入力に使用した資料 底本の書名 香川県史 年表 別編Ⅱ 近世 底本の編集者 香川県 底本の発行者 香川県 底本の発行日 平成三年三月二十日 入力者名 渡辺浩三 校正者名 渡辺美智子 入力に関する注記 文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の 文字番号を付した。 登録日 2002年10月9日
-110- 1585年 天正13 (乙酉) 政治・経済 3・- 秀吉の雑賀一揆攻めに小豆島より水主1300人出す(八木家文書) 4・26 仙石秀久および尾藤知宣,宇喜多・黒田軍に属し屋島に上陸,喜岡城・ 香西城などを攻略する(改撰仙石家譜) 5・15 仙石秀久,和気城攻略後十河存保以下の兵6000余人を率い,阿波より 讃岐に引揚げ牟礼・高松に陣取る(仙石家譜) 7・25 秀吉の命により,四国征討軍と長宗我部軍との和議が成立し,長宗我部 元親は三男親忠を人質として差し出し土佐へ退却する(土佐国蠢簡集) 7・- 仙石秀久,秀吉から讃岐を与えられる.ただし2万石は十河存保の支配 となる(改撰仙石家譜) この年 香東郡以西に1万3415石余の秀吉の蔵入地が置かれる(徳川美術館 「加藤清正関係史料」) この年 仙石秀久,抵抗した香東郡安原山百姓100余人を捕らえ,首領13人を 聖通寺山麓で処刑する(讃岐国大日記) 社会・文化 8・10 仙石秀久,那珂(仲)郡松尾寺に禁制を出す(金刀比羅宮文書) 8・23 仙石秀久,豊田郡地蔵院に禁制を出す(地蔵院文書) 10・19 仙石秀久,金毘羅へ10石寄進する(金刀比羅宮文書) 12・20 仙石秀久,藤目城における長宗我部軍との戦いの功により,平尾弥四郎 へ感状を与える(平尾家文書) この年 フランシスコ・パシオ,上京の途中塩飽に寄る(イエズス会日本年報) 1586年 天正14 (丙戌) 政治・経済 8・22 秀吉,仙石秀久の豊後出陣御用として塩飽に50乗りの船10艘と,1艘 つき水主5人を出すよう命じる(塩飽勤番所文書) 9・12 仙石秀久,十河・安富ら讃岐の軍勢3000余人を率い豊後府内に到着す る(仙石家譜) 12・12 仙石秀久並びに十河存保・香西縫殿助・香川民部らの讃岐の將および 長宗我部信親らの四国勢,戸次川を隔てた竹中山に陣をしく(改撰仙石 家譜) 12・13 仙石秀久,戸次川で島津軍と戦って大敗し,十河存保ほか多くの讃岐武 將戦死する(改撰仙石家譜) -111- 12・22 仙石秀久,戸次川の戦いでの不覚を責められ豊臣秀吉とり讃岐国を没 収される(徳川実紀) 12・24 尾藤知宣,豊臣秀吉より讃岐国を与えられる(増補訂正編年大友史料) 社会・文化 2・13 仙石秀久,金毘羅へ30石,白峯寺へ100石寄進する(金刀比羅宮文書 ・白峯寺文書) 3・- ガスパル・コエリョ,塩飽に立ち寄る(イエズス会日本年報) 8・12 仙石秀久,木村又二郎に100石を与える(木村家文書) 8・14 仙石秀久,鵜足郡津ノ郷池下村の地50石を伊勢大神宮に寄進する (改撰仙石家譜) 8・24 仙石秀久,由佐長盛1100石,由佐家盛に665石を与える(由佐家文書) 8・24 仙石秀久,100石を一宮田村神社に,那珂郡榎井村六條の内の30石を 金光院に,北条郡青海村の地100石を白峯寺に寄進する(田村神社文書 ・金刀比羅宮文書・白峯寺文書) 1587年 天正15 (丁亥) 政治・経済 1・- 尾藤知宣,讃岐国に入部する(武功夜話) 6・- 尾藤知宣,日向国根白坂の合戦で豊臣秀吉の怒りをかい讃岐国を没収さ れる(近世史Ⅰ「讃羽綴遺録」) 8・10 生駒親正,豊臣秀吉より讃岐国を与えられる(生駒家宝簡集) 8・17 加藤清正,讃岐の平山城(聖通寺城カ)を生駒親正に引き渡す(阿部四 郎五郎所蔵古文書写) 12・22 豊臣氏の蔵入地1万5000石が置かれる(生駒家宝簡集) 12・29 豊臣秀吉,天正15年分の定納米1万石を生駒親正に預ける(生駒家 宝簡集) 12・- 播磨国赤穂から数十人が白鳥の松原に移住し塩田を開く(教蓮寺文書「教 蓮寺縁起」) 社会・文化 10・18 生駒親正,由佐平右衛門に150石を与える(由佐家文書) 10・24 生駒親正,白峯寺に青海村50石を寄進する(白峯寺文書) 12・ 1 生駒親正,一宮田村神社に50石を寄進する(田村神社文書) 1588年 天正16 (戊子) 政治・経済 この年 生駒親正,香東郡野原庄の海浜で高松城築城に着手する(近世史料Ⅰ 「讃羽綴遺録」) 社会・文化 1・22 生駒親正,善通寺誕生院に28石を寄進する(善通寺文書) 7・18 生駒一正,金光院に那珂郡榎井村25石,善通寺誕生院に35石寄進する (金刀比羅宮文書・善通寺文書) 9・5 生駒一正,和爾賀波神社に荒開5反を寄進する(和爾賀波神社文書) 1589年 天正17 (己丑) 政治・経済 秋 生駒親正,年貢米未納の山田郡百姓を投獄し処刑する(生駒記) 12・ 豊臣秀吉,北条氏攻撃のため生駒親正に船手1500人を割り当てる(久 留米文書) 社会・文化 2・21 生駒一正,那珂郡小松村5石を金光院に寄進する(金刀比羅宮文書) 11・4 生駒親正,勝法寺(興正寺別院)に香川郡楠川原の地を寄進する(興正 寺文書) 1590年 天正18 (庚寅) 政治・経済 2・晦 豊臣秀吉,塩飽1250石の領知 -112- を船方衆650人に認める(塩飽島諸事覚) 3・- 生駒親正,5000余人の軍勢を率い北条氏討伐に参陣する(近世史料Ⅰ 「讃羽綴遺録」) この年 豊臣秀吉の北条氏討伐に際し,塩飽船,兵糧米を大阪より小田原に運ぶ, 小豆島からも船51艘水主400余人徴用される(塩飽島諸事覚・小豆島 御用船加子旧記之写) 1591年 天正19 (辛卯) 政治・経済 9・24 豊臣秀吉,朝鮮出兵を命じる 1573~1592 天正年間 政治・経済 この頃 播磨国赤穂の塩浜師の集団が小豆島馬木・淵崎・土庄・小海などで塩浜 を開発する(赤松家文書「小豆島塩浜之儀ニ付き書上」) 1592年 文禄1 12・8 (壬辰) 政治・経済 3・- 生駒親正・一正父子,秀吉の命で5500人を率いて朝鮮半島へ出兵する (近世史料Ⅰ 「讃羽綴遺録」) 10・23 豊臣秀次,塩飽に大船建造を命じ船大工・船頭を徴用する(塩飽勤番 所文書) この年 小豆島より船50余艘水主651人,塩飽より水主570余人朝鮮半島出兵の ため徴用される(小豆島御用船加子旧記之写・塩飽島諸事覚) 1593年 文禄2 (癸巳) 政治・経済 2・28 豊臣秀次,名護屋へ医師35人と奉行を八端帆継舟2艘で送るよう塩飽 に命じる(塩飽勤番所文書) 3・4 豊臣秀次,竹役(俣)和泉を名護屋へ派遣するため,荷物10荷と20人 を継舟で送り届けるよう塩飽に命じる(塩飽勤番所文書) この年 生駒親正,讃岐米1万2875石を豊臣家の御蔵米として大坂へ廻送する (生駒家宝簡集) 社会・文化 (9)・18 生駒親正,金春座への扶持米割当高60石の京都輸送を命じられる (矢原家文書) 1594年 文禄3 (甲午) 政治・経済 この年 生駒親正,大坂に滞在.一正は再び朝鮮に出兵する(近世史料Ⅰ「讃 羽綴遺録」) 1595年 文禄4 (乙未) 政治・経済 7・15 生駒親正,大坂滞在料として -113- 秀吉の蔵入地のうち5000石を与えられる (生駒家宝簡集) 1596年 慶長1 10・27 (丙申) 政治・経済 10・16 豊臣秀吉,生駒一正に来春の朝鮮出兵のための水主・船を用意しておく よう命じる(生駒家宝簡集) 社会・文化 7・12 夜,大地震.田村神社の神殿壊れる(讃岐一宮盛衰記) 8・17 生駒一正,一宮田村神社の社殿復興のため,天輪坊を本願として国中に 勧進をすすめる(讃岐一宮盛衰記) 1597年 慶長2 (丁酉) 政治・経済 2・21 生駒一正,朝鮮出兵で第7番に属し,2700人の兵を率い渡海し昌原に 在陣する(近世史料Ⅰ「讃羽綴遺録」) 春 生駒親正,一正と計り,西讃岐支配のため亀山に城を築き,丸亀城と名 付ける(生駒記)〔讃羽綴遺録では慶長7年の説をあげている〕 この頃 生駒藩の検地が始まる〔慶長7年頃まで〕(有馬家文書「慶長2年寒川郡 長尾庄塚原村御検地帳」「慶長7年正月寒川郡富田中村御検地帳」) 社会・文化 春 生駒親正,那珂郡郡家村に大池,南条郡国分村に関ノ池,香西郡笠居村 に苔掛(衣懸)池を築く(生駒記) この年 寒川郡長尾西村の田方総石高464石2斗9升7合,塚原村は石高77石 4斗2升4合(有馬家文書「慶長2年寒川郡長尾庄塚原村御検地帳」 「慶長7年正月寒川郡富田中村御検地帳」 1598年 慶長3 (戊戌) 政治・経済 この年 生駒親正,2500石を御蔵米として大坂城へ上納する(生駒家宝簡集) 1599年 慶長4 (己亥) 社会・文化 この年 生駒藩慶長検地によれば豊田郡姫江郷内木之郷村の田方分米高総計277 石4斗9合2勺,畑43石4升5勺,屋敷1石4斗7升(観音寺市立郷 土資料館「慶長4年豊田郡姫江郷内木之郷村検地帳」