入力に使用した資料 底本の書名 善通寺市史 第一巻 底本の著者名 善通寺市企画課 底本の発行者 善通寺市 底本の発行日 昭和五十二年七月三十一日発行 入力者名 小野 和子 校正者名 織田 文子 底本の書名 善通寺市史 第二巻 底本の著者名 善通寺市図書館 底本の発行者 善通寺市 底本の発行日 昭和六十三年十月一日発行 入力者名 小野 和子 校正者名 織田 文子 底本の書名 善通寺市史 第三巻 底本の著者名 善通寺市教育委員会 市史編さん室 底本の発行者 善通寺市 底本の発行日 平成六年十二月二十五日発行 入力者名 小野 和子 校正者名 織田 文子 入力に関する注記 文字コードにない文字は『大漢和辞典』 (諸橋轍次著 大修館書店刊)の 文字番号を付した。 登録日 2002年6月11日
善通寺市史 第1巻 -1- 目 次 沿 革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一 総 括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三 沿革 平安から室町時代まで 江戸時代 明治以降 位置・面積・人口・・・・・・・・・・・・・・・・・一○ 自 然・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一 地 勢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一三 大麻山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一三 天霧山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四 五 岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四 平地・河川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一五 金倉川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一五 弘田川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一六 溜池と湧井・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七 溜池 湧井 気 候・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八 概況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八 -2- 気温・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八 降雨量・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二二 風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二六 時刻別風向の分布 風向と風速 地 形・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一 地形の概説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一 地形の配置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一 地形の発達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三三 山地(溶岩台地起源)の性格・・・・・・・・・・・・三四 丘陵地の性格・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三四 台地A(上位台地を広く含む)の性格 台地B(下位台 地を広く含む)の性格 低地の性格・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三五 地 質・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六 表層地質の概説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六 山地・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六 丘陵地・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七 平地・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七 土 壌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○ -3- 土壌の概説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○ 山地・丘陵地の土壌・・・・・・・・・・・・・・・・四○ 台地・低地地域(一部山麓緩斜面を含む)の土壌 土壌の分類と土地利用・・・・・・・・・・・・・・・・四八 山地・丘陵地の土地利用・・・・・・・・・・・・・・四八 台地・低地の土地利用・・・・・・・・・・・・・・・四九 植 物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五三 植物よりみた善通寺市の位置・・・・・・・・・・・・・五三 植物環境・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五五 平地部の植物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七 帰化植物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六二 山地部の植物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六七 アカマツ林とツツジ・・・・・・・・・・・・・・・・・七四 落葉樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八 陰樹林・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一 シダ植物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八六 植物との対話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八八 善通寺市の野生植物目録(シダ植物以上)・・・・・・九○ -4- 野 鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○七 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○七 市内の野鳥目録 四季の鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一○ 留鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一○ 秋の鳥 冬の鳥 春の鳥 夏の鳥 旅鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一七 分類とその生態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一八 留鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一八 ハシブトガラス ハシボソガラス カケス スズメ カワラヒワ ホオジロ ヒバリ セグロセキレイ メ ジロ ゴジュウカラ シジュウカラ ヤマガラ コガ ラ ヒガラ エナガ モズ ヒヨドリ ウグイス カ ワガラス カワセミ コゲラ オオコノハズク トビ ゴイサギ カイツブリ キジバト コジュケイ キジ ヤマドリ 冬鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一二八 ムクドリ マヒワ ウソ ミヤマホオジロ アオジ クロジ ビンズイ タヒバリ キクイタダキ トラツ グミ アカハラ ツグミ ジョウビタキ ハヤブサ マガモ タシギ クイナ ウズラ 夏鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一三三 -5- サンコウチョウ オオルリ センダイムシクイ ツバ メ カッコウ ホトトギス 旅鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一三五 コチドリ コアジサシ ジュウイチ ノビタキ エゾ ビタキ コムクドリ アカモズ 獣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四○ はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四○ 各論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四一 キクガシラコウモリ アカネズミ ハタネズミ ノウ サギ タヌキ イタチ テン ニホンオオカミ まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四四 蝶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四六 調査にあたって 蝶の生息環境 善通寺の蝶~概観~ 善通寺の蝶の分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四九 耕作地とその周辺 人家周辺 寺院・神社周辺 山間 部の丘陵地帯 峠~大日・麻坂・鳥坂~ 低山地~ 四○○メートルまで 大麻山(四○○~六○○メート ルまで) 我拝師山における蝶の垂直分布 大麻山に おける蝶の垂直分布概念図 時季による蝶の個体比 (目撃) 季節型 蝶道と山頂占有性 科による相異・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一六八 -6- アゲハチョウ科 シロチョウ科 マダラチョウ科 ジャ ノメチョウ科 セセリチョウ科 シジミチョウ科 タテ ハチョウ科 テングチョウ科 原始・古代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七七 先史時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七九 ふるさとの生誕・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七九 市内の弥生遺跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八二 弥生の墓地・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八五 市内の弥生集落・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八七 弥生時代を考える・・・・・・・・・・・・・・・・・一九二 古墳時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九五 古墳文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九五 古墳文化 一・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九五 古墳文化 二・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九九 市内の古墳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二○六 市内の古墳 一・・・・・・・・・・・・・・・・・・二○六 椀貸塚ケルン 経塚ケルン 丸山一号ケルン 野田院 ケルン 御忌林円形ケルン 大窪ケルン 市内の古墳 二・・・・・・・・・・・・・・・・・・二一四 -7- 櫛梨城古墳 丸山三号墳 御館古墳 土やぐら 山田 一号墳 朝比奈塚 保食古墳 鶴ヶ峯山頂の前方後円 墳 和霊神社古墳 市内の古墳 三・・・・・・・・・・・・・・・・・・二一八 麿臼山前方後円墳 鶴ヶ峯山腹前方後円墳 北向前方 後円墳 王墓山前方後円墳 菊塚前方後円墳 北原前 方後円墳 青龍さん古墳 家形埴輪 大麻神社一号墳 大平塚その他 市内の古墳 四・・・・・・・・・・・・・・・・・・二二四 熊の巣古墳 夫婦岩一・二号墳 瓦谷一号墳 吉原椀 貸塚 伏見奥第二古墳群 善通寺市絵画古墳 蔵骨器 市内弥生遺跡一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・二二九 善通寺市附近甕棺一覧・・・・・・・・・・・・・・・・二三一 市内坑墓一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二三三 市内古墳及び骨壺一覧・・・・・・・・・・・・・・・・二三三 飛鳥・奈良・平安時代・・・・・・・・・・・・・・・・・二五九 讃岐の豪族と国造・・・・・・・・・・・・・・・・・・二五九 大和朝廷 讃岐氏 綾氏 佐伯氏 佐伯直・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二六四 佐伯部 国造家と佐伯氏 讃岐の国府と那珂郡・多度郡・・・・・・・・・・・・・二六六 -8- 中央集権制 讃岐の国司 讃岐の国府 律令時代の税 制 讃岐の調 讃岐の人口 讃岐の郡 那珂郡と多度 郡 那珂津 那珂郡の郡衙跡 郡の格 多度津 那珂郡・多度郡と官道・・・・・・・・・・・・・・・・二七四 那珂・多度両郡の郷 駅路の制 讃岐南海道の駅 那珂郡・多度郡の条里・・・・・・・・・・・・・・・・二七八 律令体制と条里制 戸籍の史料 条里体制の確立 班 田と条里 条里図帳 条里制のしくみ 条里制の二面 条里の復原 善通・曼荼羅寺領注進状と条里 条・里 と善通寺の敷地 条の起点と金蔵寺の「六条」 条里 施行の方法 丸亀平野の条里 一町の長さ 物指の尺 度考 坪の地割法 那珂郡・多度郡の郡司と氏族・・・・・・・・・・・・・二九五 郡司 因支首 佐伯氏一族 佐伯一門の中央進出 伴 良田連 秦守任綾貞方 その他の氏族 錦部 大伴部 高志和麻呂・刑部造真鯨・秦子上成ら 阿刀大足 讃岐国の留守所と佐伯氏・・・・・・・・・・・・・・・三○四 讃岐の留守所 留守所の三氏族 讃岐の武士・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三○七 綾氏一族 讃岐藤原氏一族 植田氏一族 佐伯氏一族 平安時代の善通・曼荼羅寺領・・・・・・・・・・・・・・三一○ 菅原道眞の詩 公地公民制の崩壊 国司の権限強化 寺領(荘園)と国衙 -9- 善通寺領の成立と東寺の末寺化・・・・・・・・・・・・三一三 寺司の解状 寺田と地子 寺領の地子料支配 地子額 と寺領面積 寺領の成立 寺の発展と寺領 善通寺の 準官寺化 東寺の末寺化と寺領不輸祖の成立 寺領の 経営 諸作農民の性格 寺領の経営と農民 -曼荼羅寺領を中心に-・・・・・・・三二五 善芳・善範の曼荼羅寺復興 曼荼羅寺領の状態 善芳 の寺領回復の努力 寺田浮免化の問題 寺領支配と諸 作農民 領主と諸作農民の対立 国衙と寺領諸作農民 郡司秦守任の寺領押領 寺側の対策 寺家雑役人の確 保 土地と農民の一円支配をねらう寺側 本寺別当の収奪と末寺・・・・・・・・・・・・・・・・三三八 善芳の訴え 本寺所領としての末寺支配 善通寺所司 らの別当解任の訴え 延久三年の善通寺領地子とその 配分 別当延与の不法 善通寺所司の訴えに対する東 寺の態度 本寺別当の支配強化 寺領と国衙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三四四 東寺政所より善通・曼荼羅寺への下文 善通・曼荼羅 両寺所司の組織 寺僧に対する国役賦課 国役をめぐ る国司と荘園領主の相論 保延元年の寺の訴え 在家 農民の国の雑役免除の主張 春田への課役 荘園の支 配体制の進展による国との対立 国側の対策-荘園整 理令 寺領民に対する国の在家役賦課 留守所の強硬 態度 国衙による寺領圧迫 寺領免田の減少 寺領早 田の官物徴収 寺領支配の危機 国守による寺領一円 化 久安元年の寺領注進状 寺領の面積と耕作状態 -10- 一円化による寺領の分布状態と在家 一円寺領におけ る年貢課役の徴収法 一円寺領の実態 作人の性格 寺領支配力の弱化 寺領志侍島の国領化 「一円保」 成立の契機 在地豪族による寺領年貢の請負 寺側の 悲歎 東大寺領金倉保・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六八 便補保としての金倉保の成立 東大寺封戸の讃岐国設 定 封戸から便補保へ 金倉保の性格 金倉保の行方 中 世・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七三 鎌倉時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七五 源平の争乱と仲行司貞房・大麻藤太家人・・・・・・・・三七五 平家の滅亡 源平合戦と讃岐富士 讃岐の御家人 承久の乱と讃岐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八○ 鎌倉幕府と守護・地頭 承久の乱と讃岐武士 承久の 乱後の地頭 讃岐の守護・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八三 善通寺地域の地頭・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八七 櫛梨保 木徳庄 善通寺領 金蔵寺領 吉原庄 良田 郷 弘田郷 蒙古襲来と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・三九三 讃岐国御家人への触 蒙古人誅伐の祈祷 鎌倉時代の善通寺領・・・・・・・・・・・・・・・・・・三九五 -11- 南北朝初期の寺領目録 各寺領の性格の違い 善通寺 のもった関銭(通行税)徴収権 兵庫嶋における関銭 徴収 河内国禁野における関銭徴収 興福寺-春日大 社による関銭徴収権の奪取 一円保の成立-東寺の支配から随心院の支配へ・・・・・・四○○ 寺領復興の動き 寺領の回復 回復した寺領の状態 寺領支配確立への努力 寛喜元年の東寺の申請 東寺 と善通・曼荼羅寺領支配確立 随心院の善通・曼荼羅 支配 一円保の成立と「保」の特質 一円保成立にお ける在地豪族と農民 弘安三年の随心院政所下知状 在地豪族綾氏の一円保公文職就任 在地豪族の状況 一円寺領化に対する綾氏の態度 善通寺一円保絵図 絵図にみる一円保の水利 寺による用水管理 条里と 建物 寺家作地と名田 名主の性格 一円保の名主の 成立 一円保の寺領化と農民の立場 一円保の荘官名 主の階層分化と荘園領主随心院の支配 荘園領主の支 配に対する反抗 一円保における善通・曼荼羅寺の地 位 くらのまち 寺僧の名田 弘田郷領家職・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四二六 藤原定家領弘田郷 在地武士信綱による弘田郷請所 相門-西園寺公経と弘田郷 随心院領弘田郷領家職 弘田郷領家職の成立 在地豪族の領主化 郷の所領化 郷司の弱点 所領の寄進 国による寄進 弘田郷の寄 進と支配 生野郷修理免・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四三三 生野郷修理免寄進 南海流浪記 寄進の実態 善通寺 僧による管理 御影と寄進 生野郷修理免の支配の進 展 宝治三年の庁宣 殺生禁断地域の設定 -12- 公田一二町の寄進 生野郷司の寺領侵害 弘長三年の 郷司との和与による寺領の確定 生野郷寺領の発展 武士による寺領侵略 生野郷修理免の行くえ 生野郷 の国衙領 南北朝時代の生野郷 大麻社領 良田郷領家職・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四四六 国主による見作田三町の寄進 見作田三町の支配形態 良田郷郷務の寄進 寄進の理由 善通寺領良田郷郷務 郷務の範囲 国役免除 別当の干捗排除 良田郷郷務 の所得と権限 良田郷領家職の寄進 善通寺領良田 郷の完成 善通寺領の最盛期 地頭の反坑(#「坑」 は底本のママ) 大勧進真恵による良田郷の下地中分 真恵の寄進状 下地中分後の寺領配分 寺僧による寺 領の分割支配 領家分所領の面積 本寺の干捗 本寺 随心院による良田郷支配 在地武士の寺領侵略 良田 郷の領有状態 鎌倉時代の土地領有状況 室町時代の 領有状態 南北朝・室町時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四六八 南北朝の争乱と讃岐・・・・・・・・・・・・・・・・・四六八 南北朝 北朝方についた讃岐武士 南朝方についた讃 岐武士 守護大名 国人 守護大名細川氏の讃岐支配・・・・・・・・・・・・・・四七三 細川定禅の挙兵 細川顕氏の讃岐守護 細川頼春 讃 岐国人と頼春・顕氏 細川頼之の讃岐守護 頼之の讃 岐領国支配 細川頼有守護代となる 頼之の讃岐経営 の拠点 細川氏の被官となった讃岐の豪族 細川氏の 全盛時代 香川氏の入国と天霧城・・・・・・・・・・・・・・・・四八七 細川氏腹臣の讃岐支配 香川氏讃岐に移る 香川氏讃 岐入りの時期 天霧城 -13- 香川氏の系譜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四九○ 『全讃史』と『西讃府志』の検討 香川氏の嫡流 在 京の香川氏 讃岐守護代香川氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・四九五 香川氏讃岐守護代となる 守護代に関する文書 東西 の守護代 段銭と金蔵寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五○○ 金蔵寺領の段銭 讃岐国段銭条々 金蔵寺領の段銭免 除 香川美作入道と善通寺領弘田郷代官・・・・・・・・・・五○四 善通寺と随心院 随心院香川美作入道を代官とす 香 川氏の善通寺領侵略 応仁の乱と香川氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・五○八 応永・嘉吉の乱と讃岐国人 応仁の乱と細川勝元 香 川氏の活躍 香川氏の摂津国福原庄代官・・・・・・・・・・・・・・五一一 一条家領福原庄と香川氏 代官香川氏の年貢押領 細川政元の暗殺と香川満景・・・・・・・・・・・・・・五一四 細川政元の河野氏討伐 政元と讃岐の被官 政元暗殺 さる 細川澄之と讃岐の武将 細川氏の衰退と香川氏・・・・・・・・・・・・・・・・五一八 大内氏の讃岐対策 細川澄元と讃岐の武将 細川高国 と讃岐の武将 細川晴元の讃岐支配 細川氏の衰退 香川・安富時代の讃岐 三好実休の香川攻め・・・・・・・・・・・・・・・・・五二四 -14- 三好実休阿波を支配す 善通寺合戦 金倉の戦い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五二七 三好三人衆 三好氏織田信長に抗す 三好長治と香川・ 香西氏の対立 金倉顕忠の討死 信長三好氏を降す 長曽我部元親の讃岐攻略と香川之景・・・・・・・・・・五三一 元親の阿波侵略 元親の讃岐攻略 香川之景・元親に 降る 元親の中讃攻略 元親阿・讃を平定 香川氏の 滅亡 戦国末期の善通寺地域の武士 香川之景・室本 の麹商売を保護す 南北朝・室町時代の善通寺領・・・・・・・・・・・・・・五三九 随心院と大覚寺の本寺争い・・・・・・・・・・・・・・五三九 宥範による誕生院の創設 善通寺の本寺の地位大覚寺 に移る 大覚寺と随心院の爭論 随心院の本寺の地位 回復 寺領支配をめぐる雑掌祐乗と道仁の争い 在地 武士の寺領侵害 誕生院の寺領支配・・・・・・・・・・・・・・・・・・五四六 宥範の寺領経営の苦心 宥範による誕生院住持職獲得 櫛無(梨)保地頭職・・・・・・・・・・・・・・・・五四九 櫛梨保地頭職の誕生院寄進 島津氏の櫛梨保地頭職 島津氏の櫛梨保地頭職と誕生院寄進の地頭職との関係 保と称された理由 羽床郷萱原村その他・・・・・・・・・・・・・・・・五五三 真誡の壱分地頭職寄進 萱原村領家職の獲得 祇園社 領萱原神田との関係 -15- 善通寺塔婆領公文職 誕生院による善通寺領の請所・・・・・・・・・・・・・五五七 弘田郷の下地中分 寺領の支配方針と守護の保証 寺 領の領地所有 誕生院の弘田郷所務職・善通寺奉行同 院主職獲得 誕生院による善通寺領請所の成立 香川氏の善通寺領侵略・・・・・・・・・・・・・・・・五六六 香川美作入道の善通寺領請負 誕生院の所職回復の努 力と挫折 香川氏の寺領押領 田所職と得一名田の善 通寺返付 一円保の兵糧料所化と返却 善通寺領の終 焉 その他の荘園・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七四 金倉寺領および園城寺領金倉荘・・・・・・・・・・・・五七四 園城寺領金倉荘・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七四 園城寺領金倉荘の成立 金倉荘公文職の任命 金倉荘 と金倉寺 上金倉荘内の金倉寺領 平政平の田地寄進 長尾景高の寄進 金倉上荘惣追捕使長尾景高 金倉寺領良田郷その他・・・・・・・・・・・・・・・五八一 平安初期の寺領 寺領考察の二史料 加茂御油田 上 金倉の寺の敷地 良田郷東側の寺領寄進 室町時代の 寺領の状態 小松荘地頭職 寺領の諸公事免除 在地 武士による段銭徴収 高野山一心院領仲村荘・・・・・・・・・・・・・・・・五九二 一心院の由来 一心院の荘園 仲村郷の一心院寄進 朝廷による一心院の仲村郷領有の承認 仲村荘の百姓 年貢減免要求 南北朝時代の仲村荘 -16- 吉原荘と木徳荘・・・・・・・・・・・・・・・・・・六○○ 吉原荘 木徳荘 守護領国制の進展と荘園の崩壊 信仰と文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六○七 善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六○九 善通寺寺域 弘法大師創建説 佐伯善通創建説 佐伯 家先祖建立・大師修造説 善通寺の寺領 伽藍 五重 大塔 利生塔 五重大塔の再建 金堂金堂内陣 講堂 大楠 常行堂 法然上人逆修塔 三帝宝塔 観智院・ 華蔵院・玉泉院 誕生院 親鸞上人堂 瞬目大師画像 弘法大師伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六三七 生誕 生いたちと一族 少年時代 入唐 真言宗の開 宗 嵯峨天皇と弘法大師 高雄山寺の灌頂 高野山開 創 満濃池築堤と綜芸種智院の開設 東寺 その宗教 業績 いろは歌と五十音図の製作 大師と書道 大師 と絵画 大師と彫刻 大師と建築 大師と産業 人間 としての大師 略年譜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六七○ 補遺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六七五 空海の生年 空海の出生地 法名「空海」 空海の遊 学 山岳修行者としての空海 空海の入唐 空海の得 度 空海の「請来目録」 空海と東大寺の関係 空海 における長安の修学 比叡山と高野山 空海における 教判思想 空海の仏陀観 高雄山灌頂の意義 東寺の 経営と空海 真言宗の教義とその分派 -17- 空海の入定 大師信仰の源流 綜芸種智院 社会的活 動 空海の法弟 空海の法系 真言七祖 西行法師と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七○七 西行法師の家系 西行の出家とその背景 保元の乱と 崇徳上皇の讃岐配流 西行と崇徳上皇 西行白峰御陵 を訪う 西行と善通寺滞在 西行と久松庵 西行と山 里庵 西行と生木大明神 西行の歌碑 西行と曼荼羅 寺 西行讃岐を去る 二度目の奥州行脚と西行の死 宥範僧正・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七二三 道範阿闍梨の「南海流浪記」に見る善通寺・・・・・・・・七二五 曼荼羅寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七二八 曼荼羅寺の創建 曼荼羅寺の荒廃と中興 寺領経営と 善芳・善範 中世の曼荼羅寺 宥範僧正と曼荼羅寺 室町戦国時代の曼荼羅寺 江戸時代の再興 現在の曼 荼羅寺 甲山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七三六 出釈迦寺と奥の院(禅定寺)・・・・・・・・・・・・・・七三八 金倉寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四一 智証大師伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四六 誕生と金倉寺 比叡山の籠山修行 中国への求法の旅 園城寺(三井寺)の開創 -18- 第五世天台座主 入滅と大師号宣下 円珍「智証大師」年譜・・・・・・・・・・・・・・・七六一 円珍「智証大師」在唐中の伝法事状・・・・・・・・・七六五 神々への意識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七六六 自然崇拝 祖先崇拝 産土神 まつりとやしろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・七六七 神の座 古代中世神祇概観・・・・・・・・・・・・・・・・・七六八 審祇施策 神仏習合 延喜式神名帳 春日・熊野分霊 勧請 善通寺市内の神社・・・・・・・・・・・・・・・・・七七○ 大麻神社と雲気神社・・・・・・・・・・・・・・・・七七○ 大麻神社 雲気神社 春日信仰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七三 春日神社二社 八幡信仰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七四 八幡信仰 北向八幡宮 熊野信仰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七六 山岳仏教 観音信仰と結合 木熊野神社四社 特殊神 事 文化財・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七八 -19- 一字一仏法華経序品 金銅錫杖 木造地蔵菩薩立像 木造吉祥天立像 木造天太玉命坐像 木造彦火瓊々杵 命坐像 絹本著色智証大師像 木造聖観音立像 木造 薬師如来坐像 木造阿弥陀如来立像 宮が尾絵画古墳 木版細字法華経 鐃[ハツ](♯「ハツ」は文字番号 17762)陶製四耳壺 般若理趣経 紺紙金字法華経 袈裟襷文銅鐸 紙本善通寺境内ならびに寺領絵図 史 蹟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七九五 廃寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七九五 道善寺跡 瀧寺跡 大窪寺跡 伝導寺跡 筆山廃寺跡 野田院跡 堂跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八○五 枇杷薬師堂跡 五智如来堂跡 山里庵跡 西行庵跡 古城跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八○七 天霧城跡(天霧城調査報告書写) 甲山城跡 櫛梨城跡 与北城跡 摺臼山城跡 内山城 跡 大麻山城跡 中村城跡 墓塚・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八二四 三帝宝塔 持宝院十一重層塔 遊塚 遠藤塚 平塚 佐伯田公墓 朝比奈弥太郎墓 塔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八二九 法然上人逆修塔 館跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八三○ -20- 囚支首鈍雄館跡 和気善茂館跡 佐伯田公館跡 和気 道善館跡 和気宅成館跡 佐伯直道長館跡 佐伯鈴伎 麿館跡 その他古跡伝説跡・・・・・・・・・・・・・・・・・八三三 青鷺井 恵美寿涌 玉の井 久の松 不老松 衣掛松 笠掛桜 天霧山 筆の山 我拝師山 水茎の岡 仙遊 原 葵瀧 人面石 蛇石 牛穴 世坂 矢止め松 瓦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八四○ 出土の瓦と善通寺 八葉複弁蓮花文軒丸瓦 八葉複弁 蓮花文軒丸瓦 十六葉細素弁蓮花文軒丸瓦 重弧文軒 平瓦 扁行唐草文軒平瓦 扁行唐草文軒平瓦 均正唐 草文軒平瓦 巴文軒瓦 文字軒瓦 梵字(ア)軒瓦 連珠文軒平瓦 [セン](#「セン」は文字番号2834) 瓦窯 善通寺の甕・円筒棺・経塚 経塚碑文 満濃池・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八五三 池地の状況 満濃池後碑文 弘仁の大決潰 空海の築 池別当 空海築池工事に着手 仁寿の決潰 元暦の決 潰 西島八兵衛による再築 安政の大決潰 明治の復 旧工事 その後の用水事情 昭和の県営土木工事 大 工事完了による満濃池 資 料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八六九 善通寺文書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八七二 金蔵寺文書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九○七 -21- 多度郡屏風浦善通寺之記・・・・・・・・・・・・・・九二六 鵜足山金倉寺縁起・・・・・・・・・・・・・・・・・九四○ 多度郡曼荼羅寺記・・・・・・・・・・・・・・・・・九五八 道隆寺温故記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九六○ 満濃池後碑文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九七六 南海流浪記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九七七 贈僧正宥範発心求法縁起・・・・・・・・・・・・・・九八九 善通寺市史 第2巻 -1- 目 次 近 世・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一 江戸時代前期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三 生駒藩の政治と生駒騒動・・・・・・・・・・・・・・ 三 千石秀久の入封 生駒親正と讃岐支配 関ヶ原合戦 検地とため池の築造 新参入の台頭 生駒騒動 生駒時代の善通寺の村と知行地・・・・・・・・・・・一六 寛永一○年「讃岐国絵図」 寛永一七年「惣高覚帳」 善通寺地域の知行地 善通寺の金毘羅領 西嶋八兵衛と満濃池の修築・・・・・・・・・・・・・二六 西嶋八兵衛の事績 満濃池の修築 満濃池の水懸り 生駒家と善通寺・曼荼羅寺・・・・・・・・・・・・・三一 善通寺蔵の生駒文書 曼荼羅寺と三野四郎左衛門 丸亀藩・高松藩の成立・・・・・・・・・・・・・・・三七 丸亀山崎藩 丸亀京極藩 丸亀藩体制の確立 丸亀藩 の税 多度津藩の成立 高松松平藩 高松藩体制の確 立 高松藩の内高 高松藩の税 丸亀藩の近世初期検地・・・・・・・・・・・・・・・五四 -2- 検地 石高制 検地の施行要領 讃岐の天正検地 讃 岐の慶長検地 寛文・延宝検地 丸亀藩寛文・延宝検 地の施行原則 善通寺村・大麻村の延宝検地 近世初期の村落構造・・・・・・・・・・・・・・・・ 六九 善通寺村本村分の延宝期石高階層構成 分付百姓の存 在形態 善通寺の村高・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七六 善通寺の村々 高松藩・丸亀藩の石高 善通寺の各村 高 善通寺の丸亀藩領各村の村明細 善通寺の地名 江戸時代中期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八六 西讃寛延百姓一揆・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八六 江戸時代の百姓一揆 一揆の背景と発端 一揆勢の結 集と行動 一揆勢の要求ヶ条 裁許の取り消しと処罰 高松藩領農民の動向 全国的視野からみた寛延百姓一 揆 高松藩政の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○六 元禄期の藩政 藩財政の悪化 宝暦の財政改革 享和 の新法 丸亀藩政の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一五 藩札の発行 延享・寛延期の政治 日用銀 福島・新 掘湛甫の築造 貢租制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一二五 検見取法と定免制 村々の免率 新竿引畝改 免相下 札 破免 細見の実態 納米額決定 -3- 近世の水利・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四二 溜池と出水の概要 満濃池の再築 満濃池と水掛りの 村々 二頭水取・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一五三 二頭出水 善通寺の水取り 寛政九年の水取り 文化 一四年の水取り 文政六年の水取り 村民の生活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一六三 衣生活 食生活-主食- 副食と調味料 上層農のハレ 食-行事食- 住生活 屋根の様式-寄棟のツクダレ 造り- 間取り 江戸時代後期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七四 村方騒動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七四 村方騒動とは 大麻村組頭役儀不帰依事件 天保八年 善通寺村大麻村騒動 商業的農業の展開・・・・・・・・・・・・・・・・・一八一 幕末期讃岐の経済発展度 綿作 甘蔗作 製糖業 高松藩の国産統制・・・・・・・・・・・・・・・・・一九○ 文政期の藩財政と砂糖の統制 坂出塩田 綿 菜種・ 和紙 丸亀藩の国産統制・・・・・・・・・・・・・・・・・一九八 倹約政治の展開 「田面改」の実施 「生綿銀」と綿 の統制 砂糖車運上 菜種の統制 桑・楮・櫨・茶 高松藩の天保期の改革・・・・・・・・・・・・・・・二二○ -4- 藩札の信用回復策 天保初期の藩財政 砂糖為替金趣 法 天保の騒動 丸亀藩の弘化・安政期の政治・・・・・・・・・・・・二三一 弘化二年の年貢肝煎庄屋 木綿趣法と善通寺綿役所 丸亀藩大坂砂糖引請問屋 安政の御用銀(米) 安政 二年の封札 産物趣法金 砂糖大坂積登せ趣法 綛糸 仕組 藍の統制 長州征伐と大麻村固場・・・・・・・・・・・・・・・二五四 開国後の政治状勢 長州征伐と高松藩・丸亀藩 高松 藩の農兵 大麻村固場 丸亀藩の農兵 幕末の多度津 藩 永井の馬継所と茶屋・・・・・・・・・・・・・・・・二六六 馬継所 茶屋 近世讃岐地方の被差別部落・・・・・・・・・・・・・・・二七一 被差別部落の起こり 被差別部落史を学ぶということ 部落差別の政治的背景 検地と土地保有 部落差別と 別帳仕立て 高松藩の家畜統制 丸亀藩の巧妙な部落 利用 被差別部落の困窮 穢多の土地所有 小坂騒動 「ええじゃないか」と丸亀藩 明治維新の諸統計 解 放令の布告と丸亀県 同和問題の指針 近 代(善通寺町制施行以前)・・・・・・・・・・・・二九三 明治維新・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二九五 明治新政府の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・二九五 王政復古の大号令 戊辰戦争 高松藩朝敵事件 土佐 藩兵の高松進駐 丸亀藩と多度津藩の動向 ええじゃ ないか 五箇条の御誓文 五榜の掲示 改体書 -5- 版籍奉還から廃藩置県へ・・・・・・・・・・・・・・三○四 版籍奉還 高松藩の改革 丸亀藩の改革 多度津藩の 改革 四国会議 廃藩置県 旧高松藩主上京阻止事件 県名の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一八 第一次香川県 名東県 第二次香川県 地方行制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三二三 八八区制 大区小区制 区戸長制 文明開化の諸政策・・・・・・・・・・・・・・・・・三三○ 通貨制度 駅逓・郵便制度 戸籍法 四民平等 太陽 暦 学制 警察制度 徴兵制度 地租改正 西讃竹槍騒動と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・三四六 一揆の善通寺地域進入-鳥坂より 一揆の善通寺地域 進入-牛屋口より 一揆の鎖圧 一揆と善通寺住民 愛媛県時代の讃岐国・・・・・・・・・・・・・・・・・・三五五 県政の動き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三五五 愛媛県への併合 愛媛県庁 権令岩村高俊 県令関新 平 四国新道の開削 知事藤村紫郎と白根専一 県会の開設・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六三 -6- 愛媛県特設県会 第二会特設県会 愛媛県会の開設 県会審議 地方行政制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七一 郡区町村編制法 郡役所の開設 村と戸長役場 戸長 集会条規 金蔵寺村組長設置法 村会規則 金蔵寺村 村会の審議 稲木村村会 村の予算 連合村会 那珂 多度郡各町村島連合会規則 明治一七年改正の連合戸 長役場 自由民権運動と分県独立運動・・・・・・・・・・・・四○二 讃岐の民権結社 国会開設運動 分県独立運動 第三次香川時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○八 県政の発展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○八 香川県の設置 歴代知事 県会議員 県の行財政 師 範学校と中学校の設置 土木事業 勧業政策 讃岐鉄道と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・四一六 帝国議会の開設・・・・・・・・・・・・・・・・・・四二○ 大日本帝国憲法 帝国議会の開設 地租軽減・地価修 正の要求 地租増徴反対運動 町村制・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四二七 町村制の交布 町村合併 麻野村村長・助役の選出 吉田村村長・助役の選出 各村の村長・助役・収入役 村役場吏員 善通寺村役場処務規程 村会議員 村会 議事細則 村の財政 善通寺村事務報告書 戸別割負 担変更の紛議 善通寺に町制を施行 -7- 郡制の施行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五○九 仲多度郡の成立 仲多度郡郡会議員 明治時代の産業・経済・・・・・・・・・・・・・・・・・五一五 貨幣金融制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五一五 近代的貨幣制度の確立 金本位制の成立 近代の農業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五二五 明治日本経済と農業 農業成長の要因 地域農業の展 開 明治前期の善通寺村の経済・・・・・・・・・・・・・五三九 善通寺村の農業 善通寺村の商工業 明治後期の経済・・・・・・・・・・・・・・・・・・五四七 師団の開設と地元の経済 麻野村の農業 貸座敷業の 成立 第十一師団の創設・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五五八 第十一師団の創設・・・・・・・・・・・・・・・・・五五八 陸軍の創設 太政官徴兵の告論 徴兵令と庶民 歩兵 第十二連隊の誕生 西南の役 日清戦争 第十一師団 の誕生 第十一師団設置前後の経緯 兵営、諸官舎の 建設 善通寺衛戌病院(陸軍病院) 病院のうつり変 り 旧第十一師団の建物 偕行社 練兵場 射的場 初代師団長乃木将軍・・・・・・・・・・・・・・・・五九○ 乃木将軍の十一師団経営 馬匹改良についての意見 軍の綱紀粛正について 陸軍服装改正意見書について -8- 兵器の改善と軍人(将校、下士官)の教育 日誌に見 る郷土の人士との交友 教育と文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六一一 近世の教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六一三 藩学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六一三 高松藩の藩学 丸亀藩の藩学 多度津藩の藩学 維新前後の庶民の教育・・・・・・・・・・・・・・・六二九 寺小屋 郷校 私塾 明治時代の教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六四三 学制確立時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六四三 近代国家の成立と教育 高松・丸亀・多度津三藩郷土 区分と教育 学制領布と国の教育基本計画 県の教育 行政区画と学校設置状況 改正教育令による充実時代・・・・・・・・・・・・・六五六 国の教育の進展 本県の教育 善通寺地域の教育 改正小学校令時代・・・・・・・・・・・・・・・・・六七一 教育勅語 香川県教育の進展 善通寺地域教育の進展 明治時代の社会教育・・・・・・・・・・・・・・・・六七六 萌芽期 通俗教育時代 近世・近代における郷土の学者・文化人・事業家・・・・・六八○ 河田迪齋 横田玄鱗 横田襲華 乾 百内 吉田正達 山地元陽 山地徴月 山地健雄 -9- 山地竹枝 横田健次 山地陽三 松岡正貫 大久保彦 三郎 秋山伊豆 黒木茂矩 西川涛太 宮沢半痴 香 川克齋 月照 信海 松岡家の人々 松田俊順 顕昌 和泉虎太郎 高畑権兵衛 片山権左衛門 文化財・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七三六 善通寺の堂宇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七三六 金堂 本尊薬師如来座像 経蔵と傳大士像 善女竜王 (清滝大権現)の祭祀 奉唱光明真言百万遍塔 ミニ 四国八八か所標石 梵鐘 石造五百羅漢 金倉寺の堂宇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七六○ 諸堂宇について 金堂脇侍「日光」「月光」菩薩像 仏画「笈不動明王尊像」 木翁句碑と和気徐柳 牛額寺薬師堂の棟札・・・・・・・・・・・・・・・・七六五 智光寺の堂宇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七六七 中村薬師庵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七二 絵画・書跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七七七 岩駒筆「四季の虎(部分)」 狩野英信筆六曲一双屏 風 月照上人の遺墨 歌川国芳筆 踊る禿信海筆絹本 の「花鳥図」 二条斉敬卿の書幅「赤心」 三十六歌 仙扁額 絵馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八八 石神社の小絵馬二面 -10- 算額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七九○ 木熊野神社の算額 皇美屋神社の算額 その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一一 寺主俊勝の法橋允可書 合葉文山採集にかかる蝶の標 本 摺仏「梵字不動明王像」について 宗 教・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一五 近世・維新期の宗教・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一七 近世善通寺地域の神社寺院-善通寺所蔵史料-・・・・・・八一七 善通寺 観智院 八幡宮 稲荷社 不動明王 四国八 八か所石仏 五所明神二社 御三帝御廟所 御館明神 三宝荒神 弁財天 十二社権現 龍王 遍路家 西行 庵 大麻大明神 行神殿 一言明神 十二神権現(西 山) 十二社権現(本村) 明見大明神 智光寺 浄 証寺 皇子権現 十一面観音 西光寺 三宝荒神 浄 願寺 八幡宮 九頭神大明神 石神社 養念寺 十二 社権現(中村) 薬師堂 甲山寺 春日大明神 皇子 権現 雲気神社 延命院(曼茶羅寺)[#「茶」は底 本のママ] 万福寺 出釈迦寺 東西大明神 清竜権 現 水茎庵 正覚寺 覚善寺 善光寺 大歳大明神 大宮大明神 惣社大明神 四国遍路と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・八四○ 金毘羅参詣道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八五三 善通寺を通過している金毘羅街道 一、丸亀街道 二、多度津街道 三、御供田道 遍路 道と金毘羅道 一、善通寺遍路道 -11- 二、金倉寺遍路道 神仏分離と市内の社寺・・・・・・・・・・・・・・・八七一 神仏分離 仏教界の動き 神道の動き キリスト教の 動き 大教院の設置と解散 神仏合併の推進と混乱 長法寺のこと 善通寺の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八八九 善通寺領の基盤・・・・・・・・・・・・・・・・・・八八九 善通寺領の基盤 一時期、三三○石寄進 その他 寺 有林 知行之外・當村分 御買地寄進明鑑 善通寺と歴代住職・・・・・・・・・・・・・・・・・九○五 宥成法印 尊翁法印 [イン]瓊法師[#「イン」は文字番号0000] ■貞法師 宥謙法師 光胤権僧都 円竜大僧都 光歓 権僧都 阿闍梨光天師 僧正光国権僧正寛充 厳蔵権 僧正 厳暁僧正 慈定法師 権僧正厳猷 旭雅大僧正 大僧正法遵師 宥粲大和尚 大僧正蓮生観善師 弘法大師御遠忌…天明四年九五○年忌の場合・・・・・九二五 弘法大師御誕生会…文政六年一○五○年御嘉辰の場合・九五○ 白方海岸寺一件・・・・・・・・・・・・・・・・・・九七一 五重塔の再建・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○二八 資 料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○五七 善通寺文書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○六○ 元禄八乙亥より正徳五未年迄廿一年間、從公儀向被、 仰付之記録 -12- 昭和二年光国僧正日記 抜 長谷川家文書・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○九七 慶應四年 高松(右下隅に「江」)御出陣(右下隅に 「ニ」)付諸事覚書 辰正月多度津 歳々文政寄寺官神雨水照記万事覚附・・・・・・・・一一三一 善通寺市史 第3巻 -1- 目 次 現 代 近・現代における行政と産業・・・・・・・・・・・・・・ 一 明治後期の善通寺の行政と経済の発展・・・・・・・・・ 一 善通寺町の誕生と周辺の村々・・・・・・・・・・・・ 一 善通寺町の誕生 周辺の村々 善通寺町役場と吏員 善通寺町役場設置場所の推移 四ケ村役場 竜川村事 務報告 善通寺町会議員の選出 筆岡村・竜川村の村 会議員 善通寺町会の開催 議場での予算審議 善通 寺町の財政 小学校校舎建築問題 道路改修工事 日 露戦争前後の町財政 明治四二年の町政紛争 旧麻野 村の分村運動 善通寺町基本財産蓄積条例 地方改良 運動 仲多度郡役所 郡長と郡会議員 郡長訓示 県 会議員 産業の振興と経済基盤の整備・・・・・・・・・・・・・六七 日清・日露戦争期の日本経済と善通寺町の誕生 第十 一師団の開設と善通寺町 香川県の経済構造の変化と 善通寺町 第十一師団と金融機関 師団建設の地元へ の経済効果-讃岐電気株式会社の設立- 讃岐電気(株) の創設と発展 師団設置後の商工業と金融 明治期の善通寺農業・・・・・・・・・・・・・・・・・八四 -2- 農会の成立 仲多度郡農会と与北村農会 郡農事試験 場 害虫駆除と稲作指導 米穀検査 農業の改良と発 展 竜川村の土地改良事業 善通寺町の水利事業 大正時代の善通寺の行政と経済の変化・・・・・・・・・・九九 護憲運動と郷土の動き・・・・・・・・・・・・・・・・九九 桂園時代 憲政擁護運動と大正政変 香川県同志記者 会と立憲青年会 営業税などの廃税運動 米騒動 普 通選挙獲得運動 大正時代の善通寺の行政・・・・・・・・・・・・・・・一一○ 市制・町村制の改正 町村役場機構と処務規程の整備 竜川村区長設置規程 善通寺町会議員 筆岡村・竜川 村の村会議員 善通寺町の財政 不況下の財政審議 与北村の補助政策 与北尋常高等小学校の校舎建築費 消防組組織の変更 善通寺町長の空席と選挙問題 物 価高騰と附加税制限外課税 善通寺町地方改良委員の 設置 公設市場の設置 第一回国勢調査 陸軍特別大 演習記念三大事業 部落有財産の特別処分 関東大震 災一周年警備演習 町村長会における郡長訓示と指示 事項 郡制および郡長・郡役所の廃止 商工業の変化と進展・・・・・・・・・・・・・・・・・一六五 第一次世界大戦の勃発と景気の回復 大戦期の善通寺 町と商工業 産業金融の発達と善通寺町 大正期の善通寺農業と地主制・・・・・・・・・・・・・一七二 -3- 大正期の善通寺農業 農家の副業-麦稈真田・叺など 勧業七年計画の開始 計画実施の組織 竜川村と七年 計画 香川県の地主制 地主制について 甘土料につ いて 自作農創設維持事業 大正時代の土地改良の動 向 買田池の水利費の実例 昭和初期の善通寺と昭和恐慌・・・・・・・・・・・・・・一九二 地方自治の進展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九二 普通選挙の実施 善通寺町会議員の選挙 善通寺町と 村々の役場 昭和初期の町村人口 地方税法の改正と 両税委譲論 昭和初期の善通寺町財政 第四十三聯隊 跡地問題 青年訓練所の育成 自作農創設維持資金貸 付規程 昭和初期の土木事業 善通寺町保勝会による 八幡山遊園地建設 昭和の恐慌と公私経済緊縮運動 農業恐慌 満州事変と五・一五事件 時局匡救事業 地方改良委員会の活動 昭和の経済恐慌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二四○ 金融恐慌に始まる昭和 金融恐慌下の善通寺町 不況 と善通寺町の経済 不況下の善通寺町の変化 農村不況と農業経営・・・・・・・・・・・・・・・・・二五一 昭和恐慌と農村 窮乏する農村 時局匡救事業の実施 竜川村・与北村・善通寺町の時局匡救事業-竜川村の時 局匡救事業-与北村の時局匡救事業-善通寺町の時局匡 救事業 経済更正運動 -4- 明治・大正・昭和初期の社会運動・・・・・・・・・・・・二七一 労働運動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二七一 讃岐電気株式会社の争議 善通寺兵器支廠の争議 麦 稈真田製造女子従業員の争議 大工・左官の争議 米騒動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二七八 米騒動の勃発 善通寺地域の米騒動 農民運動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二八二 農民運動の高まり 小作争議発生の理由-香川県農業 の構造 大正期における小作争議増加の経済的原因 農民運動と高松雄弁会 日本農民組会の結成 善通寺 地域における明治後期の小作争議 大正期の小作争議 日農による争議指導 金蔵寺事件 小作調停 農民運 動の後退 戦時体制下の町村政と経済・・・・・・・・・・・・・・・三○七 戦時下の行財政・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三○七 国家総動員体制 師団への動員令と町の対応 町村役 場 市町村の行政事務刷新運動 地方財政・税制の改 革 善通寺町の財政 善通寺警防団の設置 善通寺銃 後奉公会の設置 紀元二千六百年祝典 大政翼賛会 大日本翼賛壮年団の結成 町内会・部落会・隣組と常 会 選挙粛正運動から翼賛選挙へ 太平洋戦争勃発 仲多度地方事務所の設置 満州開拓民 -5- 軍事経済と商工業・・・・・・・・・・・・・・・・・・三六○ 戦争の開始と地域経済の変化-日中戦争による戦時体 制への突入- 警防団設置をめぐる町予算の問題-軍 都善通寺町の体面- 戦時経済生活の進行-統制経済下 の善通寺町- 戦時経済下の商工業 戦時下の町民生 活と貯蓄 貯蓄組合の結成と善通寺町 軍事経済下の農業・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七八 統制経済下の善通寺の農村 統制経済の進行 食糧の 確保と土地改良事業 昭和一四年の大干ばつと対策 食糧増産の実施 戦時下の農民の生活-池田富三郎の 日誌 終戦と軍国主義の崩壊・・・・・・・・・・・・・・・・三九五 四国地方総監府の設置 国民義勇隊の編成 県下の空 襲被災 善通寺の防空空地設定計画 ポツダム宣言と 終戦の詔勅 戦後処理 復興期の善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○二 町村行政の民主化・・・・・・・・・・・・・・・・・・四○二 連合国軍の進駐 戦時体制の改廃 役場機構の刷新 善通寺町議会議員 旧四国軍管区土地建物の買収 戦 後混乱期の善通寺町財政 住民福祉と町行政 学園都 市善通寺町の建設 自治体警察署と香川県警察本部 国家警察予備隊善通寺駐屯部隊の創設 上水道水源地 問題 第八回国体バドミントン会場 善通寺町の歳入 と起債 町村合併と善通寺市の誕生 -6- 産業経済の復興 -戦後の善通寺町の経済復興-・・・・・・・・・・・・四三六 復興する善通寺町 善通寺町の産業経済 農地改革と戦後の農業・・・・・・・・・・・・・・・・四四一 農地改革と地主制 農地委員会の設立 甘土の処置問 題 与北村の農地改革 善通寺町の軍用地払い下げ問 題 農地改革の成果 食糧危機と善通寺農業 善通寺 町の食糧増産事業 食糧不足と開墾 善通寺町の開墾 土地改良区の設立と土地改良事業 善通寺町農業協同 組合など 戦後農業と供出制 昭和二一年の供出 事 後割当から事前割当へ 福祉と医事衛生の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・四七○ 福祉と防疫衛生対策・・・・・・・・・・・・・・・・・・四七○ 明治前期の救貧と村治・・・・・・・・・・・・・・・四七○ 救貧・救療の動き 貧困学童対策 軍事救護 暴風雨 災害と救済 行旅病人・徘徊者対策 明治前期の衛生対策・・・・・・・・・・・・・・・・四七九 コレラ・赤痢・腸チフス等の流行と対策 伝染病・衛 生対策 明治後期の救済活動・・・・・・・・・・・・・・・・四八四 軍人保護 風水害対策 窮民救済・貧児保護 明治後期の防疫衛生対策・・・・・・・・・・・・・・四九四 -7- ペスト対策 コレラ等の伝染病とその対策 衛生講話 会の動き トラホーム流行とその対策 大正期の社会救済・・・・・・・・・・・・・・・・・五○六 救貧対策 軍事保護 地方改善・矯風事業 大正期の防疫衛生対策・・・・・・・・・・・・・・・五一五 伝染病・衛生対策 トラホーム・寄生虫対策 昭和期の社会事業・・・・・・・・・・・・・・・・・五二五 救貧対策及び社会事業 軍人救護・銃後後援 地方改 善・矯風 昭和期の防疫衛生対策・・・・・・・・・・・・・・・五四○ 伝染病と衛生対策 愛国婦人会等の健康相談 トラホ ーム・寄生虫・その他 太平洋戦争後の救済事業・・・・・・・・・・・・・・五五二 引揚者・復員者・軍人遺家族対策 母子・未亡人対策 生活困窮対策・社会福祉事業 障害者対策 戦後の伝染病対策と地域衛生・医療対策・・・・・・・五七二 伝染病・公衆衛生対策 乳幼児・姙産婦検診 トラホ ーム・その他 医療衛生の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七九 近代の医事衛生・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七九 -8- 天然痘と種痘 コレラの流行と予防 善通寺地区の医師・・・・・・・・・・・・・・・・・五八七 明治以前の医家 明治時代開業の医師 大正時代開業 の医師 昭和前期開業の医師 普通寺救護隊の活躍 昭和二○年代開業の医師 仲多度郡医師会・・・・・・・・・・・・・・・・・・五九五 仲多度郡医師会の設立 県医師会仲多度郡支部への改 組 戦後の新生仲多度郡医師会 産婆・看護婦等の専門職養成・・・・・・・・・・・・五九八 産婆・看護婦養成所の開設 仲多度郡医師会による産 婆・看護婦養成 陸軍の病院から国立善通寺病院へ -衛戌病院のうつりかわり-・・・・・・・・・・・・・六○二 明治後期-日露戦争と戦後-・・・・・・・・・・・・・六○二 開戦時の病院 分院・転地療養所の開設 戦地よりの 患者還送 死亡者 赤十字社救護班 婦人会及び地元 の協力 渡辺温行院長と軍医達 入院患者と慰問の人 々 X線設置 平和の回復 森[オウ]外(#「オウ」 は文字番号20250)の来院と横川院長 大正時代から昭和初期までの衛戌病院の動き・・・・・六一三 大正時代の病院 看護婦の採用 関東大震災の救護 軍縮時代 偕行社診療所 かいづかの並木 上海事変 今野院長のこと -9- 戦時下の衛戌病院・・・・・・・・・・・・・・・・・六二二 日中戦争の開始 分院の建築 高松赤十字病院の転用 病院の勤務人員 御坤徳の碑 分院が本院に 陸軍看 護婦の養成 終戦前の状況 小豆島分院・三島分院の 開設 病棟の間引とりこわしと高松空襲救援 終戦時 の服部院長の記録 終戦と病院 戦は終って 日本赤 十字社救護看護婦のこと 地元の協力 慰問の人々 陸軍病院の任務について 国立病院として新しく発足・・・・・・・・・・・・・六三九 国立善通寺病院の創設 引継当時の国立病院 軍政下 の病院管理方針 旧陸軍病院施設の国立善通寺病院転 用 組合立伝染病院の設置 昭和二七年より同この年 までの国立善通寺病院の概況 歯科医療の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六五九 歯科医療黎明期・・・・・・・・・・・・・・・・・・六五九 近代歯科学は横浜から 県下初の歯科医師誕生 歯科 教育機関の設置 大正時代の歯科医療・・・・・・・・・・・・・・・・六六四 善通寺及び近隣市町村の歯科医療状況 学校等におけ る歯科衛生 大正時代の善通寺町及び附近の開業歯科 医 香川県歯科医師会法人組織となる 昭和初期の歯科医療・・・・・・・・・・・・・・・・・六六八 児童生徒にムシ歯流行 第一回ムシ歯予防デー 学校 歯科医設置の県令 歯科医にも不況の風 -10- 中学校にも歯科医設置を 県学校歯科医会が発足 昭 和初期の善通寺町及び附近の歯科医 戦時体制下の歯科医療状況・・・・・・・・・・・・・・六七三 医療報国陣の体制敷く 第一一回ムシ歯予防デー 国 家総動員法制定 香歯診療団の派遣と歯科軍医制度の 確立 歯科材料も配給制に 郡市支部長決まる 補習 教育と練成講習会 挺身歯科診療を開始 戦時国策に 即応 白金回収と学童集団疎開 医師免許の特例公布 敗戦からの再出発・・・・・・・・・・・・・・・・・・六七九 戦後の混乱・虚脱の時期 琴平小学校が歯科医療に重 点 口腔衛生週間の実施 復興のあゆみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六八一 昭和二六年のあゆみ 昭和二七年のあゆみ 昭和二八 年のあゆみ 昭和二九年のあゆみ 昭和二一年~同二 九年における歯科医療の概況 教育のあゆみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六八七 明治後期の教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六八七 義務教育年限の二度延長と国民の対応 国字問題の解 決 教科書問題の解決 明治後期の教育学説の受け入 れ傾向 明治後期の香川県の教育 町制施行と小学校 の再編 善通寺村外四か村組合立善通寺高等小学校と 竜川尋常高等小学校の誕生 善通寺町外二か村学校 組立高等小学校の設置と校舎敷地問題 組合会の解散 と善通寺尋常高等小学校の設立 -11- 善通寺町内の中等教育機関 社会の進運と社会教育へ の開眼 社会教育の実践 明治時代の教育の総括と反 省 大正時代の教育の進展・・・・・・・・・・・・・・・・七一八 大正時代の教育の動向 大正時代の香川県の教育状況 大正時代の教育思潮 大正時代の善通寺地区の初等・ 中等教育 補習学校 大正時代の社会教育 昭和初期の教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七三一 昭和初期における教育の背景 経済恐慌の学童への影 響 農村恐慌と教員の窮状 郷土教育や生活綴方教育 の隆盛 新興教育運動 富国強兵への教育 青年訓練 所の設置 プロレタリア文学運動と思想善導対策 情 報機関の発達と社会教育 戦時下の教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四三 非常時きたる 青年学校の誕生 国民学校の誕生 学 徒・学童の動員 学童の疎開 戦後の教育改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七五三 戦時体制から平和体制へ 学制の大改革 教育改革の 基本線の決定 新学制の実施状況 教育体制の整備 戦後の社会教育 市内小学校および(旧制)中学校・女学校の沿革・・・・七六五 善通寺市立中央小学校 善通寺市立東部小学校 善通 寺市立西部小学校 善通寺市立南部小学校 善通寺市 立筆岡小学校 善通寺市立吉原小学校 善通寺市立竜 川小学校 善通寺市立与北小学校 私立尽誠中学校 -12- 私立静修女学校から香川県立善通寺高等女学校へ 交通と通信・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八二 鉄道の発達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七八二 讃岐鉄道会社から国有鉄道へ・・・・・・・・・・・・・七八二 讃岐鉄道の創設 地元の反対運動 讃岐鉄道の概観 増資と車両購入 丸亀・高松間を延長開業 山陽鉄道 への合併から国鉄へ 讃岐路の鉄道唱歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・七九八 地理歴史・讃岐唱歌・鉄道の巻 新鉄道唱歌 国有化後の鉄道概観・・・・・・・・・・・・・・・・・八○六 四国の幹線工事 戦後の混乱から復興へ 輸送近代化 から民営分割へ 電車その他の交通機関・・・・・・・・・・・・・・・・・八一○ 電車の発達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八一○ 琴平参宮電鉄株式会社の開業 二転三転した線路計画 四○年の歴史に幕 人力車からタクシーまで・・・・・・・・・・・・・・・八一五 人力車 乗合馬車 乗合自動車 タクシー 道路・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八二三 道路の整備・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八二三 -13- 師団設置で道路網整備 里道・県道等の様相 市街地 道路に街路樹 郵便と通信・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八三九 郵便・通信事業のはじまり・・・・・・・・・・・・・・八三九 新式郵便業務の開始と四国 郵便料金の制定 郵便取 扱役(郵便局長)の資格 郵便貯金 業務の開始とそ の普及 電信事業のはじまり 善通寺地域の郵便事業・・・・・・・・・・・・・・・・八四四 善通寺郵便局の概要 軍事郵便制度について 第十一師団と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八四九 第十一師団の設置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八四九 第十一師団設置の経緯・・・・・・・・・・・・・・・・八四九 設置候補地の選定 善通寺村に設置決定 第十一師団 の開庁 第十一師団の設置と住民のくらし・・・・・・・・・・・八六三 師団用地の買収と地価の高騰 善通寺村の景気 住宅 の建築 第十一師団職員のための住宅事情の推移 道 路・下水道の整備 師団設置にともなう諸問題・・・・・・・・・・・・・・八七五 小作償金に対する紛議 遊廓地一件 師団設置にとも なう村財政収入の減少と村税督促手数料条例の新設 三村の合併と善通寺町の成立 -14- 日露戦争と満州駐剳・・・・・・・・・・・・・・・・・・八八五 北清事変・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八八五 日清戦争後の軍備拡張と列強の中国進出 北清事変と 丸亀連隊の派遣 日露戦争と第十一師団・・・・・・・・・・・・・・・・八八八 日露の開戦 第十一師団の大陸出征 旅順要塞の攻撃 第三軍の新編成と奉天の会戦 日本海海戦 俘虜収容 所 第十一師団の凱旋・・・・・・・・・・・・・・・・・・九○○ 凱旋記念と兵士 新聞にみる凱旋風景 戦後の動向・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九○六 満州駐剳 日韓併合と第十一師団の朝鮮派遣 (付) 乃木将軍の殉死 第一次世界大戦とシベリア出兵・・・・・・・・・・・・・九一六 第一次世界大戦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九一六 第一次世界大戦の勃発と日本の参戦 青島攻略と第十 一師団の守備隊派遣 対華二十一か条要求とパリ平和 会議 丸亀俘虜収容所の設置・・・・・・・・・・・・・・・・九一九 丸亀俘虜収容所の開設 俘虜の受け入れと移動 シベリア出兵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九二七 -15- ロシア革命とシベリア出兵 第十一師団のシベリア 派遣 出兵兵士の艱難 国際協調の時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九三二 ワシントン会議と軍備縮小 関東大震災における救援 活動 陸軍特別大演習と善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・九四二 大演習の決定と準備・・・・・・・・・・・・・・・・・九四二 陸軍特別大演習・香川県で実施 仲多度郡及び町村の 事務 御仮営所と統監部 陸軍特別大演習の経費 讃岐平野での大演習・・・・・・・・・・・・・・・・・九五六 大演習の想定 大演習の経過 祝賀と記念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九六四 奉送迎と諸行事 記念事業 田高田御野立所の記念碑 満州事変から日中全面戦争へ・・・・・・・・・・・・・・九七三 満州事変・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九七三 満州事変の背景 満州事変と日本軍 満州事変の概略 満州事変後の国内の動き 上海事変と第十一師団・・・・・・・・・・・・・・・・九七八 第一次上海事変の概要 第十一師団の動き 歓送風景 凱旋祝賀風景 日中全面戦争と第十一師団・・・・・・・・・・・・・・九八六 -16- 日中戦争の本格化と国内の動き 第十一師団の上海出 動(第二次上海事変) 第十一師団の満州駐屯 (付)樫村大尉の片翼飛行 軍隊と町と住民・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九九三 師団経営の諸側面・・・・・・・・・・・・・・・・・・九九三 招魂祭 陸軍墓地 軍用犬 軍馬とその徴発 軍馬佐 野號忠勇碑 陸軍の兵食 輜重隊の働き 第十一師団 歌 (付)善通寺小唄 軍都の住民組織・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○二一 在郷軍人会(付奉公袋) 婦人会の活動 青年団の活 動 女子青年団の活動 善通寺道路愛護会 軍都の種々相・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一○五八 乃木神社の創建 招魂社(護国神社) 建機建艦運動 の展開-愛国香川号の献納 歩兵第四十三連隊跡へ小 学校移築 明治節の歌 軍都の娯楽-富士見座の開業 世界館の開業 西山新地- 防空大演習 警防団 戦 時下の防空 高松大空襲 家屋の疎開 太平洋戦争と郷土の軍隊・・・・・・・・・・・・・・・一一二五 太平洋戦争の開戦・・・・・・・・・・・・・・・・・一一二五 太平洋戦争開戦の経緯 太平洋戦争の概略 第十一師団の改編と出動・・・・・・・・・・・・・・一一二九 -17- 師団の改編と新編成 独立混成第十三旅団歩兵第六十 大隊 独立混成第四旅団独立歩兵第十五大隊 独立歩 兵第七十大隊- 第四十師団の編成-南洋第一支隊 南 洋第六支隊- 歩兵第六十二連隊を新たに編成 独立 歩兵第百八十三大隊 独立歩兵第百八十五大隊 第 五十五師団の編成-山砲兵第三十一連隊 南海支隊の 創設- 独立混成第四十八旅団 独立混成第四十五旅 団 歩兵第二十二連隊 臨時独立歩兵第二十八大隊 太平洋戦争の終局・・・・・・・・・・・・・・・・・一一四九 第五十五軍と四国防衛 太平洋戦争の終結 第十一師 団の終焉 善通寺俘虜収容所・・・・・・・・・・・・・・・・・一一五六 日露戦争・第一次世界大戦と俘虜の処遇 俘虜の処遇 をめぐる国際条約と第二次世界大戦俘虜取扱いのため の諸機構・官制の布告 俘虜取扱いにかかわる関連法 規の整備 善通寺俘虜収容所の開設 善通寺俘虜収容 所俘虜取締規則の制定 俘虜の受入れと移動 収容所 の職員構成 収容当初の俘虜の日課 俘虜による大麻 山の開墾 居住条件 給養特に食事医療と俘虜の健康 状態・疾病 戦争後期段階の俘虜の労役 警備員等に よる俘虜に対する私的制裁 俘虜の解放 資 料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一九五 第十一師団歴史(抄)(自昭和一二年至昭和二○年)・一一九八 -18- 善通寺偕行社財産目録・・・・・・・・・・・・・・・一二三○ 旧軍用財産処分状況調書(自昭和二一年至昭和二五年)一二五一 市の廃置分合に関する申請書(抄)・・・・・・・・・一二五二 善通寺市制施行に関する調書(抄)・・・・・・・・・一二六八 市町村の廃置分合に関する決定書(香川県)・・・・・一二八一 善通寺町、龍川村、與北村、筆岡村及び吉原村の合併に関 する協定書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一二八四