動物・植物 (13K)

入力に使用した資料
底本の書名    讃岐ものしり事典(p174~178)
 底本の編者    香川県図書館協会
 底本の発行者   香川県図書館協会
 底本の発行日   昭和57年4月1日
入力者名     坂東直子
校正者名     磯崎洋子
入力に関する注記 
    文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
    文字番号を付した。
    JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
    と表記した。

登録日     2003年3月20日
      

-動物・植物-

問 アツケシソウ(「アツケシソウ」は太字)(厚岸草)について(坂)
答 アカザ科に属する1年草で塩水が入り込む海岸の砂地に群生する塩生植物である。
 この植物、北海道釧路の厚岸(ルビ あつけし)の牡蛎島(ルビ かきじま)で発見され、
 この名がつけられた。大正10年天然記念物に指定され保護されている。ホウキを逆さにしたよ
 うに生え、秋になると松の緑に似た莖が美しいサンゴ色に変るため、湿地に生えるサンゴを意
 味する谷地(ルビ やち)サンゴの別名がある。莖は肉質円柱形で、多くの枝を対生し、関節
 がある。葉は鱗片(ルビ りんぺん)状に退化し関節部に対生する。秋、枝の先がこん棒状に
 ふくれ穂状花序になる。その鱗片葉のわきが凹み、3個の花ができる。花被(ルビ かひ)は
 菱形、雄しべは1~2個、雌しべは1個。果実はふくれた花被に包まれている。花期は8月~
 10月。北海道が原産、四国の塩田の一部にだけ自生し、又北半球の塩性地にも分布している。
 本県では昭和3年に詫間塩田、坂出の木沢塩田で発見され天然記念物に指定され、その後小豆
 島淵崎塩田でも発見されたが、その後絶滅したものとして指定から取消され、現在県指定の天
 然記念物は昭和46年版香川県の文化財によると(39年4月9日指定)、「屋島塩田のあつけし
 草の群落」だけである。香川大学などの調査で宇多津塩田をはじめ10数浜で発見されていたが
 、塩田の廃止とともにその多くが絶滅しようとしている。
○ 万有百科大事典19 植物 P20  原色現代科学大事典③植物 P253
  世界大百科事典  小百科事典(平凡社)P28  学生百科新事典(文英堂)
  グランド現代百科事典①(学研)  ブリタニカ国際大百科事典小項目①
  原色日本野外植物図譜④(誠文堂新光社)
  四国新聞昭和47年10月17日(あつけし草を惜しむ:香川短大 竹内教授)
  塩田のおもかげ  月刊香川  昭和48年4月 もう一つの塩田

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問 有明浜の海浜植物(「有明浜の海浜植物」は太字)について(観)
答 有明浜の植物を代表するものは、勿論海浜植物であって、その分布が主として海辺に限られ
 ている植物である。そして海辺植物群落が海辺独得(#「得」は底本のママ)の景観をつくり
 だしている。これに混入して帰化植物では、オオフタバムグラ(アカネ科)、ハタザオガラシ
 (アブラナ)、ハマダイコン(アブラナ)などの40余種、また日本在来の路傍や川原の植物が
 50種以上生育し、それぞれきまった時期に繁茂して花を咲かせる。有明浜の海辺植物は次のと
 おりである。アカザ科(オカヒジキ・マルバアカザ)、ツルナ科(ツルナ)、ナデシコ科(ハ
 マナデシコ・ヒメケフシグロ)、スミレ科(アツバスミレ)、セリ科(ハマボウフウ)、サク
 ラソウ科(ハマボッス)、ムラサキ科(スナビキソウ)、ヒルガオ科(ハマネナシカズラ・ハ
 マヒルガオ)、クマツヅラ科(ハマゴウ)、シソ科(ナミキソウ)、ゴマノハグサ科(ウンラ
 ン)、ハマウツボ科(ハマウツボ)、キク科(ネコノシタ・ハマニガナ)、イネ科(ハマエノ
 コロ)、カヤツリグサ科(コウボウシバ・コウボウムギ・ハマアオスゲ・ビロードテンツキ)
 海辺植物のうち特記すべきものは、
 (1)ハマゴボウ(クマツヅラ科)、(2)ハマボウフウ(セリ科)、(3)ヒメケフシグロ(ナデシ
 コ科)、(4)ハマウツボ(ハマウツボ科)、(5)ハマネナシカズラ(ヒルガオ科)である。
○ 観音寺市の文化財第2集

問 内海八幡神社社叢(「内海八幡神社社叢」は太字)について(内)
答 内海町馬木の西方、苗羽の西北方の海岸近くの花崗岩丘陵上に発達した社叢でウバメガシの
 極相林である。
 上層にごくわずかにアベマキ、シャシャンボ、所によってはクロマツを混えるが、そのほとん
 どがよく生長したウバメガシであり、中層は低木状のネズミモチモッコク、シャシャンボ、ク
 ロガネモチ、イブキ、トベラ等の暖温帯性植物からなる。下層を欠き、草木層はよく繁茂した
 ヒトツバ、テイカカズラから成っている。学術的価値の高い貴重な存在である。
 県指定天然記念物(昭和46年4月30日)
 なお、同八幡神社内には、
  棟札一式 町指定書跡(昭和45年10月2日)、慶長10年(1605)11月、八幡宮一宇上葺の棟札
  を最古のものとして16の棟札を蔵する。
  神社前燈籠二基 町指定工芸品(昭和45年10月2日)江戸初期寛文10年(1670)のもので、紀
  年銘のある町内最古で高さ171センチのものである。
   木造狛犬1対 町指定工芸品(昭和49年3月12日)檜材一木造で阿形吽形の

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  一対であることは明らかで、鎌倉末期か南北朝時代の作である。
 木造男神・女神像 町指定工芸品(昭和49年3月12日)などがある。
○ 香川県の文化財 P291  内海町史 P383  内海町文化財一覧表

問 オリーブ(「オリーブ」は太字)について(土)
答 オリーブは、紀元前2~3000年頃から小アジアの地中海沿岸諸国を中心に栽培され始めた。
 我が国では、文久年間から試作が繰り返され、明治41~43年、香川県の小豆島で、はじめてこ
 れに成功した。品種は、ミッション、マンザニロ、ラッカ等、約7種類あり、混植によって結
 果率は向上する。栽培適温は平均16~18℃。降水量、年間600~800ミリ、日照は1日の7割以
 上が望ましい。早ければ3年めから結実する。5~6月小さな、純白の馨わしい花を開く。10
 ~11月収穫し、緑果は食用、完熟果は食用油、その他に加工される。
  県木は、昭和40年全国知事会等の賛同を得、翌年5月、毎日新聞社からの提唱があり、昭和
 41年9月10日公募によって選定された。
 オリーブ選定理由として次のような点があげられる。
 1.平和の象徴である。
 2.瀬戸内海の風光にふさわしく親しみやすい。
 3.香川県で、はじめて試作に成功した。
○ 小豆郡誌、オリーブの作り方(尾崎元扶著)  県花県木カラーブックス
  讃岐ものしり事典第1集 P16、P29

問 香川県下の帰化植物(「香川県下の帰化植物」は太字)について(香)
答 帰化植物…意識的と否とにかかわらず、外来植物が日本に侵入する機会は多い。観賞用とし
 て、あるいは実用植物として輸入されるのは当然ながら、積荷や殻類に混ったり、その他いろ
 いろの経路をたどって、密入国してくる雑草種子は決して少なくない。
 それらの多くは日本では育ち難いが、我が国の気候風土が適しているものは、発芽成長して大繁
 殖をとげる。そのために日本在来種は片隅に追いやられ、外来者にすみ家を明け渡してしまうこ
 とになる。これが帰化植物と呼ばれる連中である。
  帰化植物を渡米起源で大別すると、有用植物起源と雑草起源になる。オオマツヨイグサ、コ
 スモス、ハルシャギク等はもともと花壇で作られていたものだが、今は各所で野生化の状態を
 呈している。ネズミムギ、ナヨクサフジ等も、もとをただせば牧草として移入されたもので、
 これらは有用植物起源となる。しかし、路傍雑草の大部分(アメリカセンダングサ、オオアレ
 チノギク、オオイヌノフグ

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 リ、オランダミミナグサ等)は、勝手に入りこんできて、今では在来種を圧して我が者顔に振
 舞っている。これが雑草起源、いわゆる「招かれざる客」である。
  帰化植物にも古顔と新顔がある。シオンは秋の花壇の彩りとして欠かせないものだが、もと
 もとは野草で、本州(中国地方)と九州に自生があるという。ところがその更に先をたどると
 、我が国が朝鮮と陸続きの頃、大陸から入ってきたそうだ。田畑や路傍の雑草も、殆どは外来
 種である。恐らくは有史以前、農耕文化とともに中国から入ってきたものであろう。
  スズメノテッポウ、スズメノカタビラ、タネツケバナ、オナモミなどで、前川文夫博士はこ
 れらに史前帰化植物の名を与えた。すると奈良朝の頃渡ってきたフジバカマなどまだまだ新し
 い方になる。こんなのまで入れると、帰化植物の数は500になるか800になるか、或は1000以上
 になるかもわからない。これでは大変なので、普通は江戸時代以後の、渡来年代が比較的明ら
 かなものに限定する。それでも本県産だけで、300前後にはなるだろう。
  古い帰化植物には中国原産のものが多い。それが江戸時代から明治にかけては欧州のものが
 増加し、昭和の、特に近代にあっては、米国を中心に各国のものが侵入している。これは人の
 交流と帰化植物の関係を如実に示していて、なかなか興味深い。島の帰化植物をみても、陸地
 部と往来の激しいところ程、その種数、量が多い。これも人の交流との関係の裏書きで、土庄
 の余島、本島、女木島などがその好例の地である。
  県産のすべての帰化植物についてまとめるとなると、それこそ膨大な紙数と時間を必要とす
 る。したがって、それらについては、図鑑ででも勉強してもらうのがかえっていいだろう。
  それにしても、何思わず見すごしている路傍の雑草が、実は殆どが青い目の植物であるとは
 オドロキである。
  気のつかぬうちに在来種が隅の方へ追いやられ、自然の姿までだんだん外国色にぬりつぶさ
 れている事実に、一まつのさびしさを感じるのである。
○ 香川の動植物 P182
  大手前学園生物部の帰化植物図集1~5
  観音寺市及び三豊郡の帰化植物
  香川県植物研究資料 1、2、

問 香川県の県花・県木・県民鳥・県民獣(「県花・県木・県民鳥・県民獣」は太字)
答 県花 オリーブ(日本植物友の会の口火により昭和29年NHK開局29周年記念の特別番組と
 して発表)
 県木 オリーブ(国土緑化推進委員会と全国知事会の賛同を得て65年万国博記念緑
 のニッポン全国運動として昭和41年9月10日選定)
  県民鳥 ホトトギス(県鳥獣審議会の答申を経て昭和41年5月10日指定)

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  県民獣 シカ( 同 上 )
○ 原色 県花・県鳥-物語と図鑑  県花・県木(カラーブックス)

問 屋島洞窟のコウモリ(「コウモリ」は太字)について(香)
答 高松南高校生物部が、1964年から3年間生態的に、その後更に3年間生活の周期性を、毎月
 少なくとも一度は洞窟に出かけて、コウモリを捕獲し、必要な調べをして腕にバンドを入れて
 逃がすという研究の報告がある。それによると屋島洞窟に生棲するコウモリはニホンキクガシ
 ラコウモリ、ニホンコキクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、ニホンコビナガコウモリの4
 種で11月から3月までの約5か月は冬眠し、6月から8月が成長期、9月に交尾期をむかえる
 ものと推定され、1日の生活は午後7時頃から食餌のため洞窟外に飛び出し、午前5時頃帰っ
 てくるようである。
○ 屋島洞窟のコウモリの研究  Ⅰ・Ⅱ  香川県産のコウモリ数種について