛島で船入(湊)築造のため,船の積石数10石につき銀1匁2分9
       厘の入目銀を出すよう申し合わせる(長徳院文書「船入諸事之帳」)
-137-
1673年 延宝1 9・21 (癸丑)
  政治・経済
   2・19 高松藩主松平頼重,病により隠退し,松平頼常が高松藩第2代藩主となる
       (英公外記)
   4・28 松平頼重,高松城西ノ丸から御林(栗林荘)へ移る(英公外記)
   10・23 松平頼重,家臣の借銀返済5か年計画を立てる.当時の借銀高1707貫
       480目(英公外記)
   この年 丸亀藩,江戸桜田久保町に御屋敷5324坪を購入し本邸とする.延宝3年
       完成し,三田邸は中邸とする(京極御系図・旧丸亀藩事蹟)
   この年から翌年にかけて,梯七郎左衛門らによって丸亀藩領多度郡大麻村の検地行
       われる(善通寺市役所 延宝2年「多度郡大麻村検地帳」)
  社会・文化
   2・- 幕府の御城米船直雇方式の採用に伴い,塩飽に大坂・江戸間の輸送の心得
       ,難船時の積荷の処置などの覚が出される(塩飽勤番所文書「御触書之写」
   12・8 松平頼重,猪熊千倉に日本書紀神代の講釈を命じ,長袴以上の上級家臣に
       聴聞を命じる(英公外記)
   12・20 興正寺,幕府より福岡村150石の朱印状を下付される(内閣文庫「徳川家
       判物并朱黒印」)
   12・20 法然寺,幕府より寺領300石の朱印状を下付される(仏生山法然寺添条目)
   この年 松平頼重,愛染明王五大虚空蔵の画像を郷中10か寺に寄進し五穀豊饒を
       祈る(英公外記)
   この年 船大工七右衛門ら16人,丸亀中須賀に屋敷地の拝領を願い出る(近世史
       料Ⅱ「丸亀城下福島町開地由来書」)
1674年 延宝2 (甲寅)
  政治・経済
   10・9 高松藩,家臣の借銀返済5か年計画を7か年計画に延ばす.頼重から毎年
       2000両の拠出金計1万4000両で皆済し,無利息の年賦で返済するように
       改める(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩領豊田郡新田村で検地が行われる(近世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水
       一件」)
  社会・文化
   1・8 松平頼重,猪熊宮内へ神代巻の講釈を命じる(英公外記)
1675年 延宝3 (乙卯)
  政治・経済
   9・14 松平頼重,軍役を藩士に命じる(歴世年譜)
   この年 丸亀藩,飢饉につき穀類の他国への船積みを禁止する(古法便覧)
  社会・文化
   2・22 塩飽漁民と香西浦漁民,小瀬居島沖の鯛網漁場をめぐって争う(久保家
       文書)
   (4)・24 法然寺,常紫衣の綸旨を頂戴する(仏生山法然寺添条目)
   6・- 松平頼重の斡旋で金毘羅社領と池御料の地替えが行われる(金刀比羅宮「延
       宝3年池領金毘羅地替絵図」)
   この年 丸亀藩,飢饉救済のため銀20貫目・御蔵大麦70石を城下に与える.ただ
       し,銀は貸与(古法便覧)
   この年 満濃池の樋の仕替えをする(鎌田博物館「讃州那珂郡満濃池底樋・竪樋・
       矢倉御普請目論見帳」)
-138-
1676年 延宝4 (丙辰)
  政治・経済
   2・22 高松城北ノ丸矢倉(月見櫓)の棟上げをする(小神野〔ヒツ〕帖)
       (#「ヒツ」は文字番号30880)
  社会・文化
   6・28 法然寺三仏堂で,親鸞上人作の木像を開帳,参詣者は2800人に及ぶ.
       29日は1000人余(英公外記)
   8・1 高松藩主松平頼常,頼重が領地証文を下した各寺院に再度証文を与える
       (寺社記)
   この年 高松城下西通町,侍屋敷から町家に変わる.浜ノ丁にあった真行寺は西浜
       へ移され,跡地は高松藩の船蔵と船仕事場になる(小神野夜話)
   この年 松平頼重,香西郡坂田村の千光寺を高松城下に移し霊源寺と改める(讃岐
       国名勝図会)
   この年 松平頼重,香東郡東谷村の極楽寺を香西浦に移し50石を与え国清寺と改
       める(讃岐国名勝図会)
1677年 延宝5 (丁巳)
  政治・経済
   2・9 高松藩,鶴屋町黒金屋七兵衛らの願いにより,城下内町での藺類の売買を
       許可する(英公外記)
   3・11 高松藩,北条郡西庄村醍醐の百姓三十郎ら4人の田地質入受返しの訴えを
       裁決し,質流れを決定する(英公外記)
   5・6 高松城艮矢倉が完成し,白鳥宮猪熊千倉落成の祓いを行う.これにより寛
       文11年9月より始まった高松城普請すべて完了する(小神野〔ヒツ〕帖)
       (#「ヒツ」は文字番号30880)
-139-
   8・9 丸亀藩,京極高房の分知3000石を幕府に還付する(佐々木京極家記録)
   この頃 小豆島塩浜反別は43町2畝28歩,塩浜数2197(足守文庫「小豆島御検
       地田畑并小物成惣寄帳」)
  社会・文化
   1・22 高松城下野方町の者(生駒一正時代は魚棚に住む),水主役の免除を願い
       出許可される(英公外記)
   11・- 小豆島の総廻船数24艘,漁船を含めると615艘(足守文庫「小豆島網廻
       船運上積帳」)
   この年 中野天満宮祠官小西可春「玉藻集」7巻を編む.
   この頃 直島廻船100石以上620石までの船は24艘,積石数は計9000石余(三宅
       家文書)
1678年 延宝6 (戊午)
  政治・経済
   4・27 松平頼重,中ノ村に別館を造営し移り住む(増補高松藩記)
   8・20 高松藩,以後飛龍丸などの船幕に葵の御紋を用いる(歴世年譜)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩領豊田郡新田村,初めて年貢を納める.延宝8年までの年貢米量は
       年42石8斗(近世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
   この年 小豆島は大坂代官の管轄下に入る(年代記)
  社会・文化
   6・- 豊田郡井関池の底樋が潰れ,田植水に困り,平田家が新樋仕替え願いを
       丸亀藩に出す(近世史料Ⅱ「井関池由来并水掛り池々之覚」
   10・3 塩飽漁民と香西浦漁民の小瀬居島沖をめぐる鯛網漁場争論は,一日交代で
       網を入れることで解決する(塩飽島諸事覚)
   11・2 高松藩,非人小屋を建てる(近世年譜)
1679年 延宝7 (己未)
   3・27 高松藩,城下の13か所に「蓄水池」(井戸カ)(#「カ」は半角カナ小文字)
       を掘らせる(歴世年譜)
   この年 丸亀藩,江戸久保町に谷帯刀の屋敷647坪を購入し西屋敷とする(京極家
       系図)
   この年 小豆島の塩浜反別47町6反9畝12歩,浜数2294(赤松家文書)
   この年 延宝5年より実施された小豆島・直島・男木島・女木島など幕領島々の検
       地が終了する.石高計721石余(池田家文庫「直島免状帳」)
  社会・文化
   1・8 大坂代官松村吉左衛門,小豆島・塩飽の船に対し御城米輸送を命じる(三
       宅家文書)
   1・25 高松藩主松平頼常,仏生山法然寺添条目を定める(仏生山法然寺添条目)
   7・26 小豆島土庄村百姓佐次兵衛ら,同村庄屋三郎右衛門に他国網排斥の願書を
       出す(近世史料Ⅱ「小豆島漁場関係文書」)
   8・5 塩飽牛島の船持衆,船入(湊)繕いのため,積石数に応じて銀を出す(近
       世史料Ⅰ「船入諸事之帳」)
   11・15 豊島百姓ら,鯛網の請け負い証文(翌8年分)を土庄村庄屋三郎右衛門に
       出す(近世史料Ⅱ「小豆島漁場関係文書」)
   この年 満濃池の竪樋後半部の仕替をする(政要録)
1680年 延宝8 (庚申)
  政治・経済
   8・- 小豆島代官上田七郎右衛門,島の御林山を選定する(壺井家文書)
-140-
   この年 高松藩,以後3年間家臣知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩記)
  社会・文化
   2・- 小豆島百姓,大坂代官松村吉左衛門に新検による年貢徴収の猶予を願い
       出,さらに百姓代表が江戸勘定奉行に古検による年貢上納を嘆願する(八
       木家文書)
   4・18 高松藩主松平頼常,崇徳天皇廟所頓証寺を再建する(白峯寺堂宇棟札)
   5・5 小豆島小海村庄屋三宅半左衛門,肥後細川藩に蔵米の運賃積みを要請す
       る(三宅家文書)
1673~1681年 延宝年間
  社会・文化
       高松城下六番丁から八番丁に新しく武家屋敷が設けられる(小神野夜話)
1681年 天和1 9・29 (辛酉)
  政治・経済
   6・18 高松藩,幕府になまこを献上する.のち慣例となる(歴世年譜)
   6・26 丸亀藩,越後高田城主松平光長の伊予松山藩への護送を幕府より命じられ
       る(京極家系図)
   7・- 高松藩,丸亀藩の松平光長護送に対し船39艘,士卒200余名を出す(増
       補高松藩記)
  社会・文化
   8・16 高松藩領内で大雨洪水.溺死者数百人(増補高松藩記)
   9・9 岡西惟中,一夜庵再興のため「一夜庵建立縁起」を刊行する.
1682年 天和2 (壬戌)
  政治・経済
   9・12 丸亀藩郡奉行,豊田郡粟屋新田を豊田郡新田村に合併するよう命じる
       (近世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
  社会・文化
   春   高松藩,飢民救済のため高松城下郊外に草屋を数か所設けて粥を施す
       (増補高松藩記)
1683年 天和3 (癸亥)
  社会・文化
   この年 井上通女著「江戸日記」成る.
   この頃までに,七条宗貞著「讃陽簪筆録」成る.
1684年 貞享1 2・21 (甲子)
  政治・経済
   9・15 幕府,塩飽船方衆の知行を安堵する(塩飽勤番所文書)
   10・- この頃三野郡松崎に約3町5反の塩田あり(西讃府志)
   この年 高松藩,以後3年間家臣への知行米渡しを三つ物成とする(増補高松藩
       記)
   この年 高松藩,南条郡・北条郡を阿野郡南・阿野郡北,香東郡・香西郡を香川
       郡東・香川郡西に改める(歴世年譜)
  社会・文化
   この年 善通寺誕生院の伝燈法印,弘法大師八百五十年忌を執行する(善通寺文
       書「寝覚忘念」)
-141-
1685年 貞享2 (乙丑)
  政治・経済
   この年 丸亀藩,丸亀城の破損修補願いを城絵図を添えて幕府に提出する(丸亀
       御城坪割付記)
1687年 貞享4 (丁卯)
  政治・経済
   8・11 塩飽で転びキリシタンについて調査を実施する(塩飽勤番所文書)
   この年 高松藩,以後5年間家臣への知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩
       記)
  社会・文化
   5・- 丸亀城下中須賀に惣井戸ができる(近世史料Ⅱ「丸亀城下福島町開地由
       来書」)
   6・- 丸亀城下の京橋が完成し浜町の宗左衛門が渡り初めをする(古法便覧)
   8・- この頃塩飽の船方数2273人,諸職人・船持・畑作人ら1187人(塩飽勤番
       所文書「御触書之写」)
   9・9 大風雨洪水.高松では東西の堤防がくずれる(増補高松藩記)
   12・23 丸亀藩,町方救済のため銀30貫を貸し付ける.人数8567人,一人につき
       3匁5分まで(古法便覧)
   この年 丸亀城下の人口8567人 (古法便覧)
   この年 僧真念,「四国辺路道指南」を著し,四国八十八か所の札所が確定される.
1688年 元禄1 9・30 (戊辰)
  政治・経済
   1・24 高松藩,財政難のため頼重の隠居料金2万両余を軍用御手当金として本丸
       城代組番所へ貯える(英公外記)
   9・- 丸亀藩主京極高豊,下金倉村の海浜中洲の地に別館を建設する(西讃府
       志)
   10・- 丸亀藩,庄屋・百姓へ日常生活などについての心得を出す(近世史料Ⅰ
       「庄屋百姓心得方条々」)
  社会・文化
   3・- 丸亀城下中須賀に弁財天を勧請する(近世史料Ⅱ「丸亀城下福島町開地
       由来書)
   10・5 備前国児島郡胸上村漁師,「はたごの瀬大藻」の海域で,安芸国二窓浦漁
       師が直島から与えられていた運上札と網を奪い取る(近世史料Ⅱ「石島
       論争ニ付双方口上書」)
   この年 金毘羅十日講銀などをもって100石を買い上げ,頭屋米150石となる
       (近世史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
1689年 元禄2 (己巳)
  政治・経済
   1・18 大坂天王寺屋,高松城下へ出店を出す(「聞ままの記」所収「大眉五兵
-142-
       衛由諸書」)
   この年 小豆島の塩年貢,(延宝7年の検地以後は塩田の石盛・面積に応じて課せ
       られていた)従来通り1浜につき1石となる(赤松家文書「小豆島塩浜
       之儀ニ付書上」)
   この年 木太・春日の海岸防波堤が完成する〔寛文年中に防波堤が完成したが風
       雨によって壊れる〕(歴世年譜)
  社会・文化
   5~6 直島庄屋ら「はたごの瀬大藻」をめぐる漁場争論の口上書をまとめる(近
       世史料Ⅱ「石島論争ニ付双方口上書」)
   8・- 直島庄屋三郎兵衛ら,「はたごの瀬大藻」の領有権をめぐり備前国胸上村
       を島評定所に提訴する(三宅家文書「乍恐書付以御訴訟申上候」)
   この年 「四国霊場記」刊行.
   この頃 塩飽では他国水主稼として下津井4か浦から水主101人を雇う(荻野家文
       書)
   この頃 金毘羅町方の町年寄・組頭・五人組の制度整う(琴陵家文書「元禄二年
       卯月七日社領法度」)
1690年 元禄3 (庚午)
  政治・経済
   9・- 丸亀藩,領内寺社へ寺社帳の差し出しを命じる(古法便覧・弘化録)
   この年 池御料,川之江代官所支配に移る(金刀比羅宮文書「神事頭人名簿」)
  社会・文化
   1・22 「はたごの瀬大藻」(中藻の州)の漁場をめぐる直島漁民の提訴に対し,
       幕府が「はたごの瀬大藻」は備前国胸上村の漁場,井島は全島直島分と
       裁許する(四宮家文書「讃岐国直島領与備前国胸上村漁猟論之事」)
   6・19 小豆島池田村百姓与次左衛門ら4名,江戸へ下り年貢減額の願書を提出
       する(八木家文書)
   8・- この頃丸亀城下の家数969軒〔内三浦は365軒〕(古法便覧)
   11・- 丸亀城下西汐入川に橋が架かり,中須賀と浜町が結ばれる(近世史料Ⅱ「丸
       亀城下福島町開地由来書」)
   この年 丸亀城下,水溜樋を家持一軒につき1つ,借家5軒につき1つ備える(古
       法便覧)
   この年 高松藩主松平頼常,幕府の聖堂に「資治通鑑」を寄贈する(増補高松藩記)
1691年 元禄4 (辛未)
  政治・経済
   6・20 丸亀藩,備前屋孫右衛門ら4
-143-
       人を中年寄りに任命する.その後御用聴役と改称し,城下町支配の組織強
       化を進める(古法便覧)
  社会・文化
   3・- 丸亀藩主京極高豊,中須賀と浜町を結ぶ橋を福島橋と命名する(近世史料
       Ⅱ「丸亀城下福島町開地由来書」)
   この年 丸亀城下の兵庫町を富屋町と改称する(西讃府志)
   この年 丸亀藩領豊田郡粟井村と同郡新田村の分水量決定のため,黒渕村大庄屋
       井下兵右衛門が粟井3分・新田7分の分木をすえる.また岩名辺池・奥
       谷池の水の調査を1年間行う(近世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
1692年 元禄5 (壬申)
  政治・経済
   2・- 高松藩,領内居住の牢人・社人に対し,他国へ行く際は,帯刀許可を得
       ることを命じる(佐伯家文書「万覚帳」)
   この年 丸亀藩,丸亀城濠の浚せつを願い出,城の絵図を差し出す(丸亀御城
       坪割付記)
1693年 元禄6 (癸酉)
  政治・経済
   11・1 高松藩,家臣への知行米渡しを三つ物成とする(英公外記)
   この年 丸亀城の外濠を修築する.人足2500人を要する(古法便覧)
1694年 元禄7 (甲戌)
  政治・経済
   5・18 第2代丸亀藩主京極高豊,江戸より帰藩の途中痘瘡を患い,播磨国加古川
       で没する.40歳(佐々木京極家記録)
   5・29 京極高豊の遺言により,嫡子縫殿(高或)の家督相続と,庶子喜内(高澄
       ・高通)の分家願いを藤堂高通・酒井忠寛から幕府へ提出する(京極御
       系図)
   6・18 丸亀藩の分知願いに対し,幕府より京極高或へ高5万1500石,京極高通
       へ1万石の家督相続が許される〔多度津藩の成立〕(京極御系図)
   9・2 多度津藩初代藩主京極高通,丸亀を出航し,同月23日,江戸三田の丸亀
       藩邸に入る(佐々木京極家記録)
   11・21 丸亀藩家臣林市左衛門,多度
-144-
       津藩家老を命じられ350石を与えられる(多度津藩書入分限帳)
  社会・文化
   3・- 高松城下西浜の西方寺で万日回向行われる.以後常念仏となる(歴世年
       譜)
1695年 元禄8 (乙亥)
  政治・経済
   2・4 江戸大火により,高松藩芝邸延焼する(増補高松藩記)
   4・12 初代高松藩主松平頼重,中ノ村別邸で没する.74歳.4月15日,仏生山
       に葬られる(増補高松藩記・英公外記)
   6・- 高松藩,財政難により厳しい倹約政治を始める(増補高松藩記)
   10・5 高松藩,幕府の儒者林信篤の門人菊池新三郎武雅を招き300石を与えて
       儒臣とする(増補高松藩記)
   10・14 丸亀藩,幕府より武蔵国中野犬小屋普請手伝いを命じられる(京極御系図)
   11・18 焼失した高松藩芝邸,再建成る(増補高松藩記)
   この年 高松藩,家臣知行高の改正を行う(歴世年譜)
   この年 丸亀藩,城下における夜間の綿打を停止する(古法便覧)
1696年 元禄9 (丙子)
  政治・経済
   5・- 丸亀藩,庄屋・百姓に対し心得方覚を出す(白井家文書)
   12・15 高松藩,家臣への知行米渡しを四つ物成に戻す(増補高松藩記)
   この年 高松藩,法令21か条・条目17か条を布告する(増補高松藩記)
   この年 高松藩,飛龍丸を修造する(歴世年譜)
   この年 丸亀藩家臣本庄七郎右衛門惟秀,家老となる.以後代々家老となり主に
       江戸詰めとなる(本庄家文書)
  社会・文化
   4・21 光胤権僧上,善通寺金堂再建の勧進を呼びかける(善通寺文書「讃州善通
       寺金堂再営幹縁疏」「善通寺大塔再興雑記」)
   この年 丸亀藩,飢饉救済のため麦70石を貸与する(古法便覧)
1697年 元禄10 (丁丑)
  政治・経済
   12・19 丸亀藩,酒値段を5割値上げし値上げ分を運上銀として収納する(古法便
       覧)
  社会・文化
   5・12 塩飽惣船持組頭七郎兵衛・吉兵衛,御城米江戸回送につき,運賃は江戸入
       札値段,輸送石高は7万5000石にする要望を代官に願い出る(塩飽勤番
       所文書「作恐奉願訴訟」)
   10・- 丸亀城下御用聞4人,善通寺金堂再建のため,町中を廻り銀2貫81匁9
       分,仏餉袋458袋を奉加する(古法便覧)
   この年 「四国遍礼手鑑」刊行.
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1698年 元禄11 (戊寅)
  政治・経済
   6・5 丸亀藩,幕府より福山在番を命じられる.8月9日家臣丸亀を出船,11
       日鞆に着船(京極御系図)
   11・11 多度津藩江戸麻布鳥居坂藩邸,完成する(京極御系図)
  社会・文化
   10・- 三野郡笠岡村の真言僧露川,「網代笠」を刊行する.
   12・晦 丸亀城下玄要寺,焼失する(古法便覧)
1699年 元禄12 (己卯)
  政治・経済
   6・- 高松藩,江戸龍口に藩邸を置く(増補高松藩記)
   9・13 丸亀藩,城下へ借用銀80貫を課す(古法便覧)
  社会・文化
   この年 善通寺金堂再建の上棟式行われる(善通寺市「金堂棟木裏書」)
   この年 小豆島,廻船役の課税始まる(池田町役場「池田村年貢免状」)